|
1959年に公開された映画「キクとイサム」は、戦後の日本が抱える問題を取り上げて絶賛を博しましたが、9月11日に開催した「じんけんフェスタしが2010」でもこの映画を上映し、高い評価を得ました。
今回、この映画に製作スタッフとして参加された角沙門さんとイサム役で出演された奥の山ジョージさん(ともに草津市在住)にお話を伺いました。
「キクとイサム」あらすじ 会津磐梯山の麓の寒村を舞台に、進駐軍の黒人米兵と日本人との間に生まれた姉弟キク(高橋恵美子)とイサム(奥の山ジョージ)、そして母方の年老いた祖母しげ子(北林谷栄)の暮らしを描いた物語。 |
角沙門さん |
奥の山ジョージさん |
――お二人がこの映画に参加されたきっかけは
角 | 映画館を経営していた私の父である角正太郎が、映画を作りたいという思いから、出資を通じて映画製作に関わっていく中で、ちょうど学校を卒業したばかりの私も撮影助手として参加することになりました。 |
奥の山 | 当時私は小学4年生で、母と二人で横須賀に暮らしていました。参加のきっかけは、はっきり覚えていませんが、オーディションだったと思います。 私は右も左もわからない子どもでしたので、共演したキク役の高橋恵美子さんと一緒に、映画の撮影が始まる前に旅館にカンヅメにされて、演技や一般常識などいろいろな指導を受けました。 |
――撮影後、暮らしに変化はありましたか
角 | 撮影が終わると、様々な事情によりジョージを父が引き取って草津で一緒に暮らすことになりました。ジョージは、草津という全く知らない所に来ることになり、寂しかったのではないかと思います。 |
奥の山 | 私が草津に来る前に、草津の小学校ではこの映画を子どもたちに見せてくれていたようです。おかげでみんなに温かく迎えていただき、映画のようにいじめられることもなく、すくすくと育つことができました。学校の先生にもずいぶんお世話になりました。草津に来てよかったと思っています。 ただ、私が黒人米兵の父と日本人の母との間に生まれたということは、映画に出た当時よりも今の方が意識をします。意識しすぎてはだめだと思うのですが。 |
角 | 大人になるにしたがって、人生の節目に際して、出生にまつわる様々な問題がジョージに降りかかってきたと思います。 しかし、出生については彼自身ではどうしようもないし、だからといってほったらかしにするわけにもいかない。まさに人権問題だと思います。 |
奥の山 | でも、今もいい仲間に支えられているし、ありがたいなと思っています。 |
――上映された当時多くの賞を受け、現在も映画を上映すると高い評価を受けているとか。この作品のどの部分が時代を超えて人々をひきつけているのでしょうか。
角 | 人々をひきつけているのは、基本的には映画の内容であり、作り手のこだわりが詰まった出来栄えだと思います。 当時は、朝鮮戦争で米兵との間に生まれた子どもがたくさんいました。そういう事実をしっかりと社会に伝えたいという製作者の思いがあったと思います。 しかし、この映画はそういった社会問題をストレートに訴えるのではなく、家族間の愛なども取り上げて、問題をやわらかく包み込んでいるような気がします。それがこの映画のよさではないかと思います。 |
――映画を通して、人権や社会問題を考えるということは、50年前も今も変わっていないのでしょうか
角 | 第82回アカデミー賞作品賞を受賞した「ハート・ロッカー」もイラク戦争の問題点を浮き彫りにした作品でした。そういう作品が受賞したというのは、今の時代への警鐘とも言えるのではないでしょうか。 このように映画は、映像、音楽、台詞などによって、視覚と聴覚に訴えかけるのでわかりやすいと思います。人権や社会問題について考えるのに身近なツールだと思います。 |
「キクとイサム」の他にも、じんけんフェスタしがではこれまで様々な人権をテーマとする映画を上映してきました。レンタルビデオ・DVDなどで観ることができる映画もありますので、人権について考えるきっかけとして、ぜひ一度ご覧ください。