そらもよう
 


2012年03月12日 aozorablogの再開
以前に、青空文庫に関わる人たちがどのような人びとなのか、その一端でもわかれば良いと思って「aozorablog」と言う名前のblogをやっていました。でも、いつの間にか自然消滅してしまっていて、それをほったらかしにして、なんとなくうやむやにしていたんですが、先日の青空文庫の集まりでなぜか富田さんがしつこく再開しろ、再開しろと詰め寄るのでもう一度やってみることにします。今さらblogでもないだろうと言う気もしますが、それでもblogは情報を提供するツールとしてはそれなりにすぐれていると思うので、またここで、うだうだ、やってみることにします。(AG)

2012年03月07日 南部修太郎「夢」、国木田独歩「おとずれ」「小春」「鹿狩り」「まぼろし」「わかれ」、モーパッサン ギ・ド、国木田独歩訳「糸くず」の校正をご担当いただいている方にお願い
南部修太郎「夢」、国木田独歩「おとずれ」「小春」「鹿狩り」「まぼろし」「わかれ」、モーパッサン ギ・ド、国木田独歩訳「糸くず」の校正をご担当いただいている方に申し上げます。

作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしましたが、お返事がありませんでした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、これらの校正を引き継いでいただこうと思います。

作業の継続が難しくなった際は、皆さん、どうぞお気軽に、reception@aozora.gr.jpまでご連絡ください。
メールアドレス変更の際は、reception@aozora.gr.jp宛にご一報をお願いします。(門)

2012年03月06日 青空文庫データベースへのNDC番号の書き込み
データベースに、NDC(日本十進分類法)の番号を書き込むことにした。
これで、作品の図書カードと「作家別作品一覧拡充版」CSVに、分類番号を表示できる。

青空文庫のトップページから、「分野別リスト」を開ける。
テーマ別の索引をつくろうとの、しだひろしさんの呼びかけを受け、Jukiさん、あすなろさんが加わって、公開された作品に、分類番号を振っていった。
その成果を受け取って、おかもとさんがまとめてくれた。リストの維持、管理に加えて、おかもとさんは、新規公開作品への番号の付与も、継続して担ってくれている。
青空文庫からは、おかもとさんのリストに、リンクする形をとってきた。

データベースには、もともと「分類」という項目が作ってあった。ただ、しださんの提案から生まれ、おかもとさんによって維持されてきた分類番号のデータは、そこに収めていなかった。
青空文庫書誌データの提供窓口のCSVは、広く活用されて、多様なファイル利用を支える基盤となっている。ここにも、「分類番号」の項目を立ててあった。
本体のデータベースが分類番号データをもてば、各作品の図書カードに表示でき、CSV経由での提供も可能になる。「えあ草紙・青空図書館」の佐藤和彦さんから、そうしてほしいと求められた。
開発にたずさわった皆さんに転記をお願いすると、快諾を得た。

今後も、分野別リストは、おかもとさんのものにリンクする。新規公開作品への番号の付与も、引き続きお願いし、青空文庫のデータベースには、それを写す。
番号は、3桁のみ。分野別リストには、NDCを拡張して、児童書という大枠が設けてあり、ここに分類するものの元データには、番号の先頭に「K」と付けてある。一つの作品に対して、複数の番号を与えることも行っている。

こうした分野別リストの形式のまま、青空文庫からデータを出すか、点検グループ内で議論した。
結論としては、まずはこの形で、表示、提供を始める。
図書カードの「作品データ」の「分類:」、CSVの「I列」とも、「NDC 911 914」、「NDC K913」といった形で表示する。

「K」のいらない方には、削除しての利用をお願いしたいが、こうした出し方が適当でない、使いにくいということであれば、reception宛にコメントしてほしい。

書き込みは、本日より、少しずつ進める。
CSVで提供している他のデータ同様、分類番号も、自由に利用、加工してほしい。(倫)

2012年01月12日 青空文庫「e読書ラボ見学ツアー」開催のお知らせ
青空文庫で作っているファイルは、これから、どんなふうに使われていくのでしょう?
読書の未来は、今後、どう開けていくんでしょうか?

2011年秋、本の街、神田神保町に、「電子書籍の読書体験の提供、および未来の読書環境の提案を行なう実験室」、e読書ラボが生まれました。

青空文庫では、2月4日(土曜日)、このe読書ラボをたずねるツアーを企画します。

点検グループのメンバーとして活躍されている門田裕志さんは、アメリカにお住まいです。
1月末から2月頭にかけて、一時帰国されることになった門田さんを囲むオフ会を企画したところ、e読書ラボにみんなでおしかけようという提案がありました。

e読書ラボ、一見、フレンドリーな施設なんですが、その裏にはちょいと強面の、国立情報学研究所が控えています。
企画と運営の中心におられる連想情報学研究開発センターの高野明彦さんにご相談したところ、まず、神保町からほどない国立情報学研究所で、同センターの取り組みについてお話しいただいた後、e読書ラボに移るという、二つの拠点を巡るツアー構想へとふくらみました。

高野さんが掲げる、「連想情報学」とはなにか。これまでのインターネット検索をどう評価し、なにを補おうとされるのか。そこで、なぜ電子読書環境か。青空文庫にも、目を向けてくれたのは、なぜなのか。
当日、ホストを努めてくださる高野さんから、どんなお話が聞けるのか、早くも胸がはずみます。

e読書ラボ見学の後には、近場で懇親会を開きます。
まずは楽しく、元気よく、そして、さまざまな課題や期待にもこたえながら青空文庫を進めるに、どんなことが考えられるか、久しぶりの門田さんを囲んで、アイデアを寄せ合いましょう。

参加資格は、問いません。
青空文庫の作業仲間の皆さん、この試みに興味をもっておられる方、ソフト開発者の皆さん。もちろん、高野さんの話を聞きたい方も歓迎です。

懇親会会場の予約の都合があるので、参加ご希望の方は、1月21日(土曜日)までに、reception@aozora.gr.jp宛、お名前を添えて、ご連絡ください。

いざ、本の街へ、本の未来を探しに!

青空文庫「e読書ラボ見学ツアー」:

2012年2月4日(土曜日)午後3時より、国立情報学研究所高野研究室訪問、その後、e読書ラボへ移動。
ツアー終了後、懇親会へ。
ご都合に合わせ、途中離脱、途中からの参加、懇親会のみへの参加、いずれでもかまいません。

集合場所と時間、懇親会の場所と開始時間などは、ご連絡いただいた方に、追ってお知らせします。(倫)

国立情報学研究所
 東京都千代田区一ツ橋2-1-2
e読書ラボ
 東京都千代田区神田神保町1-7-7「本と街の案内所」内

2012年01月01日 本を運ぶ者
青空文庫が始まったのは、1997年の夏だった。
前年には、書籍の電子化でなにができるのか、本にまとめるために考えていた。
年が明けて、最後の原稿となる「まえがき」に、こんなふうに書いた。
たとえば私が胸に描くのは、青空の本だ。
高く澄んだ空に虹色の熱気球で舞い上がった魂が、雲のチョークで大きく書き記す。
「私はここにいます」
控えめにそうささやく声が耳に届いたら、その場でただ見上げれば良い。
本はいつも空にいて、誰かが読み始めるのを待っている。
          (『本の未来』アスキー、1997年3月1日)
その直後、野口英司さんから、インターネットに電子図書館をつくろうと誘われた。
以来、15年。その間に、こんなことがあった。

今日、青空文庫では、15人の作家の16作品を公開した。
青野季吉「百万人のそして唯一人の文学」。岩本素白「六日月」。宇野浩二「思ひ出すままに 「文藝春秋」と菊池と」。小川未明「赤いろうそくと人魚」「赤い蝋燭と人魚」。片山敏彦「ベートーヴェンの生涯 09 訳者解説」。桂三木助「麺くひ」。喜多村緑郎「」。高山毅「福沢諭吉 ペンは剣よりも強し」。知里真志保「えぞおばけ列伝」。津田左右吉「歴史とは何か」。外村繁「打出の小槌」。長与善郎「青銅の基督」。古川緑波「富士屋ホテル」。矢内原忠雄「帝大聖書研究会終講の辞」。柳宗悦「雑器の美」。
1月16日に他界した桂三木助(三代目)から、12月25日の矢内原忠雄まで、これらはいずれも1961年に没した人たちだ。
彼らの著作権は皆、死後50年を過ぎて迎える最初の元日の今日、切れた。

1月1日に、新たに著作権が切れた作品を公開し始めたのは、1999年の太宰治と菊池寛からだ。
この年から、この日をはっきり区切りとして意識し始めたのには、きっかけがあった。没年月日から50年経過で、著作権が切れるとの誤解に基づく、手痛い失敗だ。

2004年には、新規著作権切れの折口信夫(釈迢空)、斎藤茂吉、堀辰雄、2005年には相馬愛蔵、岸田国士、2006年には坂口安吾、下村湖人、豊島与志雄、下村千明、相馬黒光の作品を元日にならべた。
年が明けると誰の著作権が切れると意識して、事前にファイルの準備を始め、元日にぶつけはじめたのにも、きっかけがあった。

国境を越えた著作権保護の枠組みに、ベルヌ条約がある。
保護期間はそこでは、作者の死後50年までと決められている。ただし、原則をこえた、より長い設定を選ぶこともできる。
ドイツは、かねてから保護期間を、死後70年までとしてきた。統合にともなって、各国間の諸制度をならすための検討の過程で、EUは1993年、一律に死後70年までに伸ばしてそろえると決めた。インターネットの商用化が進み、一気に拡大し始めるのが1995年前後。それに先立ってくだされた、意思決定だった。
映画、音楽、娯楽産業に売り物を多く抱えるアメリカが、このEUの動きに乗じた。1998年の改正著作権法で、保護期間を作者の死後70年まで延長。加えてアメリカは、各国に延長の圧力をかけ始めた。
いわゆる年次改革要望書には、日本に対するアメリカ側の要求項目として、2002年以来、著作権の保護期間延長が、一貫して盛り込まれるようになった。
より長い著作権を世界中に求めて、商品寿命の長期化をはかろうとするアメリカの狙いは、明確だ。こうした外からの働きかけに加えて、日本の著作権者側からも、延長をのぞむ声が上がり始めていた。
著作権法の改正を担当する文化庁では、延長に向けて準備を進めつつあった。

青空文庫として、延長問題にどう向き合うべきか、考えた。

私たちが文庫に積み始めた作品は、著者の完全な独創によって、無から突然に生じたものではない。
人は誰も、ある文化圏に生まれ落ち、言葉と文字を学び、先人の積み上げた表現にくるまれて育つ。まずは真似から始まって、作ろうと志した者のうち、才能に恵まれ、努力を怠らなかった者はやがて、自らの表現をなす。ほめられることもあれば、けさなれもしよう。学びから始まって創造に至る、それらすべての営為は、そして賞賛から罵倒にわたる作品の受容のいっさいもまた、ある文化圏の中で生じるドラマである。
私たちは、過去から未来へと続く文化の大河に生まれ落ち、四方を満たす水に育まれてはじめて自らとなり、創造の神の祝福を受けた者は、泡一つを生み出してやがて消えて行く。

著作権制度はしばしば、権利の保護に焦点をあてて論じられる。だがこの仕組みは、個が全体に育まれ、やがて全体を富ます、相互依存、相互循環的な文化のあり方を十分に踏まえて、設計されている。

例えば、著作権法の目的は、第一条に次のように掲げられている。
この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。
目指すところは、著作者の権利の保護のみではない。
その上位に、「文化の発展」というより高い目標が据えられている。それを実現する手段の一つとして、権利の保護は位置づけられている。と同時に、大目的である文化の発展のためには、表現が公正に利用されることへの配慮も必要であると謳われている。
一方の保護、そしてもう一方の利用。
文化の発展のためには、両方のバランスをとることが求められる。
だからこそ、著作権は作者の死後、一定の期間を過ぎれば切れるものとされている。作者が生きている間は、利用に関わる権利を集中して与え、作品で儲けることを可能にして、創作のエンジンが回り続けるよう支援する。死後も一定の期間は、作者を支えた人が権利を引き継げるようにする。ただし、「私」の権利はある時期で打ち切って、以降は「公」が広く利用できるものとして位置づけ直す。
母なる文化の大河に、作品を戻す。
その均衡点として、保護期間の死後50年は設定されてきた。

さらに私たちには、青空文庫の実践を通じて、社会の重要な基盤としてインターネットが組み込まれてから、著作権がある時点で切れることの意義は、格段に高まったとも感じていた。
紙の本を作るには、お金がかかる。配って、置いておくにも一々コストが積み上がる。権利が切れて、10%程度の著作権料を支払わなくてすむようになっても、それで本の値段が劇的に下がることはない。
一方電子ファイルなら、求められるあらゆるコストが、そもそも低い。ボランティアで入力、校正してくれる人がいるなら、それこそ無料公開の電子図書館も夢ではない。

ならば保護期間の延長には、反対するしかない。
私たちが異を唱えたところで、なにがしか効き目があるとは思えなかった。ただし、延長で社会の総体がなにを失うのかを形にして見せることは、青空文庫を使えばできる。年ごとに著作権切れの作家が生まれてくる。彼らの作品を事前に準備して、著作権切れの当日から公開しよう。1月1日は、「私」から「公」への切り替えの記念日でもあることを、アピールしていこう。そして、たとえば20年保護期間を延長すれば、以降の20年間は、公に移るものの一人としていない、暗黒の記念日が続くことを訴えよう。社会が自由に活用できる文化資源が、私の権利継続のために、20年分奪われるのだと語りかけよう。
そう考えて、年明けからの新規著作権切れ作家の公開に、意図的に取り組むことにした。
そして、2005年1月1日のそらもようで、青空文庫呼びかけ人は「著作権保護期間の70年延長に反対する」と宣言した。
インターネット上のアーカイブが、大きく花開き始めたその時に、可能性の芽をつむというのなら、そのことの愚かさを直感的に理解できる形で示し、声を嗄らして訴えながら、負けていこうと考えた。

2005年1月24日、文化庁の文化審議会著作権分科会は、今後の著作権法に関わる課題の一つとして、欧米での延長の動向を踏まえて、保護期間の70年延長を検討すると明らかにした。
2006年9月には、作家の三田誠広を議長とする「著作権問題を考える創作者団体協議会」が、70年への延長を求める要望書を文化庁に提出した。
同年11月、弁護士の福井健策とジャーナリストの津田大介が呼びかけ人となって、「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」を組織。影響のきわめて大きなこの問題に対しては、まず国民的議論を尽くそうと呼びかけた。
そして2007年1月1日、青空文庫は著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名を開始した。

その後の論議に大きな影響を及ぼしたのは、福井、津田がリーダーシップをとったフォーラムだった。さまざまな論者を招いて連続してシンポジュームを開き、この問題への関心を掘り起こし、文化審議会に設けられた保護期間を中心テーマの一つとした小委員会(過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会)の構成が、延長推進派に傾くことに強い歯止めをかけた。
2009年1月、同小委員会は、延長に関しては「意見集約には至っていない」とする報告案をまとめて、終了した。
延長の流れには、いったん歯止めがかかった。

もう一度、今日の青空文庫のトップページを開いてほしい。
元日一日限りの、「パブリック・ドメイン・デイ」を祝う、ロゴが掲げられている。
だが、2011年後半、保護期間延長問題には再び影がさした。
このロゴを、青空文庫は20年間、掲載できなくなる可能性が生じた。

2011年11月11日、野田佳彦首相は環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加に向けて、関係国との協議に入ると表明した。
加盟国間での関税の原則撤廃を目指し、貿易上の障壁となりかねない制度をならし、サービスの自由化を目指すとするTPPは、社会の広範な領域に大きな影響を及ぼすと予想される。
このTPPでの交渉項目には、知的財産分野も含まれている。
2011年2月、TPPにおける米国政府の知財要求項目がリークされた。(February 2011 draft U.S. TPP INTELLECTUAL PROPERTY RIGHTS CHAPTER
そこには、著作権の保護期間を、作者存命中と死後70年を下回らない範囲に設定することが含まれていた。
現在日本では、親告罪とされている著作権侵害を非親告罪化し、著作権者からの訴えなしに刑事責任を問えるようにすること。著作権者は、真正品の並行輸入の禁止を求められるようにすること。法廷損害賠償制度の導入など、一つ一つが大きな影響を及ぼすと思われる項目が、そこには並んでいた。
関係省庁が連携してまとめた「TPP協定交渉の分野別状況」では、交渉対象となる分野は21に整理されている。「知的財産」はその一つ。さらに著作権保護期間の延長は、知財分野の交渉項目の一つに過ぎない。
前回、著作権保護期間の延長問題が焦点化した際は、のぞむ側とのぞまない側が、この一点をめぐって直接向き合い、意見を交わした。文化審議会でも、双方の立場からの主張がぶつかった。
だが今回は、TPPという大きな国際交渉の場で、延長を望む者、望まない者双方不在のまま、国民の監視の目の届かないところで、保護期間が決められる可能性が出てきた。

本日、青空文庫のリストに加わった15人に続く作家たちの準備も進められている。
2013年1月1日に向けた、吉川英治中谷宇吉郎室生犀星柳田国男等。
先んじてのファイル作成に目安を設けるために、青空文庫では、2年以内に著作権の切れるものに限って登録している。今日からは、2014年1月1日に公開可能となる作品の受け付けを始めた。この年には、野村胡堂が著作権切れを迎える。野村の作家別リストには、登録手続きがつつがなく完了すれば、本日、213の「銭形平次捕物控」からの作品が並んでいるはずだ。

著作権保護期間は死後50年までで良い。その設定を生かして、インターネットの上にさまざまな公有作品のアーカイブを育てよう。
こうした声で社会を満たし、制度を維持できれば、元日の青空文庫には、パブリック・ドメイン・デイを祝うロゴを掲げ続けられる。新しい年のはじめごとに、新たに公有になった作家を迎え入れられるだろう。
TPPという大波の中で延長を押し切られれば、その後20年間は、新たに公有の列に加わる作家ゼロの、暗黒の元日が続く。
その後訪れるのは、永遠の20年分の待ちぼうけだ。
私たちは再び、本とインターネットの未来に関わる、大きな岐路に立たされようとしている。

15年前、インターネットの青空に本が運び上げられ、物理的な制約を逃れて、自由に作品に触れられるようになる夢を見た。
青空文庫はその夢を、ごく小規模にではあるが実現したと思う。
だが、その試みに関与し続けた15年で、青空の本のイメージは、私の中で大きく変わった。
インターネットと電子的な読書環境を組み合わせられる以上、青空に本が並ぶ新しい世界が必然的に開けるだろうと、かつては楽観的に受けとめていた。だが今、閉じたまぶたの裏に浮かぶのは、地上から頼りなく伸びた、揺れる細い梯子を一段ずつ踏みしめて、天に本を運ぼうとする人たちの姿だ。

本のページをスキャンする画像による電子化なら、成果物の数ははかが行く。それで、インターネット経由の参照が可能になるのだから、メリットも十分にある。だが、でき上がった作品ファイルを、コンピューターで多様に活用する可能性は、画像化では開けない。
一方、一字一字をテキストにしてやれば、視覚障害者は音声に変換して、作品を味わえる。表示時に、縦横や文字サイズを切り替えることも造作ない。検索性にも、優れる。
だが、一定の精度を備えたテキストを作るには、集中力を求める長い作業時間をかけざるを得ない。
電子化の王道であるテキスト作りは、担う者にとっては、労多くして作業成果の稼げない、悪戦だ。

2011年3月15日、東日本大震災の四日後に、青空文庫の収録作品数は1万に達した。
本の冊数ではない。ごくごく短い一篇も一と数えての数字だ。実態は、「1万」の語感よりははるかに痩せている。
だがそれでも、青空文庫の試みは、あるまとまりをなす成果を、15年かけて生み出した。
悪戦をあえて引き受ける志が、そこには確かにあったのだ。
その経緯は、私にはもう、歴史の必然とは見なせない。

その青空に、今再び著作権保護期間の延長と言う暗雲が広がりつつある。
遠く雷鳴が聞こえる。
暗くなった空に、揺れながらのびる梯子を、なお一歩一歩上り続ける人のシルエットも、私には見える。(倫)


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