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水俣病症状 潜んでいた里持てぬ茶わん 手がしびれ、茶わんを持って運べない久保スミ子さんは、床に置いたお盆を押しながら昼食の準備をしていた(写真はいずれも熊本県芦北町で)
山あい 救済法の対象地域外 芦北の黒岩地区震える文字 久保康夫さんが握るペンの先は、絶え間なく震えていた。「年金受け取りの書類やら、人に見せる時は読んでもらえる字か心配するとです」
四つんばいになりながら、久保スミ子さん(82)が昼食の支度をしていた。「手も、足もしびれてですね。年を取ったからと思っておりましたけど、あの魚を食べたけんですかね」 熊本県芦北町の沿岸から、約6キロ離れた山あいにある同町黒岩地区。昨年10月、水俣病被害者の掘り起こしを続ける医師らにより、この地区で集団検診が行われた。住民78人のうち、受診したのは40〜80歳代の39人。うち37人に手足の感覚障害など、水俣病の特徴的な症状が確認された。 国の基準で水俣病と認められていない被害者の医療費などを負担する「水俣病被害者救済法」の申請が2010年5月から始まっているが、対象地域は原則不知火海周辺の沿岸部で、黒岩地区は含まれていない。このため申請には不知火海がメチル水銀で汚染されていた時期に魚を多食した証明が必要になる。 「毎日のように魚ば食べよりました。4人の行商人が入れ替わりに来よらした」。夫の康夫さん(86)は当時のことをよく覚えている。地区周辺の道は1960年頃まで人ひとりしか通れないほど細かった。行商人たちは、港町に揚がった魚をてんびん棒の両側につるした竹カゴに入れ、歩いて売りに来ていたという。 40歳の頃から手がしびれ始め、箸で食べ物をうまくつかめなくなった。手足の指が引きつったように固まる「カラス曲がり」に毎晩襲われ、痛みで何度も目が覚めた。「でも、自分が水俣病なんて考えたことは一度もなかったです。まさか体に水銀が入っとったとは」 地区長の橋本明さん(61)は行商の魚を食べた証明を添え、地区で初めて救済を申請した。「あん頃はみんなに、他人の目を気にする雰囲気があったけん、自分が先頭に立とうと思って」。他の住民も橋本さんの後を追った。 救済法の申請期限は7月末。「私らは申請に間におうたが、他の所にも同じ思いの人がまだいるとじゃなかでしょうか」。橋本さんは案じている。 写真・文 大原一郎 橋本明さんがしたためた思い
不知火海から6キロ 不知火海(上)から6キロ離れた山あいにある黒岩地区(本社ヘリから)
感じぬ湯加減 橋本さんは手で風呂の湯加減が分からず、ひじまでつけて確認している
(2012年3月30日 読売新聞)
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