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島津前市長、市議選出馬話で大騒動 〜木村市長との対決の興味深々〜(3月29日掲載)
■ 島津前周南市長が、5月に迫った市議会議員の選挙に立候補するというので、3月議会の開会中の市議会はその話題でもちきりだった。島津派といわれる議員たちの中も動揺が広がった。今までは親分という立場だから応援できたが、市議選となればライバルになるわけだ。陣営の中の島津ファンがどう動くか、心配はふくらむばかりだ。今回は定数が4議席減って30。それでなくても激戦となりそうなのに気が気ではないだろう。野次馬的には面白いことだ。
■ かなりの得票が期待できるだろうが、市議会議員になれば木村市長とどう対峙するか、衆目を集めるだろう。「あなたは私を批判して、箱物行政はしないと言ったではないか。ところが私が進めたことを、そのままやっているだけではないか」と詰め寄るだろう。「南北自由通路はどうなったか」「道の駅はどうするのか」「新南陽の学び交流プラザは、むしろふくらんだではないか」と攻めるだろう。
■ 普通の市議が言うのとは違うから、木村市長も答弁に困るだろう。ほとんどの施策が、島津市政の延長線上で進められている。どこが変わったか具体的な答えは今のところ見つからない。箱物が駄目といいながら、今回は大津島に3億円以上の大金を注いでカッター訓練所を作るという。光青年の家など、そうした施設は全国で姿を消していっているが、またも同じような施設を作るのは、まさに箱物行政の最たるものだ。“島津市議”がどう追及するか興味がわく。
■ 木村市政には相当の刺激になるという期待の一方、「次期市長選の目がなくなる」と反対する人も多い。混乱が続いた防災行政無線工事の問題は市は島津前市長に責任があったと結論づけたが、法的に問われることもなかった。役人を何人か口頭注意などの処分をすることで幕を降ろした。「やはり裁判でちゃんと判断してもらうべきだった」という声も大きいが、木村市長は自らが「倫理的に問題があった」と結論を出した。2年にわたり混乱して設計経費など数千万円の税金が無駄になったが、誰も責任を取ることなく収まった。市民の血税だという意識のなさに驚くばかりだ。
■ これまでも前代未聞の言動を繰り返してきた島津氏だけに、想定外ではないが、同氏を頭として担いできた市議たちが、今度は同僚というか、1年生議員として登場することに、どう対応するか、また議場でどんな暴れ方をするか、これは見ものだ。常に話題を提供してくれる島津氏はネタが尽きない。市長時代のように、個人攻撃が度々だと暴言がすぐ議運にかけられそうだ。楽しみでもあるし、不安でもある。(中島 進)

観光協会の法人化を急げ〜議員がトップの協会が、議会で問題に〜(3月28日掲載)
■ 観光行政と地域振興は線引きが難しい。各市に観光協会があり、それぞれさまざまな活動をしているが、総じて地域振興の延長線上での活動がメーンで、地域外への積極的なアプローチはいまひとつだ。各地のお祭り的なイベントと、全国に発信するためのイベントは本来、別物だ。もちろんユニークな地域イベントが大きな集客を呼び込むこともあるが、それはまれな例だろう。
■ 特産品の開発も各地域、団体が盛んに展開しているが、これを全国に発信する作業が欠けているため、マスターベーション的な活動に陥っている。その大きな原因の1つが、事務局を役所内に置き、お役人主導の活動が中心だからと指摘されている。たまたま担当課長あたりが優れたアイデアマンで活動的な時は目を引く展開もあるが、総じて前年の通りで新鮮味に欠ける。
■ 周南市では3月議会で観光協会のあり方が問われていた。協会を法人化すると木村市長、部長が答弁したが、実際、現在の観光協会はトップが市議会議員で、3支部の会長のうち2人が市議会議員という異常さだ。つまり4人の幹部のうち3人が市議会議員なのだ。当事者が補助金などの審議をすることになるわけだから、委員会では利益誘導などの誤解を受けないよう議員の倫理としてけじめをつけるべきだという指摘も出され、少々紛糾した。
■ 問題は現在の観光協会が本来の域外に向けての活動をどう展開してきたかであろう。周南市観光協会の主なイベントは、秋の「のんた祭」と、春の「花とワインフェスティバル」だ。いずれも何万人集客したとあるが、そのほとんどは市民が対象ではないのか。つまり、地域振興の行事にほかならないのではないか。市観光協会は年間2,000万円以上の経費を使っている。これまでの活動内容に対しての不満もあるから、議会でもそ上に載せられたのではないか。
■ いずれにしても、税金の使い方をチェックする側の市議会議員が、税金を使う団体のトップに立つことには、それ相応の理由を要するだろう。よほどの透明性と意義を求められよう。地域振興のためならほかのやり方もある。観光行政はこれといった正解がないだけに難しい。域外からの流入人口が多いか、少ないかが基本的な目安になるが、地域の特産品をどれだけ売るかも大きな観光行政だ。
■ はっきり言って観光は商売の世界だ。お役人が中心ではどだい無理な話だ。周南市に限らず商工会議所などを中心に法人化を早め、商いとして成り立つ観光を進めることだ。行政から一歩離れた、民間のパワーを引き出せる組織をどう作るかが鍵になるだろう。周南市がいち早くそのモデルケースを作れたらと願うばかりだ。(中島 進)

県知事は山本氏で決まりか〜過去最低の投票率になるだろう〜(3月26日掲載)
■ 今夏の県知事選挙は今のところ山本繁太郎氏で決まりの様相だ。よほどの対抗馬が出ない限り、山本氏だろう。元国土交通省の官僚が横滑り状態での知事就任になりそうだ。自民党だけでなく、公明党までが推薦を早々と決めた。まるで昔の自民党政権時代そのままの山口県だ。今のままで満足している県民がどれだけいるのか、改革の余地はないのか、一度立ち止まって検証しようという様子はない。
■ 地方分権を叫ぶ改革派知事が全国に続々と登場してきたが、ここ山口県は旧態依然で、県議と県庁の役人とが密接に結びついて、密かな利権集団化していると指摘する人も多い。県政は一般市民からは遠い存在で、なかなかその仕組みも、やっていることも実感を持って伝わらない。ある種の業界関係者だけが知り得ることも多々ある。県議会はチェック機関どころか、執行部と蜜月状態で今日まで続いている。緊張感のかけらもない。
■ 最近、徳山自動車学校が事実上県営だったと、多くの市民が知った。このたびその跡地を周南市が購入することになったが、そのお金は交通安全協会に入るのだろうか。いつかどこかの県で、免許更新などの教材が天下り先の業者で独占されている、と報じられたことがあった。山口県はどうなのだろうか。
■ 官僚どっぷりの山本繁太郎氏に、中央とのパイプを期待するとある。まだそんな時代なのかと驚くが、民主党政権もだらしないから、いまだに官僚がすべてを仕切っているのか。政権交代が全く関係なく、山口県的な旧来のやり方で行政が動くことに危機感を感じる県会議員がいないことに、絶望感を感じる。野党的な感覚を持っていると期待した公明党までが、我先に勝ち馬に乗ろうとするのにも失望した。
■ 選挙になっても、おそらく過去最低の投票率になるだろう。市民の間でうわさにもならない選挙で、自民党、公明党の県議たちが胸をなでおろす姿が目に浮かぶ。期待も、希望も持てない山口県にさせないために県議たちが何ができるか真しに考え、行動しないと、次の県議選の投票率も過去最低になるだろう。年間2千万円近い税金を使う県会議員を、市民は冷ややかに見ていることを忘れないことだ。そもそも一人ぐらい、県議の中から知事選にチャレンジしようとする人が出てこないところに、県議たちの心意気のなさが見えてくる。それにしても、またしても政権政党である民主党の存在感がなくなった。(中島 進)

現役世代の代弁者を求む! 〜計画に若者世代の意見を取り入れよ〜(3月22日掲載)
■ 地方議員がある種、利益集団の代表であることは仕方ない。分捕り合戦の大将でもある。一方、地域全体、住民全体の利益を守る存在でもある。そこらが難しいところだ。自分の出身地域に大きな無駄な箱物を作る計画があったら、それが無駄なものとわかっていてもむげに反対ができない。そのバランスが微妙なところだ。周南市では合併の条件とはいえ、熊毛、鹿野と立派な施設ができた。今度は旧新南陽に30億円をはるかに超えた、素晴らしく立派な箱物が誕生する。そこまでお金をなぜかけるのかと思うが、地域の人で反対する人はいない。
■ お年寄りのための集会所になんでそこまでお金をかけるのか、と書いたら、我が社の記者から子育て支援の部屋もあると指摘され、書き直したが、実際、各地の立派な施設がどんな利用がされているか検証する必要はあるだろう。各地に公民館がある。何が不自由で、何が地域を元気にさせるか、限られた財源でもう少し知恵を出し合うべきだろう。
■ はっきり言って若者のための施設がない。30数億円かけるなら一部屋ぐらい若者が自由に使える録音スタジオぐらいあってもいいだろう。フットサルが若者の中では大流行だ。ゲートボールなどお年寄りが楽しめる施設は多いが、若者のための施設は少ない。フットサルは若者たちが自前で作った。公民館などに若者が寄りつかない原因は何か。少しは考察ぐらいしてもいいだろう。
■ 地方自治体の多くが若者たちのことを最後に回してきた。高齢者が元気な街が理想だと言い切る議員や首長が続出して、地方はますます元気を失ってきた。周南市の市街地では保育園にも入れないで若者が働こうにも働けない状況でも、何十億円もかけた箱物ができている。
■ 若手の市議会議員にいちゃもんをよくつけるが、若者の声を代弁できるのは若手議員しかいない。施設を作るのに、若い人たちを計画段階から取り込むためにどう動くか。市井で活動している若者たちに、どんな施設にするかと問うて見たらよい。お役人は言う「どんな方でも施設は利用できますよ。年齢制限なんてありません」。じゃあ聞こう、バンドの練習に使うがよろしいか?よさこいの練習に使うが、いつでもよろしいか?フットサルの試合はできますか?
■ 市議会議員選挙が近くなった。若手候補の公約に注目したい。「明るい元気な地域づくり」「人に優しい地域を」こんな公約を並べていては将来はない。具体的に何をしたいのか、どんな地域にしたいのか、中身のある公約を期待したいものだ。高齢者向けの施策は高齢の議員に任せておけばいい。若者たち、とりわけ働く現役世代の代表として物申す議員の登場を心から願う。(中島 進)

浸水始まった木村丸 〜最初の予算案に独自色なし〜(3月16日掲載)
■ 周南市で“木村丸”が出航して1年が経とうとしている。最初の予算編成が発表された。この一年、批判らしいものは控え、動きをじっと見てきた。素人の木村市長の手腕は未知数だったから、どんな成果を期待できるかわからなかった。1年経過して、その良いところ、足りないところが浮き彫りになってきた。果たしてこの木村丸はどこへ行くのだろうか。
■ 行政のトップははっきり言って話がちゃんとできれば誰でもできる。問題は住民相手に反対を押し切ってでもすること。今までにはないアイデアで行政を動かすこと。一番は職員がその力を十二分に発揮できるようにすることだ。職員に任せていたら可もなく不可もなく、それはそれで行政は動く。施設を作るのは誰にでもできる。問題は、トップに職員が「それは無理でしょう」と抵抗しても、強引にやらせる力量があるかどうかだ。決断することだ。
■ 木村丸はどうだろうか。今回の本格的な予算案にこれといった個性がある施策はなかった。いずれもお役人が考え出しそうな案だけで、庁内の抵抗をはねのけて、これだけはなんとしてもというプランはなかった。質疑も低調に終わった。「職員全員のスキルアップをはかり」「市民全体と一緒になって」「もやいを大切に」と抽象的な答弁に終始して、具体的なプランは正直見あたらなかった。
■ 職員のスキルアップは、単に何人か勉強に派遣に出したぐらいで上がるものではない。「適材適所で」と言うが、誰がそれを決め、誰が選考するのか。具体的なプランを持ち合わせていないのが答弁でわかるから、議員諸氏も白けきっていた。せめて係長クラス以上からは、全員に何をしたいのか、何ができるのか、何が市民サービスかなど、レポートぐらいは提出させ、過去の実績を報告させるべきだろう。それからだ、適材適所は。正直、今、庁内で市長が怖いと思っている職員は何人いるのだろうか。明るい庁内になったが、緊張感が激減した。具体的な評価システムを早急に構築すべきだろう。
■ 「選択と集中」「自助・共助・公助」と評論家が言うような言葉が続く。何を選択したのか、どんな周南市にしたいのかがわからない。元気な若者を創り出す周南市なのか、従来の行政の流れのどこを改革しようとしているのかわからない。相変わらず箱物行政は続き、市民の中にも相当いらだちが目立ってきた。たとえばコミュニティースクールはどこに行くのだろうか、ここらで一度何を変えて、何を残すか、選択と集中が大切だろう。
■ 相当きついことを書いたが、私が知る限りの大方の評価を披れきした。公約がほとんど守られていないことに、市民の失望が大きいのは現実だ。民間のアイデアがほとんど皆無に近いのも気になるところだ。相変わらずブレーンがいるように見えない。すべてお役人に相談していたら、誰でもできることしかできない。木村丸だからできることを早く見つけよう。船の浸水は始まっている。(中島 進)

誰を責めるわけでもない 〜優しい日本になれるか?〜(3月14日掲載)
■ 日本中の人々が、改めて涙した一日だった。3月11日は生涯忘れられない記憶で、心の底に溜まったままになるだろう。数日前からNHKをはじめ、ほとんどのテレビは震災一色だった。繰り返し、繰り返し流される津波の映像、家族を失い、ぼう然とたたずむ人々、胸がきりきり痛むので、途中でチャンネルを変えたり、また戻したりの毎日だった。
■ 一年前のあの日は、皮肉にも周南市の防災行政無線工事に関する委員会があって、2時46分は市役所で傍聴していた。委員会が終了して届いているメールを見て、あわててカーラジオのスイッチを入れた。津波が襲うその時だった。
■ 福島原発事故は致命的なショックを国民に与えた。地震、津波、放射能とまるで三重苦を東北の人々に押しつけた。人間の非力、愚かさなど多くのものを私たちの前に突きつけた。一体私たちはどう総括すればよいのか。誰も正確な総括などできはしまい。
■ 断片的に取り上げればきりがない。日ごろの避難誘導の未熟さ。救助体制の不備。縦割り行政の弊害。安全神話の作りごと。何もかも今さら言っても死者は帰ってこない。最近は菅前総理大臣の暴走を責めるマスコミだらけだ。自分たちが原発について、政府発表しか報道しなかった責任なんかそっちのけだ。いいだろう、菅前総理だけを悪者にしておけば万事納まるのなら。
■ こんな時に誰が悪かったかという議論より、今どうしたら、肉親を失った国民を、家や仕事を失った人々を救えるかを議論すべきだろう。はっきり言って、自然災害は仕方ない。最高40メートルの津波なんか誰も想像できなかった。自然の脅威に勝てると思うのは人間のおごりだろう。
■ 阪神淡路大震災も雲仙普賢岳の火砕流もそうだった。はなから勝てっこないのだ。ひたすら逃げる以外、打つ手はない。しかし原発事故だけは人間が作り出した脅威だ。ミサイル攻撃にも十分耐える、と豪語していたし、それを政治家もマスコミも信じて報道していた。原発事故だけは、半分人間の仕業だ。
■ 今回、日本中の若者も変わった。ヤンキー姿のお兄さんが募金箱にお金を入れている姿は日本中で見えた。500円でラーメンを食べようとした高校生が、200円を募金箱に入れてパンをかじっている姿もそこらじゅうに見えた。日本中が被災者に寄り添う姿を見せた。彼ら彼女らは、誰が悪いどうのこうの言うことはない。節電にも素直に協力した。この優しさを、政治家、官僚、マスコミが共有できたら日本はもっと素晴らしい国になるとわかった。(中島 進)

「超難問 歴代総理 列記せよ」〜サラリーマン川柳に見る世相〜(3月8日掲載)
■ 川柳は江戸時代の前句師・柄井川柳が選んだ句から選出した「誹風柳多留」の刊行から盛んになったためこう呼ばれるようになったとされるが、世俗的で批判的になりすぎるなどの理由で取り締まりの対象になったこともある。庶民の素直な心情を吐露する表現として欠かせないが、今年も時代が微妙に現れてサラリーマンたちの生き様がわかるサラリーマン川柳が発表された。
■ 今年の百選はさすがに震災色が濃く、政治の混乱もネタになった。震災は川柳にしにくいかと思ったが、なかなかのものだ。「震災で 人と人との 絆増す」(地球大好き)はそのまんまだが「頼んでも “こだまでしょうか”と かわす妻」(昔なでしこ)、「おーい飯! こだまでしょうか おーい飯!」(夫婦共働き)など震災ネタの使い方がうまい。節電がらみも多い。「妻がした 計画停電 オレの部屋」(絶望的)、「節電で 早く帰ると なげく妻」(クールファミリー)あくまで我慢を強いられるお父さんたちだ。
■ 政治への皮肉は痛烈だ。「超難問 歴代総理 列記せよ」(ちょびっと)、「想定外 言い訳するとき よく使う」(読み人しられたがらず)。流行を常にテーマにするのもサラリーマン川柳だ。「スマートフォン 妻と同じで 操れず」(妻ーとフォン)。もちろんKポップもネタになる。「KARAブーム おれの財布も からブーム」(トミボン)、「少女時代 唄ってはしゃぐ 熟女時代」(フリー)など秀作が多い。
■ 時代を映す鏡にもなるサラリーマン川柳だが、11年前の1位は「ドットコム どこが混むのと 聞く上司」(ネット不安)、ネット急上昇の様子がよくわかる。21年前だと「ボディコンを 無理して着たら ボンレスハム」(となりのトトロ)などまだのどかな時代を思い出す。
■ 第一生命主催のこのサラリーマン川柳が人気なのは、ごく普通の生活に面白さを凝縮させているからだろう。綾小路きみまろが大ヒットしたのもいわば川柳だからだ。「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」も13年前の作品だった。時代の流れを織り込みながら、哀しくも楽しい人生を人に伝える日本の伝統文化だ。今流行のツイッターとはわけが違う。こんなことを書くと時代に取り残されるのか。「立ち上がり 目的忘れ また座る」そんな自分になった。(中島 進)

外国から賞賛された日本人 〜あれから1年〜(3月2日掲載)
■ 11日で東日本大震災から1年になる。いまだに30万人を超える人が避難生活を送っている。ある小学校では数100人の児童が散り散りになり、わずか数人での卒業式を迎える。父を失い、母を失った子どもたちも卒業式を迎える。知らない土地に引っ越して暮らす子は何万人いるだろうか。震災の傷跡は消えるどころか、ますます広がっている。福島産の農作物、肉などなど1年前の1割とか、2割しか売れないという。
■ 原発事故の被害は悲惨だ。政府は淡い希望を持たせるようなことばかり言うが、実際、故郷に帰れる可能性はあるのか。ないなら、はっきり20km圏内は封鎖して、放射能に汚染されたガレキはそこで処理する以外ないだろう。故郷を捨てるのは、自分の過去を抹消するようなものだ。被災していない私たちには本当には理解できない苦しみや悲しみがあるだろう。震災は今も続いている。
■ 一方、外国から賞賛された日本人だった。フランスの記者は、飢えと寒さに震える子どもにポケットの1本のバナナを差し出した。飛びついて口にすると思っていたら、その子は、その1本のバナナを避難所の食料集配所に持って行った。電気も暖房もない小さな避難所に取材に行った記者に、5、6歳の女の子が「寒いからお茶をどうぞ」と、1杯のお茶を持ってきてくれた。多くの記者たちが、日本の子どもたちの優しさとけなげさに感動した。そんな感動話は山のように積もっている。
■ 助け合う大切さ、心の豊かさが何よりの救援物資だったこと、多くのことを震災は教えてくれた。失った物ははるかに多かったが、惨状の中で得たものも大きかった。庶民のたくましさ、優しさは世界に誇れるものだとわかった。それにひきかえ、といっては言い過ぎかも知れないが、政治家、役人の硬直ぶりに、改めて日本が官僚に支配されていることもわかった。
■ 一般庶民とのかい離がこれほどとは思わなかったが、自己保身が優先する姿勢にがく然とする。震災は震災、わが身はわが身の風潮は日本中を覆い、全国の地方自治体で豪華な箱物建設合戦は相変わらずだ。結局、消費税増税で、震災も年金もかたをつけようという算段だ。外国から賞賛された日本人は、被災地で苦しみながら生きている庶民のことだということを、私たちは改めて思い起こすことが肝要だ。政治家も官僚も褒められたわけではない。その官僚出身の一人が今度、次の県知事になる可能性が高い。(中島 進)