仕事とはアウトプットである
※今回の記事は、以前朝礼で話した内容を、社員向けに再確認の意味で書いています。ご了承ください。
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よく、仕事ができる人とか、仕事ができない人ということがあります。
みなさんは、自分が仕事ができると思っていますか?
是非できると思っていてもらいたいものですが、そもそも仕事ができるというのはどういうことなのでしょうか。
それを考えるためには、仕事とは何かということの理解がポイントになります。
そこで、当社の「仕事」という言葉の定義をあらためて明確に説明しておきます。
まず、間違いなく言えることは、
仕事とはアウトプットであるということです。
つまり、一定の期間に産み出した価値の「品質と量の乗算」が仕事です。
相対的に見たときに、同期間内にたくさんの価値を出せた人が仕事が出来る人であり、それに対して少ない価値しか出せなかった人が仕事が出来ない人ということになります。
ここで大切なのは、
価値とは自分が認める価値ではなく、自分以外の他者にとって価値があると認められるアウトプットを出すことです。
また、その人が「出せる価値」ではなく、実際に「出した価値」であるということも大切です。
つまり能力ではなく実績です。
アウトプットしても、他者に認められない価値では、自己満足に過ぎず、また能力があってもそれを発揮し成果を上げなければ仕事ができる人とは言いません。
そして、認められる価値はアウトプットでありインプットではありません。
インプットは仕事ではありません。
何かを調べる、打合せをする等、インプットをしなければならない場面は少なくないと思います。
社内でのメールやチャットのやりとり、デザイナーの方が参考デザインを探すためにサイトを見ることなど、それが業務に関連ないものであれば論外ですが、必要であれば、当然やらなければなりません。
ただ、それ自体は仕事にはならないということも承知しておいてください。
仕事というアウトプットを出すために必要だから行う作業であって、仕事ではありません。
なるほど、たくさん勉強したね、よく調べたね、素晴らしい技術を習得したよね、内容の濃い会議ができたよね。
でも、それらのインプットをした結果、それでどうなったの?
それによってどんな価値を産み出したの?
ということが問われるのです。
インプットする代表例が学生です。
学校は教育を施すというサービスを提供し、学生は顧客として(多くの場合、親が、もしくは国が)お金を支払い、教育を受け取るわけです。
払ったお金以上の修得(インプット)をする学生もいますし、支払った額にまったく満たないだけしかインプット出来ない学生もいるでしょう。
社会人になるとこれが、逆になります。
どれだけ価値のあるアウトプットを出したかが、仕事ができるできないの評価です。
製品やサービスという何らかのアウトプットを提供することで、対価としてお金を頂くのが仕事なのだから当然です。
支払った額に見合わないインプットしか出来なかった学生は、親が嘆くだけですが、社会人では、もらう額に見合わないアウトプットしか出せないという状態は成立しません。
以前、このブログで、
プロの世界では努力は一切評価されない
という記事を書きました。
その際に書いた通り、個人的にはそこまでドライには考えませんが、プロは結果しか評価されないというのは本質的に考えても正しいと思います。
厳しいように聞こえるかもしれませんが、これらはすべて事実であり、物事の原理原則になっています。
逆に、今まで何度となくお話していることなので、よく分かっているよという人もいるかもしれませんが、今日以降その意識を全員が改めて持っていてください。
4月に給与改定がありますが、自分の給与が上がるのか下がるのか、
上がるのであればどういう理由で上がるのか
ということを考えておいてください。
ただし、去年と同じ事をしていたのでは上がるはずは無いという道理も理解しておいてください。
以上、よろしくお願いします。
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