「宝島30」 1995.12
オウム真理教内部での凄惨なリンチ殺人が、次々と明るみに出されてゆく。しかし、安否が確認されていない行方不明の信者の数は約40人にものぼるというから、「ポア」されてしまった犠牲者の数は、今後も増え続ける可能性が高い。
この原稿を書いている10月28日現在、指名手配中の地下鉄サリン事件実行犯は、林康夫容疑者をはじめ、三人が未逮捕のままである。広域暴力団の影がちらつく――というよりもその関与があからさまな――村井刺殺事件の背後関係の解明も進展がみられない。その他、武器の密造・密輸や、VXガス殺人、幻覚剤・覚醒剤などの不法な製造、投与、売買など、オウムの犯罪の数々と、その背後に潜む闇社会や第三国の関与の事情については、まだまだ未解明のまま、「順番待ち」の状態で列をなしている。
にもかかわらず、警視庁は来年の3月にはオウム捜査を打ち切る見通しであると、10月27日付の産経新聞の夕刊は報じた。
これは、どういうことなのか――。
まるで警察は、不必要に幕引きを急いでいるようにもみえる。私の勘ぐりすぎだろうか。
現在、メディアをにぎわせているのは、個々の刑事事件で起訴された信者・元信者の人間像と公判の模様であり、初公判延期騒ぎで相変わらずの茶番劇を演じてみせた麻原彰晃という男の消息である。裁かれているのは、いずれも個別の刑事事件にすぎず、それを報道するメディアの焦点も、最近はミクロなまでに細分化され、拡散してしまっている。オウム総体として何をやろうとしていたのか、そもそもオウムとは何か、その像が浮かび上がってこないのだ。
個別の刑事事件の総和は、必ずしもオウムの全体像と一致するわけではない。個々の事件をただ漫然と並べたならば、単に麻原という奇人に率いられた組織犯罪グループによる、殺人を含めた凶悪犯罪の連続、ということになってしまう。
そうではないだろう。
「組織犯罪の連続犯行」という定義では、オウムの犯罪の動機も目的も説明できない。一人ひとりは、必ずしも自分の営利を動機としていたわけではないし、「教団の永続的な発展・維持」という目的のために一連の犯行が行われたわけではない。
オウムは自ら、破滅に向かってひた走っていた。それは間違いのないことだ。
その妄想と衝動の具体化が、いわゆる「ハルマゲドン計画」なのであり、すべてではないにせよ、個々の犯罪の大半は、その計画を遂行するプロセスで、また、その目標を達成する手段として引き起こされたのだ。
したがって、その破滅的な計画の全容を解明し、国民の前に明らかにすることなくして、オウム事件捜査の幕引きは許されないはずである。
順番は逆になるが、私個人の「結論」をまず、述べてしまおう。
オウムという団体は、刑法の「内乱罪」でも、破防法によるのでもなく、「内乱予備罪」によって起訴され、法定で審理にかけられるべきである。そうでなければ、オウムが何をたくらみ、実行に移そうとしていたか、また、そもそもなぜ、何のためにそのような計画が着想されなければならなかったのか、決して明らかにはならないだろう。
もし、それらが明らかにされなければ――日本の政府も、一般市民も含めて――オウムが引き起こした一連の「異常」で「奇怪」で「例外的」な事件から、「普遍的」な教訓を引き出すことに失敗してしまうことだろう。いうまでもなく、それは私たちがもっとも怖れなければならない「結末」である。
当局がこの事件の全容解明に、必ずしも熱心であるとは言えない事情は、私が取材した警察関係者の次のような言葉からもうかがい知ることができる。
「オウムが本当は何を行おうとしていたか?それは言えないし、言いたくもない。オウムは11月にサリンを空中からバラまこうとしたかどうか?それもノーコメント。
なぜ『ノーコメント』なのか、その理由だけは説明しておきましょう。サリンが空中からバラまかれたら、皇族、政治家、官僚も、一般の都民も、みんな等しく殺されたに違いない。しかし『そういう計画があった』と明らかにすることは、それだけで人心を動揺させ、現在の社会の秩序を乱すことになる。それは好ましくない。
もうひとつは『政治的』な要因です。『内乱』が起こった、あるいはそうしたプランがあったというだけで、その国家は『危機管理のなっていない未熟な国家』とみなされ、国際社会におけるステータスを著しく下げてしまう。要するに、ソマリアのような低開発国と同レベルである、ということになり、国家の対外的な威信やメンツを傷付けてしまうのです。それだけは何としても避けたい、という政治力学が働いていることは否定しません。
また、あえてつけ加えて言えば、オウムのやろうとしていたことの全容を解明しようとすると、政界や、他の宗教団体や、闇社会や、第三国との関わりにまで踏み込まざるをえなくなる。現場の捜査にたずさわる者とすれば、そうしたタブーには触れたくない。できるならば、見なかった、聞かなかった、知らなかったことにしてしまいたい。我々としても、それぞれ保身を考えますからね。そうした心理や思惑が働いていることは認めます」
「’95 11月→戦争」――。
この言葉は、押収された早川紀代秀の手帳・ノート(いわゆる「早川ノート」あるいは「早川メモ」)に書きつけられていた言葉である。この言葉をふくめ、『文芸春秋』五月号の白川直氏のスクープによって明らかにされた「早川ノート」の断片は、一大センセーションを巻き起こし、一時期、マスメディアはこの「早川ノート」をめぐって狂奔することとなった。しかし、5月16日に麻原が、さらに引き続いて主要幹部がのきなみ逮捕されてしまうと、彼らの供述と裁判の行方に関心が移ってしまった。いつのまにか「早川ノート」とそこに書かれていた内容については、置き去りにされ、今ではすっかり忘れ去られたかのような感がある。
しかし、いま再び、この「早川ノート」に書かれていた「11月 戦争」について、私たちは思い起こす必要がある。もし、オウムへの強制捜査が半年でも遅れたとしたならば、まさに今月、私たちは、頭上からサリンをバラまかれ、皆殺しの憂き目にあっていたかもしれないのだから――。
「早川ノート」の現物のコピーが、いま、私の手元にある。
私が所有しているマテリアルは「ノート」のすべてではないが、おそらくは内容の大半をカバーできていると思われる。入手先はむろんのこと、入手時期もここに書くわけには行かないが、でっち上げの怪文書の類ではないことは保証できる。
以下、前・後編にわたってこの「早川ノート」の内容を紹介し、分析するとともに、この「11月 戦争」の実現可能性を検証し、さらには「内乱予備罪を適用すべき」という私の主張の根拠を明らかにしよう。
「早川ノート」には、大きく分けてシステム手帳と大学ノートの二種類があり、総分量は数百ページにおよぶ。内容は、武装化計画に関わる記述が圧倒的に多い。すべての項目を分類して、いかに列挙しておこう。
○武装化計画に関わるもの
- ヘリコプターの購入・レンタル・操縦訓練
- 飛行機および戦闘機の購入・密輸
- 大型船舶導入の検討。兵士・戦車輸送のため?
- 戦車の購入・船舶による密輸の検討
- AK47他各種ライフル・小銃の購入と密輸
- アジト・武器庫の選定経過
- 細菌兵器の研究および警報器の検討
- 各種神経ガス用の警報器・検査紙・マスク・防護服・除染液・除染器の検討
- サリン生成プラントの略図
- 化学薬品購入のためのダミー会社設立
- 爆薬の研究と生産のための化学工場の検討
- LSD等、薬物の生成および減量運搬
- ウラン採掘および濃縮技術の検討
- レーザー・マイクロ波・プラズマ波の研究
- ロケットおよび人工衛星の検討
○その他
- 政府高官を含むロシア・コネクション
- 早川自身の神秘体験ついての記述
- オウム内部の会議メモ
- ハルマゲドンやユダヤに関する記述
特徴的なことは、早川が自分自身の覚書のために走り書きした記述なので、字がおそろしく汚く、判読が困難をきわめること。そのために解読の過程で実際に混乱が生じ、誤読が一人歩きしてメディアに流通しているケースもしばしばみられる。過去の報道の揚げ足をとるつもりはないが、明らかなミスについてはこの機会に可能な範囲できちんと訂正しておく必要があるだろう。
「’95 11月→戦争」や「もう戦うしかない」などと並んでもっとも広く知れわたったフレーズのひとつに、「核弾頭いくらか」という言葉がある。
この記述を最初に報じたのは、4月16日付の朝日新聞朝刊だった。「核弾頭の値段『いくらか』調査示すメモ/オウム真理教幹部、手帳に」という大見出しを掲げた一面トップ記事で、「調べによると、手帳には『核弾頭いくらか』という記述があり、『核弾頭』の部分を丸で囲んでいた」と書いている。朝日以外の新聞・雑誌もすべて足並みをそろえており、先述した『文藝春秋』の「白河レポート」にもこの言葉は登場している。
しかし実はこれは、警察の内部でも、解読の結果が「割れた」、問題の語句なのである。「早川ノート」を押収したのは、赤坂署の生活安全課(旧・防犯課)だった。この押収資料のコピーが、刑事部や公安部へ、あるいは警視庁や他の県警へと流れてゆき、それぞれのセクションで解読作業が進められた。そのために、それぞれ異なる解読が生じたのである。
私の手元にも、複数のワープロ打ちされた解読文書がある。
その一つでは、例の語句を「核弾頭いくらか」と解読している。
しかし、別の文書ではそれは、「核弾班いくらか」とされているのだ。
どちらが正しいのか。写真の原文コピーを参照してほしい。三つの漢字のうち、最初の文字は「核」とも「機」とも、最後の文字は「頭」とも「班」とも、確かに読める。しかし、真中の文字は明らかに「弾」ではなく、「動」である。おそらく、「核弾頭」ではなく、「機動班」が正解であろう。
「機動班いくらか」の記述がある箇所を、見開き二ページにわたって全文紹介しよう。
- 船→日本の港へはOK
- 20人の乗組員+客10+α
- ***中←20人―?
- 30人―?
- +1000t
- 戦車6台or20代
- 兵士は200人OK
- 満タンで地球一周
- 速度は15ノット/h
- 2・5mの推進でOK(尾) 0m(前)
- 74万ドル
- 戦車 T72
- ・シュミロフのライン
- 中古 20〜30万ドル
- 新品 約百万ドル
- 最終使用許可書
- 政府の使用許可書>
- F29(筆者注:ミグ29の間違いか?)
- <ボブのライン>
- ・本気なら防衛大臣に会わせる。
- ・いま、ロシアで買う****はない
- 書類については検討する。
書類なしでもOKの可能性あり
(新品で数百万ドル 中古で20〜30万ドル)
- <シュミロフライン>
- ・許可証がいる
- ・2000万ドル新品
- ・中古1200から1400万ドル
- ・最低6
●機動班いくらか>
(*は判読不可能箇所・以下同)
誤読した方の文書のバージョンには、解読担当者による次のような注釈が添えられている。
「武装化のひとつとして、『ミグ29』戦闘機や旅客機をも購入する計画があった模様。『核弾頭いくらか』の記述から、飛行機による核攻撃を画策していたことが考えられる」
ご覧の通り、(1)船(2)戦車(3)戦闘機に続いて、最後に例の語句がくる。「戦闘機」という単語と観念連合で結びついて、「核弾頭」という言葉が担当者の頭をよぎったのかもしれない。ここでひとつ疑問がわく。「核弾頭」はわかりやすい。他の解釈の余地もない。しかし、「機動班」とは何を指し示す言葉なのか――。
これは様々な憶測が成り立ち得るだろう。真っ先に思い浮かぶのは、ロシアの機動部隊の一部を傭兵として雇う場合、どれだけのコストがかかるのか交渉した際のメモ、という憶測である。
この憶測に、一定程度の根拠を与えるのは、先に引用した2ページぶんの原文の「(1)船」のところにある「兵士は200人OK」というくだりである。素直に読めば、これはロシアから「傭兵部隊」を動員しようともくろんでいたということになるだろう。
しかし、である。これが事実であるならば大変な問題である。「国内の刑事事件」という枠をすでにして超えている。
たしかに、オウムは、エリツィン政権の中枢にまで食い込んでいた。一部の報道にみられたように、現在のロシアにおける事実上の最高権力機関である安全保障会議の書記・オレグ・ロボフと、オウムは密接な接触を保っていた。「早川ノート」にも、ロボフの名は頻出する。
<ロボフさんがスポンサー ヘリコプター 戦車などたくさんもっている>
<ロボフ オレグ イワノヴィッチ 戦車…1台>
<ロボフらにポラロイドカメラ、クロスのボールペン、ウォークマンを>
ロボフがオウムと深い関係を築いていたことは、具体的な土産物の記述などを見てもほぼ間違いない。しかし、大急ぎで付け加えれば、これをもってエリツィン政権、あるいはロシアという国家が、日本に内乱を引き起こそうと企てていたということにはならない。ロボフの行状が、ロシアの国家意思と結びつくと考えるのは短絡である。ロシアには、国家の統一意思など、事実上存在しないからである。
史上空前の汚職大国になり果てたロシアでは、相応の額のワイロさえ懐にはいるなら、武器でも核物質でも「国家の威信」とやらも売りに出す、それこそ「世紀末的」「末法的」な風潮が上から下まで蔓延している。ロボフも、おそらくは個人的な利害でオウムに関わったのだろう。
いずれにしても、オウムが「内乱」を引き起こしたときに、援軍としてロシアから「傭兵部隊」が上陸する計画が、事実としてあったのか、なかったのか、徹底的に調べ上げて、その結果を国内のみならず、国外に向けても公表すべきである。
逆に、この問題を曖昧に葬り去ろうとした場合、ロシア国民の、日本に対する不信感を増幅しかねない。視点を移し替えてみれば、得心できることだ。ロシアから見れば日本は、オウムというはた迷惑な集団を「輸出」した当事国なのである。その結末をつけなければ、「オウムの進出は日本の謀略」であるとする見方が逆に力を得たとしても、決して不思議ではない。それはめぐりめぐって日本の、つまりは私たちの不利益となる。
話をいったんここで「核」に戻そう。「核弾頭いくらか」という言葉が、実は「機動班いくらか」であったとすでに述べた。実は、それ以外に早川がロシアで核兵器を入手するために動いた形跡は、「早川ノート」の記述からはうかがえないのである。
ある意味では不思議な話である。麻原はここ2,3年、説法会などでしきりにABC平気(A=核兵器、B=細菌兵器、C=化学兵器)に言及していた。ボツリヌス菌やサリンに劣らず、核兵器に並々ならない関心を抱いていたことは、間違いない。
そうであるならば、ロシア・コネクションほど好都合なルートはないはずである。現在のロシアでは、核の管理はずさんをきわめている。核ミサイルの入手はそう容易ではないにせよ、核兵器の原料となる濃縮済みの核物質などは簡単に手に入る。なぜ、ロシアでの核あさりに冷淡なのか、理由がにわかには思い当たらない。
それでは彼らが核を手にすることを諦めたのかというと、そうではない。すでに一部のメディアで報じられたように、オウムはオーストラリアのウラン鉱山に触手を伸ばしていたのである。
早川は93年4月から5月にかけて、約10日間にわたってオーストラリアを訪問している。「早川ノート」の中にはこの時期、早川がウラン採掘計画の調査をしながら記したと思われるメモがある。
<4/28 銀、銅、金いっしょ>
<南オーストラリアの方がよいウランが**>
<ウランの廃こうある>
<地図にウランは抜いてある。>
<南オーストラリアと****の境界 あるはずだけどまださがしていない 1000ドルでこの中でウランをさがしていきます>
<Willnの近くにウはある しかし 入れない 少しでもでるところを紹介してもらいたい>
「ウ」とは間違いなく、ウランの略語である。しゃかりきになってウランを求めて動き回る早川の姿が目に浮かぶようである。
<この牧場の中でまだだれもさがしていないのだからでていない ライムストーンはある ウランににているものがいっぱい入っている>
<アカレンジ…いっぱいある。>と書かれた頁では、どんなところにウランが存在するかを調べた結果がと思われる記述が次のように列挙されている。
<*塩湖のそばがある。 *小さな塩湖の中にある。 →ドライエリアにある。 *2〜3mの軟い石の中(軟い土地)に入っている *燃灰ウラン鉱が見つかったらその下に硬いウランが出る。>
オーストラリアのウランだけではない。オウムが国内のウラン鉱脈にまで積極的に手を出していたことが、うかがえる記述もある。
<人形とうげ→調べる>
海外のウラン鉱に比べて40% 含有率は? 何分の1? 100万分の500>
人形峠とは岐阜県の地名で、ここには細々としたものだが、日本国内では珍しくウラン鉱脈があることで知られている。中田清秀が、ロータス・ビレッジ建設のためという建前でここの土地の取得に動いたものの、地元の反対にあって頓挫している。この土地取得の真の狙いはウラン採掘のためだったと考えて、まず間違いない。
おかしな話である。ウランを採掘して、濃縮から核兵器の生産にまで至るプロセスを、たかだか一カルト教団が自前でやりとげてしまおうというのだ。常人であれば馬鹿馬鹿しいと一笑に付すところである。他の武装狂信カルトや、イスラム原理主義の過激派などと比較してみても、オウムほど計画がずさんで非現実的で、行動様式に目的合理性も論理性な一貫性もみられないような集団はまずない。費用対効果は念頭にないし、闘争の継続性を念頭に置いた戦略、戦術もまったく考慮に入れられていない。結局のところ、非現実的な発想を実行にうつすところこそ、オウムの特質なのだ。過去のセオリー無視。これが、麻原オウムのセオリーの第一原則である。
オウムの正体が明らかになるにつれて、非現実的で非合理的なその性向は、常に嘲りと軽蔑の対象となってきた。
しかし、彼らの突飛で空想的な発想と行動を嗤うばかりでいいのかどうか、私には非常に疑問がある。彼らのマイナスは、別の角度から見ればプラスに転化しかねない。セオリーがないということは、セオリーにとらわれている専門家の死角をつくことが可能だということだ。
オウムがマンガじみた妄想の集団であることぐらい、誰でも理解している。だが彼らは少なくともそのうちの一つ、毒ガス兵器を自分たちの手で作り上げるという「妄想」を現実化し、それを地下鉄の中でバラまくという「戦略なき作戦行動」を遂行した。誰もその馬鹿げた凶行を、阻止できなかった。
軍事や危機管理の専門家であればあるほど、彼らを笑えないはずである。
早川ら、オウムの幹部の取り調べに関わっているある捜査官は、オウムが11月に行おうとした計画について、こう語った。
「オウムの計画を『クーデター』と称するマスコミが多いですけれど、あれはまったく的を外していますね。クーデターというのは、あくまで政治権力を奪うことを目的とするもので、彼らの考えていたのはそんなものではない。彼らの言う『11月 戦争』とは、ひとことで言ってしまえば『サリンを大量にまくこと』ですよ。オウムが現実的に用意できた武器は、一にサリン、二にボツリヌス菌、三にVXガス、四にレーザー光線、後に6,000丁のAK47といったところです。その中で、本当に驚異となるのは、やはりサリンですよ。彼らには戦略らしい戦略などない。ただ、空からサリンを降らせて、東京都民1,200万人を皆殺しにすることだけを念頭に置いていたのです。米軍やロシア軍や北朝鮮軍が、日本を舞台に入り乱れて核戦争になる。その時は麻原は上九一色村の核シェルターに隠れているという計画なんですから。「計画」だなんて呼べるようなシロモノじゃありませんよ」
問題の焦点はやはり、空中からのサリン散布計画とその実現可能性にある――。
オウムは空中からサリンをまくために、かなり早い段階から多様な構想を練り、試行錯誤を繰り返していたことは確実である。
自前の飛行船を製作し、91年の暮れには上九一色村で飛行実験を行い、失敗に終わっている。その様子については目撃証言もある。
また、93年11月に購入した二機のラジコンヘリは、昨年(94年)の夏、操縦訓練に失敗して大破し、やむなく廃棄処分にしていたこともすでに明らかになっている。
こうした試みと平行して、早川によるヘリの購入・レンタル計画は、93年から94年にかけて着実に進められていた。
周知のようにオウムは、ロシア製のミル17型ヘリを保有しているが、その取得に関しても、早川が中心になって動いていた様子が「早川ノート」にも明確に残されている。
<Mi8 MTBI Mi8 MTBII―武装により異なる→武装を解いたものがミル17 Mi8とは違う>「Miとは」文脈から判断して「ミル」のことに違いない。「MTBI」と「MTBII」は、この「ミル8型ヘリ」本体に異なるスペックの武装を施したもの。
<mi24ヘリコプター アフガニスタンで使用した……30万ドル 訓練費38・000ドル使ったほか2・000のこり2万ドル>
<ヘリコプターの権 938万5百ドル やっとみつかった 6月1日に横浜到着>
報告事項 5・14 (1)保証人 身元のわれない人 30万円×4 (2)管理人4人 マハーポーシャのかよいの信徒の名前 (3)ヘリ、ビザの件 偽装 名前をかえる>
<フライトプラン ヘリポートの実態を調べる ウラジオを含む日本国内の飛行経路を図式化>
<2月21日より始める。 カルガルーで航空エンジニアのライセンス 2か月訓練でOK>
「カルガルー」とはおそらく、カナダの都市カルガリーのことであろう。ロシア以外の国でも操縦訓練を行なう準備をしていたことがうかがえる。
<訓練費 5日間2・800ドル5〜6人>
<訓練 夜間飛行、つりあげ、悪天候 20日にライセンス 1週間 1万ドル>
「早川ノート」には、国内のヘリのレンタル会社四社の名前と電話番号、担当者などの記述がみられる。名称と電話番号は伏せるが、それ以外は原文のまま、紹介しよう。
- <A社
- X氏 ヘリレンタル 1時間15万
- B社
- 03-3×××-×××× 4月頃まで機体があかない→農薬さんぷ (営業)1時間28万円(すべて込み)→(教官代→5〜6万)
内訳 燃料費5万(40L)2・5時間 担当B氏 ヘリレンタル代18万 教官代5万
- C社
- 03-3×××-××××
- D社
- 03-3×××-××××(総務)03-3×××-××××(東ヘリ営業)
AS350-395600/1時間×2J・R(ジェットレンジャー)-348400/1時間 担当Y氏>「何か、早川の手帳の中に私の名前が書いてあるそうですね」と、D社の担当者であるY氏は取材にこたえてこう語った。
「私自身は早川と会った記憶はないし、電話を受けた覚えもありません。この件に関しては5月下旬に一度、オウム事件合同捜査本部から電話で問い合わせがあったのみで、他のマスコミからの取材は来ていません。もっとも単なるレンタルの問い合わせだけなら始終あります。そのすべてを記憶しているわけではありませんから、ひょっとしたらオウムの人間から電話か何かはあったのかもしれませんけど」
サリン散布の実現性については、彼はこう語った。
「実際問題としてヘリコプターを使って、空からサリンをまくのを止める手だてはありませんよ。通常、ヘリのフライトには、事前に運輸省にフライト・プランを提出する手続きが必要になります。ですが、自前の操縦士によっていったん飛び立ってさえしまえば、誰にもコントロールされることはありませんからね。フライト・プランを無視してどこへ飛んでいこうが、誰もさえぎることは現実的には不可能なんです。なにしろ空にはパトカーも白バイもいませんからね。我々としても、フライト・プランの手続きが完了していて、きちんとした免許を保持している操縦士を用意している顧客ならば、レンタルの申し出を断る理由がありませんからねえ。
それに、私どものようなレンタル会社を使わなくても、勝手なフライトは可能なんです。もし、適当な広さの土地を自分で所有している人が、それを自前のヘリポートととして使い、フライト・プランを運輸省に届けることもなく自前のヘリをフライトさせたとしても、誰にも事前に阻止することはできません」
飛んでいるヘリが危険な行動をとった場合、危機を察知してそのフライトを中止させる手段はないものだろうか。
管轄の運輸省は、私の問い合わせに対して、言下に「ありません」と答えた。
「騒音がうるさいとか、何か落下物でもあったという苦情でもない限り、ウチは具体的な動きはしません。苦情があった場合も、警察に連絡するだけです。また、レーダーなどで飛行状態をチェックするようなシステムも存在しません」
落下物があってからでは遅いので。サリンを落とされたときには、「苦情」を言い立てる人間はこの世にいないのである。
仮に警察に緊急通報がいったとしても、それこそハリウッド映画のようにその場でロケットランチャーか何かで撃ち落としてでもしない限り、ヘリのフライトを阻止することは不可能である。もちろん、サリンを搭載したヘリを撃墜することは、いうまでもなく、人口密集地帯で、ヘリの機体ごとサリンを「一挙投下」してしまうことを意味する。これでは話にならない。
要するに、もしオウムが、サリンを積んだヘリを東京上空に飛ばしてしまったなら、あとは指をくわえて死ぬのを待つ他ないのだ。
考えてみれば、ラジコン・ヘリや飛行船を飛ばす必要性も、大型ヘリをわざわざロシアから購入し、サリンの噴霧器を設置するなどの手の込んだ準備をする必要も、まったくなかったのだ。農薬散布などに使う搭載重量200キロクラスの民間ヘリを数台レンタルして、一斉に飛行させる。サリンは、ガラス容器に密閉したものを何本も用意しておき、目標地点に次々に落下させていけばいいのである。ここまで述べてきたとおり、それで東京は、完全に壊滅である。
上空からサリンがバラまかれた場合、どのくらいの被害が出るのであろうか。
まずはサリンの量が問題となるだろう。
オウムが貯蔵していたサリンの原料、三塩化リンは数十トンもの量だったとされている。これは大人百億人分の致死量に相当する。空中から散布した場合、実際にはこれほど”効率よく”人を殺傷できるわけではないが、膨大な犠牲者が出ることは間違いない。仮に製造量が十分の一であり、殺傷力も十分の一に落ちたとしても、理屈の上では一億人の犠牲者を生みだし得る。
もっとも、オウムにはそれほどのサリン製造能力はなかった、と主張する向きもある。
「昨年末までに、第七サティアンのプラントでは、サリンを大量に生成できる状態ではなかった」と、ある警視庁の捜査関係者は取材に答えて語った。
しかし、昨年末から今年の11月までという時間の猶予を考慮に入れれば、話は違ってくる。少量ずつではあっても連続して生成し、貯蔵していけば、最終的に大量のサリンを用意することも、決して不可能ではない。
サリンをヘリによって東京じゅうにバラまく「作戦」のためには、どんな条件を備えている必要があるのか。ここで整理しておこう。
- サリンの原料を秘密裏に調達できること。
- サリンを精製するための技術、設備を備えていること。
- 完成したサリンを、任意の場所まで陸路で運搬できること。
- 自己の所有とレンタルとを問わず、大型のヘリを用意し、操縦手を確保すること。
- サリン散布によって、1,200万都民の大半が死ぬことに心理的抵抗を覚えない人材を、実行犯として用意できること。
- サリン散布作戦の決行によって、自分の生命をも犠牲にすることをいとわない人材を確保できること。
こうしてみると、(1)から(5)までの条件は、オウムにとっては実現可能なことばかりであるとよくわかる。オウムにとって欠けていた条件は、ただひとつ、(6)の「自己犠牲をいとわない人材の確保」のみである。
そもそもテロとは、最小の力で最大の打撃を「敵」に与え得る戦術なのであり、それは、自己犠牲を惜しまない覚悟のある人間が行動を起こすときに「成功」が約束される。あえて言えば――私自身は認めたくないが――その自己犠牲に「美学」も宿り得る。
オウムには、麻原以下、末端の信者に至るまで、誰一人として、覚悟や美学を備えた人間はいなかった。彼らに可能だったことは、せいぜいが卑劣な覆面の闇討ちでしかなかった。他人の生命は「タントラ・ヴァジラヤーナ」というマジカル・ワードひとつで踏みにじることができるが、自分の生命はひたすらに惜しむ、そういう人間達の集団だからこそ、ラジコン・ヘリを使って自身を安全圏におきながら、サリン散布を行うという手段を着想したりする。あるいは、航続距離の長いミルによって、作戦遂行後、そのまま海外へ逃亡しようなどと虫のいいことを考える。実際、ウラジオストックからミル26を飛ばして日本の各都市を経由し、台湾までたどり着くというフライト・プランの計画書が見つかっており、また日本海上でミル26二機による飛行テストも行なっているのだ。こうした迂回を続けていたために、オウムは手持ちの時間を失ってしまったのである。
レンタルのヘリを飛ばし、サリン爆弾を投下したサリン・ボマーは、生きて地上に生還することは不可能だろう。それだけの覚悟は必要である。そういう覚悟を決めた人間が一人もいなかったこと、それがオウムという集団の「理念」や「教義」の限界であり、私達にとっては、ギリギリかろうじてのところで作用した「幸運」であったに違いない。
日本でオウムが卑劣な愚考を積み重ねていた95年前半、同時期にチェチェンでは、ロシア軍の不法な侵略に抵抗して、志願したチェチェンの民兵達が、爆薬を抱えてロシア軍の戦車に体当たりするという絶望的な自爆特攻を敢行していた。たった一人のチェチェン人民兵がオウムにいれば、凶器の無差別大量テロは実行されていたのかもしれない。
しかし、そのような想像をふくらませることは、チェチェン人に対して失礼である。彼らには絶望的な自爆特攻に駆りたてられるだけの、やむにやまれぬ切実さがあった。麻原以下、オウムの人間たちには、そんな切実さの万分の一もない。