CAPプログラム
デートDV事例
そのあやしき企み

だいたい、デートDVなんて言葉が定着するのがおかしなものです。
デートDVとは、ごく若いカップルのトラブルみたいでCAPプログラムのワークショップをして学校をまわるグループがあります。それがCAPです。

デートDVは、DVの範囲をさらに広げるための運動です。これらの運動を男女共同参画局の調査会等でも取り上げて、デートDVが多い、大きな社会問題、レイプ、性感染症、望まない妊娠が多い、などと、話題にしています。

「範囲」を広げて、犠牲者を増やして、普通のお付き合いで起こるちょっとしたいさかいにでも男性を犯罪者のように扱い、男女がセックスはするがやがて憎しみ会うようになる、というふうに持って行く悪しきたくらみ、それがデートDV運動です。

国民がこれを野放しにすれば、若い男女がお付き合いできない状況になるでしょう。
このグループは、中高生の性行為は認めておりますので、父親のいない子供がどんどん増えるでしょう。

ここに紹介するのは、CAPプログラムを実践するグループの事例です。寸劇をしながら、フェミニズムを洗脳するわけですが、神奈川、横浜、葛飾区などでは殆どの中学学校で行われているのだそうです。恐ろしいことです。小学校でもCAPグループは横浜や川崎に頻繁に呼ばれています。親や先生を教室の外に出して、やりたい放題をやっている、という未確認情報もあります。

中学校で男女が抱き合ったり、キスしたりすることが前提となってます。

司会  最終的に今からやるデイトレイプに関しては、一番自己肯定感が低くなってしまう暴力の一つじゃないかとお思います。 じゃ、今から、皆さんに本当に好きな相手から性暴力を受けた場合どうしたら言いかということをお話したいと思います。

 こういうことは、学校の授業でも習ったことは無いと思うし、いろんなところでも聞いたこと無い、私も雑誌なんかいろいろ調べているんだけれど、雑誌の中でもそこまで書いてあるものが無いとお思います。ですからもし何か機会があったら、この気持ち大事にしてほしいなと思います。

 じゃ、まずみんなに紹介したいと思います。中学三年生の彼氏と彼女同士です。彼氏と彼女は、同じクラスのコウジさん、リサさんの二人です。二ヶ月前から二人は仲良しになってデイトを重ねてきました。でも、ある日のデイトはとってもいやなデイトでした。その二人の話をまず、みんなに聞いてほしいなと思います。

コウジ

 僕の名前はコウジ16歳、えーと、リサのことはずっと前から気になっていたんだ、でも、こないだの席替えで隣の席になったことで、別にとくに言葉を交わしたわけではないんだけれども、お互いの気持ちが通じ合ったんだ。

 部活の無い日は、いつも一緒に帰る・・途中の公園で一時間も二時間も過ごした事があった。でもその日は、僕の家族が前の日から、海に出かけていって誰もいなかったんだ。そんな日曜日、僕は、誰もいない家に彼女を誘った。

リサ

 私の名前はリサ15歳。コウジは、みんなの憧れのまと、彼と付き合えるなんて夢のような話、この日彼の家へ行くのは初めてでした。
   音楽を聴いたり、おしゃべりしたり、抱き合ってキスして、とても幸せな気持ちでした。でも、キスしたあと私をベッドに倒した後覆いかぶさってきた、なんだか急に怖くなって、「やめて」と叫びました。

コウジ

 キスをするのはいつものことだった。だけど、その日はそれ以上いこうと思っていた。だって、僕達がセックスしていないことで部活の先輩は、「なんだよお前らまだなのか」とか「まだまだ、お前ら一人前の男じゃない」とか「女は奪われるのを待っているんだぞ」とか、そんなふうに言うんだ。だから、今日は二人でセックスすることで、友達みんなから、一目置かれたいと思っていたんだ。

リサ

本当にいやだったんです。彼のこと好きだったから、抱き合ったりキスしたりするのは好きだったけど、セックスしてもいいとは思わなかった。

もし、そうなったら、彼に嫌われてしまうと言う不安がありました。だから、どうしていいかわからなかったけれど、「やめて」と本気で叫びました。でも、彼はやめてくれる気配が無く、もっと、強い力で私を押さえつけてきたのです。

コウジ

 リサはやめてと言ったのだけれど、部活の先輩達が言うんだよね、「やめて」ってもさー、本当はして欲しいんだ。だから僕はそのまま続けました。そしたら、すごい勢いで、押し返してきたんで、なんかちょっと馬鹿にされたような気持ちになっていらいらして、そのまま、押し倒して、力ずくでしました。

 そしたらおとなしくなったんで、なーんだ、やっぱりやって欲しかったんじゃないか。そんなふうに思いました。

リサ

とても惨めです。初めてのセックスが、あんな、強引なやり方で、悲しいです。でも、この気持ちは彼には言えませんでした。

彼は、やたら、その後やたら優しくしてくれました。これで、彼から嫌われなかったという反面、惨めな気持ちは募っていきます。

中学生の男女の付き合いとしては、キス、だの抱き合うだのが許可されており、学校の実践としては順当性に欠け、学校長や教育委員会が許可するべきものではありません。また、この物語はとりようによっては、学徒年齢の未少年男女でもお互い、合意であれば性行為は容認されるというメッセージであります。

しかし、中学・高校生の男女は身体的接触に対し、大いなる壁があるものという前提を学校や家庭は持つべきで、男女は幼少のころより、やたらに身体を接触する慣習をつけず、けじめを持ち、ためらいと恥じらいをもって、性への防御となすのが、良識であります。さりとて、まったく接触をさけ、別個において、無菌状態にして育てるのも、弊害があります。

その辺のころあいは、昔からの伝統、慣習、良識によって日本人にはほどよく培われてきたはずでありますが、CAPプログラムのようなものを無防御に取り入れることにより、男女の健全育成にかげりがではじめます。

大人の男女のお話として読むと、

「初めてのセックスが、あんな、強引なやり方で、悲しいです。でも、この気持ちは彼には言えませんでした。彼は、やたら、その後やたら優しくしてくれました。これで、彼から嫌われなかったという反面、惨めな気持ちは募っていきます。」

これは甘えです。
性行為を許したが、惨めでした、とは、女の甘えです。
差別だの、ジェンダーフリーだのと言うならば、婦女子はこのようなとき毅然として拒否し、もし、許したならば、自分にも応分の責任があります。たとえ惨めでも、口にすべきでなく、我が行いを恥じて反省すべきです。

また、「合意」ということも、やはり、曖昧であることがこの物語に現れています。
フェミニズムでは性行為について、さかんに合意ということに価値観を置いていますが、男女の仲は合意か否かでは判断できないものです。

合意、合意、という人達は、男女の関係を軽く見ているか、あるいは、性行為は経験していても、人間の心、人間の本質というものを見誤っているのです。

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