平均的な人間の死の直後の様子について述べてきました。ここではあの世に旅立った7人の人間から、死の直後の体験談を語ってもらうことにします。それを通して、死の直後の様子を実感を持って理解していただけるようになるものと思います。
ここで取り上げている初めの6つの体験談は『Life after Death』(500に及ぶあの世からの現地報告)からの引用で、最後の1つはアラン・カルデック編『Heaven and Hell』(天国と地獄)からのものです。これによって死後の体験には、おおよその共通性がある一方で、一人一人その内容が異なっていることも理解していただけるものと思います。
イギリス人、テッド・バットラーは交通事故で死にました。その彼が1964年2月10日の交霊会に現れました。
彼はリーズで、妻と買い物をしていました。その時……
私は道路を横切ろうとしていました。すると急に何かが私に当たりました。それはブレーキが効かなくて坂道を転がり落ちてきた車だと思います。私は壁に叩きつけられ気を失いました。苦しかったという記憶はありません。何かが私の方にやってきたのを覚えています。それが、すべてです。その出来事は本当に突然に起こったのです。
グリーン女史(*交霊会の司会者)は確認した。
「あなたは、どのようにしてご自分の状態に気がついたのですか?」
分かりません。私が覚えているのは、大勢の人々が立って何かを見下ろしていたことだけです。私もその人たちと同じように覗き込みました。するとそこには、私と瓜ふたつの男性が倒れていました。最初、私はそれが自分だとは分かりませんでした。「これは全くの偶然の一致だ。彼は私にそっくりだ、まるで双子のようだ」と思いました。
その時、私の妻が涙を流して泣いているのが見えました。彼女は私がすぐそばに立っていることに気がつかないようでした。それから死体は救急車に乗せられました。そして妻と数人の看護婦もその車に乗り込みました。私も一緒に乗り込み、妻の横に座りました。しかし、それでも彼女は私がいることに気がつきませんでした。私は徐々に、「目の前に横たわっているのは自分の死体なのだ」ということが分かり始めました。
私たちは病院に着きました。私の遺体は死体安置所に置かれました。私はそこが好きになれず、すぐ家に戻りました。妻はすでに家に帰っていて、隣のミッチェン婦人が彼女を一生懸命に慰めていました。それから葬式が行われました。もちろん私もその場にいました。私は、「葬式の騒ぎといい葬式の出費といい全く馬鹿げたことだ。私はちゃんとここにいるのに……」と思いました。誰も私に気がつきませんでした。年老いた牧師が立って聖書を読み上げていました。
私は、もし誰か今の私の状態を知ることができるとするなら彼以外にはないだろうと思ったので、彼のそばに立っていました。そして肘で彼の横腹をそっと押し続けましたが、彼は全く気がつきませんでした。彼は葬式をそのまま続けました。
私は数週間、家の周りをうろついていたに違いありません。
生前、バッキンガム地域に住んでいたビッグスは、田舎の技能者か商人であったと思われます。そのビッグスが死後、地上からあの世への体験を述べています。
そのとき私はイスに座って、届いたばかりの新聞を読んでいました。私は少し変な感じがして、メガネをはずしテーブルの上に置きました。それからしばらく静かに考えごとをしていました(*実は、彼はこの直後に死んだのである)。
時間が経ちました。そのとき不思議なことが起こりました。イスに座っている私の姿を私自身が見ているのです。私はイスのそばに立って、自分の姿を眺めていました。テーブルの上には新聞とメガネが見えました。「これは妙なことだ、変だ!」と思いました。私は何がなんだか分かりませんでした。
それから私は、誰かがドアをノックしているのに気がつきました。私は相変わらずイスに座っている自分自身を眺めながらそこに立っていました。まるで私がドアを叩く音を聞いているようでした。私は部屋の中にいたにもかかわらず、誰がノックしているのかが見えました。それは私の妹でした。彼女は道路に沿って数軒先に住んでいました。
私はドアを開けようとしましたが、どうしてもできませんでした。「どうしよう、ドアが開けられない!」私はひどく混乱してしまいました。ノックは続きました。私は焦りました。私は夢を見ているんだと思い、「早く目を覚まして、妹にドアを開けてやらなければ……」と考えました。しかし、どうしてもドアを開けることができませんでした。それから彼女が道をあわてて駆けていくのが見えました。彼女は明らかに動転していました。「いったい、これはどうなっているんだ!」と思いました。
数分後、彼女は警察官を連れて戻ってきました。「どうして彼女は警察官など連れてきたのだろう?」突然、私は状況が分かり始めました。もちろん彼女は家の中に入ることはできません。たぶん彼女は私のことを心配して動転したに違いありません。しかし私には、どうすることもできませんでした。私はイスのそばに立っていることしかできませんでした。
こんなことを言うと馬鹿げて聞こえるでしょうが、もし彼女が部屋に入ってイスに座り込んでいる私を見たら、きっと怖がるだろうと思いました。私は必死に目を覚まそうとしましたが、どうしようもありませんでした。「自分はいったい、何をしたらいいのだろう?」と考えました。
そのうち警察官が窓から部屋に入ってきました。私は彼を知っていました。彼はこの管轄区域の警察官で何度も会ったことがあります。彼は部屋に入るなり私の体に刺激を与えました。私が寝ているとでも思ったようです。しかし私の身体は何の反応もしませんでした。彼は私が死んでいることに気がつき、ドアを開けました。もちろん妹は、すぐ部屋に入ってきました。
彼女はかなり動揺していました。彼らはすぐ医者を呼びに行きました。やがて年老いた医者がきましたが、彼には、なすすべがありませんでした。それは当然です。私は自分が死んだことが、はっきりと分かりました。私は妹の動揺を静めようとしましたが、彼女は私のことには全く気がつかないまま、そこにしゃがみ込んでしまいました。医者が部屋から出て行き、数人の男が入ってきて私の死体を運び出そうとしました。彼らは私の死体を、まるでジャガ芋の入った袋か何かのようにドスンと下に置きました。
「彼らの後について行くのはやめよう。私はこのまま家にいよう。今は誰も座っていないイスに座っている方がましだ」と思いました。それで私はイスに座り、いろいろ考えました。やがて妹は家から出て行って、私は一人部屋に残されました。
突然、暖炉と壁が私の目の前から消えました。そのときの状況は、私にはこのようにしか説明できません。そして暖炉と壁があった所に美しい野原や木や川が現れました。そのうち何かが遠くの方から近づいてきました。最初、私はそれが何なのか分かりませんでしたが、やがて人間であることが分かりました。何と!それは母でした。昔、部屋の壁に、母の最初の結婚のときの肖像画が掛けられていましたが、そのとき私の目の前に現れた母は、その肖像画のような若い姿をしていました。彼女は幸せそのもののように満面に笑みを浮かべて私の所へ近づいてきました。
「さあ、行きましょう」と母は言いました。
「あなたは、ここに留まっていてはいけません。ここにいつまでも座っているのはよくありません。誰もあなたには気がつきませんよ。妹も気がつきません。さあ、私と一緒に行きましょう」
「私には、何がなんだか分かりません」
「あなたは、すでに死んだのです。ここでいつまでも古いイスに座り込んでいてはいけません」
それから母は、私が今後進むべき道について語り始めました。
地上にいる妹は一見、私の死を嘆いているようですが、本当に悲しんでいるわけではありません。彼女は、私のためにわざわざ何かをしてくれるような人間ではありませんでした。義理で仕方なく私と付き合っていたにすぎません。彼女は悪い人間ではありませんが、多分に享楽的な傾向があります。彼女は、あまりぱっとしない男と暮らしていました。
私は自分の葬式のことを考えました。そして葬式に出たいと思いました。私はこちらの世界にきて以来ずっと、地上のみんなの前に姿を見せるべきだと考えていました。母は笑って言いました。
「いったい、そこへ何をしに行きたいのですか? あなたはすでに地上の人生を終えているのですよ。どうして自分の葬式に行ってみたいなんて思うんでしょう?」
「私はお母さんの考え方は間違っていると思います。自分の葬式を見るのは当然ではないですか?」
「もしどうしてもそうしたいのなら、私たちもあなたと一緒に行きましょう。でも今しばらくは休憩をとった方がいいのです。ベッドで休みましょう」
「ベッドですか!」
「本当のことを言えば、休息は必ずしも必要ではありません。しかし今のあなたには必要です」
私はベッドに行って眠りました。
眠りから覚めたとき、私は田舎の共同墓地に立っていました。その場の状況が私の心を混乱させました。私は生前、保険に入ってお金を払い続けていました。死んだときには、そのお金でまともな墓地に葬られるとばかり思っていました。しかしそのとき、私の遺体は貧困者と同じ共同墓地に埋められようとしていました。もっといい墓に葬られるためにお金を残してきたのにと思うと、私は腹が立ってきました。私が自分の葬式に行ってみたいと思ったのは、実は自分がいい墓に葬られるのを見たかったからなのです。
墓地には妹の他に2人の人間がいました。そのうちの一人は私のよく知っている人間で、学校も一緒でした。もう一人は私の全く知らない人間でした。私の棺は墓穴に降ろされました。そのとき雨が激しく降ってきました。年老いた牧師は急いで儀式を進めました。その急ぎようといったら、列車に遅れまいとして駆け込む乗客のようでした。妹は私のためにいい墓地を買おうとしてくれなかったことが分かりました。
そのこと自体は大したことではないかもしれませんが、私をもっといい墓地に葬ってくれるのが物の道理だと思いました。私はそうした考え方で地上人生を過ごしてきたのです。そのために、わずかばかりのお金を残してきたのです。しかし彼女はそのお金を私の墓のために使いませんでした。私は腹が立ち、「この仕返しは必ずしてやる!」と思いました。
すると母が言いました。
「やがて彼女もここにやってきます。そのときには、あなたはすでにそんな考え方はしなくなっているでしょう。結局……」
「あいつは何というお金のムダ使いをしているんだ!」
「あなたがどんな墓地に葬られようと大したことではありません。大切なことは、あなたが今どこにいるのかということです。あなたの残したわずかなお金は彼女の役に立っているでしょう。あなたはそんな考え方をすべきではありません」
「今、お母さんは私の考え方は間違っているとおっしゃいましたが、でも妹は、私が自分の墓地のためにお金を貯めていたということを知っていたんですよ」
「立派な墓であろうがみすぼらしい墓であろうが、それが何だというのですか? また牧師がそそくさと儀式を済ませたからといって、それがどうだというのですか?」
「じゃあ、いったい何が大切なんですか?」
「あなたは現にこちらの世界にいるのではないですか。それですべてじゃないですか」
「たしかに今、私はここにいます。そしてすべてがうまくいって何の問題もありません」
「ではこれ以上、地上のことについてあれこれ悩むのはやめにしましょう。いずれ牧師も妹もここにくれば、自分の人生を見せつけられるようになるのです」
ジョージ・ホプキンスは、生前スセックス地方に住んでいた農夫でした。その彼が死後、交霊会に現れ、次のように自らの体験談を語っています。
おそらく私は、脳溢血か心臓マヒで死んだのだと思います。とにかく私は死にました。最初、辺りがとても明るいことに気がつきました。少し変な感じがしました。私はどこかを歩いていましたが、そのうちに少し眠くなりました。私は眠ったに違いありません。そして目が覚めました。すでに太陽は沈んでいて、そこには私しかいませんでした。そのとき私は、そう思ったのです。
私には何がなんだか分かりませんでした。頭がとても混乱しました。私は自分の体をゆすって目を覚まそうとしました。「これは不思議なことだ、自分は夢を見ているに違いない」と思いました。私は自分が死んだなどとは思いもよりませんでした。
次に私は医者の家に向かって歩いていました。おそらく彼なら私を助けてくれるだろうと考えたのです。そして医者の家に着きました。ドアを叩きましたが、返事がありませんでした。そのとき私は、数人の人々を見かけました。彼らはみんな、私のそばを通り過ぎて行きました。しかし誰も私に気がつかなかったようです。「これは困ったことになった」と思いました。私はしばらくそこにいて人々に働きかけました。
そのうち、慌てふためいて医者の所に駆け込んでくる人が見えました。彼は医者の家に飛び込み、私やそこにいた人たちを押し分けて医者の所に行きました。そして次の瞬間、彼が「ホプキンスが死んだ!」と言っている声が聞こえました。
私は、いったいどうなっているのか分からなくなりました。「私が死んだはずがない。現に私はここにいるのに、どうして私が死んだなんて言うのだろう」それから「これは面白いことだ」と思い始めました。そのうち自分自身の横たわっている姿が見えました。
私たちはそれまで“人間は死ぬと天国か地獄に行く”と言い聞かされてきました。しかし私はそのとき、「ここは天国でもないし地獄でもない」と思いました。それから徐々に、「もしかしたら自分は死んだのだろうか?」と考えるようになりました。
私は次に、彼らが私の遺体を担いで家から運び出すのを見ました。彼らが私の遺体を礼拝堂に置いたので、今度は「私は本当に死んだに違いない」と思いました。そして「今、一番いいのは牧師に会いに行くことだ。彼ならきっと何か知っているはずだ」と思いました。それで私は牧師の家に行って彼を待ちました。
牧師が部屋に入ってイスに座るのが見えました。そのとき私は、周りのすべての物に堅さがないように感じました。もし、そのとき私がイスに座っても、重さ(重量感)を感じることはできなかったでしょう。年老いた別の牧師が入ってきて私のいる所をそのまま通り過ぎ、自分の机に向かって歩いて行きました。そして手紙を書き始めました。私は彼に語りかけました。しかし彼は何も気がつきませんでした。
「彼も他の人たちと同じだ。彼なら何か知っているに違いないと思ってきたのに……」それで私は彼の肩を叩いてみました。彼は何かがそこにいると感じたかのように、一度振り返りました。さらに続けて肩を叩きました。しかし彼はもう何も気がつきませんでした。
それから彼が寒さに震えているのが見えました。しかしその朝はとても暖かで、彼がどうして寒さを感じているのか分かりませんでした(*ホプキンスには肉体がないため寒さや暑さを感じないのである。そのことに本人は気がついていない)。
とにかく彼は、私がそばにいることに全く気がつきませんでした。それでそこを出てどこかへ行こうと思いました。
――ジョージ・ホプキンスは牧師の家を出て辺りをうろついていた。それは牧師が彼のことに気がつかなかったためである。数日間、地上をうろつき、自分の葬式にも出たのである。以下はその後のホプキンスの話である。
彼らは私の遺体を古い教会墓地へ運んで、そこに置きました。そのとき突然、すでに死んでいる妻のポルのことが頭に浮かびました。私は、「もし私が死んでいるのなら妻と一緒にいられるはずだ。彼女はどこにいるのだろうか?」と思いました。次に私は、彼らが私の遺体を墓穴に入れるのを立って眺めていました。儀式が終わってから、私は彼らの後に付いて行きました。
すると何と!前方から妻が私の方に近づいてきたのです。しかも驚いたことに妻は、私が彼女に初めて出会った頃の若い姿でした。彼女は美しく見えました。本当に美しかったです。そして彼女のそばには、17、8歳で死んだ私の弟も一緒にいました。彼は金髪の美少年でした。
2人は笑いながら私の方にやってきました。妻と弟は私を適当になごませてくれ、ここへくるのが遅れて申し訳なかったと言いました。そして、「私たちはあなたの健康があまりすぐれないことを知っていました。しかしまさか、こんなに急にこちらの世界にいらっしゃるとは思っていませんでした。あなたが亡くなったという連絡を受けましたのに、早くくることができなくてすみませんでした」と言いました。
私はそれを聞いて少し奇妙に感じました。
テリー・スミスは生前、水兵として英国巡洋艦フッドに乗船していました。その巡洋艦がドイツ戦艦ビスマルクの砲弾を受けて北大西洋の冷たい海中に沈没し、そのとき彼は死亡しました。その彼が交霊会に現れ、死後、彼が受けた霊たちからの歓迎の様子を次のように語っています。
先程、私が初めて通りを歩いたときは、人は誰も見あたらず、まるで死の町のようでした。すべてはきれいに片付けられ、さっきまでそこにいた人々が午後の休憩でどこかへ行ってしまったようでした。ところが今度は先程とはうって変わって、私は大勢の人々に取り囲まれました。
大部分の人々は若かったですが、その中の一部の人々は年配に見えました。その人たちは実際は年老いていたわけではありません。しかし彼らには年寄り臭さを感じさせるような何らかの原因があったため、そのように見えていたのです。私はこのことについて説明することはできません。とにかく私を取り囲んだ人々は次々に握手を求め、私の名前を呼んでくれました。
「これは不思議だ。みんな私の名前を知っている。みんな私をテリーと呼んでくれている。まるで彼らはずっと昔から私を知っているようだ……」
後になって分かったことですが、地上からの新参者がここにきたときには、例外なくこうした歓迎を受けるということです。これもまた後になって知ったことですが、ここは特別な共同体で、ここでの仕事は地上からの新参者を助けたり導いたりすることだそうです。戦争になると多くの若者が、次々とこちらの世界に送り込まれてきます。
とにかくそこにいた人たちは私を取り囲んで心から歓迎してくれました。私は本当に昔からの友人の中にいるように感じました。考えてみればこれは異常なことです。何しろ私は地上の人々が“死”と考える場所にいるのですから……
「私が最初ここにきたばかりのときには誰も会いにきてくれなかったのに、どうして今はこんなにみんな出てきて歓迎してくれるのですか?」彼女に聞いてみました。
「それはあなたに対する配慮からです」
「どんな配慮なのですか?」
「それはとても大切なことです。あなたが直接、私の所にくることが必要だったからなのです。私があなたをお世話するために選ばれた人間であることを、あなたに知ってもらうためだったのです。もちろんみんな、あなたがこちらの世界にきたことは知っていました。あなたが家々を通り過ぎたとき誰もいないように見えたでしょうが、彼らは、あなたに対する愛の思いからわざと姿を見せなかったのです。あなたがこちらの世界に慣れ始め、私の手助けを受けながら少しずつこちらの世界について理解していくことを、みんな知っていました。そしてあなたに準備態勢ができたので姿を見せたのです。
もし彼らが初めからあなたを迎えていたら、あなたの準備にもっと時間がかかったでしょう。今あなたはこちらの世界に落ち着き始めました。あなたは、これから多くの人たちに会うことができるでしょう」
アルフレッド・ヒギンスは生前、英国ブライトンの画家で装飾家でした。彼は仕事中にハシゴから落ちて意識を失い、病院で死亡しました。数年後、交霊会に現れました。ここでは彼が、指導霊に付き添われて、地上にいる家族を訪問したときの様子を見ます。
するとその瞬間、周りのすべてに変化が生じ、辺りのものが徐々に消え始めました。それは眠りの中に入っていくような感じでした。とは言っても眠ってしまうのとは違う感じでした。私は自分の思考力や理解力が失われたようになり、無意識の状態になりました。
次に気がついたとき、私は自分の家の台所に立って妻を見ていました。彼女はトマトの皮をむきながら洗い場にいました。「彼女は私がここにいることを知っているのだろうか?」と思い、彼女の名前を呼んでみました。彼女は何も答えませんでした。私の声は聞こえなかったようです。私の友人(*付き添っている霊界の指導霊)は言いました。
「彼女にはあなたの声は聞こえませんよ」
「何をしたらいいのですか?」
「今、あなたができることは何もありません。しかしそのうち彼女は、あなたがここにいることに気がつくかもしれません。しばらく待ってみましょう」
それから彼は言いました。「彼女に意識を集中して、強く念じてください。できるだけ強く。そして彼女の名前を呼んで!」私は言われたとおりにしました。すると突然、彼女は立ち上がり、ナイフとむきかけのトマトを床に落としました。そして辺りを見回しました。明らかに彼女は当惑しているようでした。私は彼女を驚かせて少々申し訳ないような気がしました。彼女は台所から飛び出し、ドアを開けて外を眺めました。それからしゃがみ込んで、テーブルに顔を伏せ泣き始めました。私はそれを見て恐ろしくなってしまいました。「心配しなくてもいいです」彼は言いました。
「彼女には霊感があるのです。彼女は心の中で、あなたが近くにいることを感じているのです。しかし、それがはっきりとは分からないのです」
「でも、もしこんなふうに彼女を惨めにさせるのなら、いつまでも私はここにいない方がいいです」
「そう悩まないでください。こうしたことはよくあることなのです。地上の人間は分かっていないのです。彼らは死後の世界について聞いたことがないのです。死者と交信できるなどということは教えられたことがないのです。しかし彼女には霊感があります。そして感じるのです。意識の深いところで、内面の深いところで知っているのです」
「私が彼女にしてあげられることはないのですか?」「何もありません。今はまだその時期ではありません。待たなければなりません。おそらく後になれば何かしてあげられるようになるでしょう」
「今できることはないのですか?」
「ありません。今は元の世界へ戻るのが一番いいのです」
ルパート・ブルークは、1915年の初め頃、エドワード地方の若き叙情詩人でした。彼のソネットが英国中の人々の心を虜(とりこ)にしました。その彼は、第一次大戦に従軍し、エーゲ海の島で死亡しました。
私は、第一次世界大戦の最中に死んでこちらにきました。それは全く突然の出来事でした。しばらく私は、以前と同じ肉体を持っていると思っていました。こちらの世界で身にまとう身体は、外形が地上時代の肉体と全く同じなのです。私はそのことに全然、気がつきませんでした。最初、私は自分が死んだのだということさえ理解できなかったのです。
こちらの世界のすべてのものは、ある意味で地上世界とそっくり同じなのです。しかし、ここでの身体は地上のものとは全く違います。重さというものがまるでないのです。ですから自分でも驚くほど軽いのです。私は自分自身をつねってみましたが、何も痛みを感じないのでびっくりしました。私はひどく不安になりました。それから地上の人間には私が見えないのだということが分かって、2、3回ショックを受けました。そして私は考えました。
「身体をつねっても何も感じないのはどうしてなのだろうか? 地上にいたときはお互いの身体は見えていたのに、今は見えなくなってしまっている。なぜなのだろうか? それは今、自分が地上の人たちとは異なるバイブレーションの状態にいるからに違いない。バイブレーションが違うために私が見えないのだ」と考えました。私の方からは、地上の人々を見ることができました。しかし彼らは、私を見ることはできません。それは本当に不思議なことでした。
そういえば、川べりに座って自分の身体をまじまじと眺めたことを思い出します。何しろ私の身体の影が見当たらないのです。私はそのときの状況が全く理解できませんでした。それから知人の所へ行って、彼らに、自分はまだ元気で生きていることを知らせようとしました。しかし彼らは、私がそこにいることに気がつきませんでした。
私は、彼らが私を見ることができない理由がやっと分かりました。「もし身体に影がないとすれば、地上の人たちには私の姿は見えないに違いない」ということに気がつきました。私の身体が地上人と同じバイブレーションではなく、また同じ物質ではないということが分かったのです。身体の外見は地上にいたときと同じですが、地上側の観点からすれば、私が実在しているとは到底言えないのです。私はスピリチュアル・ボディー(霊体)と呼ばれる身体に宿った存在なのです。
仏人サミュエル・フィリップは、生前から立派なスピリチュアリストとして奉仕と信仰と犠牲の人生を歩んできました。その人間性と生き方は、まさにスピリチュアリストの鏡とも言うべきものでした。1862年12月、50歳で世を去りました。
その彼が、交霊会で死後の世界について詳しく述べています。地上人生を優れたスピリチュアリストとして歩んだ霊性の優れた人間が、死の直後、どのような体験をするのかを明らかにしてくれています。
死は何の苦痛も動揺もなく、まるで眠りのように訪れました。私には、死後の世界への恐れは全くありませんでしたし、地上人生に何の未練もありませんでした。そのお蔭で私は、地上生活で抱えてきた問題に悩まされることはもうなかったのです。肉体と霊体との分離は、何の努力も必要とせず、痛みもなく、無意識のうちに行われました。
私には、この眠りがどのくらい続いたのか分かりませんでしたが、それはほんのわずかな時間でした。私は、これまで味わったことのない喜びに満たされて、穏やかに目覚めました。もはや痛みを感じることもなく、喜びに満ちていました。私は起き上がって歩こうとしましたが、なぜか力が入らず、動くことができません。どうして動けないのか分からないまま、心地よい状態の中で起き上がれずにいましたが、私が地上を離れたということは間違いのない事実でした。自分の身に起こった出来事のすべてが夢のようでした。
部屋の中で、私の妻と何人かの友人が跪(ひざまず)いてすすり泣いているのが見えました。彼らは間違いなく、「私が死んだ」と思っているようでした。私は彼らに、「死んではいない」と伝えたかったのですが、なぜか一言も言葉が出てきませんでした。
そろそろ、私のこの夢のような状態も終わろうとしていました。ずっと昔に亡くなった私の愛する者たちや、一目見ただけでは誰だか分からない人たちなど、さまざまな人々が私を取り囲んでいました。私を見守り、目覚めるのを待っているのが分かりました。
私は、意識を失ったり取り戻したり、覚醒してはまた眠りに引き戻されるといったことを交互に繰り返しました。そして私の(霊的)意識は、だんだんはっきりしてきました。それまで霧を通して見ていたかのようにぼんやりしていた光が、輝きを増してきました。意識を取り戻し始めた私は、やがて「もはや自分は地上世界にはいない」ということを理解しました。もしスピリティズム(スピリチュアリズム)を知らなかったなら、私のこうした意識の混濁状態は、間違いなくもっと長いあいだ続いていたことでしょう。
私の遺骸は、まだ埋葬されていませんでした。私は自分の肉体を哀れむように眺めていました。そして、そこから解放されたことを心から喜びました。自由になれたことが、本当に嬉しかったのです。私は、あたかも悪臭を放つひどい環境から抜け出た人のように、楽に呼吸をすることができました。筆舌に尽くしがたいほどの幸福感が私の心を占め、全身に広がっていきました。
私は、かつて愛した人が今ここにいてくれるということに、喜びでいっぱいになりました。彼らを見ても、少しも驚きませんでした。全く自然に感じられたからです。ただ、長い旅の後に彼らに再会したように感じたのです。
ひとつとても驚いたのは、言葉を発しなくても意思の疎通ができるということでした。目を見交わすだけですぐに相手に思いが伝わり、互いの考えていることが理解できるのです。
こうしたことがあったにもかかわらず、私はまだ地上的な思いから完全に解放されたわけではありませんでした。地上で苦しんだあらゆる記憶が、ことあるごとに思い出されたからです。しかし私は自分が置かれている状況の中で、幸せをかみしめ心の底から感謝することができました。
私は地上で多くの肉体的苦しみを体験しましたが、精神的苦痛はそれ以上のものでした。私は多くの人々から悪意や憎悪を向けられ、そのためにしばしば耐えがたい苦しみにとらわれることもありました。人間というものは、こうしたとても苦しい思いをすると、ずっとその苦しみへの不安から逃れられなくなってしまうものなのです。
私の心に強く刻まれた苦しみや不安は、なかなか消え去るものではなく、時として「本当に解放されたのだろうか?」と自分に問いかけました。まだ人々が私を罵倒する不愉快な声が聞こえるような気がしたのです。私は、地上にいたときに味わった苦しみが再びこの身に起こるのではないかと恐れて、我にもなく震えてしまいました。自分の体に触れてみて、夢を見ているのではないことを何度も確かめました。
そしてついに地上生活の困難から救い出されたのだという確信を得たとき、私は大きな重荷を下ろしたような気がしました。「これは事実なんだ、一生私を苦しめ続けた心配ごとからようやく救われたのだ!」と叫びました。そして、神に心から感謝しました。私はまるで、突然莫大な遺産を相続した貧乏人のような気分になりました。貧しい暮ししか知らない人間は大金持になったにもかかわらず、それが実感できなくて、しばらくの間は貧乏暮しの不安におびえるものです。
ああ、もし人間が死後の世界の真実を理解できたなら、どれほど素晴らしいことでしょう。そうすれば逆境にあっても、死後の世界への確信から、強さと勇気を持つことができるのです。神が、摂理に従順であった子供(人間)のために用意してくださった幸福を知れば、地上で生活する間はどんな苦しみでも我慢できるものです。死後の世界について何も知らなかった人も、そこでの喜びが分かれば、地上で心を動かされてきた楽しみなど、いかに価値のないものであったかを悟るようになるのです。