「創価学会・公明党批判」(1)
「創価学会・公明党批判」(1)
過去2年ほど前「創価学会・公明党批判」の記事を書いていました。処が最近「刑事被告人・小沢一郎」に没頭して余裕をなくし忘れていましたが、先日ある読者からご質問を受け再開する事に致しました。
「現在は 『刑事被告人・小沢一郎』の追及で忙しいと思いますがもう反公明党・創価学会キヤンペ−ンはやらないのでしょうか」とのお言葉を切っ掛けに筆を執る事に致しました。ご支援をお願い致します。
その前に、ある卑怯者から、あらぬ誹謗を受け「爺が創価学会員」だと指摘されました。「2年前までは痛烈な批判記事を書いていたのに「大阪維新の会支持」を機会に批判を止めるのはおかしい」と。
『親の敵を簡単に受け入れられますか?』と表題する記事には呆れ果てました。爺の母親は、強引に学会に折伏され仏壇を破壊して、亡き父の位牌も廃棄しました。今も多摩の学会霊園に眠っています。
当時の「学会の折伏運動」をご存知の方は判りますが、傍若無人に他人の家に侵入し創価学会への入信を強要する強引な運動を行い。世論の激しい批判を浴びて、現在では行われていません。
勿論、爺も、母の入信を期に、苛烈な「折伏行為」を受けました。連日押し掛ける狂信者たちに囲まれ、悪戦苦闘しました。富士宮の「大石寺(日蓮正宗本山)まで、強引に連行されたことまでありました。
母からは泣いて入信を懇願されましたが、学会員の狂信的信仰心に恐れを成し、最後まで拒否し、固辞することが出来ました。母からは何度も「親不孝者!」と詰られました。その言葉に涙したものです。
一昨年亡くなった爺の長兄も、苦闘の末、脱会することが出来ました。今年の3回忌も、伊勢のお寺(浄土真宗)で、無事、私の手で行うことが出来ました。父・母・兄の遺骨も菩提寺の墓に眠っています。
母が90歳で亡くなるまで「創価学会」との闘いは続きました。遺骨は母の意思を尊重して分骨し、多磨霊園の学会墓地に収められています。過去の恩讐を超えて、春・秋には墓参に行く事にしています。
今になって思えば「創価学会」を親の仇とは思っていません。信仰は自由な本人の意思です。確かに迷惑はかけられましたが、親であり子である限り、正直、仏となった母親を、今も尊敬しております。
今日は「創価学会」との過去の関わりを、ご説明いたしました。ご理解いただけたか判りませんが、真実であることを誓います。明日からは「創価学会・公明党批判」を展開したいと思います。 熱海の爺
追伸・ country-gentleman氏の偽者。過去〜未来氏よ、貴方が何を喚こうが、何ら痛痒を感じません。真実は誰の目にも明らかです。
明日から正々堂々「創価学会・公明党批判」を再開します。 |