社長は労働法をこう使え!
【第3回】 2012年3月29日 向井 蘭

正社員の解雇には2千万円かかる!

気鋭の労務専門弁護士である向井蘭氏に、労働法と労務トラブルの「経営者のための」ポイントを解説してもらう連載の第3回。経営者が絶対に知っておかなくてはならない「解雇」を取り上げる。労働者への退職勧奨は自由にできるが、解雇には予想外に大きなリスクがあることはあまり知られていない。

今回の記事で解説した「二重払い」について、読者の方から質問をいただきましたので、新たに第3頁にその根拠を追加しました(2012年3月30日18時40分)。

解雇→仮処分→敗訴のフルコースの代金は数千万円

 労働契約法が制定される前から、裁判例などにより使用者の解雇権は大幅に規制されています。労働者を解雇するには相当な覚悟が必要です。

 最悪のケースを考えてみましょう。労働者Aを2011年10月1日付けで解雇したところ、Aは弁護士に相談を持ちかけて賃金仮払いの仮処分を申し立てました。仮処分とは裁判所の命令で行なわれる暫定的な処置のことです。有名なのは賃金仮払いの仮処分で、労働者が解雇の無効を主張して復職を求める場合、裁判中の生活費を確保するために賃金仮払い仮処分の申し立てを行ないます。仮処分の決定が下されるまでには、早くても3~6ヵ月かかります。

 たとえば12年3月1日に仮処分命令が出されたとしましょう。すると会社はその日から給料を支払わなくてはならなくなります。そして裁判中の生活費を確保したAはいよいよ本裁判を起こすわけですが、急ぐ理由はなくなりますので、ゆっくり裁判を進めるでしょう。

 仮に5月1日に本裁判を提起すると、判決が下されるまでに1年くらいかかりますから、会社は12年3月1日から13年5月1日までの1年2ヵ月分、給料を支払い続けることになります。Aの給料が30万円だとすれば、30万×14ヵ月=420万円もの給料を支払うわけです。

 会社側とすれば、これだけでも大きな痛手でしょう。しかし、これだけでは終わりません。会社側が敗訴した場合、裁判所はAに労働者としての地位があったのに会社が働かせなかったとして、解雇を言い渡した11年10月以降の給料の支払いを判決で命じるのです。

 すると11年10月から13年5月までの19ヵ月分の給料、つまり30万×19ヵ月=570万円を支払うことになります。

 こう説明すると、すでに420万円支払っているから差額の150万円を支払えばいいと思うでしょう。しかし残念ながら420万円は控除されません。二重払いを命じられ、合計で990万円もの給料を支払わなくてはならないのです。

 さらに高裁に控訴して半年はかかると仮定します。再び敗訴となればAに支払う給料は30万円×6ヵ月×2=360万円となり、約2年間で1350万円もの給料を無駄に支払うことになるでしょう。最高裁に上告すれば、当然のことながら支払う給料はさらに多くなります。

 しかも最悪なのが、これだけの金額を払っても解雇が認められないという事実です。裁判で会社が負ければ解雇を撤回しなくてはならず、Aは職場に戻ってくるのです。どうしても辞めてもらいたい場合には、さらに退職金を上積みしなくてはなりません。結局、Aを解雇するために1500~2000万円くらいかかる計算になります。もしもこれが整理解雇で、Aのように仮処分を申し立てる労働者が4、5人いたとしたら、倒産してしまう会社もあるでしょう。

 もちろん、控訴や上告をするときには、担保を供託して強制執行を執行停止することもできますが、敗訴金額の7割から9割の現金を供託する必要があるので、この事例でいくと理論上は1000万円近くの費用がかかることを念頭におくべきです。

 


 ダイヤモンドオンラインを読んだ読者の方から、「二重払い」について質問をいただきましたので、以下に回答します(2012年3月30日18時40分)。

 今回の原稿を書くきっかけとなった裁判例があります。賃金仮払いの仮処分にもとづいて使用者が支払った金員を本案訴訟において未払い賃金額から控除しなかった裁判例です。甲府地裁平成21年3月17日判決(労働経済判例速報2042号3頁)のT社事件です。

 以下判旨を引用します。
「ところで、賃金仮払仮処分は、その執行によって被保全権利(賃金請求権)が実現されたのと同様の状態を事実上達成することから満足的仮処分の一種とされているが、あくまでも本案訴訟による解決をみるまでの間の暫定的な状態を仮定的に形成するにすぎないものである。したがって、債務者が賃金仮払仮処分命令に従って金員を支払っても、それは、本来の賃金債務の消滅を目的として行われる実体法上の弁済とは異なるものであるから、本案訴訟においては、その仮の履行状態を考慮することなく請求の当否を判断すれば足りるというべきであり、賃金仮払仮処分命令に従って仮に支払われた金員はその後に清算の対象となるにすぎないのである。」

 じつは私は、この事件を1審判決言い渡しの直前から受任しました。1審判決(3名の裁判官による合議体でした)の判決書を私が受領しました。判決書を読んで衝撃を受けたことを今でも覚えています。仮処分で賃金を支払ったにもかかわらず、その賃金を控除することなく、解雇後から判決言い渡しまでの賃金を支払えとの判決が出るとは想像もしていませんでした。いわば給料の二重払いを認める判決です。

 私は仮執行宣言のついた判決が出たことを受けて、強制執行停止をするため、敗訴金額のうちの数割を法務局に供託しました。なお、2審は逆転で会社側が勝訴したため、この供託した金員は戻ってきました。

 この1審判決の考え方は私もおかしいと思います。しかし、私の知る限りこの問題について、確定した最高裁判例はありません。実際にこのような判決が今後も出る可能性がある以上、経営者の方に実情を知っていただくために原稿を執筆しました。

 ただし、この裁判例も「仮に支払われた金員はその後に清算の対象となる」とは記載されているので、使用者は不当利得返還請求訴訟などを起こして回収することになり、回収できれば理論上は二重払いになりません。この最終的には使用者が二重払い分を回収できるとの点について、記載しませんでしたので、誤解を招く記載をしたと思います。しかし、資力のない方から一度支払った金員を回収するのは非常に困難であり、一度仮払いで支払った金員は戻ってこないことが多いはずです。

 同様にご意見いただいた「退職勧奨」についても申し添えます。

 退職勧奨をすることについては法的に問題ないことは事実だと考えています。また、「ロックアウト型退職勧奨」についても、手法の存在を知らしめることに意図があり、決して推奨するものではありません。


 

解雇の本当の恐ろしさを知らない経営者

 多くの経営者は解雇の恐ろしさを知らないように感じます。実際、経営者から労務トラブルの相談を受けていると、意気揚々と、
「あんな社員には絶対戻ってきてほしくない。最高裁までがんばります」
と宣言する方が少なくありません。しかし、少なくとも2000万円は覚悟してくださいと伝えたとたん、どんな人も真っ青になって黙り込むのです。

 裁判官もひとたび仮処分が出るとトラブルがドロ沼化することを知っているので、仮処分の審理中に強く和解を勧めます。1~2年分の給料を支払って和解することを提案するわけですが、経営者は「裁判所はすぐに労働者の肩を持つ」くらいにしか受け取りません。

 裁判になるとどれほどの費用や時間、労力が奪われていくか認識していないから、その提案を受け入れられないのです。弁護士としてはそんな経営者を何とか説得するのが仕事なわけですが、労働事件に不慣れな弁護士はそうした現実を知りません。

 だからこそ、経営者自らが解雇の後に待ち受けている悲惨な現実を知っておくべきです。そして安易な解雇は絶対に避けてください

退職勧奨は自由にできる

 以上のように、労働者を解雇することは非常に難しいのですが、退職勧奨することについては問題ありません。解雇できない以上、辞めてもらいたい社員とは話し合うしかないので、退職勧奨については使用者に甘くならざるを得ないのです。

 たとえば、嫌がる労働者に対して「この会社にあなたの仕事はないので、退職したらどうですか」という面接をしつこく3、4回繰り返したとしても違法とは判断されません。はっきり「あなたの能力は会社が求めるレベルに達していない」と言ってもかまわないのです。社会一般の認識よりも、裁判所は退職勧奨について寛容です。

 退職勧奨に関する規制がゆるいことを上手に利用したリストラの手法もあります。典型的なのが「ロックアウト型退職勧奨」です。ロックアウト型退職勧奨は外資系企業で多く用いられる方法で、リーマンショック後によく行なわれました。この方法について争われた裁判例は、私の知る限りまだありませんが、どのようなものか参考までに紹介します。

「ロックアウト型退職勧奨」とは?

 まず、会社は退職勧奨をします。労働者がそれを拒否したとします。その労働者に会社は自宅待機を命じ、賃金も100%払うのです。同時に、たとえば、1ヵ月以内に退職すれば退職金を上積みするけれども、1ヵ月を過ぎて2ヵ月以内なら上積み分は50%に減額するなど、退職勧奨に応じた場合の条件を提示します。

 自宅待機を命じられた労働者は、周囲から冷たい目を向けられることで精神的に追いつめられていきます。また、時間をかければかけるほど退職条件は厳しくなります。そして遂にその状況に耐えられなくなって、辞表を提出するのです。

 日本の場合、賃金さえ支払えば労働者に仕事をさせなくてもかまいません。賃金さえ払っていれば、労働者が仕事をする権利を主張しても、裁判所はそれを認めないのです。

 外資系企業にも、もちろん言い分があります。外資系企業は、このような方法をとる理由について、退職勧奨を受けた労働者がセキュリティ上の問題(たとえば情報漏洩、システム破壊)を起こした場合は取り返しがつかなくなるので、人事管理上、退職勧奨を受けた労働者がオフィスに立ち入らないようにしていると述べています。

 また、外資系企業は社員に高い給料を払っています。世界的な金融危機に直面し、速やかに人員削減をする必要があったのです。解雇規制が厳しい日本では、大人数を一斉に解雇することは難しいため、このような方法をとったのでしょう。外資系企業の真の意図は、私はわかりませんが、この方法で多くの退職勧奨を行ない、結果としてほとんどの方が退職しています。

 ただし退職勧奨の際、労働者を誹謗中傷する「馬鹿」とか「死ね」などという言葉を使うことは厳禁です。また「辞表を出さなければこちらから解雇することもできる」といった嘘もいけません。嘘をついて辞表を書かせた場合、それは嘘、誤解に基づいた退職となり、退職の意思表示は無効、もしくは取り消されることとなり、退職は無効となります。


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本コラムの著者、向井蘭氏による無料セミナーを開催します。
ふるってご参加ください。

日時:2012年5月9日(水)19時開演(18時30分開場)20時30分終了予定
場所:東京・原宿  ダイヤモンド社9階セミナールーム
(東京都渋谷区神宮前6-12-17)
料金:無料(事前登録制)
定員:70名(先着順)

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