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『水子の譜』を読む

2005年12月30日 | オリニの会レポート=日本・海外文学
『水子の譜』を読む(2004年12月)
ノンフィクション『水子の譜(うた)−ドキュメント引揚孤児と女たち』 
上坪隆著・現代史出版会・1979年(社会思想社・1993年) 
                   仲村修
 今年の夏のこと、調べ物でよく通う大阪市立中央図書館で、伝記コーナーを何気なく見ていると、文化人類学者の泉靖一の伝記『泉靖一伝―アンデスから済州島へ』(藤本英夫・平凡社・1994)が目にとまった。副題に済州島とあり、泉靖一が京城帝大出身だということを聞いていたので、気になって借り出した。読んでみて、敗戦直後の日本人引揚げでかれが大活躍をしたことを知って、驚いた。こうした活動があったこと自体初耳だった。
 この伝記に『水子の譜』からの引用もあったので、さっそくこれも手にとってみた。泉靖一や旧京城帝大医学部出身者たちが「在外同胞救援会救療部」という組織をつくって幼い命を救うことに乗りだしたところから始まっている。その後、この組織は引揚げ船のなかやソウルから釜山までの引揚げ列車のなかや、38度線のすぐ南や、中国からの引揚げ港だったコロ島にまで支部をつくったという。
 本書は、孤児でしかも病気にかかって博多港にやっとの思いでたどりついた引揚げ幼児・児童たちの日本上陸直後の療養生活を追っている。かれらは親との死別のショックをかかえ、引揚げの集団のなかでももっとも粗末に扱われた子どもたちだった。飢えで骨と皮だけになり、内臓を病み頭髪の抜けおちた子どもたち。
 また二部では、ロシア兵らの暴行や、徒歩での引揚げの南下行の途中で、通過する村むらに娘たちや、主人のいない既婚女性たちを人身御供(ひとみごくう)にささげた結果としての堕胎をあつかい、その舞台であった「二日市保養所」を克明に追跡している。
 両者ともに、これらの施設の現場で運営や保育や婦人相談や医療にあたった人びとを探しだして、インタビューし証言を得ている。九州の毎日テレビのプロデューサーである著者の、戦争側面史への慧眼と骨身をけずる努力によって、多くはないがこれだけでも、あの戦争の裏舞台の犠牲者たちの姿を30年後に記録したことを、貴重なことだったと思う。かれらや彼女らがいたという事実も、それを救援した人びとがいたという事実も、著者がいなければ一般の人びとからは忘れ去られ、歴史の闇のかなたに忘れ去られてしまっていたことだろう。上坪氏自身が中国通化からの引揚げ者だということも、 番組製作の陰の推進力になったと思われる。
これらの取材結果は1977年の9月と12月に「引揚港博多湾」「引揚港水子のうた」として放映されたという。本書は映像という媒体では伝えられなかった(写真)資料等もふくまれて、取材の総決算となっている。弱者である子どもと女性が、無謀な侵略戦争の結果として身の内と心に受けた衝撃をあますところなく伝えている。両者の共通点としては、引揚げの南下行や暴行について当事者たちが黙して語らないことである。
 かれらの沈黙は戦争がかれらの中では終わっていないことを意味していると、著者はいう。著者には「引揚げは日本の軍国主義者たちの侵略政策の帰結としての悲惨な結果なのである」という認識はあるが(P130)、それを前面に出すことはなく、あった事実を取材し掘り下げ、伝える姿に徹している。
 引揚げの話に関連して、わたしの身内の話で恐縮だが、植民地時代に元山(ウォンサン)の漁港で魚仲仕をしていた親戚がいる。祖母の妹夫妻にあたる。子どものいなかった夫婦は引揚げのとき1、2歳の日本人の女の子を引き受けて、故郷の香川県津田町に帰って育てた。わたしは小学生のあいだ毎夏祖母につれられて津田に出かけて、津田の海辺で楽しく過ごした体験がある。そのときよくこのお姉さんに遊んでもらった。わたしより7、8歳年長で名前は「とっちゃん」といった。
 わたしが高校生のころ母と祖母の交わす話から、とっちゃんがじつは養女で、引揚げのとき養女になったのだということを知った。その後、とっちゃんの実の妹がお姉さんを訪ねてきた。しかし、とっちゃんは実の妹とけっして会おうとしなかったという。自分だけが母親に見捨てられたという孤独感、心の深いうずきがそうさせたものだと思う。もちろん、母親にとってみれば、とっちゃんと妹の赤ん坊を二人ながら生き残らせる、ぎりぎりのつらい選択だったと思われる。そしてそのことは、成長してからのとっちゃんにも分かったことだろうが、頭でわかることと、幼いころなめた心の深いうずきの記憶とは別物だったと想像するしかない。
 さて、これまで引揚げの南下行を描いたノンフィクションとしては、「流れる星は生きている」(藤原てい、1963)がもっとも有名である。児童文学としては「なにをもってにげるか」(しかたしん・絵本すこしむかしシリーズ、1980)、「小さなスーツケース」(堀内純子、1981)、「お星さまのレール」(小林千登勢、1982)、「ソウルの青い空」(斉藤尚子、1985)、「二人の愛子」(堀内純子、1992)等がある。また、朝鮮人一家の旧満州からの引揚げを描いたものに「ハルモニの風」(堀内純子、1999)がある。これらの作品が引揚げ体験作家によって描かれている点は『水子の譜』と共通している。
 しかしこれらの作品には、孤児になって引揚げる姿はとらえられていないし、まして暴行を受けた女性たちをとらえた作品はなかった。読者対象のグレードがさまざまに異なるため、いちがいには言えないが、今回『水子の譜』を読んでみて、ゆいつ赤木由子が「ふたつの国の物語第三部―青い眼と青い海と」(1983)のなかで、ロシア兵から暴行をうけ引揚げ船の中で青い眼の赤ん坊を生んだ女性を登場させ活写していることに、あらためて作家としてのすごさを感じる。
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ウォンサン 流れる星は生きている しかたしん 小林千登勢 軍国主義者 毎日テレビ 市立中央図書館 文化人類学者 二日市保養所 社会思想社
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2 コメント

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Unknown (上原 敏)
2012-03-06 12:59:09
被害者は誰で、加害者は誰なんだい。
はっきり書いてあることは読めなかったのかね。
言葉の虚しさを感じる思いがした。
Unknown (Gook18)
2012-03-26 16:19:26
残留朝鮮孤児がいない理由は、朝鮮人に皆殺しにされたから。犯罪民族の朝鮮人どもが日本に居ることが許せない。竹島で奪われた日本人44人の命、3000名以上の日本人の人質。竹島が奪われた裏に多くの日本人被害者がいることを忘れるな。戦後、朝鮮進駐軍と名乗り、日本で犯罪の限りを尽くした朝鮮人。絶対に許すことは出来ない。日本人は一致団結して、朝鮮人を日本から駆除しよう。

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