2008. 9.15 |
館林・板倉・邑楽地区の殉教者たち 9月15日(月) 太田教会の金神父様他28名の信者さんたちは、半澤さん(前橋教会)、力石さん (桐生教会)の案内で、館林・板倉・邑楽地区の殉教者たちが眠る殉教の地を探訪しました。 日本では、長崎の日本二十六聖人やペトロ岐部と187殉教者がよく知られていますが、 谷 大二司教様の説教によれば、当時、日本だけで2万人の殉教者が出ました。 当時のキリスト信者数は40万人と言われていますから、実に20人の信者の内一人が殉教して いる割合になります。 私たちの地元である東毛地区(館林・板倉・邑楽)にも多くの殉教者がいることが分かっています が、その実態は殆んど知られていません。 今回の探訪で、当時のキリシタンの人々は厳しい幕府の目を逃れながらも、墓石や石仏に刻まれ た種々の「隠符」により、神への信仰の意思表示を示していたことを知りました。 綿密な調査と資料を基に、案内して下さった半澤さんと力石さんに感謝するとともに、雄々しく殉教 を遂げられたあなたがたが生命にかえて守られた尊い御教えが、この国に、またこの地にますます 広まりますように心を尽くして祈ります。 後日、参加者の一人・太田教会の林 京子さんがカトリック新聞 「声」欄に、「キリシタンの遺跡を 訪ねて」という表題で投稿され、掲載されました。林さん、ありがとうございました。 投稿記事を読む (参考資料:「群馬東毛地区の殉教者たち」 群馬県隠れキリシタン顕彰の会 半澤 保さん作成) (写真をクリックすると大きな画像が出ます) |
|