少年の故郷は慶尚北道の店村よりもさらに奥にある田舎だった。彼が中学生になり店村に出て一人暮らしをしていたある冬の日だった。母親が膝まで埋まる雪道を歩いて、米やイヌヤフシソウ(山菜の一種)のキムチ、切り干し大根のキムチなどをたくさん抱えて一人暮らしの部屋を訪れた。息子を見て最初に言った一言が(方言で)「食事を抜いてはいけないよ。とにかく食事の時間にきちんと食べなさい」だった。少年は母親がまた小言を言っていると思い、嫌だったという。
少年が大人になり、家庭を持つようになった後、母親が息子の誕生日に訪れたことがあった。母親を見送り戻ると、部屋に白い封筒が一つ置いてあった。中には10万ウォン(約7300円)と「食事を抜かずに元気に暮らしなさい。母」と方言で書かれた手紙が入っていた。これは、2カ月前の『月刊エッセー』にある読者が寄せた、亡くなった母親を思い出しながら書いた文章だ。この中で、方言で書かれた「食事を抜いてはいけないよ」という言葉を標準語に変えたら、田舎で暮らす母親の息子への愛がこれほど切実に伝わるだろうか。方言には故郷の土の匂いと共に、その土地で数千年もの間、地に足を付けて暮らしてきた母親たちの匂いが染み込んでいる。
方言は、世の中で自分が使っている言葉だけが正しいわけではないということに気付かせてくれる。他の地方で「コグマ(さつまいも)」というものを、湖南地方(全羅南道・北道)では「カムジャ(標準語ではジャガイモを表す)」と呼ぶ。秋に赤く咲く「メンドラミ(ケイトウ)」は、大邱近郊では春に咲くタンポポを表す言葉として使われる。「プチュ(ニラ)」は、地方によって「プンチュ、ソル、ジョル、ソブル、ソプル、チョングジ」など50種類以上の言い方がある。
中国湖南省出身の毛沢東中華人民共和国初代主席が1949年に天安門で「中華人民共和国建国を宣言する」と述べた時、群衆の中でこの言葉を理解できた人は少なかったという。広大な国土を持つ中国は建国後、方言をなくそうと大変な努力を重ねてきた。しかし最近、上海市や厦門市は、小中学校の正規の教科課程でその地方の言葉を教えることを決めた。方言はそれ自体に特殊な文化的価値がある。両市は、方言を中心とした郷土文化が発展してこそ国の文化も発展できるということに気が付いた。おととし、広東省ではテレビニュースを標準語に変えようという動きに対し、広東語を守ろうとするデモが起こったこともあった。
ソウル・江南のスピーチ教室では、地方出身の就職希望者の方言を矯正する講座が人気を集めているという。商魂たくましいスピーチ教室も教室だが、それよりも、いったい誰が彼らに「方言を矯正しなければ就職できない」と思い込ませたのだろうか。現在、売り上げトップ100の企業の最高経営責任者(CEO) のうち、方言を使用する地方出身者は半数以上を占める。若者たちの就職難の責任が、どういうわけか方言に転嫁されているように思えてならない。