東日本大震災の巨大津波で壊滅的な打撃を受けた、宮城県女川町。かつて多くの人でにぎわった商店街や漁港、水産加工場、役場は津波で破壊され、今ではその面影を見ることはできない。
2011年9月末、東京都の石原慎太郎知事が被災地のガレキ受け入れを表明した。そのガレキに放射性物質が付着していたことから、受け入れの賛否をめぐって社会問題化。人口1万にも満たない漁業と原発の町「女川」が、連日のように報道された。
「被災地はガレキの山に埋もれていると思ったでしょう。震災直後、町の中心部はガレキだらけでしたが、今はほとんど片づいています」
町全体を見渡せる高台に建てられた病院の駐車場で、タクシー運転手は本誌記者にこう語った。女川町ではガレキのほとんどが撤去され、仮置き場に搬入済み。生活圏内にガレキの山は見られない。
「全国の人たちの支援はありがたいが、ピントがずれている。ガレキは片づいたし、今は住民の雇用の場を創出してほしい」「ガレキ処理よりも道路の補修や高台移転を支援して」「住民の足だった鉄道を早く復旧させて」などと、住民たちはガレキ処理に偏った政府の財政支援への不満を口にする。
女川町の復興を阻害している元凶とみられるのが「人口流出」だ。宮城県が2012年3月7日に公表した県推計人口年報では、津波で甚大な被害が出た沿岸部の減少率が際立つ。女川町は、1万人以上いた人口が1年で約17%減少。約8300人まで落ち込み、減少率は宮城県内で「ワースト1」。住民に人口激減の理由を聞くと、水産工場や宿泊施設等が津波で流されたことなどによって「雇用の場がなくなった」との意見が一番多く、「防波堤の整備が進まず、怖くて戻れない」「町内に原発があるから」との回答が続く。
女川の復興が進まない理由は、もう一つある。復興に使われた国民の税金が被災地に落ちないということだ。ガレキ処理の作業員やゼネコン関係者、自治体関係者らは、女川町内に宿泊しない。町中心部にあった旅館などの宿泊施設が、ほとんど津波で流されてしまったためだ。同町の復興支援に当たる作業員らは、隣接する石巻市や、東松島市、仙台市内から「通勤」している。
「町内には目ぼしい飲食店がないため、仕事が終わると石巻や仙台に直帰してしまう。女川の地元経済は潤わない。私の店は津波で流されなかったが、震災前に比べてお客さんが減った」と女川町の商店経営者は嘆く。
野田首相や細野環境相らの説明を聞いていると「被災地はガレキまみれ」「復興はまずガレキ処理をしないと始まらない」との印象を受けるが、現実は違う地域もあるようだ。3/27発売の週刊SPA!「ガレキ受け入れは被災者支援にならない!」特集では、ガレキ処理に偏った復興策を検証。田中康夫氏、宮脇昭横浜国立大学名誉教授の解決策も伺った。 <取材・文・撮影/週刊SPA!編集部>
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