週刊現代経済の死角

2012年03月19日(月) 週刊現代

独占スクープ 年金資産2000億円を食いつぶしたAIJ幹部が全部白状する!

 社長から来た一枚のファックス/ひと月で22・5%のマイナス/運用実績の数字は社長のさじ加減/開始3ヵ月で大損失/「社長を殴ってやる」と息巻く社員/誰も触れられないブラックボックス/浅川社長と女帝/社保庁OBとの深い関係ほか

 密室で、なにやらコソコソやっている---巨額の損失を出したAIJ投資顧問グループ幹部は、浅川社長らの行動に不審を抱いていた。10年にわたって続けられた「粉飾」の真相を、幹部が明かす。

いくら残っているか分からない

 2月24日の早朝、自宅に届いたばかりの日経新聞を見て、初めてそのニュースを知りました。1面トップで「AIJ投資顧問が、運用資金約2000億円の大半を消失させた」と大きく報じられていたのです。

 いったい、どういうことなのか---。しばらく呆然としていると、会社から電話があり、「8時までに会社に来るように」と指示されました。報道を受けて、顧客の皆様などに対応する必要があるということだったのでしょう。慌てて出社してみると、集まった社員は皆、困惑の表情を浮かべるばかりで、私を含め、誰も今起きている事態を正確に把握している者はいない様子でした。

 肝心の経営陣からは、浅川和彦社長と弁護士の連名で「金融庁から業務停止命令が出ました。今後の連絡は弁護士を通してください」という内容のファックスが一枚送られてきただけ。それ以上詳しいことは誰にもわかりませんでした。

 その後ようやく、上司から「まず、顧客への対応をきちんとしてくれ」と指示がありましたが、私たち営業部隊ができることは、お詫びをすることくらいです。すぐに手分けをして、その日からAIJの顧客となっている全国の年金基金の担当者に連絡をとり、直接謝罪に出向く毎日が始まりました。

 とはいえ、経営陣から具体的な情報が全く入らないため、顧客に会っても「今、金融庁で検査しています」と繰り返すほかない。当然お客様からは、「2000億円ものお金をどこにやったのか」「私たちのお金は戻ってくるのか」「ずっと騙していたんだな」といった厳しいお叱りを受けました。これだけの損を出したと報じられているのですから、それも当然でしょう。

 実は、そうした混乱の中でも、優しい言葉をかけてくれるお客様もわずかですがいらっしゃいました。

 例えば、私が担当していたある地域の年金基金の担当者は、当初こそ激高されていましたが、別れ際になると、

「俺たちだって、今回の件はお前たち現場の責任じゃないことはわかっているんだ」

 そう言ってくれました。お恥ずかしいことに、その言葉を聞いたとたん、私はその場に泣き崩れてしまいました。

 こうしたお詫び行脚は、問題の発覚から2週間以上たった今も続いていますが、やはりお客様から尋ねられるのは、「運用の実態はどうなっていたのか」ということです。

 本来であれば、私たちがお預かりしていた2000億円のうち、今はいくら残っていて、どれだけなくなったのか、きちんと説明すべきでしょう。

 しかし情けないことに、私たち営業マンが知らされていたのは投資の概要だけで、詳細についてはまるで把握していなかったのです。

 今回の件で、現場の社員たちは大きなショックを受けています。「浅川社長の顔を見たら殴ってしまうかもしれない」と吐き捨てる同僚もいるほどです。

疑いを持ったこともあった

 こう語るのは、AIJ投資顧問のグループ企業で、顧客への営業業務を受け持っていた「アイティーエム証券」の幹部社員だ。大手証券会社勤務を経て、数年前にAIJグループに入り、営業チームの一員として全国の年金基金にファンドの売り込みを行っていた。

 一般に、投資顧問会社では営業担当者と運用担当者の間に交流はほとんどありませんが、私たちの会社もそうでした。

 アイティーエム証券とAIJは同じビルの7階と8階に入居しています。旧山一證券OBが設立した会社であるアイティーエム証券は、10年ほど前、資金繰りに行き詰まった際にAIJの支援を受けたのです。それからは、アイティーエム証券は浅川社長のものになったと言っていい。以後、AIJと同じビルに本社を移し、グループ企業として活動してきました。AIJの社員は12名だけで、実質的な営業はアイティーエム証券の社員が行っていたんです。

 しかし、そうした関係にあっても、我々が上の階へ行くことは厳しく制限されており、営業マンは運用チームの部屋に入ることさえできませんでしたから、運用担当者に詳しい話を聞く機会はあまりなかった。

 私たちが知らされていたAIJの方針は、

「株価を取り引きする〝日経225オプション取引〟などのデリバティブ(金融派生商品)を中心に運用し、株価が上がった場合と下がった場合の両方に備えてリスクヘッジしているので、大儲けがない代わりに、大損もしない」

 ということでした。顧客にもそう説明していました。

 あれほど高い利回りに疑問を持たなかったのか、というご指摘もあるでしょうが、実は、運用が厳しくなっているのではないかと疑問を抱いた局面は、これまでに何度かありました。

 AIJには、3種類のファンドがありました。最も古いものは'02年に運用を開始した『エイム・ミレニアム・ファンド』。これは日経225の指数オプションと国債の先物で運用するタイプで、募集枠は500億円。3年くらいで枠が埋まったと記憶しています。

 一方、新しいものでは、'07年末に募集を始めた『グローバル・ミレニアム・ファンド』があり、これまでの累積で35%以上の収益率をあげているということになっていた。

 このふたつのファンドに関しては順調に運用成績を上げていると思ったのですが、'05年末から募集を始めた『ミレニアム・ストラテジー・ファンド』には頭を抱えました。

 このファンドは、運用を開始してわずか3ヵ月か4ヵ月目あたりで実に22・5%ものマイナスを出してしまったのです。「これではファンドが立ちゆかないのではないか」と危惧したのですが、運用担当者は、「リスクヘッジが甘かったからだ。これからは固い運用にする」と落ち着き払っていた。その後は堅調に推移し、数字の上では、トータルでプラスになったとされていました。

数字に手を加える

 昨年3月11日の震災の際も、「これは相当、損をしただろう」と心配しました。あの状況では、まともな取引が成立しないだろうと思ったからです。

 ところが案に相違して、AIJの運用チームからは先物やオプションについて「その日のうちにポジションを解消できた」という報告がありました。しかも、月末に向かって様々な運用をした結果、3月全体で見ると、わずかながらもプラスだという。

 当時の私は疑いもせず、「先物やオプションは流動性が高いから、こういう非常時には有効なのだ。現物取引だったら、こうはうまくいかなかっただろうな」などと納得していました。

 しかし、今となっては、これらもすべてデタラメな数字だったのでしょう。

 浅川社長がいつから、どのような方法で数字を粉飾したのかは判然としません。

 ただ、資金の流れを考えると、浅川社長が数字に手を加える余地があったのは事実です。

 顧客から預かった資金の流れはこうです。

 まず、AIJと契約した各年金基金は信託銀行に「特金口座」を作り、資金を預けます。預けられた資金は続けてアイティーエム証券の口座に振り込まれますが、これは原則としてその日のうちに香港の投資銀行に送金され、以降はこの投資銀行が資金の出し入れを管理します。

 そして月々の運用実績については、投資銀行から、浅川社長が代表を務める『エイム・インベストメント・アドバイザーズ』というファンド管理会社に報告があります。

 浅川社長は報告された数字に目を通した後、自らのサインを入れた運用報告書をアイティーエム証券や各信託銀行に送り、そこからさらに各年金基金に報告が行くという仕組みでした。つまり、実際の収益率を把握しているのは浅川社長一人だけ。運用実績については、完全にブラックボックスになっていたのです。

 恐らく浅川社長は、香港の投資銀行から上がってきた本当の数字を見たうえで「これではまずい。今月は何%プラスにしろ」などと側近に指示し、虚偽の運用報告書を作っていたのではないでしょうか。言ってみれば、浅川社長のさじ加減で運用実績が決まっていたのだと思います。

 そうした数字の改竄について、AIJ取締役で野村證券元常務の松木新平さんも知っていたのではないかという報道もありますが、私は違うと思う。

 確かに、松木さんも運用チームに在籍していましたが、2年ほど前から体調を崩していたことを考えると、彼が関与することは無理だったはずです。

 では、粉飾の実態は浅川社長以外の誰に知らされていたのか。これまでの報道によると、浅川社長は証券取引等監視委員会の調査に対し、自身のほか「女性役員と運用報告書の作成責任者の二人だけが虚偽の実態を知っていた」と話しているといいます。

 ここで出てくる女性役員とは、Tさんのことです。国内の大手証券会社出身で、浅川社長と同じ外資系証券に勤めていた当時から彼の秘書兼経理係のような存在だったと聞いています。浅川社長が飲みに行くと、請求書は彼女のところに回っていたといいますから、一種の金庫番のような存在だったのではないでしょうか。

 浅川社長の愛人ではないかなどと勘ぐる向きもあるようですが、それはないと思います。どちらかといえば地味なタイプで、年齢は50歳過ぎ。会社の食事会にも全く顔を見せず、どんな仕事を担当していたのかわからない、謎めいた存在でした。

 また、浅川社長の言う「運用報告書の作成責任者」についても、社員のうち誰が該当するのか、見当もつかないというのが正直なところです。

 ひとつ言えるのは、AIJは「浅川商店」、浅川社長のワンマン会社だったということです。

 実際、浅川社長は現場でも陣頭指揮を執っていました。例えば、顧客へのプレゼンは、アイティーエム証券の西村秀昭社長と私たちアイティーエムの現場営業マン、そして浅川社長の3人で行くのですが、金融商品の内容を説明をするときはほとんど浅川社長がひとりで話していました。

 浅川社長は良く言えば気さくな人柄で、年金基金の理事たちにも可愛がられていた。雑誌では銀座で豪遊し、不動産投資に精を出していたと書かれていますが、確かに調子のいい一面はあります。銀座にも行きつけの料理屋があったようです。

 彼はファンド運用の仕組みにも精通していました。運用には素人だという憶測もあるが、そんなことはない。野村證券在籍時こそ営業一筋だったようですが、AIJ立ち上げに際して相当勉強したようで、私たち営業マンではとても太刀打ちできないくらい金融商品に詳しかった。

自転車操業だった

 AIJがここまで顧客を増やした背景には、AIJとコンサルティング契約を結んでいた旧社会保険庁OBの石山勲さんの存在もあります。

 石山さんは役所を退職した後、都内の年金基金に天下りし、その時代にオルタナティブ投資(株や債券など従来型の投資ではなく、未公開株式やヘッジファンド、不動産などへの投資)を猛勉強したと聞いています。

 そして、実はAIJが初めて契約した年金基金は、石山さんが理事を務めていた東日本文具販売厚生年金基金だったそうです。もっとも、同基金は'03年頃にAIJと契約したものの、別の投資で損をしたらしく、穴埋めのため、しばらくすると解約したそうですが。

 石山さんがコンサルタント会社を立ち上げる際は浅川社長が資金援助していますから、公私に渡って関係が深かったのは間違いない。いずれにせよ、浅川社長が全国の年金基金に食い込んだのは、石山さんの存在が大きかったのは事実でしょう。

 浅川社長がなぜ運用成績を改竄したのか、その心中は計りかねます。ただ、運用自体は行われていたと信じたい。アイティーエム証券が預かった資金は香港の投資銀行経由ですぐに投資に使われていましたから、資金そのものを勝手に流用するなどということは、浅川社長といえどもできないはずなんです・・・・・・。恐らくここ数年は、集めたカネを全て投資失敗の穴埋めに使う自転車操業が続いていたのではないでしょうか。

 今まで長期にわたって虚偽報告に気づくこともなく、お客様にファンドを勧めてきた私たちにも、重い責任があります。今は本当に、お詫びの気持ちしかありません。

 浅川社長の現在の消息は、私たちにも伝えられていません。2月24日の8時15分の時点で金融庁に呼ばれたということは知っていますが、それ以降は会社にも姿を見せず、住んでいた六本木の高級マンションもすでに引き払ったといいます。証券取引等監視委員会の調査に応じる以外は、メディアの目を逃れてどこかに隠れているようです。

 しかるべきタイミングで、事件の詳細を語ってくれることを願っています。

「週刊現代」2012年3月24日号より