Re-Genesis(リ・ジェネシス) 再創生
機動戦艦ナデシコ
2次小説
descripted by Veneficus(うぇねふぃくす)...

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プロローグ

 「やっぱ、ランダムジャンプでしょ」


1.

 太陽系第四惑星火星と第五惑星木星の間に広がる小惑星帯(アステロイド・ベルト)
 木星を中心とした外惑星系と地球を盟主に抱く内惑星系の狭間に位置するこの小惑星帯は、双方の勢力の緩衝地帯として軍事力の空白状態が発生していた。
 本来ならば、地球連合航空宇宙軍、木連軍から抽出された地球連合統合平和維持軍がこの空白を埋めるべきであったが、『火星の後継者』事件以来の相次ぐ不祥事に統合軍の政治的影響力と純粋な戦力は低いものに抑えられていた。

 その空白に紛れて一隻の白亜の戦艦が潜んでいた。

 ネルガル重工製ナデシコC級先行試験戦艦ユーチャリス。
 地球連合航空宇宙軍、航空宇宙技術工廠が概念設計を行ったボソン・ジャンプ対応試作C型船殻を基本にネルガルが完成させた次世代型戦艦である。そして、ヒサゴ・プランのターミナルコロニーを数多く襲撃し、一万人以上の人々を虐殺したとされる『闇の王子』テンカワ・アキトの乗艦として知られていた。
 もちろん、実際にテンカワ・アキトがすべてのターミナル・コロニーを破壊したわけではない。コロニーの多くは『遺跡』研究の証拠を隠すため『火星の後継者』の手によって自爆させられていたが、『火星の後継者』事件で多くの反逆者を出した統合軍は、これ以上のスキャンダルを避けるべく事件の原因を外部に求め、テンカワ・アキトを犯人として大々的に公表していた。
 そのユーチャリスの艦橋で、テンカワ・アキトは一人、艦長席に身を預け、深い闇の中に沈んでいた。

 ブリッジには彼のほかに人影はない。

 これまで唯一の同乗者として、ユーチャリスの運行を一身に担ってきたラピス・ラズリの姿もない。『火星の後継者』残党をほぼ狩り尽くしたことを機にアキトはラピスとのリンクを切っていた。ラピス本人は激しく反対していたが、アキトはイネス・フレサンジュに頼み、ラピスを眠らせて手術をしてもらっていた。アキトの命がもう長くないことを誰よりも理解しているイネスは赤く泣き腫らした目をしながらも何も言わずに手術を行った。
 今、アキトと共にいるのは、長い戦いをくぐり抜けたユーチャリスの艦載コンピュータ『オモイカネ改修型(アール)』だけだった。ラピスとのリンクを失ったアキトはオモイカネ級AIのサポートなしでは立ち上がることすらできなかった。

 二ヶ月前、ユーチャリスはネルガルの月工廠を人知れず出港していた。ユーチャリスの出港はいつも一人の女性に見送られていたが、その日だけは簡素な造りの管制室に長髪の男性の姿があったことをボゾン・ジャンプの直前にユーチャリスの船外カメラがアキトに伝えていた。
 そして、アキトはずっと待ち続けていた。

『アキト、定期走査するよ』「ああ」
 IFSを通じてアールから連絡が入った。アキトは短く答えた。
 ユーチャリスの船体が重力波制御だけで大きくローリングを開始する。観測機器に捕捉されないよう『凍り付いている』状態のユーチャリスは、可能な限りの穏航(ステルス)性を維持したまま、全天の走査を始めた。かつて人類が地球の海中で死闘を繰り広げた伝統を受け継いでバッフル・クリアと呼ばれるこの観測方式は、艦首を振り観測機材を全開にして、きめ細やかに周辺宇宙のかすかな変化を捉えるものだった。
『???』
 アールが微妙な違和感を伝えてくる。アキトの正面に重力分布の変異差を示すウィンドウが浮かび上がった。自然発生している状態に比べてわずかに多い重力子をユーチャリスの左舷下方から観測していた。
「アール、重力制御を切れ」
『了解』『ただいま』
 さまざまなウィンドウが浮かび上がる。アキトは身体の動きにもどかしさを感じた。ユーチャリスの重力制御区画への重力制御が切断され、無重力状態になったのだろう。重力波センサに自艦が発する雑音が入らないよう、ユーチャリスはそれまで自艦の制御のために行ってきた重力波の発振を止めていた。
『おっけー』
 アキトの視力はもはや皆無に等しく情報のやりとりはIFSを経由して行われているのだが、アールは律儀にウィンドウを乱舞させる。アキトはバイザー越しに感じるかすかな光の強弱にアールの気遣いを感じて淡い笑みを浮かべた。
 慣性のままにローリングを続けるユーチャリスの重力子増強管が精密観測に切り替わり、目標となる宙域に絞り込まれた。
 発振されている重力波の極モーメント、位相、偏移・・・。

『アッラート!!!』『警告』

穏航(ステルス)航行中』
『ステルス・シート使用を確認』
『識別、軍用艦』
『重力変位。相転移炉出力、戦艦級』
『主機関、赤外スペクトル解析中・・・』
『主機、4機』『重力波ブレード二基』『船殻B型』
『艦籍解析中・・・』
『識別!!』
『連合航空宇宙軍、第四艦隊所属試験戦艦ナデシコB!
 アキト! ルリが来たよ!!』
「・・・」
 アキトはぐっと目を閉じ、ちいさく溜めていた息を吐き出した。
「・・・アール、つき合わせて済まないな」
『気にしないで』『株分けはしてあるから』『最後までつき合うよ』『ラピスに申し訳立たないし』『一緒だよ』
 アキトの周りに乱舞するウィンドウ。アキトは一言答えた。
「ありがとう。
 ――機関全開。ディストーション・フィールドに出力を回せ!
 これで、終わらせよう」『了解』
 ローリングが停止し、艦橋への重力制御が回復する。ユーチャリスは周囲にディストーション・フィールドを張り巡らし、冷たい金属の固まりから戦船(いくさぶね)としての姿を露わにした。
 おそらくユーチャリスが戦闘態勢に入ったことを確認したのだろう。ナデシコBもまたステルス・コートを解除してその白と青の船体を明らかにする。
 ナデシコCではなかった。『火星の後継者』事件でホシノ・ルリが示したハッキング能力は、政治としてナデシコCの運用を不可能にしていた。
『アキト、ルリから通信』
『どうする?』『スキャンされてる』『ハーリー邪魔』
『自動排除』
 アキトはどこかで軽くあしらわれた子供の泣き声が聞こえた気がするが、今は気にしないでおく。それよりも問題はホシノ・ルリだった。乗艦はナデシコCでこそないが、その電子戦能力は当代一だろう。ルリとオモイカネのコンビに対し、こちら側はアール一人。それではあまりに荷が重すぎた。ましてや、アールはアキトの感覚サポートもしなければならない。
「核パルス弾準備。――繋げてくれ」
『・・・了解』
『オモイカネからのアタックを確認』
 ウィンドウが開いた。
「アキトさん・・・」
 水色の髪をした少女の金色の瞳がアキトを見つめた。
「ルリちゃんか…」
「はい。お久しぶりです」





2.

 ホシノ・ルリは展開したウィンドウ・ボールの正面に現れたアキトの姿にそっと安堵のため息をついた。もしかしたらハッキングを警戒して通信にすら出てくれないのではないか、と怖れていたのだ。

 あれから一年。
 信じていた。必ず、戻ってきてくれると。
 待っていた。アキトが心の整理を終わらせることを。
 だからこそ、あのときルリはアキトが立ち去るのを見送ったのだ。
 実際のところ、冷静な判断によるところもある。
 相手はA級ジャンパーである。無理に連れ戻したところで、チューリップ・クリスタル一つあれば、すぐにボソン・ジャンプで逃げ出してしまうだろう。そして、テンカワ・アキトにはそういった余計なまねをする友人たちが多すぎる。
 それでも、今、ルリがアキトを捜しに来たのは、ユリカにもまだ知らせていない理由があった。
「アキトさん、もう帰ってきてくれませんか?」「・・・」
 アキトは応えない。ルリは内心性急すぎただろうかと焦りにも似た何かを感じながら、もう一度言葉を繋いだ。
「もう復讐が終わったことは、アキトさん自身が一番理解しているはずじゃありませんか。
 ですから、一緒に帰りましょう。ユリカさんもラピスも待っています」
 その言葉にウィンドウの奥のアキトが身じろぎをした気がした。
 声が届く。
「そうか。ラピスは今、ユリカと一緒にいるのか…」「はい」
 ルリはその言葉に勢いよく頷いた。ルリには珍しくシートから背が離れる。
「ですから――「ならば、安心してナデシコBを墜とせる!」!?」
 ルリの目が大きく見開かれた。
「て、敵艦発砲!!」「うわぁっ!!」
 自動遮光されたナデシコBの艦橋内ですら確認できるほどの激しい光がユーチャリスの方向で発生した。
 ルリが背後をウィンドウで見ると、ユーチャリスにハッキングを行っていたマキビ・ハリがのけ反るようにシートに倒れている。艦内が非常灯の赤い光に照らされた。
「衛生兵!!」
「ディストーション・フィールド出力最大。各部、被害報告。
 ・・・オモイカネ、アキトさんはいったい何を?」
 様々な部署から被害を報告するウィンドウが次々と開く。ルリはそれらのウィンドウを見つめながら、艦載コンピュータ「オモイカネ」に尋ねた。
『電磁パルスによるハード・クラック』『稼働中だった探査機器・通信機器に被害甚大』
『赤外センサ、感度8割減』『光学観測、壊滅』『紫外、X線センサ全滅』
『電探、発信(アクティブ)受信(パッシブ)共に壊滅』『重力波増強管(グラビト・ブースター)、問題なし』
『レーザー測距、問題なし』
『無線発信・受信共に駄目』『艦内コミュニケ、問題なし』
『艦内の被害は軽微』『人的被害、マキビ・ハリ軽傷1、それだけ』
「全艦戦闘態勢に。索敵プローブ射出準備を。グラビティ・ブラスト発射準備」
 ルリは通信を格納庫で待機しているサブロウタに繋げた。
「あいよ、艦長。たいていの無理なら聞きますよ」
「サブロウタさん、発進後、ナデシコBに有線で接続してください。
 ――索敵プローブ、射出してください」「一番、二番探査プローブ射出します」
 ルリは探知機器類の被害報告に目を落とし、いつも通りの落ち着いた口調で指示を出し続ける。
「ナデシコBは現在、探知・通信機能の大半を失っています。サブロウタさんにはナデシコBが射出するプローブからのセンシング・データを中継していただきます。それで三割程度の探知力を回復できるはずです。発艦後はナデシコBの、慣性制御圏外には出ないでください」
「了解。タカスギ・サブロウタ出る!」
 ナデシコBのデッキからカタパルトに移動したサブロウタの青いアルストロメリアが発艦する。ナデシコBの通信圏外に出たサブロウタとの連絡がつかの間途絶えた。
「いよっと・・・。しっかし、あの黒づくめ、あ、失礼、向こうさんは何をやったんです? ここまで被害を受けるなんてただごとじゃないでしょう」「三番、四番探査プローブ射出します!」
 サブロウタはナデシコBに通信ケーブルを打ち出すと、早々に雑談を再開した。艦長と副長の会話に興味津々な艦橋クルーが中空に浮かぶルリに視線を送る。
 それまで外界情報から遮断されていたナデシコBに、アルストロメリアを経由した索敵プローブの探査情報が流れ込んできた。ナデシコB本体の探査機器に比べて4割方の探知能力しかなく、また、広域探査を行えるほどの出力や感度はないが、それでもまったく探知能力がなかった先ほどまでとは大違いだった。ナデシコBの艦橋もフォーマットの違う探査データの解析に騒がしくなる。
 ルリは応急処置を指示しながら、ユーチャリスの艦体機動の予測をスクリーンに表示させた。先行したプローブからの探知情報に基づいてユーチャリスの艦体機動が絞り込まれていく。生き残っていた数少ないセンサである重力波増強管が捉えたユーチャリスの相転移エンジンが発生させる空間のゆがみと重ね合わせて、おおむねユーチャリスの現在位置が判明していく。
「核パルスによるハードクラッシュ。
 昔からあるアクティブなECMのなかでも一番たちが悪い奴です。真空中で核爆発を発生させたときに出る強力な電磁パルスを相手にぶつけて、電子機器を破壊します。
 通常、艦船は硬化(ハード)処理をしていますから、あまり被害は大きくなりません。ですが、ナデシコBは電子戦制圧のためにユーチャリスに対してセンサを向けていましたから。
 ・・・ハーリー君には悪いことをしました」
「ハーリーの奴、大丈夫ですかね?」「安全装置が働いています。頭痛薬でも貰ってすぐ戻ってくるでしょう」「さよですか」
 ルリの素っ気ない返事にサブロウタが肩をすくめる。ルリは憂いを込めた瞳でスクリーンを見つめた。
「でも、所詮、一発芸の域を越えません。アキトさんは短期決戦を目論んでいるはずです。こちらが探査機器を再稼働させるまで、しのぎ時です。
 ―――整備班長、アレの用意もお願いします」
「了解しました。・・・ですが、艦長が使われるのですか?」
「はい。敵艦はナデシコBの電子戦能力が失われたと考えているはずです。その隙をついて敵艦の制圧をはかります」
「敵艦予想位置Cに大量のエコー発生しています」「グラビティ・ブラスト広域放射。敵無人兵器を排除します。
 観測員(センサ)、無人兵器の爆発による赤外領域の照り返しに目を凝らしてください。雷撃一番、二番、敵艦予想位置Bへの機動爆雷を射出準備してください。信管は光学、初期加速は一二秒で。射出は無人兵器の爆散に隠します。
 各位、準備は?」
「主砲発砲準備完了」「一番発射管準備完了」「二番準備完了」
 ルリの静かな声が命じる。
「主砲発砲」「主砲発砲!」「グラビティ・ブラスト着弾まで二秒!」
「一番、二番射出」「一番射出完了」「二番射出完了」
「グラビティ・ブラスト着弾、いま!」「三番プローブ、応答なし」
 観測班からの報告にルリが鋭く命じた。
「機関出力四分の一、方位11−02、加速時間は三〇秒。オモイカネ、プローブの残りは?」『四機だよ、ルリ』「探査プローブ、射出準備」
 ルリは少し考えて、プローブの索敵範囲を視覚化する。最初に射出した四機はユーチャリスの軌道に対して頭を抑えるように二機が、そして、ユーチャリスが高加速で振り切ろうとした場合に備えて、後方から速度を落として軌道をユーチャリスの軌道に遷移させている。ナデシコBはユーチャリスの接近に備えて、太陽系平面から離脱するよう加速を開始しており、上方、太陽の北極方向からユーチャリスの機動を押さえ込むつもりであった。
「機関停止直後、プローブを射出します。加速は全力で。
 プローブをダミーに重力推進で減速します」
「敵艦、位置判別しました! 方位05−05。距離1.6秒」「二番機動爆雷、最終追尾(ファイナル・アプローチ)加速開始します」
 ルリのウィンドウに予想位置に射出してあった機動爆雷がユーチャリスへ突入していく軌道が表示される。
「本艦加速停止」「プローブ発射。現在20G加速中」
「ナデシコB機関停止。全エネルギーをグラビティ・ブラストへ」
 静かにルリが命じる。
 艦橋に張りつめるような緊張感が漂う。
「爆雷、爆散」
 イイダ砲雷長がユーチャリスを切り裂くのに十分な相対速度を手に入れた機動爆雷が自爆し、結晶金属の破片をまき散らして白亜の戦艦を包み込もうとしていることを報告した。
 ユーチャリスはまだ回避機動をとろうとしていない。
「・・・アキトさん…」「かんちょお、遅れました…」
 交差軌道を描くスクリーンに見入るルリの耳に弱々しい少年の声が届いた。
「遅いですよ、ハーリー君」「えぅぅ・・・」
 頭を抑えながら、マキビ・ハリ少尉がオペレータ席に着いた。ウィンドウ・ボールをハーリーが展開すると、直ちに現在の戦況を転送する。
「敵艦、爆散円通過まであと30秒」「5番プローブ、加速終了します」
観測員(センサ)、ボーズ粒子の反応に注意してください。―――整備班長、準備の方はどうですか?」「ああ、ナデシコBとのリンクも終わったよ。いつでも行ける」「わかりました」
 ルリはウィンドウ・ボールを収容すると、素早く駆け出した。
「え、か、かんちょう! どうしたんですか!?」
 ハーリーが慌てて声をかける。ルリはブリッジの出口で振り返った。
「マキビ少尉、あなたにナデシコBの指揮を一時任せます。私は格納庫で待機します。砲雷長、マキビ少尉のサポートお願いします」「わかりました」「艦長! 待ってくださいよぅ」
 それ以上、ハーリーの泣き言を相手せず、マントを翻して格納庫に急ぐ。
『機動爆雷、着弾まで15秒』
 オモイカネのウィンドウが走るルリの邪魔にならない場所に現れて状況を告げた。
「アキトさん、どういうつもりです…」
 ルリはあえぎながら答えのない問いを出す。ウィンドウの表示は10秒を切っていた。ユーチャリスに目立った動きはない。カウントは順調に減っていた。
「艦長、こちらです!」
 設備の女性兵士がルリを誘導する。ルリは差し出されたパイロット・スーツを手伝ってもらいながら身にまとう。
『5、4、3、2、1、着弾』「!!」
 ルリは金色の瞳を大きく見開いた。
 視線の先で、爆散円を示すラインはユーチャリスに着弾することなく通り抜けていた。
『爆雷、着弾せず』
「か、艦長! 大変です! ―――あわぁぁ、すみません」
「ハーリー君、状況はわかっています。慌てないでください」
 半裸のルリの姿にハーリーが慌てるのを気にした様子でもなく、ルリが耐Gスーツの気密を閉じた。水色のスーツが大きく開いていた肩から胸のラインを包み隠した。
「ボーズ粒子反応は?」「観測されておりません」
 ルリはポニーテールにした髪を手伝ってもらいながらパイロット・スーツに押し込むと、格納庫に出た。
「オモイカネ、ユーチャリスは?」
『ユーチャリスの反応はゆっくりと5番プローブへの会合軌道を取ってる』
「そう・・・」
 考え込むルリに整備班長のサイトウがヘルメットを手渡した。ルリは礼を言って受け取ると、水色のカラーリングをされたエステバリスへと歩み寄った。
「ハーリー君、着弾時には何の反応もありませんでしたか? どんな小さな反応でもかまいません」「えっと・・・」
 ルリの言葉にハーリーが慌ててデータを読み直している。ルリはその間に整備用のプラットフォームに乗ってエステバリスに乗り込んだ。すぐさま大げさすぎるほどの耐Gシステムを組み込んだコクピットシートが、ブラック・サレナにも利用されていた物だ、ルリの華奢な身体を包み込んで固定する。
「いくつか小さな赤外反応があります。たぶん、回避しようとスラスターを吹かしたんじゃないかって僕は思うんですけど」
「ハーリー君、憶測で物を言わないでください」「そんなぁ・・・」
 ルリは操縦席を覗き込んでいたサイトウに頷いた。サイトウが親指を立ててコクピットを閉鎖する。
 一瞬、暗黒に沈んだルリの周りにウィンドウ・ボールが形成された。
 電子戦用エステバリス・カスタム。通信管制下にある敵艦隊に強行突入し、後方のナデシコCによる電子制圧を中継するために開発されたものだ。
 ナデシコBの艦橋にも、主のいない艦長席に同様のウィンドウ・ボールが浮かび上がっていた。いや、エステバリスのコクピットにいるルリの姿が浮かび上がっているほどの凝りようだった。確かに艦長の姿がブリッジで見られないのは士気にかかわる事であるが、開発者の趣味が知れる。
「ハーリー君、指揮権を受け取ります」「アイ、艦長」
 艦長席に浮かび上がったルリの透き通った淡い妖精のような姿に見つめられて、ハーリーは視線を外すことができず見惚れていた。もっとも、慌てて視線を逸らしたのはハーリーだけではなかったが。
「ハーリー君、どうかしましたか?」「え、い、いやぁ、何でもないです」
 ぶるんぶるんとハーリーが首を振る。ルリは一瞬怪訝な顔をしたがすぐにスクリーン正面の映像を見つめる。
「えーっと、艦長。どうしますか?」
 艦外でプローブの情報を中継しているサブロウタがルリに尋ねる。ルリは静かに首を振った。
「今は、動けません。あのユーチャリスはおそらく無人兵器のエコーでしょう。本物のユーチャリスは破壊された3番プローブの脇をすり抜けて従来の軌道をゆっくりとこちらに向かってきているものと想定されます」
「そこまでわかっているなら、なんで今すぐ攻撃しないんですか!?」
 サブロウタのウィンドウを押しのけるようにハーリーのウィンドウがルリの目の前に広がる。ルリの眉がぴくりと跳ね上がった。
「お前ちょっと黙ってろ! 艦長には艦長の読みがあるに決まってるだろ」
 そんなルリの仕草に気がついたサブロウタが慌ててハーリーを押しのけた。
「そんなぁ…」「ハーリー君、艦を預かる立場の者がそんな風に慌ててはいけません」「・・・はぁい」
 しょんぼりと落ち込むハーリーの姿にルリは言葉を続けようか迷った。ハーリーの立場はそんなように誰かに甘えていていいものではない。しかし、ここでお小言をハーリーにしていられるほど、状況はよいものではなかった。
「敵無人兵器群、プローブと交差します!」
「ボーズ粒子反応増大。何者かがボソン・ジャンプします」
「主砲、準備よろしい?」「アイ、艦長」
 時空を激しく泡立てて白亜の戦艦が虹色の光を放ちながら、ナデシコBの前方に出現しようとしていた。ルリが射出した5番目のプローブの後方に。
「敵艦出現!」
「主砲発砲」「主砲発砲! 着弾、今!」
 ユーチャリスの後方、主機が配置されているあたりを中心に、黒い空間歪曲場が発生した。ユーチャリスの張り巡らしたディストーション・フィールドに威力を削られながらも、ルリは確かな手応えを感じていた。
「ナデシコB全速。敵艦に向けて突撃します。
 エステバリス隊発艦します。タカスギ大尉、指揮を任せます」
「了解です。では、艦長。ちゃんとついてきてくださいよ」
「エステバリス発艦します。ハーリー君、ナデシコBは任せましたよ」「わかりました! 見ていてください、艦長!」
 ルリは力一杯応えるハーリーの背後に砲雷長を見た。砲雷長のイイダはその意図を理解して肯いた。
「エステバリス、出ます!」
 ルリは操縦席にかかるGに歯を食いしばりながらカタパルトから打ち出された。





3.

 破壊の衝撃は全くの予想外だった。
 ユーチャリスの艦橋でオモイカネ・アールの知らせる警告ウィンドウに囲まれながら、アキトは自分の読みがまだまだ甘かったことを噛みしめていた。
『二番、三番主機機関停止』『ディストーション・フィールド出力28パーセント』
『グラビティ・ブラスト、エネルギー伝達経路破損』『ジャンプ・フィールド発生装置損傷』
『っていうか、もう大変』
「さすがだな、ルリちゃん…」『ハンデありすぎだよ』
 アールのぼやきにも似た言葉にアキトは苦笑する。
「そう言うな。アールだったからここまでやれた。こちらが無人兵器を囮にしたのと同様にプローブを囮にされたか。焦りすぎたな」『・・・』
 アキトはため息をつくように告げた。アールは何も言えない。焦りすぎなのではない。アキトにそれだけの活動時間を与えられないアール自身の力不足でもあり、ラピス・ラズリとのリンクをはずしたアキトの選択でもあったからだ。
『ナデシコBから機動兵器二機、本艦に接近中』
『対空砲、射撃準備』
「ここまでか…。アール、もういいんだ」『いいの?』「ああ」
 アキトは肯くと静かに命じた。
「機密保持シーケンスに・・・」
『・・・了解。機密保持シーケンス、開始します』
『機動兵器より通信』『繋げる?』
 おずおずとアールが尋ねる。アキトが肯いた。
「アキトさん、もうこれ以上の抵抗は止めてください」
「ルリちゃんか…。機動兵器を回収して離脱しろ。ユーチャリスは自沈する」
『補機切り離します』『爆破ボルト作動』『補機、自爆処理完了』
 機動兵器のうち一機から繋がった通信にアキトは無造作に告げた。
「すでに自爆シーケンスは作動している。電子戦能力を失った君には止められない」『あ゛!』
 アールがなにか慌ただしい動きを起こす。が、アキトはルリに視線すら向けない。
「本当に止められないと思っていますか?」「??」
 アキトがようやくルリのウィンドウに視線を向けた。いたずらに成功したような微笑がパイロット・スーツの向こうに浮かんでいた。
 ・・・パイロット・スーツ?
「な! ルリちゃん!?」『アキト! 機動兵器からハッキング受けてる!』
 エステバリスのパイロットがルリであることにようやく思い至ったアキトは驚いた声を上げた。そこにアールからおずおずと報告を受け、絶句する。
『一番、四番主機出力全開』
 正面に開いたルリのウィンドウの向こうではウィンドウ・ボールが煌めき、ルリの顔や髪にナノマシンの金色の輝きが宿っていた。
「ルリちゃん、早くこの宙域から離れるんだ! ユーチャリスは自爆シーケンスに入った。相転移エンジンが爆発するぞ!」
「嫌ですっ!」
 押し殺した叫びがルリの口から漏れる。
「私、知ってます! アキトさんの命がもう長くないことぐらい知ってました! でも、帰ってきてくれるって、ただいまって言ってくれるって、そう信じてたんです!」
 それこそはルリがユリカに知られぬようナデシコBを持ち出した理由だった。ルリには耐えられなかった。大切な人が知られぬよう消えてしまうことに。
『相転移エンジン出力危険領域に入ります』
『駄目だよ、ルリに乗っ取られる!』「くっ!」
 アキトはルリが退こうとしない姿にもう一機の機動兵器を呼び出した。
「タカスギ大尉だな。はやくルリちゃんを連れてナデシコBにジャンプしろ!」「あんたも諦めが肝心だよ。さっさと捕まっちまいな」
 ひらひらと手を振りながら、サブロウタが応えた。アキトが怒鳴る。
「違う! 自爆シーケンスはアールに繋がっていない。独立した閉回路なんだ。ユーチャリス周辺を相転移させるぞ!」
『一番主機出力臨界』
『四番主機出力臨界』
「な!!」「なんだってぇ!!」
 ルリの目が見開かれた。アキトは驚く二人に急いで説明する。
「早くナデシコBへ!」『駄目! ナデシコBも近すぎる!!』
 アールがルリに制圧されていない部分を使って計算したユーチャリスの相転移砲の効果範囲を表示した。急速に接近しつつあるナデシコBが相転移砲の影響圏内に引っかかりつつあった。アキトはそれを一瞥し、決断した。
「ジャンプ・フィールド展開!」「駄目です!」
 アキトの意図を悟ってルリがジャンプ・フィールドをロックする。周辺宇宙に蒼いチェレンコフ光が疾り始めた。相転移の前兆現象だった。
『過冷却開始』
「馬鹿なことは止めるんだ!」「艦長!」
「サブロウタさん、ナデシコBに退避するよう連絡してください」「艦長、待ってください!」
 サブロウタは自分のアルストロメリアが勝手にジャンプ・シーケンスに入っているのに気づいた。ルリにハッキングされていた。
「艦長ぉ!!」「ジャンプ」
 ルリのつぶやきとともに、サブロウタのアリストロメリアが虹色の光に包まれて消える。
「ジャンプ・フィールド展開しますよ、アキトさん?」「・・・なんて事を…」
『・・・ジャンプ・シーケンスに入ります』
 たった一機残ったエステバリスはユーチャリスの張った不安定なジャンプ・フィールドの中に取り込まれた。ユーチャリス周辺の真空は暴走する相転移エンジンによって過冷却状態になっており、いつ相転移が始まってもおかしくない状況になっていた。
「アキトさん、どこへ行きましょうか?」「・・・そうだな」
 アキトはルリに哀しげに微笑んだ。
「誰もが幸せだったあの時に…」「…はい」
 ルリが柔らかな笑みを浮かべた。

「「ジャンプ」」

 それはどちらが先だったのだろう。宇宙が蒼い光を放ちながらヒッグス粒子を撒き散らして膨張するのと、一艘の白亜の船が虹色に包まれて消えるのと。
 帰還したナデシコBの報告によって作成された公式記録には、ただ「抵抗能力を失ったユーチャリスは単独で電子制圧を行ったホシノ・ルリ大佐(戦死により二階級特進)を巻き込んで自沈した」とだけ記されている。

 そして・・・

 星の数だけ人がいて
 星の数ほど出会いがあり
 そして・・・別れ




 あとがき

 ・・・いぢめる?
 えーっと、それは冗談として、初めまして、うぇねふぃくすと申します。なんとなく勢いで書いてしまったナデシコ逆行ものです。まだ始まってもいませんが(苦笑)。
 ちょっと変なのも混じってますが、ある意味、消費されつくした感のある「るり・あき逆行もの」を描くつもりです。一応の縛りとして、スーパーアキトじゃない、と誓います。たぶん・・・。きっと・・・。大丈夫だよなぁ、だめだめアキトなんだから・・・。
 まぁ、暇つぶしに生暖かい目で遠くから見てやってください。