長崎県大村市の医師で僧侶の宮村通典(みちのり)さんが4月から、東日本大震災の被災地・岩手県大槌町に妻と二人で移り住み、同県立大槌病院で働くことになった。崩壊の危機にある被災地の医療現場を手助けしたいとの思いに加え、同じ僧侶だった弟の死や東北出身の詩人、宮沢賢治の詩も、一歩を踏み出す契機になった。「医師として僧侶として、今できる限りのことをしたい」。66歳の春。新たな挑戦が始まる。
大村市出身で、長崎大医学部卒。九州大病院の心療内科に勤務後、福岡市内で内科医院を開業した。両親の影響で幼いころから信仰心にあつく、53歳で出家。医院を閉めて山梨県の日蓮宗総本山で修行し、大阪府内の寺院で数年、僧侶として活動。57歳になった2002年から、故郷の大村市の病院に勤め、医療現場に復帰した。
新たな転機は震災だった。巨大津波と揺れで多くの命が奪われた未曽有の大災害直後の昨年4月、大村市内で住職をしていた59歳の弟が肺がんで他界した。「人間はいつどうなるか分からない。自分が今、しなければいけないことは何なのか」。強い思いが込み上げてきたという。
昨年9月、大槌町に住む親族を訪ねた。津波で全壊した大槌病院は仮設の建物で運営され、医師不足に悩んでいることも知った。「この地に住み、お手伝いができないか」。知り合った現地の医師に気持ちを話した。
思いは岩手県に伝わり、とんとん拍子で大槌病院での勤務が決まった。看護師資格を持つ妻の洋子さん(59)も、ボランティアなどでの活動を考えている。
大槌町からの帰途、同県花巻市にある賢治の墓に参った。「東ニ病気ノコドモアレバ…」。「雨ニモマケズ」の一節が思い浮かび、「行動しなさい」と諭されているとも感じたという。
岩手県医師支援推進室によると、現地では仮設住宅生活でのストレスなど心のケアの重要性が増している。心療内科を専門とする宮村医師への期待は大きい。
現地への出発は、4月5日。「患者に向き合うのはもちろん、亡くなられた方の供養にも携わりたい」。被災地を思い、表情を引き締めた。
=2012/03/31付 西日本新聞朝刊=