三重県伊勢志摩。
この地域は全国的に何よりもまず伊勢神宮が有名である。明治時代から戦前にかけてまでは日本における国家神道の頂点に立つ神社として、現在もなお正月三が日には政府首脳や閣僚を含め多くの参拝者が初詣に訪れる。
しかしそんな聖地にこそ裏の「性地」が存在するという歴史の不思議。
三重県伊勢地方というのは、元祖国際秘宝館に代表される性風俗博物館とともに、売春島とも呼ばれる禁断の島の存在が有名であった。
売春が法律で禁止されているはずの現代日本でそんな場所が公然と存在して居る事に半信半疑になるかも知れない。しかしそう呼ばれている場所だから確かにあるのだろう。だいたい飛田とかが平然とあるのだから驚くほどの事ではないというのが正直な感想だが。
そもそも日本的男社会の文化である会社の慰安旅行という古臭い風習の名残りとして性風俗施設が観光地・温泉地に密集する例の一つとして示す事もできる。
しかし、そんな元祖国際秘宝館も時代の変化に追いつけず2007年3月末であえなく閉鎖の憂き目に遭い現在では見ての通り跡形も無くなってしまっている。嗚呼、残念無念。
気を取り直して我々が目指したのは伊勢志摩半島の奥地、的矢湾に浮かぶ小さな島「渡鹿野島(わたかのじま)」という場所だった。
伊勢志摩と言えば近鉄特急に乗って志摩スペイン村に来たり牡蠣や伊勢海老を食ったり温泉を楽しむ場所として関西や名古屋から多くの家族連れ観光客が訪れる場所だが、この渡鹿野島に限っては事情が違う。
離島である渡鹿野島へ向かうには、対岸にある渡船場まで行く必要がある。電車ならば近鉄鵜方駅からタクシーを使う他ないが、自家用車で来た場合は渡船場のそばに駐車場がある。
車で訪れた我々を迎えていたのは駐車場を管理する地元のオッサンだった。
「500円ね」と駐車料金を請求され、それを支払うやいなや
「兄ちゃんら、女の子探しに来たんやろ」
単刀直入すぎてワロタ
そうだ、そもそも渡鹿野島を目指す男は目的が決まっている。
売春島と呼ばれているこの島へ渡るということは、すなわち女を買いに来る事以外に無い。
男二人組で来た我々を嘗め回すように見る渡船場のオッサンに「あの船に乗って渡ってや、1人150円」と早速案内される。
オッサンの案内通り、渡船場と渡鹿野島の間を小さなフェリーが頻繁に行き来しているのが見える。
渡鹿野島に渡る手段は他にも無料で乗れる県営フェリー(県道船という)があるそうだがあくまで地元民の通勤通学用で渡鹿野島では島の外れに停まるため利便性に乏しい。結局民間運営であるこの渡船場を使うのが一般的。
いよいよ船が近づいてきた。対岸まで500メートルくらいしかなく、島への宿泊客は宿が手配する船にそれぞれ乗って行くそうなので、この渡船場には地元民か島外からお姉ちゃんを買いにくる男どもくらいしか来ないようである。
数人の島民と思しきオッサンと一緒に、やってきた船に乗り込む。やけに閑散としている。
船に乗り込んだら先頭にいる船乗りのオッサンに150円を支払い座席へ。
しかし対岸にはあっという間に着いてしまう。
もっとも、アレ目的の男どもは夜この島を訪れるためか、船代は午後6時から200円、午後8時から300円、午後10時からは500円とだんだん値段が吊り上がっていくシステムになっているのだ。
的矢湾は牡蠣の養殖が盛んで至る所に養殖網が仕掛けられているのを見る事ができる。もちろんこの島に来る男どもは牡蠣には目もくれず桃色の鮑を食らいに来る訳であるが。
ほどなく渡船は渡鹿野島へと到着する。接岸したのは島の中心地だ。そこは1キロ四方にも満たない小さな島だった。
「歓迎 わたかの島」の看板を目の当たりに、我々はようやく禁断の島への上陸を果たした事を実感したのである。
我々が桟橋から島に上陸するやいなや、待ち構えていたようにやってきたオバハンから早速声が掛かって来る。
「女の子やろ?今ならかわいい女の子紹介できるで」
またである。買うつもりはなかったが話だけには乗ろうかと思ったが、とりあえず日が暮れる前に島の主要部はざっと眺めて置きたい。また後でね、と言って追い返すとそそくさと我々の元を離れたオバハン。
しかし客引きのオバハンは先ほどの一人だけしかおらず、島内は実に閑散としていた。
ともかく黙っていると普通のしなびた離島でしかない。予備知識がなければこの島の正体に気づく事もないほどだ。だがこの看板の存在が、ここが普通の島ではないことをストレートに物語っている。
「街頭での客引き、呼込等をしている人には、絶対相手にしないようご注意ください。 渡鹿野旅館組合」