元東電社長を激しく叱責した元首相、菅直人氏だが、彼が事故当時
東電本店に乗り込んだこと、また、現地に視察ヘリを飛ばした経緯
は事実であったことが判明した。
リンクより
★以下転載
松田光世さんの告発を聴いたのは、今月9日。
「69の会リンク」3次会での出来事だった。
(「69の会」に参加した日記はこちらリンク)
「松田光世さん」とは、3.11に首相だった菅さんの政策秘書。
松田さんは1年の時を経て、事実を告発しようと「69の会」に参加していたのだが、とうとう話す機会がなく、2次会へ。
そこで松田さんの話を聴いた小澤さんが、私たちに教えてくれ、あまりの衝撃に卒倒した。
アーカイブをご覧下さい。
00:13:00〜
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00:04:10〜
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一部、書き出します(00:22:33〜)
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130〜150秒のところでほとんどのメーターが切れてるんですね。
「プログラムのせい、と東京電力が言ってるからそれを信じます」と保安員は言っているが、プログラムの故障なら、あらゆるところが同じように止まらないといけない。
同じプログラムを使っていたはずなのに5号炉、6号炉は最後まで動いてる。
地震の瞬間、地盤沈下し、大きなガルがかかって(地震計は)壊れた。
だいたい1000ガルしか計れない地震計だったから、2000ガルという力がかかれば壊れるはず。
(女川では実際、同じ地震で2000ガル以上計測している)
女川は均等に沈下したが、(福島の)報告書を見ると平均56cm沈下したと。
福島は女川と違ってここはデコボコに沈下してる。
保安員幹部が(向こうから喋りだして)「4号炉は北側よりも南側の方が80cm沈んでます」と。
「不等沈下だね?」と聴くと、「はい、そうです」と。
同じ建物で80cm沈下が違うと、当然傾くわけです。
しかし、最初は認めていたのに、国会でそれを質問するとなったら「いや、傾いてません」と言い出した。
(実際、国会で答弁があったが、それを認めなかった。議事録にも残ってる)
4号炉が傾いてるのも認めないし、「3号炉、どう見ても核爆発ですよね」と言っても認めない。
動画(リンク)
建物だけじゃなくて、建物が乗ってる地盤が傾いてるから「建物『は』傾いてない。地盤に対してはまっすぐ建ってる」と。
「3号炉の爆発」については一つしか映してない。
日テレが撮って「3/14の昼のニュース」で流して、以後、封印された。
この事故が起きた時、日テレの社会部の総合デスクに「原子力を分かってる人」がいて爆発する可能性があるからと、40キロ地点に定点カメラを設置した。
結果、14日の11時に3号炉の爆発を撮ることができた。
それは明かに3/12に起きた1号炉の水素爆発とは違う「真っ黒な煙」(縦方向にドーンと)だった。
我々は昼のニュースの映像で見てたから「これはマズイ」ということで14日の午後4時から民主党の対策本部が(初めて)開かれた。
その時に、某議員が私を呼んで「ちょっとヤバい。こんな情報(佐賀大学の上原さんの情報)が来てるけどどうするか?」と相談された。
「第一原発と第二原発も同じような状況になってますから、燃料棒を全部足すと半径300キロは危険」という話が飛び出した。
300キロだと東京も入る。
その議員は娘に「西に逃げろ」と言ったら「『お父さんがいるんだから逃げない』と言われてどうしようか」と言っていた。
「その情報を総理と共有しよう」と話した。
菅さんに話すと「そんな話は聴いてない」と。
専門家が正確な情報を知らせた。
「1〜3号炉の炉の中に入ってる燃料棒の数(プールに入ってるものや、4〜6号炉の数は入ってない)」の事実を初めて知った菅さんは激怒。
「何で正確な情報をあげないんだ!そんなんじゃ20キロ退避じゃダメじゃないか!40キロか、もっとじゃなきゃダメだ」
と言ったが、保安員は「それは無理です」と。
30キロを避難区域にすると面積が8倍になるから、避難に時間がかかるのと、東北自動車道が待避区域にかかってしまう。
東北まで物資を運ばないと凍えてみんな死にそうな状況だったから、物資の輸送ができなくなる。
やむをえず30キロの自宅待避になった。
00:35:35〜
リンク
3号炉はどう見ても核爆発です。
広島、長崎に続いて、3つ目の核爆発を福島で起こしてしまったことを真面目に向き合わないと。
今東京で起きてるホットスポットの問題は、3号炉の爆発の影響がかなり大きい。
3月14日、18時14分(くらい)に事務所に入って来た情報では「白煙」と書いてあって、今でもずっと「白煙」と言われている。
あの(黒煙の)映像はなかったことになってる。
日テレ内部の情報によると、あの映像を撮影した人は(正力松太郎が作った日テレですから)「あの映像はもう映すな」と言われ、担当者は左遷された。
★転載終わり
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ここで事実として、情報として極めて重要だと思ったのは、
『30キロを避難区域にすると面積が8倍になるから、避難に時間が
かかるのと、東北自動車道が待避区域にかかってしまう。
東北まで物資を運ばないと凍えてみんな死にそうな状況だったから、
物資の輸送ができなくなる。やむをえず30キロの自宅待避になった。』
…という部分。
私も、「そんな狭い範囲でいいわけが無いだろ!」と激怒をした
人間の一人ですが、福島原子炉災害は、東北大震災とセットだった
という視点が決定的に抜け落ちていました。
当時の国家非常事態に全面的に曝される羽目になった菅政権は、
その代表である菅氏は、少なくとも最良の手段を真剣に検討して
いたし、東京電力本店に乗り込んで、代表を強く叱責すること
までした。
こうした経緯に、情報隠蔽が折り重なった複合的な悪条件が、
事故の被害を大きくしてしまった。あの当時私は「国家非常事態
宣言を発動させ、全ての情報、自衛隊を政府統括下に一元化
させろ!」と吼えたのですけどね?特に、メディアには厳しい
規制(一時的な放送電波の接収など)が必要だったのかもしれない…
その後の菅バッシングの大合唱!
飯山一郎さんまで一緒になって…アンタ何やってんの?!
震災と原発をネタに政権批判論調が多いです。Internetはマスコミ
憎し!の感情の捌け口になっている側面は否めないけれども、
こういう感じ方が国をボロボロにしていきかねない。
そんな深い反省が沸き起こる記事です。
翻って1年後の現在…
「汚染被曝と復旧の遅れ」が同時進行なのも、頷けます。 |
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