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石田三成って名将なのか愚将なのかな?ただ結果だけじゃなくてトータルな業績で
3杯の茶は芦田愛菜程度に小賢しいと思います。
政治家としては非常にマジメで有能。しかし、戦は下手。戦局が不利な時、前線で干戈を交えられない人ってイメージがあるなあ。
脳みそ筋肉な人達から嫌われる
補佐役としては優秀トップに立つには懐の深さとカリスマ性がなかった
政治家としては無能、役人としは有能
なんだかんだいって諸葛孔明並みに優秀な人なんだと思う、但しあくまでも官僚として佐和山城に居城していた頃は領民の信望厚い善き領主だったらしいけど、将の将たる器じゃなかったあと秀吉の失政の批判の矢面に立ったのも悲運だね、分かってて損な役回りを受けていたんだとは思うけど
あー、役人として有能って評価は当たってる気がするねー孔明はスペックチートなので比べ物にならん官僚としても三成より上だし、他が雲泥の差もし三成に孔明なみの外交・弁論術があったら日本中の大名が家康を裏切って西軍についてる結果は見事に逆で、西軍から裏切り者が続出w
若い頃は賤ヶ岳で先懸衆の一人として名が残ってたりと案外前線で頑張ってたらしいでもその後は後方での手柄ばかりだな関ケ原における采配では開始時点での西軍は完璧といって良いほど見事な配置人の扱いで失敗した感じだけど結果を問わなければ名将でいいと思う
del
孔明に弁論のすごさなどない
近江佐和山19万4000石の身分で徳川家康に喧嘩売ったしドイツのメッケルも初めて日本来た時は石田の勝ちと言ったらしいし味方の裏切りで負けて愚将っのもな将棋ならいきなり手持ちの車角がいきなり味方の玉を狙いにくるようなもんまあ戦は総力戦 裏切られる方が悪い
mayでやれ
逆転の発想で見れば豊臣の血筋でもなく内外に敵を抱えた状態でもともとの格が違うのにあれだけ抵抗できたのはむしろ能力だと思うぞというか元の評価が結果から構築された時系列の逆視点なんだけどさ
>>孔明なみの外交・弁論術があったら演技やそれをもとにした創作を鵜呑みにしすぎだろJK
複式簿記のできる人だったそうだね
>>No.17200609 確か東西軍の配置を見て西軍の有利と判断したんだよな、そんで結果を知って「ホワーイ?」だったけど小早川をきっかけとした小大名達の裏切りや吉川の消極的な裏切り(長宗我部への妨害)を知って納得したとか 実際本人の発想じゃ無いにしても東軍が関ヶ原に雪崩込んできた場合に包囲できるような配置で戦況は一進一退。ここで吉川と小早川がきっちり西軍として動いていれば退路も断てる状況だった。もっとも吉川は既に西軍にとっても毛利にとっても獅子身中の虫以外の何物でもなかったけど
>脳みそ筋肉な人達から嫌われる石田は才人すぎて人情というものをいまいち理解できてない感じがする天才肌の官僚よりもおもらししちゃう人の方が愛されるんだな
>>吉川と小早川小早川じゃない。長宗我部だ想定外として ガラシャの自決があるな、あれで細川が完全に東軍化したし上杉征伐に加わった連中も当時は「徳川強引すぎだろ」って引き気味から余計に三成憎しになって福島の音頭に乗ったって話もあったなぁ。細川にとっては偏執的に愛した奥さんの仇だし(目が合った庭師やら懐いた雄犬すら手打ちにしたとか)
>西軍は完璧といって良いほど見事な配置総大将の不在・・・なんとなくイメージ的に石田三成が総大将な感じがあるが反徳川同盟の一参加者に過ぎない総大将の毛利輝元が入るはずだった本営の松尾山城を東軍の小早川に奪われて分断されてたり地形的に下山することの困難な南宮山に戦意の有る友軍を拘置されたり・・・吉川が動かなかったというより動けなかった完璧でもないぞ
関が原が半日で決着したのは当時も想定外で多くの人は応仁の乱のように全国に飛び火して何年も続くと思ってた黒田・伊達「「聞いてないよ」」
>脳みそ筋肉な人達から嫌われる脳みそ筋肉な人を扱うのはほんとに大変なんだなだから東についた筋肉の人らは利用されて結局ほされるという
>西軍は完璧といって良いほど見事な配置>総大将の不在・・・なんとなくイメージ的に石田三成が総大将な感じがあるが反徳川同盟の一参加者に過ぎないその総大将不在が一番痛い、仮の総大将毛利輝元は日和見を決め込んであまり動かず大本命の総大将淀殿秀頼親子は家臣同士のイザコザと勘違いしてやはり我関せずじゃねぇ豊臣政権の事実上の執行部とはいえその政策が不人気では数揃えるだけでも一苦労だったろうに
忍城落とせなかったなこの人
>おもらししちゃう人の方が愛されるんだなそれ・・・秀吉も家康もあてはまるよなwどっちだ?
>忍城落とせなかったなこの人そりゃ秀よっさん直々にどうしても水攻めでやれととんちんかんな命令されたらかなわんよ中間管理職の悲哀として笑えないが
忍城攻めの水攻めは秀吉の指示で三成は反対してるし、別に戦下手ってわけじゃない
>石田は才人すぎて人情というものをいまいち理解できてない感じがする加藤や福島などの連中が、朝鮮での戦果を過大に報告したらちゃんと調べて、正確な戦果を報告してたんだよな戦果盛るのは、当たり前の行為だったか加藤や福島が怒った
まあ天命のない人だね運命を切り拓く強引さとか愛嬌とか剛運とか、目に見える能力以外のなにかが一つ決定的に足りなかった
>忍城落とせなかったなこの人失敗したからではなく、先に小田原城が落ちて必要無くなったからと言うのが最近の説あと秀吉の数々の攻城戦の陰で三成や行長が兵站を運営し勝利にもっとも貢献してきたのに、愚将呼ばわりされるのはあまりに不当無能はむしろ勝って当たり前の戦でしか武勲立ててない上に豊臣政権滅亡ばかり活躍してる7本槍の面々(加藤清正は除く)
>近江佐和山19万4000石の身分でこの規模で兵6000を出せたのは異常三成の手腕がうかがわれる
関ヶ原が長引いていたら、どんなカオスになっていたんだろうな黒田官兵衛の軍記物とか見てみたかったな
>(加藤清正は除く)大阪戦前にあの世に逃げちゃったから得してる面もあるだろあのおっさん
>近江佐和山19万4000石の身分で>この規模で兵6000を出せたのは異常>三成の手腕がうかがわれる滋賀県北部って曇りが多くて豪雪地帯でもあるから、石高が19万4千石もあるかどうかも怪しいんだけどな代わりに古墳時代から生糸の産地でしかも交通の要衝で木之本という宿場町と長浜、塩津と言う港があったから銭は稼げたかもあと国友鉄砲村があるし
>関ヶ原が長引いていたら、どんなカオスになっていたんだろうな黒田官兵衛の軍記物とか見てみたかったな多大な軍備と兵員を動員している徳川、毛利、豊臣の弱体化は避けられないとして東北、九州が気になるなぁ、九州は黒田の独壇場になりそうでならないと思うんだよね島津があまり関ヶ原に兵を出してないし東北は上杉と伊達の長期戦の末で最終的に国力が有る方が勝つかな
本陣も関東の軍も温存してるし結局あの場で家康殺せなかったら関ヶ原後も徳川が最有力なのはかわんないだろうしなあ存命中に幕府作れなくはなるかもしれんが
まあ一番知りたいイフは、信長が死ななかったらどうなってたかだな家康が天下を取るというのが、日本人のメンタリティの基礎になってる気がするから
>東北は上杉と伊達の長期戦の末で最終的に国力が有る方が勝つかな元々地盤の奴らに囲まれて転封されたばっかの上杉さんはそう長く持たなそうだ
>まあ一番知りたいイフは、信長が死ななかったらどうなってたかだな夢が無い様だけど俺は信長(織田)幕府が成立しても結局は同じ政策を取ると思うな信長派&家康嫌いの人は大概「信長が生きていれば、自由貿易を推進し日本人はを世界中に散らばるだろう、日本人が内向きな島国根性なのは内向きな性格の家康、ひいてはその政策を引き継いだ徳川幕府のせいだ!!」って言うけどその弁は余りにも当時の国際情勢、日本の貿易収支を度外視してるし家康が明との勘合貿易を行ない、欧州の軍艦欲しさにオランダ船員の三浦按ちんを家臣にした事を見落としてるあと信長は現実主義者であって、自由貿易市場主義者じゃない、つか信長に夢見過ぎ
>近江佐和山19万4000石の身分で>この規模で兵6000を出せたのは異常>三成の手腕がうかがわれる関ヶ原抜かれたら自分の領地に侵攻されるから留守部隊も動員したのではないかと東海道筋の東軍武将も残置していた部隊を動員している
>俺は信長(織田)幕府が成立しても結局は同じ政策を取ると思うな信長が生きてればってのは信長政権が続くと秀吉みたいな統一の仕方じゃなくて武力討伐で行くんじゃないか・・・その後の部下の扱いは・・・とかそういう方面なんじゃないのかなあと国家元首の扱い
>関ヶ原抜かれたら自分の領地に侵攻されるから留守部隊も動員したのではないかとそういえば佐和山城と関ヶ原は目と鼻の先だし、佐和山城落城に際は守備兵ほとんど残って無かったっていうもんな、老兵子供ばっかで
信長というか織田政権時代が長く続いたとして関東はその後どうやって発展していくんだろうな徳川が移封後に江戸開発し始めて少なからず驚かれたようだし常識的に考えるとやはり小田原とか鎌倉が軸になっちゃうんだろうかな
>信長政権が続くと秀吉みたいな統一の仕方じゃなくて武力討伐で行くんじゃないか・・・>その後の部下の扱いは・・・とかそういう方面なんじゃないのかな>あと国家元首の扱い武力討伐に関しては最終的に徳川幕府も他を圧倒的武力勢力になっているので同じ事、豊臣という寄り道が無くなっただけ次に来る浪人問題は仮に信長が外に出たとして、信長なら朝鮮出兵が成功するなんてのは根拠なき夢想、むしろ三成の様な優秀な兵站スタッフがいても兵站の構築に失敗したのだから兵站や流通に明るい信長が無理無策無謀な唐入りをするとは思えないだから浪人問題は天下普請のような国内公共事業にふりむけられると思う国内を纏める為に天皇に権威を求めれば、二天を認めぬキリスト教が邪魔になる、貿易をしていくうちにイエズス会の本性が解れば信長も秀吉同様、禁教にする可能性がある
>信長というか織田政権時代が長く続いたとして関東はその後どうやって発展していくんだろうな発展しない江戸こそは秀吉の嫌がらせと、頼朝を尊敬する家康の理想が合わさって産み出された武士の都信長は天下統一の軌跡を見れば分かる通り、西や大陸ばかり見ていてお寒いド田舎な関東なんかアウトオブ眼中だったと思われ
>兵站や流通に明るい信長が無理無策無謀な唐入りをするとは思えないこの辺はどうなんだろうねえ豊臣は臣従認めすぎて手下強化しようにも封土が足りないって前提があるからなあ徳川は関ヶ原でぶっつぶしまくったし譜代はあまり土地欲しがらなかった織田はこの辺どう打開する?というのが興味が持たれるなあ明智に無茶な転封言い渡したり滝川に茶器と茶会開催権で働かせたりと本能寺前にももめそうな片鱗は出てるもんな
秀吉の唐入りはそもそも信長が言いだした事って言われてるし信長は中国の様な自分を頂点にした中央集権国家造りを目指していたと言うね、実際そうだったんだろなでも外に出ようとしても軍事的には難しいし、自由貿易をするにしても何で外貨を稼ぐのか・・・この問題がクリアできない限りは徳川路線しか無いと思うのだが
お高い身分の官僚はどこからも嫌われるんだな今も昔も変わらんよ
結局何が事実か信用できる情報が少ないからな起こった事実ですら捏造されるのが歴史当時恐怖の対象だった人間の人格なんかまともに推測することすら難しいそういう曖昧な物事ほど楽しむ連中ってのは、結局歴史好きなんじゃなくいい加減に断定したいだけの人今の政治の嘘すら見抜けぬ人間が多いんだから、ここの連中がどれだけハッタリだけか良く分かるわ
>結局歴史好きなんじゃなくいい加減に断定したいだけの人つ鏡w
あの身分(しかも隠居していた)であれだけの西軍を集められたのは、三成なりの人望人脈があったのでしょう。情報の乏しかったあの時代、一役人の口車に簡単に乗せられるほど皆バカではなかったと思います。よって負けはしましたが、三成は名将といってよいと思います。家康嫌いは一番家康を恐れ嫌っていた秀吉から刷り込まれたもの・・とかってに思っています。もし家康に仕えていたら、どんな人生、時代になったでしょう。
人望と言うよりは本能寺の変後の羽柴対柴田みたいなもの主家を危地に落としいれたという点では「義」が立たないと思うわ片桐さんみたいに主家存続に足掻いてたらまた違った評価を受けたんだろうけどね
三成は敗戦国近江の出世頭なんだよね、三成の実家の主家を滅ぼしたのが秀吉自身だとしても自分を拾って使ってくれた恩はすごく感じていたと思うすごく頭の良い人なのに奢ることなく死ぬまで主人の為に泥をかぶり続けた三成は天晴れだと思う
何が足りなかったって金が無かったからだ人は金で動く太閤殿下の元で何を学んだのだ
>太閤殿下の元で何を学んだのだ当時はなんだかんだ言って米経済でね、太閤の金も利休の茶の湯も領地の前では色あせるのよそこで両陣営共領土を確約するお手紙書きまくるんだけど結局、軍事力、政治力という担保を持つ家康には信用度で勝てなかったのさ
韓国征伐なんて思いっきり反対してたもんな反対しすぎて邪魔しまくって清正とかに嫌われまくったしw
>まあ一番知りたいイフは、信長が死ななかったらどうなってたかだな終わりなき戦。進化なき日本じゃね
亡き王の志を継ぐ若い?家臣対腹黒大臣なんてファンタジーじゃよくあるのに上手くいかないね
>軍事力、政治力という担保を持つ家康それが経済だよ
>あの身分(しかも隠居していた)であれだけの西軍を集め>られたのは、三成なりの人望人脈があったのでしょう。>総大将の不在・・・なんとなくイメージ的に石田三成が総>大将な感じがあるが反徳川同盟の一参加者に過ぎない軍を集めたのも目立ちたがりの石田を抑えて毛利を総大将として立てたのも、全部大谷義継の仕事だったってばっちゃが言ってた
三成が地方でもいいから百万石くらいの大名家だったら、ちょっとは変わってたかなそれは官兵衛も同じかもしれんが
全盛期の秀吉ですら戦争をためらった家康に勝てるとでも思っていたのが残念
家康もなんか不思議な人だよね今は神だけど
でも、三成って秀吉のおかげで引き立てられたというのにその秀吉が死んだ時、「あのサルめが、とうとうくたばりおった!!」と快哉を叫んだりこれからは俺の天下だとうそぶいたりあるいは、淀君のことを「敗将の妾の娘」だとか言って始終、馬鹿にしていびりまくってたし、淀君と秀吉の間に生まれた秀頼も「どこの馬の骨かわからぬ田舎侍とまぐわって産んだ子供」だとか言って、秀吉の実の子供だと絶対に認めず周囲にもそのように言いふらしたり……と、有能、無能、名称、愚将以前に相当、底意地悪い性格だったからな
あと、秀吉の甥の秀次が、秀吉の命で殺されたのも秀吉が死んだ後、自分が天下を取る時邪魔になりそうな障害物を排除しようとして三成が仕組んだものだしもし、秀頼がもう少し大きくなるまで秀吉が生きていたらきっと、秀次と同じようにして、秀吉の名において、秀頼も間違いなく消しただろうな
とりあえず秀吉の子飼いの武将に脳筋なんぞおらんみんな兵站や野戦築城などに長けた有能な軍事官僚だ三成と清正や正則らの対立は参謀本部と現地司令部の対立という日本軍でも良くあったどの時代でのどこの軍にもある対立にすぎん
兼続も三成タイプだったしなソロバンは出来るが上司の権威を盾にごり押しするところが俸禄1/4にカットです。解雇はしませんがそれが嫌な人は出て行って構いません・・・解き放ちをしない上杉家の真実
>みんな兵站や野戦築城などに長けた有能な軍事官僚だ規模が大きくなってシステム化されたり事前の経済戦になったりで文官の功績が大きいんだろうね
兼続って結局何やったかよくわからん晩年は景勝に嫌われてるし
>全盛期の秀吉ですら戦争をためらった家康にその家康が漏らしながら逃げた信玄ってどんだけ強かったんだ...
信玄は最悪な立地条件(作物的な意味)であの時代だからそれはもう地獄だったらしいのを仏教や一致団結であくせくして乗り切ったわけだからそれはもうかなりぶっとい芯の男たちが大挙して攻めてきたんだろうな…
なんか数十年前言われてたことをまだ言ってる人がいるな 語るなら少しは調べなさいよ
現代の企業経営でも同じなんですが、中小企業の頃は、槍一筋のモーレツ社員が重用される。カネボウの帆足社長やエルピーダの坂本社長のように、高度経済成長の頃、日体大出身で体力自慢の押しの強いタイプが評価される。しかし、成長が頭打ちになり、企業の規模が大きくなると、総務・人事やシステム全体を統括する能力が重視されイケイケのモーレツ社員は、それほど高い評価は得られない。豊臣政権の規模が大きくなる過程で、槍一筋の武官より、三成が頭角を現したのは、今も同じだろう。今でも、現場の管理職と、本社経理の課長の対立なんて、よくある話。営業所の所長の会議では、「経理課長を殺せー」なんて声は、当たり前にある。
直江さんは大河ドラマで良い人になってるけど史実だと極悪人だからねぇ
>>兼続って結局何やったかよくわからん 承兌経由で家康にいちゃもんつけられて「やんなら相手すっぞゴラァ!」と承兌に返したら家康に豊臣家の筆頭大老&ゆかいな仲間達”として大軍で来られた。 家康本隊は途中で関ヶ原に行って東軍の最上領に攻め入ったが結局は負けて色々終わってみれば領地を1/4に削られた上に大阪の陣では主君ともども主家に弓を引いた。 三成との連携って言われてるけども三成が家康の留守を狙って結果として連携になったとも言われてる。全部読まれてたけど
「お前んところの家臣が家族殺したぞ!うちのマサオを返せー!」「じゃあ地獄で閻魔相手にお願いしてきな。あ、琴は忘れずに(ばっさり」だもんな
まだ休みおわっとらんのか 学生さんはきらくだね〜
>信玄は最悪な立地条件(作物的な意味)であの時代だからそれはもう地獄だったらしいのを>仏教や一致団結であくせくして乗り切ったわけだから>それはもうかなりぶっとい芯の男たちが大挙して攻めてきたんだろうな…国力維持するために超重税で敵地で乱捕り略奪していかないとやってられない地元住民豊後に攻め入った島津や大友救援に来た仙石の部隊も相当酷いもんだったそうね
>>仙石の部隊も相当酷いもんだったそうね仙石さんは味方にも相当酷かったよね、誰とは言わないけど四国の長さんとかに
>政治家としては非常にマジメで有能。>しかし、戦は下手。それは間違い関ヶ原で石田勢の獅子奮迅の戦いぶりに敵方も予想外に驚いたって言ってるよあと西軍8万を集めた実績は評価されるべきまぁそれを一つにしっかり纏められなかったのが彼の限界だろうけど
>しかし、戦は下手。本人も不安を感じてたからSAKONをビッグ待遇でスカウトしたんじゃないか
左近いいよね^^
焼肉屋の「左近」って知ってる?
中国人が未だに怯える島津を味方につけたのは大きかったな戦上手の焼き味噌様には勝てなかったが
何でもしってるんだな
自分の戦下手を知ってて左近を迎えたって言うけど怪しいね。秀吉配下でいる間は最前線に飛ばされるなんてないって三成自身分かってただろうに。
>それは間違い兵が強いのと采配が上手いは別じゃない。東軍が赤坂から関が原に動いた時、大垣城にいた三成達も動くけど、城の守りに7500も残してる。で、東軍の背後を突かせるわけでなくホントのお留守番で何もしないし。
>>関ヶ原で石田勢の獅子奮迅の戦いぶりに敵方も予想外に驚いたって言ってるよ旧蒲生家臣団を旗下にしてる前野忠康(舞兵庫)・蒲生頼郷しかも自身の石高を考慮して少数精鋭だったろうね石田三成には過ぎたる物の島清興を軍事顧問にしてる藤堂高虎も戦後三成に貴方の妙兵は見事でした参考にしたいって尋ねたら藤堂殿の鉄砲隊の録が少ないのか装備が弱いと返答してる大砲も持ち出したし、戦下手でこれだけ出来たら日本武士はみんな軍神・・・
>>No.17202296・戦馴れしてた当時の兵士がうなされる・確かにその目で見たのにテンパってて覚えてないどんだけ苛烈な攻めだったんだw>>No.17202336なら尚更SAKONをスカウトする理由が見つからないなw>>お留守番それこそ戦地で連絡が上手くとれなかった事も考慮にいれるべきだろう。まして負けて悪く言われる立場なんだし
孔明って演技でしか知らない無学が多いんやねぇ…赤壁では孔明は実質何もしていないが、孔明が最大の功労者なのは間違いない。呉にとっては曹操に降伏するのが最善で、劉備に味方するメリットは何も無く、勝算もない。こんな状況下で孫権を開戦に説き伏せたのは孔明の弁才で外交官としてこれほど優秀な奴もいないよ。実際、軍師としての才能はそれほどでもないが、官僚としてはほぼ最高スペックを誇ってるチート野郎三成は、他人を信用できないタイプだったんだろうね。関ヶ原の前段階でも、大名の妻子を人質にとるという作戦が裏目に出て、細川ガラシャの自害を筆頭に逆に諸大名を家康側に結束させてしまったり、人身掌握の才能に欠けている。他人を信用できない人間は、他人から信用されないという典型例じゃないかね。
>なら尚更SAKONをスカウトする理由が見つからないなw人気取り。自分は武人を遇する心を持ってます。>それこそ戦地で連絡が上手くとれなかった事も考慮にいれるべきだろう。まして負けて悪く言われる立場なんだし だったら家康見たく城は少数だけ残して連れて行けばいい話。関が原も序盤に5000近くの兵が西軍に加わっていれば小早川も毛利も判断が変わったろう。まあ結果論って言われればそうだけど
>>No.17202636つ【鏡】>>No.17202661その為だけには過剰な待遇だったがな
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