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資本主義への賛歌と追随――資本との協調こそわが「信条」と
 不破哲三が『前衛』2月号(1999年)で「日本共産党は、民間企業に何を期待し、何を約束するか」という論文を発表している。これは昨年12月(1998年)に民間企業の経営者などを前に講演したものであるが(その一部は、先週の『海つばめ』でも暴露されている)、民間大企業と共産党がどのように闘おう≠ニしているか(実際には、なれあい、協調しようとしているか)を明らかにしている。

◎共産党の「改革論」

 まず、不破は共産党の「改革論」について述べる。

 彼は、世の中はいっぺんにがらっと変わるものではなく、段階を追うように一歩一歩変わっていくものだとし、自分達は「段階的改革論者」「段階的な発展論者」と特徴づける。そして、どんな改革も国民の多数の意思でやる、国民とともに「国民の多数の意思で階段を上がる」というのである。

 ここで彼は、共産党という政党が革命政党ではなく改良主義の政党であること、国民の多数者とともに進む政党であって、大企業を収奪するような恐ろしい政党≠ナはないことを経営者の前に誓うのである。いわく、これが私たちの「いわば信条」、「私たちの日本改革論の一番の基本」である、と。

 そして、日本が直面している改革の課題は、社会主義的なものでなくて「資本主義の枠内での民主的な改革」の段階である、共産党がめざすのは日本資本主義のゆがみやいびつさ≠直すことだという。従って、共産党は大企業を敵とは思っていない。

 「よく、『共産党は大企業を敵だと思っているのではないか』という方がいますが、私たちはそういう立場ではありません。私たちの改革では、大企業の横暴、特権のいびつさを直そうというのが目標で、日本経済で大企業が果たす役割を否定しない。経済のまともな発展の一翼をになってほしい、と考えています」

 大企業を含めた民間の経営者を前に、こうした演説をすることが労働者政党の幹部にとって恥かしいといった感覚(反省)は、不破にはなくなってしまったのだろう。共産党は心身ともに大企業の敵ではなく、友達、協調の相手であると論じたてるばかりである。

 彼の講演には、資本主義の体制についての本質的な批判、批判的な観点は何も存在しない(あるはずもない!)。彼は、欧米などでは当たり前になっているルール≠ェ必要だ、ルールを決めて大企業の横暴を規制しなければならないというだけであって、大企業の体制そのものの変革の必要性など一言もでてこないのだ。「唯一の革新」とか「自共対立」といった叫びは、どこにいったのか?

 そして彼は、日本資本主義のゆがみやいびつさ≠ただすものとして、企業行動の是正について語る。ソニーの経営者であった盛田昭夫の提言を持ち出している。

◎盛田の提案と共産党

 「経済トップで財界の方ですから、われわれとはずいぶん違う話をされるのだろうと思っていたのですが、具体的に読んでみるとそうではありませんでした」

 盛田は日本の企業活動について、世界で通用しないという問題点を六つ上げている。@労働時間での欧米との差、A労働分配率、B株主の配当が低いこと、C下請けとの関係が対等でないこと、D地域社会への貢献のなさ、E環境等への配慮等々、である。

 「ここを解決しないと、いくら『よい製品を安く』つくっても、世界から『ルール破りだ』と叩かれるだけ、そこをなんとかしないと、世界の中でやっていけなくなる、こういうことで一連の改革の提案をしていました」

 盛田の提言が、徹底してブルジョア的なものであることは、明らかである。彼は六つの提言が実行に移されないと、日本の企業が世界市場でやっていけなくなる、激しくなる世界の競争戦において遅れをとってしまうといっているにすぎないのだ。

 ところが、不破はこうした盛田の提言がたいそうなものに見える。彼はそれがブルジョア的なものであることを暴露する代わりに、共産党の主張にほとんど合致するもの≠ニ美化するのである。

 「盛田さんのこの提案は、私たちが『ルールなき資本主義』から脱却し、国民の利益にかなうちゃんとしたルールを確立しようではないかといっていることと、ほとんど合致しています」

 部分的どころか、ほとんど″致するというのである。不破は、経営者としての盛田に完全に屈服しているのではないのか。

 さらに、もう一つ盛田の主張に共感したことがあると言う。それは、どのようにやっていったらよいか、ということである。盛田は次のように言っている。

 「日本の現在の企業風土では、あえてどこか一社が改革をやろうとすれば、その会社が結果的には経営危機に追い込まれてしまうような状況が存在しています」

 「日本企業の経営理念の根本的な変革では、一部の企業のみの対応で解決される問題ではなく、日本の経済・社会のシステム全体を変えていくことによって、はじめてその実現が可能になる」

 したがって、ソニーにおいても単独では「改革」をなしえない、一社では無理だから、社会全体の仕組みを変えなくてはならないと言うのであるが、これに対し不破は次のように評価するのだ。

 「この意見は、私たちが、政治と社会の側できちんとしたしくみとルールをつくり、これを社会的に守っていく体制をつくろうではないか、といっていること――大企業に対する民主的規制――と、いわば方法論がよく似ていることを痛感しました」

 なるほど、労働時間にしても労働分配率にしても、社会のルールとして決定してしまえば、一社だけ経営危機になることもなく、経営者にとっても労働者にとっても、うまくいくかのようである。盛田の「経営理念の変革」は共産党の「民主的ルールづくり」へ受けつがれたという訳だ。

 しかし、これは資本と賃労働の対立という資本主義の現実を忘れた観念的タワごとではないのか。そして、一社で無理だから社会のルールをつくればいいなどと、安易に言うことはできるのか。もし、労働者にいくらかでも満足がいくようなルール≠ェできるとすれば、いやできるためには、企業経営者との断固たる闘いが不可欠なことを不破は隠しているのだ。例えば、労働時間を欧米並に短縮するとすれば、他の条件が全く変わらなければ、その分だけ資本の利潤が減少するであろう。欧米企業との激しい競争に晒されている資本にとって、欧米並の労働条件の実現は、その分だけ国際競争力の喪失を意味しないのか。労働時間にしろ、賃金にしろ、そのルールづくり≠フためには、資本との断固たる階級的な闘いが必要であって、大企業は敵ではない、ゆがみ≠竍いびつ≠ただすだけだと企業経営者にお愛想を振りまいている場合ではないのだ。

 しかし、不破はそんなことは気にしない――階級的利益よりも国民的利益が優先されなくてはならない。そして企業経営者も国民の一部であり、その意思を十分に尊重しなければならないのだ。そのためには、企業経営のトップであった盛田をもり立て、共産党のルールづくり≠フ路線との一致点を強調せざるをえないのである。

 「このように、私たちが感じていることを、全然別の側にいる企業のトップの方が同じように感じている。私は、そのことをたいへん印象深くくみとりながら、この論文を読みました」

 盛田が資本の側にいること、そして経営者の立場から発言し、提言していることは明らかである。ところが「全然別の側」にいたはずの不破と共産党も、盛田と同じように感じ、それに共感しているのだ。このことは、共産党が資本の勢力に限りなく接近し追随していること、資本の陣営に卑しく媚びへつらっていることを教えるだけである。

◎企業への期待と約束

 そして、不破は経営者に向かって、得意そうに述べる。

 共産党の「改革論」を考えていただいて、「この点は筋が通っていると多少とも思われることがあったら、改革の考えのあうところでご協力をいただきたい、これが、私たちからの『期待』です」。ご協力といっても、政治献金はいただきませんから、「安心してご協力いただきたい」、と。ここで笑い≠ェ起こったそうであるが、それは経営者が共産党に警戒心をもたなくてもいいと感じたからであって、労働者政党としては決して自慢できることではない。

 次に民間経営者に対する共産党の「約束」について語る。

 これもやはり最初に述べた二つのことに尽きる、という。

 「一つは、私たちがいま全力をあげ、しかも二十一世紀の早い時期に実現をめざしているもの――これもかなり長い視野で実行しようとしているものですが――は、資本主義の廃止ではなく、『資本主義の枠内での民主的改革』だということです。日本共産党は、党の綱領でこの方針を決めてから(六一年の第八回大会)、三十数年にわたってその立場でがんばっているわけですから、その方針からそれて違った方向に足を踏み外すということは絶対にいたしません」

 もはや、共産党は六一年の綱領改定以来、三十数年間、「資本主義の民主的な改良」の政治を繰り広げてきた、この方向・路線から足を踏み外すことはない、と受け合うのである。つまり、決して社会主義のために闘ったり、大企業の存在を脅かすような政治行動はとらないと約束するのである(しかもこの「改革」は「かなり長い視野」でやっていくというのだ!)。

 「もう一つのお約束は、私たちは、将来の改革を段階的に考えているといいましたが、将来問題になるどんな段階でも、日本の条件を飛び越して何か机のうえで考えた勝手な改革プランを、国民多数の合意なしに、社会に押しつけるということは絶対にやらない、ということです」

 彼がここで、「勝手な改革プラン」と言っていることが、労働者の社会主義をめざす階級闘争であることは、容易に想像がつくであろう。彼には、労働者の階級闘争は、「机のうえ」の勝手な「改革プラン」に堕しているのだ。労働者の階級闘争や社会主義への歴史的必然性を机上の空論≠ニ断じてはばからない「科学的社会主義の政党」とは一体何なのか? 恥かしくないのか、不破よ!

 そして、言う。

 「この二つは、私たちの党の信条にかかわる問題として、お約束できることです」

 大いに約束し給え! 労働者はこうした政党を労働者の裏切り者として糾弾する以外にない!

 講演終了後には、「現状分析には、ほぼ同感だ」「怖いものみたさできたが、民主的改革を国民多数の意思で、という話ははじめてきいた」「従来いだいていた共産党のイメージとは違うと思った」などの感想が寄せられた、と『前衛』は(喜々として)紹介している。

 今回の不破の講演は、共産党の政治的堕落と退廃がどんなに深刻なものとなっているかを暴露するばかりである。
(YA)

「海つばめ」第709号(1999年1月17日)
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