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東日本大震災:福島はいま/2 原発作業員 『収束』などあり得ない /広島

 ◇「燃料が入っている限り再臨界の危険性がある」

 2月12日午後、「冷温停止状態」になっているはずの東京電力福島第1原発2号機の原子炉圧力容器底部にある温度計の数値が、保安規定規制値の80度を超えた。同じころ、第1原発で働く50代の男性作業員が、原発から西に約100キロ離れた県西部の街で取材に応じていた。作業員は避難している妻子の元を訪れていた。

 「原発に燃料が入っている限り、再臨界の危険性がある。『収束』なんてとんでもない」と吐き捨てるように言った。東電はその後、「温度計の故障だった」と発表した。

 作業員は東電のグループ会社に勤務し、原発近くにある宿泊施設から毎日、第1原発に通って収束作業に当たっている。事故収束の前線基地である楢葉町の「Jヴィレッジ」で防護服を身に着け、原発の敷地に入る。事故後の被ばく線量は7ミリシーベルトを超えた。国が定める平時の一般人の線量限度は、年間1ミリシーベルト以下だ。

 第1原発が立地する大熊町の出身。30年以上前から原発作業員として働き、福島や新潟の原発を転々とした。「大熊町は東電の恩恵は受けてきた。雇用は生まれたし、建物も建った。原発がなければ、人はいなくなっている。ただ、違っていたのが『安全』と言われていたこと」

 震災発生時は、休暇中で隣町にいた。原発から数キロの大熊の自宅に戻ると壁にひびが入り、水道と電気が止まっていた。近くの体育館で一夜を過ごした。翌日、迎えに来たバスに乗り、町外へ避難した。「原発が爆発する危険性なんて何も知らされなかった。『2、3日くらいで帰れる』という感覚だった」

 避難所を転々とするうちに、第1原発での勤務を命じられた。家族と別れ、仕事の拠点があるいわき市へ移った。妻子は県西部の借り上げ住宅で暮らし、離ればなれの生活が続く。事故後、ボーナスや退職金が削減され、「被害者なのに」という不満が募る。

 毎日、原発までの道すがら、無人となった大熊町の光景を見てむなしくなる。町内では除染作業が始まった。しかし、帰郷のめどは全く立っていない。「再臨界の危険のあるところに誰が帰るのか。除染で線量が低くなっても、幼い子を連れて帰れるか。将来、健康被害が出たら誰が補償してくれるのか。気の遠くなる話ではないか」

 沿岸の大熊町ではめったに積もらない雪が、真冬の山あいの街には、しんしんと降っていた。【樋口岳大】

毎日新聞 2012年3月14日 地方版

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