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第11部・託す(4)福島県立小高工高校長/就職率100%掲げ実現/復興見据え人材育成

旧相馬女高の校庭に立つサテライト校仮設校舎の前で、原発事故後の1年を振り返る伊藤さん=23日、相馬市

 福島県の高校で東京電力に就職する生徒の最も多いことが南相馬市の小高工高の自慢だった。
 校長の伊藤裕隆さん(60)も積極的に推進した。今月で定年退職する。
 毎年約15人が入社した。配属先は福島第1原発か第2原発。「サラリーは40歳で私を超える」。中学校の進学説明会でこう説いた。「東電に入りたいのならウチに来なさい」。親の目が輝いた。

<警戒区域に>
 その憧れの「地元企業」が大事故を起こした。学校は第1原発から14キロ。立ち入り禁止の警戒区域に指定され、相馬、いわき、二本松、郡山、会津若松の5市の高校を間借りしたサテライト校に分散して授業をした。
 600人の全校生は390人に減り、新入生も合格者の4割の86人にとどまった。教師は分散授業を掛け持ちし、疲れ果てた。学校運営が危機にひんしていた。
 逆境の中、伊藤さんは奮起の旗印に就職率100%の達成を掲げた。それまで6年続けて成し遂げている。だが、東電の求人はなくなり、毎年30人以上あった原発関連の募集も途絶え、目標貫徹を危ぶむ声が多かった。
 踏ん張った。「生徒のために絶対に実現しなければならない」。目標へ向かって動く中で学校の一体感もよみがえるはずだ。生徒を、教師を励まし続けた。
 転機は6月に東京都で行った4泊5日の進路合宿だった。「前例がない」「費用はどうする」と反対する教師の声を押し切って実現させた。就職志望の3年生全員を避難所になっていた旧グランドプリンスホテル赤坂に集め、企業訪問と工場見学を重ねた。
 自腹を切るつもりだった交通費と食費は支援金で賄えた。旧ホテルも都の計らいで特別に利用が認められ、お礼に都庁を訪ねたら石原慎太郎知事から激励を受けた。
 企業も好意的で合宿は成功。「これで学校全体がギアチェンジした」

<県外が7割>
 地元志向が強かった生徒は県外就職に積極的となり、就職実績のない一部上場企業にも内定が相次いだ。就職先は県外7割、県内3割と前年までの逆になった。
 震災と原発事故で相双地区は大きな被害を受けた。唯一の工業高、小高工の存在は復興に向けて今まで以上に貴重になると確信する。
 「復興が進めば相双に新しい会社が出来る。先駆的な人材を育てなければならない。県外就職が増えてもいい。知識と技術を磨き、古里に戻る人も出てくる。大切なのは若者に生活基盤を築いてもらうことだ」
 原発事故で日本の技術の信頼が揺らいだ。教師生活のほとんどを工業高で送った。自戒を込めて思う。
 「会社のためのうそ、利益のためのごまかしがあってはならない。人の心を持つ誠実な技術者を育てるのが工業高の役割。そのためには教師が生徒とぶつかり合う毎日を積み重ねるしかない」
 今月1日、南相馬市民文化会館で卒業式が行われた。
 「組織できちんと役割を果たしながら、組織に埋没しない人間になってください」
 最後の式辞で卒業生を送り出した。
 7年連続。就職率100%の記録を更新したのを花道に37年間の教師生活に別れを告げた。


2012年03月29日木曜日

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