爆笑・太田「オヤジの真似ばっかり」(03/31 13:04)

爆笑問題の太田光(46)が31日、東京・港区の青山葬儀所で行われた父・太田三郎さんの告別式で喪主を務めた。三郎さんは19日に急性循環不全のため83歳で亡くなった。葬儀は、山中秀樹アナウンサー司会のもと、しめやかに営まれた。出棺の際には、事務所社長の太田光代夫人(47)が遺影を抱え、太田は喪主として謝辞を述べた。「オヤジは僕が子どもの頃から人を笑わせること、楽しませることが大好きでした。僕は引っ込み思案だったのですが、いつもうちのオヤジが車座の中心にいて、博識で、物知りでとっても優しかった」と若かりし頃の父を懐かしんだ。三郎さんは、昨年1月に倒れてから入院しており、認知症も患っていたという。「僕のことを分かっているかどうかも分からなくなってから1年間、話したり、お礼を言ったり、一緒に落語を聞いてみたり。もう遅いなと思いながらもそんな時間を最後に持てたのが良かった」と感慨深く話した。「医師や看護師さんから『病院の人気者になっています』と言われるのが、僕は嬉しかったです。今思うと、俺はオヤジに憧れて、真似ばっかりしてここまできたんだなと最後の1年で思いました」と気丈に、父への尊敬の念を語った。
戒名は「光照院蕉道三徳居士(こうしょういんしょうどうさんとくこじ)」。愛息に命名しているように、故人が生前とても愛した「光」、書家としての雅号「蕉光」から「蕉」、名前から「三」を取り、遺族の希望をくんで名づけられた。三郎さんは、44年前に内装業を手がける「三光社」を創業。日本蕎麦屋専門の建築や大手焼肉チェーン店「叙々苑」など1000店舗以上の建築デザインを手がけ、書家として「叙々苑」1号店の看板も手がけた。生前は、書の他に文筆や水彩画などにも長けており、多才な人として親しまれた。この日は、相方の田中裕二、ネプチューンの名倉潤、原田泰造、堀内健など芸能関係者ら約200人が参列した。

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