2011-03-25
お見舞い
たくさんの人が亡くなって、街がまるごと流されてしまって、名簿もなくなって、誰がいなくなったすらわからない状況に、悲しみと戸惑いと不安とやりきれなさを感じます。
無力感でばらばらになりそうです。
被災した方、知っている人や、親戚を、失った方、それ以外にも、つらい思いをされた方、すべてにお見舞い申し上げます。
東北はまだ寒いでしょう。
寒くて、食べ物がなくて、思い出のものを失って、大切なものをなくして、家に帰れないのは、とてもつらいことです。
それでも生きていくのは大変なことです。
きっと何年も何年も復興にはかかるでしょう。
わたしは、自分にできるだけのことをしたいと思います。
要領の悪い人間の作業の進め方
わたしは、要領が悪い。
もたもたしている。
なにかするまえに、いちいち「これはいやだ」「これはやりたくない」「なぜやりたくないのか」「いかにやりたくないのか」「どうしたらやりたいきもちになるのか」「どのように手順を組めば効率が悪いのか」考えている。
そして、その間、何も行動していない。気持ちだけが疲れる。
人間関係も要領が悪い。
わたしは、人との距離があまりわからない。
なので、大勢の人間と同時に会話するのが苦手だ。
空気が読めない、というやつだ。この言葉を本当に憎んでいる。
わたしには理解できない理由で「だからだめなんだ」といわれる。人との中心になるような人は、わたしのような人間が理解しづらいらしい。
わたしは、ひとりで食べた方が、落ち着いてご飯食べられる。ひとと食べるなら、二人くらいがちょうど良い。みんあとわいわい食べるなら、会話が困らない、鍋料理なんかが良い。
一人ひとりのつきあいなら、その人がわたしの出した話題について「重いと思っているのか」「楽しいと思っているのか」表情を見てわかることができるし、直接聞くこともできるので、好きだ。
大勢だと、いきなり「今の私の話題は適切でしたか」とおろおろ聞いても、逆に変に思われてしまう。
だから、要領が悪い人間が生きるには、自分の限界を把握して、自分のペースで、淡々と行動するのがよいと思う。
やりたくないことをそれについて深く考えるのを止める技術を磨いて、嫌いなことこそ、考えずに行動して、優先順位とか、効率とか考えずに、愚直にやるのが一番早いと思う。
人付き合いも、どう思われるか、好かれるためにはどうするか、考えないで、付き合える範囲の人とつきあえる範囲で付き合って、仲良くできる間は仲良くして、しんどくなったら、距離をとって、ちょうど良い距離まで離れるのがよいと思う。自分が居心地よく過ごせることを、第一に考えて、利害だとか、効率だとか、確執だとか、人間関係のもろもろのことに、あまり関わらずに、自分のできることを淡々と全うして、少しずつ結果を出していくのがよいと思う。
要領の悪い人は容量もあまりないので、抱え込まないほうが良い。
つねに少しずつ出力し少しずつ入力するのがよいと思う。
嫌なことは、最初のワンステップだけ、開いた隙間にやる。
そのときに、もうちょっとやる、とかしない。
本当にに、ワンステップだけやる、ってのをやると、次に手を出すのがすごく楽になる。
ワンステップ以上はしない。そこで、欲をかくと、「自分で自分を騙すことになる」ので、次から、ワンステップやるっていっても、結局、どうせ、やり始めたら全部やり終えるまでやるんだから、最初のワンステップをやるのは全部やることを決意するのと同じこと、と思ってしまう。自分に対する信頼を築くために、ワンステップでとどめておく、というのは、とても大切なことだと思う。自分に対する嘘は、ついてはいけない。自分を信用するには時間がかかる。
自分を信用しないと、動けない。信用すれば動ける。信用するためには事実を積み上げることが必要。
嫌なことをやって、ワンステップだけ終わらせたあと、作業をする意欲が高まったり、調子が出てきたら、そのワンステップをやった仕事と違うことをすると、調子よくはかどる。
なぜ、ワンステップにこだわるかというと、台車などで、重い荷物を運ぶとき、一番力が必要になるのは、最初に動き出すとき、と似ている理由だ。摩擦があって、車輪と、床との抵抗がある。一度動き出せば、車輪は慣性の力でからからと回る。
嫌な作業が嫌なのは、嫌だというイメージがあるからだ。そして、その嫌だというイメージに対して、考えてしまう時間が長いと、体力を消耗し、精神も消耗してしまう。
だから、嫌だと思っても、ちょっとワンステップだけさいしょのとっかりを手をつけると、そのことで、そのワンステップ分だけ、減った嫌な作業、という風に、嫌な作業に対する嫌さが、具体的に嫌だというイメージを軽減することができるので、自分の中の作業に対するイメージを変容させることが、できる。
やってみると案外嫌じゃなかった、という経験が誰にでもあると思う。
けれど、やってみないと、案外嫌じゃなかった、といえないので、ちょっとやってみて、どのくらい、実際に嫌な作業なのか、経験して、把握しておくことで、「嫌」に対する恐ろしさや身構える気持ちを減らすことができる。
少しずつ結果を出して積み上げていけば、誠実さを評価してくれる人がでてくる。そういう人と仲良くすることを選択すると、要領の悪さが、軽減されるし、そういう人は、要領の悪い人の良い部分を見て、悪い部分をサポートしてくれるので、結果的に補えることになると思う。
シューカツデモにコミットしたわけ
私はデモに参加し、コミットし続けたのは、女性の就労問題に対する義憤からだった。
私の就職活動は13ヶ月に及んだ。その間、不愉快なことも、心が張り裂けるようなつらいことも何度もあり、就職戦線の本質的な問題について考える事になった。
男女雇用均等法以降の、この時代になっていても、法律は機能していない。
男性のための職業に間違って応募すると、性別を理由に、そして、それを明示せずに、落とすことができる。
結果の不均衡さは、「応募してくる人が不均衡だったから」と説明される。
私はそれがつらかった。
また、学生時代のうち内定が取れるまで走らされる仕組みも、社会的に損失が大きいと思った。
就職できない人が増えれば、今後の日本は、立ち行かないとも思った。
また、学生の就職の仕方が、いびつで、リクルート、毎日コミュニケーションという利益を追求する企業に頼り、その結果、精神を病んでいく姿を何度も見たし、私自身も、この二大企業が、企業であることを忘れて、唯々諾々と従ったゆえに、就職に苦戦した、という苦い経緯がある。
この二つの求人広告サイトは、リコマンド機能を使って、学生と企業をマッチングすることが、可能である。
それは一見いいことだが、結果的に、企業と学生を視野狭窄にしているし、ジョブマッチングを阻害している。
企業にはその企業なりの、学生を採用する基準があると思うのだが、それを求人広告サイトに丸投げすることによって、その企業の体質や歴史にあった人材を面接に呼ぶことができなくなっている。
最大公約数としての「明るく、コミュニケーション能力の高い」というなんとも曖昧な基準の学生を大量に呼び、そして、学生の質が低いと嘆く状況が続いている。
学生たちも、自分たちには選択肢があると、錯覚し、「やりたい仕事に就く」という、地に足がつかない、ふわふわとした、なんとも曖昧な夢を見て、玉砕し続ける。
テスト、練習と称して、SPI、性格診断テストの結果を、リクルート社も、毎日コミュニケーション社も有しており、性別、学歴、年齢、性格の傾向、ありとあらゆるフィルターを通して、企業にその情報を提供することが、彼らにはできる。
そして、そのことは学生には、知らされない。また、企業も、リクルート社等が、どのようなアルゴリズムでフィルターを作っているのか知るすべはないので、本当に、その企業が望んでいる学生を、リクルート社等から紹介されているとは限らない、という問題がある。そのことは、実際にマイナビを利用したときに感じた(樫山工業を受けたときのこと、後に詳細を記す)。
企業の人事部も含めて、現在の就職戦線がどうなっているのか、学生の生活、スケジュールがどのようになっているのか、知っているのは、大学生、当事者だけである。
私は、だからこそ、今回、声を上げることを決意した。
これは、社会的意義のあることであるからだ。
ありとあらゆるリスクを勘案しても、誰かがやらなくてはならないことだ。
私は、その決意を持って、デモに参加し、コミットし、そして、今、2011年1月29日、今日から、この文章を書き記す。
代表A氏からの返答
うたこさん
昨日の電話で、「ブログでの公開を見送り、ブログ向けに書いた文章をAに送る」と聞きました。
その文章を共有してから、また返答したいと思います。
集約した内容は以下の通りです。当初連絡先として指定していただいた、BさんとAからの文章としてお送りします。
<Bさんから>
この度は色々とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
> 例えば、Cさんと接触することを避けたい、と言っただけで、あれだけもめました。
"Cさん"という個人名を出すことは避けていただければと思います。
> このメール自体も、実行委員で、共有していなかった、ということを知って、
> ますます、困惑しました。
最初に「東京でデモをやろう」と呼びかけられた時点で、当日まで1ヶ月を切った状態でした。ほとんどの人が初対面という状態で第一回めの会議が開催され、その後、デモに必要なプラカードや横断幕を作り、そのまま当日を迎えるという慌ただしいスケジュールの中では、"ともかくデモを完遂する"ということに必死な状態で、そこでうたこさんの指摘されるようなトラブルが起きた場合の対処までは想定していなかったというのが実際のところです。このような状況からもお分かりの通り、"実行委員"という表現も、後から便宜上そうなっていったもので、当初は、誰もこの問題に声を挙げない中で"自分がなんとかしなければ"という思いで立ち上がった"有志の集まり"という状態でした。代表が決まったのも"デモ後"の話で、本来はデモが終われば解散という予定でしたが、報道で予想外に大きく取り上げられたため、
私(B)が呼びかけをして、各政党に申し入れに行くことになりました。
> 実行委員の一人に説明したことが、ほかの実行委員に伝わる仕組みを、
> A君を通して、求めてきましたが、それも、まだ、実現されていません。
メーリングリストについては第一回めの会議以降から立ち上がっていましたが、デモ後に姿を見せなくなった人や、デモ後から実行委員に参加した人などが含まれており、どこまでメーリングリストで情報を共有すべきか、判断の難しい部分があったと思います。ちなみにTさん(Dさん?)は、デモ前からメンバーとして登録されていたものの、会議や準備には参加されておらず、デモ当日が初対面という状態でした。
> 私を資源として利用するのならば、利用してきたならば、
> それを尊重して欲しい、と思っています。
> また、申し入れに、私の言葉が引用されていることも、
> 実行委員からは伝えていただいてもらえませんでした。
私見ですが、実行委員としてはジェンダー問題を訴えるためにうたこさんを利用したという意図はなく、うたこさんのスピーチに感銘を受けて、申し入れ書などの内容に"当事者の声"としてジェンダー問題を盛り込んだというのが実際のところです。うたこさんのスピーチが、デモ当日、新宿アルタ前の街頭にいた人や歩道を歩いていた人だけに向けたもので、申し入れの内容に盛り込まれることを想定されていなかったということでしたら、率直にお詫びしたいと思います。
> 「デモに女性差別が存在する」と言った私に「少なくとも私は見ていませんね」と
> 言葉を投げかけてくる元実行委員や、デモ支持者が私にしたセクハラから、
> 私を守ってくれる人が実行委員にいなかったこと、
> 「女性問題活動家って本当に実在するのですか?」と深夜一時に電話で言ってくる
> 実行委員と、関わることに、私は、とても疲れました。
> 「就職活動を経験した女性学生」が実行委員に一人もいないことに、問題はないのでしょうか?
前述のとおり、実行委員は今の就活の在り方に問題意識を持った"有志の集まり"から成っており、特定の属性を持った人を意図的に排除したということはありません。その中に"就職活動を経験した女性学生"が含まれていないのは、そのような人が、当初のデモの呼びかけに応じた人の中に含まれていなかったためです。ただ、現在ではそのような人も実行委員の1人として活動に参加されています。
その他のうたこさんのご指摘については、それがどのような状況あるいは雰囲気の中で語られた(おこなわれた)ことなのか、悪意が込められていたのか、単なるリテラシーの無さが原因なのか、個別にみていく必要がありますので、すぐにお返事をすることはできませんが、引き続き実行委員の中で検証をしていきたいと思います。
<Aから>
■個人情報取扱について
・動画撮影について
デモ当時、個人情報については「マスク着用可の事前周知・撮影者には「報道」の腕章を必ず着けさせる」という対策をとっていました。そこで、マスク・帽子を着用したうたこさんを、「報道」の腕章をつけたBさんが撮影した動画について、公開の判断をしました。「スピーチの内容や口調で本人特定の可能性がある」ことはうたこさんのご指摘で初めて気付いた点であり、それまで全く気付いておらず、申し訳ありませんでした。
・Aがうたこさんの携帯番号を無許可で山本さんに教えた
Aが勝手に緊急性を重視し、個人情報の管理を怠った結果です。申し訳ありませんでした。
■申し入れ書にうたこさんの言葉を使わせていただいたことについて
無断で使用してしまい、申し訳ありませんでした。以後、公にする文章に発言を使わせていただく場合、必ずご連絡いたします。
昨日、大変遅れましたが、申し入れ書を送らせていただきました。
■組織として機能していないことについて
・実行委員会の方向性が見えない
実行委員会の方向性は、「就職活動の現状を周知し、改善すること」です。そのアプローチは個々に異なります。
女性の労働問題に関する知識をつける努力は、これからも継続していきます。現在、女性の労働に関するセミナーやシンポジウムの情報を発見した実行委員が、メーリングリストでその情報を共有し、時間が合う人が順次参加している状況です。
実行委員の女性は現在5名となり、就職活動経験者も2名いますが、男性の比率が高いことに変わりはありませんので、女性の居やすい雰囲気を作っていきたいと思います。
実行委員が、差別意識が自分にはないと思い込んでおり、不快な思いをさせたことに、お詫びいたします。
・組織として機能していない
組織として機能していないことも、改善に向けて動いています。
情報量の多さで限界に達したメーリングリストを、より利便性の高いチームウェアに移行する作業を行ったり、スカイプ会議を導入するなどの施策を行っています。
昨日のAとの電話で、「個々の事例についての見解は求めていない」とのことでしたので、全体的な内容にとどめさせていただきます。
以上、よろしくお願い致します。
代表・A
シューカツデモに対する補足説明
意見書を送った後なかなか返事が来ないから何を話し合ってるのか謎に思って送った文章
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おはようございます。
うたこです。
どういうふうに話が進んでいるのかさっぱりわからないのですが、補足説明を書きます。
時間がかかるのはわからないからかもしれないと思うから、すごくわかりやすく書きます。
「首都圏健常者男性による男のための男が正社員になれないのはどういうわけだの運動になってますよね?その状況証拠はたくさんある。それを公開します。yes or no?」
という質問を出したのだけど。悩む必要ないですよ。
yesしか出せないでしょう?
運動的の理念的には弱いものが声を上げるって大義名分だったんだから。
男のための運動に私がコミットする理由がないよねーというのもある。
それで、公開する前にチェックする機会を与えます、そのyesの返事は、代表からしか聞かないぜ!ほかの人たち,
私に対して、接し方が失礼だから!という主張です。
公開に当たっての条件に関しては、交渉の余地があるから、それぞれ考えてちょーだい、戦争したいわけでもないし、けんかしたいわけでもないですYO。24時間が厳しかったら72時間にして反応が返ってこなかったらGoサインだと解釈するというルールにしたいんだけどDo you death car?
個人的な思いに関しては「手札のヴァリエーションが少ないのってえらく弱くないすか?私がいたら、女性、年齢高い、経歴に空白あり、地方在住、からだと心が弱い、というバリエーション満たせたからよかったんじゃないのかしら?そのわりに大事にされなかったよね!という主張は私の個人的わがままってわけじゃなくて、もしも、この先、シューカツデモ@東京にそういう人が入ったときも同じ問題は生じるから、考えた方が良いんじゃないの?」ってことです。
だから、難しい話はしてないよね?これから協力しないとも言ってないし。協力は惜しまなかったし、これからも惜しまないっていう話してるだけで。どうしてこんなに時間がかかるんだろう?
不思議ー。
というわけでうたこさんからの愛の補足説明でした。
メーリングリストで流してね!といって、代表の人にこのファイルを託します。
文責:うたこ 2011/1/27
2011-03-11
地震時の注意
パニックのあまりにののしりあいになっているかたがた、やれることはあまりないので、あったかいもの口に入れましょう。五分たってそれからできること、考えましょう。まずは自分の安心と居心地が大切です。
今心配すべきは食べ物の確保ではない。食べ物をとると排泄物の問題、感染症の問題が出る。体力低下、安全が大切。あったかくして、あまり無理に動かない方が多分良い。
阪神大震災の時の反省は、食べ物が余ってしまったこと。それと排泄物の処理に困って、感染症が増えたこと それによる死亡者が増えたことが課題だったはず。食べると、出てしまうから、 本当はこの段階では食べ物の心配はあまりしないほうがよい
何かに腹を立てている人が多すぎる。それは、パニックにあるから。興奮状態にあるから、疲れを感じず、行動している人もいると思う。けれど、長丁場になるので、体力を温存してください。精神的リソースを温存してください。
今は安全な建物の中で明るくなるのを待つのがいちばんいい。外は、危険だ。電線が切れていたり、地面が断絶していたりする。二次火災、爆発に巻き込まれる可能性もある。けがをする可能性がある。集団パニックの可能性もある。明るくなってから行動してください。阪神大震災ではそれで命を落とした方がいます。被災した方は、しっかりしているつもりでも、ショックで周りの状況の情報が見えていない。
体温の確保、水分の確保、安全の確保。それだけに集中してください。精神面の負担をできるだけなくして、誰かを助けることよりも、自分を助けることに集中してください。それが、結果的に、誰かの命を助けることになる。
安全の確保だけに集中してください。夜なのに、興奮して動いている人が、多すぎます。一番大きな被害の場所の情報がいまだにないです。それだけ、大きい地震だと言うことです。安全の確保だけ、大事にしてください。
阪神大震災の時と中越沖地震の時はたしか低気温による体力の低下が24時間でもっとも問題となった。体力の低下、緊張状態の継続により、お年寄りの免疫抵抗力が落ちて亡くなった方が多かったと聞いた。
夜道を歩くのは大変危険です。倒壊した建物による、ガラスの破片、断線した電線、足元の地面もつながっているとは限りません。また、ぎりぎりのバランスで残っている建物も、歩いている最中に、余震が起きた場合、頭の上に落ちてくる可能性もあります。塀の倒壊、瓦の落下は、死因原因に当たります。
今は、日本全体が興奮しています。だから、みんな動けます。でも、日本の中枢と、東北地方がまるごと、壊れたのだから、わたしたちはこれからの覚悟が要ります。日本に住む限り、長丁場になると言う覚悟が必要になります。一時の興奮で疲れているわけにはいかないのです。落ち着いて、休んでください。
2011-03-05
語るべきときではなく、語りうるときに語る、と、私は思う
運動をつぶさないでください、と、何度も何人もの人から言われた。
私には運動をつぶす力など、ないと思った。
電話で吐かれた暴言は、証拠に残らない。メールに書かれた暴言は、私文書だから公開できない。
私は、暴力を我慢するべきなのだろうか。黙って、我慢するべきなんだろうか。
その負荷に?
傷つけられたら、傷つけ返してもよいと思っているのですか、というようなことを、言われた。
私は、それにこたえようと思って、直接、説明することは、とても、難しいと思って、この文章を書く。
私は、ちゃんと文面を読めていないのかもしれないし、多分そうなんだと、思うのだけど。
私は、好意を持っているからゆえに、書くのだが、それでまた人を傷つけると、わかっているのだけれど。
私は、沈黙しない。
私は、もしかしたら、伝えることができるかもしれない、という一縷の望みにすがって、さらに傷つける可能性よりも、その望みに期待をかけて、この文章を書く。具体的なことは何も言えない。私の体験をすべてぶちまけるわけにはいかない、そのバランスのはざまで、今も、私は揺れ動いており、そして、その中で、あがきたいと思っている。
私は、傷つけられたら、傷つけ返したい。
暴言を吐かれたら、暴言を吐きたい。
相手に悪気なくやったことだと知っているときには、それはつらいと伝えたい。
私は、今ヒステリックになっていると、思われていることは知っている。
聞く耳持たない人間だと、それじゃあ、感情的な人間だと思われてしまいますよ、そうしたら、よいことを言っても、聞いてもらえなくなってしまいますよと。
そんなことは、最初から、ずっと知っていることだ。
今更言うことに何の価値もないと思う。
私は、自分の感情を「適切に表現すること」を求められて育てられた。
親に、自分の感情をないことにしろと言われたことはない。
私の親は、怒りでも悲しみでも、適切に表現することを由と言って私を育てた。
適切に表現するとは「私は今怒っています」「それをすることはつらいです」「今私は悲しいです」と言葉で表現することだ。
自分の感情をそのまま言葉に移すことを、伝えなければわからないことを、教わって生きてきた私は、たいそう恵まれていると思う。
私は、語りたい。
語ることができる。
私には今時間があって、考えることができる。
たとえば、シューカツデモ実行委員には、今まで、直接に事前に伝えてきた経緯がある。
そして、私は、自分の言っていることを理解してもらえないと思った。
だから、こうして、公開する形で文章を書き始めた。
私をコントロールできる、と、思う人や、その欲望はおかしい。
私の文章をときによって持ち上げ、ときによっては書かないほうがあなたのためですよ、と、言うのはおかしい。
私には私の事情があって、知っていても人間関係のために書けないこともあって、言えないこともあって、その中で書いている。
思いだすと苦しいこともある。
経験を再体験するためだ。
私はそれに耐えられる精神状態のときと、そうではないときがある。
そのタイミングは、私にしかわからないことだ。
私は誰かを名指すこともできる。でも、そうしていないときには、「もしかして自分のことなんだろうか」と、そう思ってほしくないと思っているからだ。
本来は、ハンドルや本名をネットで公開して、テキストを書いていたら、私は許可なく、もちろん、リンクを張って引用し、言及することができる。だから、だけど、しないときもある。
私は感情的だ。
それはもう最初から感情的だ。
でも、それは、悪いことなんだろうか。
なにしろ、セクハラだと伝えることだって感情的だ。
セクハラという概念が、社会的了解をもたないときには、このことだって「勝手に、嫌だと騒いでいる女が、社会的地位のある人を攻撃している」という風に言われていた。
何かを嫌だ、と思うことは、悪いことなんだろうか。
感情がなければ、セクハラだと感じる心もない。
感情があるから、嫌なことを嫌だと感じる。
それは普通のことだ。
当たり前のことだ。
それを今更、感情的だと非難される理由はない。
あなたにもあの人にも感情はあるだろう。
私は感情的だ。いつだってどんなときでも、論理的なときでさえ、感情的だ。
私は私の感情をないことにはできない。死んでしまう。
私は感情的だ。
そして、私が今、さも、人の言うことに聞く耳を持たない、ヒステリーや、人を傷つけても何とも思わない人間のように思われている。けれど、それは、理屈が通らない。たまたま、自分に都合良くないから、ヒステリーのカテゴリに入れているだけと思う。私は暴言を吐かれたことに対応している。
何もないところから、被害や、「傷つき」を、攻撃を、捏造しているかのように言われるのは誤認だ。私は前もって、こうすると伝えてあったし、実行しているだけだ。本気にせず、忘れてくれるだろうと見込んだ人は当てが外れただけだ。
私は、シューカツデモ実行委員に対して、手順を踏んでいる。
今も、名指しで個人名を言うこともできるし、ネットに露出している彼らにたいして、リンクを張って言及することもできるが、まだ、それも、していない。かわいそうだと思うからだ。
今、私が受けている反応を、彼らが同様に、背負うのは、かわいそうだと思うからだ。
私には、最初から覚悟があって、しかし、彼らはまだ子どもで、だから、私は彼らをかわいそうに思う。
だから、私は、まだ、リンクを張らない。このように書くと、脅しをほのめかしていると言う人もいるけれど、脅しているわけじゃなくて、こうしますよ、と言いたいだけで、しかも、私は悪いことをしているわけではなく、普通のことだ。
こうすべきとアドバイスする人は、私がアドバイス通りにしないからと言って、なぜ感情を害するのだろう。私がコントロールできないのは、コントロールしたいという欲望が、前提が違う。私は人間だ。
私は誰かの感情を害したいから書いているわけじゃない。
私は私の回復を、優先する。
私の受けた暴言から受けたダメージは、他人は経験できない。だから、それをわかると言って、なおかつ、人を傷つけるのはよくない、と私に言うのは前提が違うように思う。私には私の回復の仕方がある。だって、誰にも、私のことはわからない。推し量ることができるだけで、当たっていることもあるし、的外れなときもある。
それは、私が判断することだ。そして、私の判断のフィードバックによって、その人が判断することだ。
直接は何度も言った。聞いてもらえなかった。だから公表している。その流れがあるし、そのことを知らない人は知らないから仕方ない。
文章を書かないと苦しい人間は人間だから仕方ない。書くことしかできない。今更、それはだめと言われても、私はそうやって生きてきたのだから、誰もよいとこどりはできない。
私だって人間関係を失うのは寂しい。寂しいし悲しいし、人間関係を軽く考えているわけでもない。それでも書く私の気持ちはないことにできない。
軽く考えているから書いている訳ではない。考えていても、それでも、書く必要があって、書いているだけ。失うものがたくさんあっても。私はずっとそうしてきた。だから、いろいろ失うことを考慮しても、言うべきことがあるから、シューカツデモに参加して、街頭演説もした。いろいろな人にみられることを覚悟して。
私が、今、「いちばんの女ですが」さんのように見えても仕方ない。私はそれを受け入れる。それゆえ、外からみて、よいとこ言ってるのに同じに見えてもったいないと言われても、同じに見えるのなら、仕方ないと思う。私は自分では同じだと思っていない。
つまり、私には、こうして、振り返って検証するくらいには私にも聞く耳はある。
けれども、ないように、思われる。
それは、なぜかというと、人は、信じたいものを信じるからだ。自分の思う通りに、私が動かなかった、ことを、理由に、聞く耳を持たずに、暴走しているように、解釈したいと思う人がいるからだ。
今まで味方してくれた人は今でも好きだ。けど、私には多分違う景色が見えていて、違う経験があって、違う負担があって、説明すればなおさら、今まで味方してくれた人を傷つける情報を知っている。それを今も伝えないでいることが私の精一杯の感謝だ。
こうして、今も、文章を、新しく、書くことで、今までの、人間関係を、引きちぎり、そして、悲しませ、傷つけ、落ち込ませることを、私は知っていて、そして、書いて、それを覚悟して、覚悟しても、埋められないことは知っているのだけど。
私が文章を書く限り、私が人でなしなのは、書き始めたときから知っている。申し訳ないとずっと思っている。
だから、私は個人名を書かないし、事前に聞くことも多い。(ネットに実名、ハンドルでていたら書く場合もあるし、引用やリンクを貼る場合もある)けどそれでも傷つく人はいるし、私を傷つけたからと言って、私がその人を傷つけても良いと思っているわけでもない。ただ、書くしかない場合がある。
私は、私に対する負荷に黙っていることができない。私は、限界まで耐える癖があって、そのせいで、うまくいかないのは、本当に、申し訳ないのだけど、でも、精神的負荷を、そもそも、私に与えずに、私と付き合える人もいるのだから、精神的負荷を、かけないようにしてくれるならば、私も、書かなくて、すむことがあったのだ。
たとえ、事実であっても書けば傷つく人はいる。そして、私がみたものだと思っていても、それにはバイアスがかかっている。さらにいうと、事実であれば、傷つく人がいてもいいと、思っているわけでもない。傷つく人はいないほうがいい。でも、書く。それは、私が人でなしだからだ。私は何もかもわかっていて、なおかつ、理不尽に黙っていることができない。
ずっと変わらずにそう。
だから、私の文が良いと思っている人でも、ある瞬間から、私に書くな、と思うのは、よくあることだ。それは、立場の違いで、私のスタンスが変わったことはない。何か書けば、どんなことでも、何かしらの反応はある。それは、文章を書く人間なら、知っていることだ。覚悟していることだ。
私を傷つけるつもりなく、傷つける人もいる。人を殴っても、そのせいで、相手が痛い思いをすることを理解できない人もいるのだから。
覚悟していればよいというわけでもない。引き受けるからいいと思っているわけでもない。私は私を肯定しない。けれども、書く、書く、書くことでしか生き延びることができない。
私は、このエントリで、また傷つく人がいるのを知っている。
私は、けれど、語るに適切なときを選ぶのではなく、語ることができるとき、語らずにはいられないときに、私はこうして、文章を書く。具体的なことは何一つ書かなくても、それでも、人を傷つけるのだけれども。
2011-03-04
シューカツデモ実行委員に一月時点で送った意見書
うたこ(*1)です。
実行委員の皆さん、こんにちは。
私は、「就職活動まとめ」という記事をブログに書く予定でいます。この記事は、二月になってから、同人誌としてまとめる予定です。
その中で「就活どうにかしろデモ@東京実行委員は反省しろ!」という章を作る予定でいます。
それに関して、私の考え、方針を明らかにするため、また、事前に連絡したいと思って、この文書を作成しました。
記事のデモに関する部分は、一度、テキストファイルにして、実行委員代表であるA君に送り、私のメールサーバ送信時間から二十四時間経過した後、ブログに公開します。
その際に、事実と異なる部分や、公開して欲しくない個人情報などありましたら、A君を経由して、私に連絡してください。
私は、私の窓口として、A君、Bさん、Cさん、だけと連絡を取りたいと思っています。
ほかの人からメールや電話をいただいても、対応できませんので、よろしくお願いします。
異論は、注釈として乗せますし、個人情報は、仮名にする、個人を特定できないように書き方を変える、などで対処します。
なお、私のこの文章は、メーリングリストなどで共有し、私にアクセスする時点で、公式的な、実行委員総意としての意見としてまとめてください。私は、そのつもりで、受け取った上で、対処する予定でいます。
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ここからは、個人的な思いを書きます。
私は、D県から、交通費をかけて、時間を割いて、デモや申し入れに参加しました。
その際に、当事者としての言葉を発する機会を与えてくださったことには感謝しています。
私は、女性学生の就職状況が悲惨で、女性差別がいまだ横行している、ということを訴えたかったのです。
今も、就職が決まらない女性学生たちは、声を上げることができない弱い立場です。
ジェンダー的にも、女性は、声を上げにくい存在として、あり続けています。
なので、私は、その状況を誰かに伝えたい、それだけの気持ちで、声を上げたいと思って、Dから、新宿にまで行きました。
しかし、デモに関わってから、帯状疱疹や過呼吸などの身体症状が出てました。当事者としての言葉を資源として利用するわりに、私の身体や精神に対する配慮が無かったことはとても残念です。身体的症状が出るまで追い詰められている私に対して、個人個人から、きつい言葉を受けたり、配慮のない対応をされたり、ということに、私はたいへん苦しみました。
例えば、Cさんと接触することを避けたい、と言っただけで、あれだけもめました。あのとき、私を守ってくれる人は、実行委員にはいなかったと思います。その後で、Tさんから、謝罪と言うか、フォローのメールが来ましたが、「個人攻撃を含め戸惑って」「やめてくださいといってもやめていただけるかも危うい状況で、事態の悪化も予測でき身動きが取れませんでした。早急に誠意のある対応を取れなかったことは反省しております」という文面が含まれていました。これは、相当に衝撃でした。このメール自体も、実行委員で、共有していなかった、ということを知って、ますます、困惑しました。
私は、一人ひとりに毎回説明することに疲れました。
いやなことがあったことをそのたびに、思い出すことが、苦痛でしかたありません。
実行委員の一人に説明したことが、ほかの実行委員に伝わる仕組みを、A君を通して、求めてきましたが、それも、まだ、実現されていません。これは、マイノリティ、女性問題をイシューとして取り上げるのならば、問題が起きたときの対処体制として、最低限必要なことではないでしょうか?
私を資源として利用するのならば、利用してきたならば、それを尊重して欲しい、と思っています。
そのことは、A君を通して、常に伝えてきたつもりでしたが、十一月二十三日から二ヶ月経過した今も、改善は見られません。
「デモに女性差別が存在する」と言った私に「少なくとも私は見ていませんね」と言葉を投げかけてくる元実行委員や、デモ支持者が私にしたセクハラから、私を守ってくれる人が実行委員にいなかったこと、「女性問題活動家って本当に実在するのですか?」と深夜一時に電話で言ってくる実行委員と、関わることに、私は、とても疲れました。
また、申し入れに、私の言葉が引用されていることも、実行委員からは伝えていただいてもらえませんでした。
東京へ来るための、地方学生の労力の問題を取り上げながら、その一方で、自分たちのしていることは、どうなんでしょうか?
個人情報の取り扱いの方法など、どうなんでしょうか?非常にずさんではないでしょうか?
申し入れ書を私に読ませないままで、申し入れに参加させて、「女性就職活動経験者として話させる」こと、遠距離からきている私が疲れても、気付かずに歩かせ続けることに問題はないのでしょうか。
このことは、暗に、健常者男性の体力についていけないものは、排除する、ということではないのでしょうか。
私や女性が話そうとすると「いや、それは」と言ってさえぎり、議論に参加させない、というのもジェンダー的に、問題はないのでしょうか。私は、そういった場面を何度も見ましたし、自分も経験しました。
飲み会では、女性に家事一般を担当させる、その状況があっても「女性差別はない」と言ってしまえる、そうした状況がいまだに改善されていません。
愚痴などを女性に聞いてもらうのは、女性にシャドウワークを担当させていることになりませんか?
「就職活動を経験した女性学生」が実行委員に一人もいないことに、問題はないのでしょうか?
レジュメの作り方も知らない人が「政策担当」と呼ばれる現状に問題はないでしょうか?
BIの懇親会に参加して、自己紹介した、初対面の私に、「みうらじゅんの言うところの、うんこが含まれる名前ですね」と言ってくる失礼さに問題はないでしょうか。そのような礼儀知らずから守ってくれる人が一人もいないことに、問題はないでしょうか?
「私のときはもっと就職が難しかった」と語る、男女雇用均等法以前に就職した女性に対して、「今はもっと厳しい」と言った言葉を投げかけてしまう、実行委員の女性労働史の認識のなさに、問題はないでしょうか?男女雇用均等法以前の女性よりも、現在の四大男性の方が、就職が厳しい、ということはありえないと思います。ああいう、リテラシーのなさは、人を傷つけると思います。ちなみに、男女雇用均等法は、問題がありますが、男女の雇用を均等にする、という概念を打ち出した、という面で、女性労働史上のひとつの進歩だったわけです。
私は、デモ実行委員にたいして、このような疑問を持っています。
そのことをまとめる目的があって、記事にしたいと思っています。
実行委員がハラスメントをする、ハラッサーから、参加者を守れない、それでいて、言葉を搾取していく、そのような態度ならば、私は、一人で、小さい力にしかならないとは思いますが、言葉を発していきたい、それを選びたい、と思います。
うまく、気持ちがまとまらず、長文になりましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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なんらかの反応を、実行委員の総意として、私に返していただけることを望みます。
それが、二ヶ月、時間を使い、お金を使い、経験を、切り売りして、言葉にして、実行委員の利益になるように渡してきた、私に対しての、最低限の扱いであると、私は、思います。
文責:うたこ(*1)
*1 実際には名前を書きました。
*2 仮名にしてあります。
*3 一月に出した質問です。このほかにテキストファイルが二つあります。
男たちの大義に、なんのかかわりもないのです、と、私はいう。
私は、おとといも「運動のために、彼らを教育してくれないか」と、運動界隈の人に要請された。
「私は差別する人と一緒にいる必然性がないのです」と答えた。
「それじゃ、いつまでたっても、差別はなくならないよ」
「私は彼らを変えられるとは思えません」
「僕は色々な人に怒られてしかられて議論して、今の自分があると思ってるんだ。だから、そういうのを否定してほしくない」
「それは、大変に素晴らしいと思いますが、私には、運動に対して興味がないのです。あなたは、きっとかわいかったから怒ってもらったり教えてもらったりするんでしょう。でも私は彼らになんの感情も持てないし、彼らが可愛くないので、憎まれてもなんのリターンもないのです。それよりは、自分を守ることで精いっぱいなのです。差別しない人と一緒にいる方が良いのです。」
「僕は味方にはなれないかもしれないけど、一人で戦わせることはしないから」
「私は、そっとしておいてほしい、嫌がらせしないでほしい、ということをずっとずっと頼んできましたよね。それでも、そうはしてもらえなかったです。そして、あなたは、『怒られたから今の僕がある』と言いますが、私は彼らになにもしてもらったことはない。
私にできることはないかと思って、今までずっと手伝ってきました。そして、それはもうできない、ただ、それだけのことです。
あなたは、してもらった側の意見として、さらに私に何かしてほしいということを言っています。私は、なぜ、常に、何かをしてあげる側でいないといけないのでしょうか」と、私は泣きながら答えた。
彼らは、今の世の中を変えたいと言う。彼らは、今の世の中に、対して、拒否したいと言う。彼らは、良心的に就職活動を拒否すると言う。
私は女で、安全な家や安全な居場所がほしい。そのためには、お金が必要だ。マンションのドアをけられたり、知らない人に売女と罵られるような、経験を、恐怖を、彼らとは共有しない。男たちのように、雑魚寝では、暮らせない。
私には、私の事情がある。私には私の、背負っているものがある。恐怖や、暴力から逃れるには、経済的基盤が必要なのだ。
彼らの大義に、なんのかかわりもない、と、私は言う。
沈黙のシューカツデモ実行委員
シューカツデモ実行委員には、語るべき言葉がない。
だから、彼らは沈黙する。
生身の言葉を話すことができない。
大上段に構えた、言葉しか、語ることができない。
シューカツデモ実行委員には、シューカツ経験者が二人しかいない。
なので、女性差別や女性の就労問題について、語る人間がいない。
私はその偏りを、中和したいと思い、シューカツデモに関わった。
シューカツデモに対しては、11月に23日から、現在に至るまで、女性の就労問題や、大卒男性以外の就職問題について、再三、どう考えているのか、質問してきたし、議論するように求めてきたが、未だ、回答はない。
女性差別は、私の妄想であって、実際には存在しないものを言うようなことを言われたり、嫌がらせをされたり、「男性は差別の主体ではないので」などと言われたりした。差別の主体がいなければ、なぜ差別が起きるのでしょうね。差別を感じて声を上げる人に対して、「黙れ」「お前の感じ方はおかしい、お前が勝手に差別を感じ取り捏造するから、差別なんて言うんだ」以外の意味で、そんなことを言う必要性があるでしょうか?私にはそう読みとれました。
ふくしまみずほ党首にあった時に、わたしは同席していて、みたこと聞いたことを書くけれど、それには証拠がないと言われる。みたと言い張っているだけじゃないかと。ネットには、実行委員がそんなことを言ったという情報がないと。
それならば、シューカツが大変だ、ということにも証拠がない。
それこそ、学生が、ただ、大変だと言っているにすぎない。
「証拠とは、いったい、なんであろうか」と、わたしは思う。
シューカツシステムには、問題がある。しかし、システムに乗らない就職活動も、また存在する。
リクナビやマイナビには問題がある。しかし、あのサイトは、単なる、求人広告サイトだ。
就職活動はたしかにたいへんだ。しかし、彼らは就職活動をしたことがないのに、シューカツシステムに異議を申し立てている。
労働するのは嫌だというのはよくわかる。しかし、彼らは、他人の仕事に敬意を払わない。無断で使ったり、引用元を示さずに、引用したり、他人の画像を掲載したり、無断で加工したりしている。
彼らは、上の世代を批判する。しかし、上の世代が、全員、大手企業のサラリーマンであり、専業主婦であるかのように語るのは、それこそ、政府のイメージ戦略に乗っかった言説だ。彼らは、世の中に流通している言説に、のっかることを拒否した団体だったのではないだろうか。
実際には、専業主婦は、政府がそのように家族を設計すると、国民の管理が楽になるから、という理由で推進してきた経緯がある。専業主婦の経済的問題、精神的問題は、今も、解決されてない根深い問題であるし、専業主婦にあこがれるようなイメージを大量に作られ、一斉に女性たちが専業主婦になったという期間は、たった二十年ほどの歴史しかない。その間にも、主婦/女性が、周辺的な働き方でしか働けないため、結婚せざるをえなかった、という事情もある。そのため、今も、女性の正社員率は、男性の正社員数に比べて、三分の一しかない。正社員同士で比較しても、女性と男性の生涯年収の差は、男性に比べて、女性の生涯年収は六割しかない。
このことだけでも、女性が、男性と同じ程度稼ぐことが難しいことが分かる。女性が、男性と同じ生活レベルで生活できる人の人数が少ないことが分かる。
それなのに、シューカツデモ実行委員は、女性の労働問題に対する意識が低かった。
私は、彼らに、考えること、知ることを、ずっと求めてきた。
電話でもメールでも直接会った時も、文章でも。
けれども、私に返った反応は、怒りと、拒絶と、嫌がらせだった。
私は、彼らは、「大卒の男性のための」運動をしていたように見える。
私は勤労感謝の日に、デモに参加してから、ずっと、関わってきた。
そのときに、メディアからの取材が殺到した。
その取材に答えるか迷う私に、「女性当事者」として、祭り上げられそうになった経緯がある。
「あなたの経験を語ることがぜひ必要なのです」と言われたことがある。
強引なやり方で、私に「当事者性の責任」を求め、語ることを強いる圧力が存在した。
そのことと、今の実行委員の立ち振る舞いは、矛盾していないだろうか。
女性問題を語る時、私は、バッシングされることを知っている。
それゆえの、迷いを、彼らは最後まで理解しなかった。
私は、公にすることを、ずっとためらっていた。
大学生が初めて声を上げた運動を、潰したくなかった(*1)。
けれども、今は、私が私のために、生き延びるための、文章をかく必要がある。
次回は、私が、シューカツデモ実行委員に、一月の時点で出した質問文を掲載します。
2011-03-03
うたこはみた!カーテンの隙間からの諸行無常
うたこは、みた!カーテンの隙間からの諸行無常をだ!
うたこは大変に賢くて言語機能がたいへんに発達しているがために、観察能力を余すことなく発揮したうえでいろいろ書くので、みなさん御期待の感涙の落涙、屍累々しているとよいと思うので、そのうえでうたこをほめたたえて愛でるといいよ!
うたこは、コメント欄で議論するのはしょーじきめんどくさい派で、うたこのことを批判するならお好きにどーぞ、と思うんだけど、そんならば自分の庭で自分で好きなように持論を展開してくだされと思うのでありますよ。
そういうわけで、その思った持論を展開すべく、はてなにとうとうブログを開設したわけなんですが!
まー、初エントリなんだしうたこお腹壊していてしんどいし、言葉能力が強いからと言って精神面が頑強なわけでもないので、この辺で勘弁しといたるわ!「(簡便、死と至るわ!)」