「創価学会・公明党批判」(4)
「創価学会・公明党批判」(4)
宗教を語る時、日本人ほど大らかな宗教観をもつ民族は、他にないことに気付きます。我が家でも、朝、神棚に燈明を灯し、柏手を打って今日1日の無事を祈る。仏壇に線香を燻らせ先祖の霊に感謝する。
これが一般家庭の朝の習慣です。勿論最近の若者の家庭ではその余裕はないかも知れません。しかし神を祀り仏を敬う。神仏混淆の慣習は、日本人には当たり前のことで、不思議に思う事はありません。
創価学会にとって、最悪の事態に陥ったのが「言論出版妨害事件
1960年代末から1970年代にかけて創価学会と公明党が自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するために、学会員や公明党員が著者、出版社、取次店、書店等に圧力をかけて妨害したとされる事件。憲法に保障された言論の自由及び出版の自由を侵害するものだとして創価学会・公明党がマスコミから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係が政教分離の観点から問題視された。1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも妨害行為に対し公式に謝罪、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。」
「1970年5月3日の池田会長(当時)の 講演では、「創価学会の役職を兼任している公明党議員では創価学会の役職は段階的にはずすなど、創価学会と公明党を制度の上で明確に分離していく」、「会員個人の政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉しない」、「選挙活動は党組織の仕事とし、創価学会は支持団体として『地域ごとの応援する』とし」政教分離を明言した。
しかし、現実にはこの声明は実行されなかった。それどころか「党勢拡大」のため、末端会員の自由意思は完全に無視。組織に逆らう行動は徹底的に糾弾され、強制的に自己反省を迫られました。
当時、爺は「創価学会・公明党批判」を展開し、この結果に溜飲を下げたものです。有権者の数%に過ぎない公明党が、何故、日本の政治を左右するキャスチングボードを握る不合理を指弾しました。
その原因は国民が選挙権の行使を怠り、無関心さにあると指摘しました。投票率が70%に上がれば公明党は胡散霧消すると言い当てました。結果投票率は60%後半でしたが公明党は惨敗したのです。
衰退の一途を辿る公明党を滅ぼすには、国民が選挙に行くことです。投票率が上がれば、公明党は何時か必ず国会の議席を無くす日が訪れるでしょう。次の選挙には是非投票に行きましょう。 熱海の爺
追伸・「創価学会・公明党批判」(2)に紹介した「当時のコメント」を読み返してください。ご理解いただけると思います。
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