来たる3月11日には息子が通うピアノ・声楽スクールでチャリティ・コンサートが行われる。東北の物品販売もある。息子はそこで歌を披露する。未成熟ながら愛する者への思慕、神へ祈りを捧げる歌も歌う。
先週の日曜日は息子の英検準2級の2次試験でした。前回の試験で1次を合格していたものの、2次は最後の内申点加算のチャンスのテスト前日だったのでパスしていました今回の会場はラッキーなことに自宅から車で数分の麻布大学でした。
食べ物などかなり気をつかってはいますが、福島県に人がいる限り、食品以外のものでも知らず知らずに被爆するんだろうなと、日本の将来に絶望しています。
福島県が復興を選んだからには、放射能まみれの木も放射能まみれの汚泥や瓦礫再利用のコンクリート、プラスチック、もう日常で当たり前のように購入してきた全てのものが疑わしく、恐ろしいものに見えてしまうのですが、福島県で復興を力強く訴えたり、子供がいるのに避難しない人がたくさんいる限り、私たちも、自分の子供がガンになったりすることを覚悟して日本で生きていかなければいけませんよね。 」
福島県の人たちは確かにとてもかわいそうですが、遠く離れた私たち家族も、ある意味日常を奪われた被害者でもあります。福島県で頑張る人がいる限り、被爆のストレスから解放される事はありません。
福島県の木や石が住宅建材に利用されていた事実を知り、本当に怖いです。被爆した木は、表面だけではなくもう、奥まで浸透しているようです。山の除せんは絶対無理です。チェルノブイリでもそうでした。今は誰も近づけない危険な森になっています。日本はそうゆう汚染されたものを全国に拡散させています。」
「もう戻ることは不可能な過去にいつまでもすがりつかず、明るい未来へ向けて前向きに考える福島県民が増えるといいなと願います。」
3学年247人。このマンモス校の3年には爽やかな自由な風が吹いている。
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管理人(注記)中学3年生
受験日に朝からお世話になった私の旭川の親友が「今から模試の結果を全部送ったら?!」と真面目にメールがありました。
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奥さんも北海道の出身?
私達は北海道に帰ります。
事実上、私は故郷を捨てることになります。
これは息子の「故郷である土地に帰りたい」という希望の尊重と、『避難』の選択です。
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息子は北海道が故郷。生まれた?住んでた?
奥さんは、北海道に住んでたことがあるが、うま
私の父親の別荘を千葉の方が避難先として貸して欲しいと以前人づてにお願いされたと母が秋頃に私に話しました。
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親が別荘持ってる。有る程度のお金あり。
受験先には合唱部がある
今晩、ロゴスと息子の3人で三谷幸喜監督の『ステキな金縛り』を観に行く
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ロゴスさんの妻、確定。
更に塾の仕事も頭を使う面接添削もある。塾生は個性を活かしつつ、指示されたことを忠実に守り、どんどん進歩を遂げ、「おぉ~!」と感嘆の声を上げる時もしばしそんなこんなで私は今非常に忙しい。昨日のエステのお客様も断ってしまった
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エステと塾(旦那と同じ)の掛け持ち
中間テストが昨日で終わった。提出物の管理を始める前に学校に電話を入れた。2年次の担任が電話に出た。話が早かった「今から教室に伺って机とロッカーの中をチェックします。」と伝えた。学校に着くと先ほどの旧担任と現担任が揃ってお出迎え
教室での私の動きと鋭い眼光はまるで刑事のよう合計4枚のプリントが出てきた。「あいつめ・・・。」と口に出る。(実際はもっと言葉が悪いそれを担任は聞いている)
担任はかばいたかったらしいがここでは無用だ。「以前にもお話しをしたように、私は息子を全て信じていません。うちの子に限って大丈夫とは何年たっても思いませんから。だからこの前も電話をしました。」と言うと、「それがいいです。今のうちですからね。(提出期限を守りマイナスがつかないようにする、成績がつかないうちにという意味)」と賛同された。
昨日中間テストが終わり、本日ノート提出も終わった。あ~ぁ、良かった。
この前の電話と言うのがこちら。息子の用件で中学校に電話をした時、名乗ると「あぁ、○○君の~(お母さん)!○○君は大好きです!」と電話口の声は躊躇無く言ってのけた。学年で権威ある教員だ。最大のストレートな褒め言葉だったけれど、心構えがなく、さすがの私もうろたえた(アワワワワ)
その日息子が遅くに帰宅した。この話をすると
「分かる。あの先生、8割はオレを見て授業しているから。」
「えっ?!8割は見過ぎじゃない?」
「9割、やっぱり8割。だからオレもずっと見続けている。」
「見続けているだけで聞いてないんじゃないの?」
「いや、すぐに質問してくるから(聞いている)…。」
と面白い会話を繰り広げた
個人的に、私は恐らく息子の学校で最も電話をし、最も学校に訪れる母だろう。
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モンスターペアレントか?
昨日は息子の15歳の誕生日だったのでPCに向かわず、携帯から失礼していました。
相模原市中央区は6時を回り白々と夜が明けてきた〜。
秋晴れのなか時折強い風にもて遊ばれる二人一組の[でかぱんリレー]のへにゃとしなる縄跳びドラマね〜
今年は一日ではなく、数日お世話になると決め、近くのホームへ伺わせていただくことに。木曜は初日ということもあって慣れる為に2時間程度の滞在でした。二日目は朝の10時から夕方まででした。
息子の中学校はよく職業体験に3日も取りましたよね(><)
6月12日(日)桜美林大学にて一次試験は約90%の正解率でした
7月10日(日)東京女学館大学にて二次試験では33点満点中32点でした
明日、息子達は京都・奈良へ修学旅行へ行く。お小遣いは5000円以内。
27日の早朝6:05に班で淵野辺駅前のツルハで待ち合わせらしい。男女混合班でみんななんて仲良しなのとほのぼのする。でも、はっと我にかえる私。と言うことは、(余裕を持って)逆算して5:55には車で自宅を出るのかと思うとゾッとする
29日には18時半過ぎに息子の帰宅。30日は本日の日曜の代休(で爆睡予定)。
相変わらず3年生の授業妨害は続き、テストも簡単な状態なようで。普通の学校のようにプリントを出さなかっただけで評価を下げていたら、或いは人のを丸写しでは、本来の評価通り『1』だらけになってしまう生徒も多くいるでしょうね。ロッカーに積み重ねた手付かずの多くのプリントをテスト前に一人で完全記入をして出すのは無理があります。不出来で更に授業妨害をする生徒がこちらの中学校だったら今と同じ評価は付かないでしょう。
ただ、ロゴスの塾生は本当に頑張っています。XX中の3年の見本でしょう!誇りです。
加えて塾でも忘れ物をするという無自覚を君たちの前で叱らなければならない情けなさと申し訳なさで胸がいっぱいになります。これが私達のこれまでの教育の負の結果だと反省しています。
話題を変えましょう。今の君たちが作っている英語のノートはかつての私達先輩が作ったノートとほぼ一緒です。ただし、発音記号を書いてないところが違うかな。慣れたらなんてこともないし、英語の発音が分かってくるから面倒でも新出単語の横に書いて欲しいな。
今日は愛されてやまない旦那様と娘ちゃんと愛犬とご馳走かしら素敵な一日に、素晴らしい一年にしてね!
あなたと出会って長い月日が経っても、2年ぶりの再会でも、私達は話が尽きなかったね。
明治大学の超イケメンの息子君に、私のアドレスを教えた?約束通り、時々チェックに行くから何かあったらそこに私がお世話になるかもしれないしよろしくね
子供達は少しづつ、確実に大人になって、容姿も変わって、夢に歩き出していることが夢のよう。20代30代の子育ては振り返ると楽しかったけれど、どうでもいい事(人)に惑わされていたことにも気がついたね〜。
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北海道の話からすると、神奈川に来て2年~3年?
私の香水遍歴は
ジバンシー(多すぎて銘柄が?花いっぱいの容器。2種類くらい好きだったわ・・・。)
二ナ・リッチ(二羽の鳥のオーナメントの一番初期のもの。今また復刻とか?でもホントに同じ香り?)
オンブレ・ローズ(ロゴスも知っていたっけ。『フレンズ』のワンシーンに出てくるんだって)
シャネル ココ・マドモワゼル(雑誌の中で紹介する人の文句がいつも一緒で辟易。私には×でした)
イブ・サンローラン(頂き物。すぐに変色させてしまった…)
北海道富田ファーム(いきなりローカルで笑っちゃう?濃縮ローズ。ラベンダーの香りには癒されないの)
ディオール(なにやらお得意様限定モノ。こちらも頂き物。素晴らしい香りでした!)
で、今回は何を選んだかは内緒です(笑)
ラスト・ノートは好きだった二ナ・リッチに似ている感じ
アメリカの有名な歌手も愛用とか。
「ふ〜ん・・・。」その情報は信憑性があるのかしらっていつも思う私。
私の自宅からの最寄り駅は淵野辺になる
先日、スコーレ・ロゴス塾において高校入試問題研究所による5教科のテストを実施した。
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そう、昨夜私は息子の携帯を破壊した。
娘15歳の初夏。中学校3年生。神奈川への転校が決まっていた。間もなく北海道での生活が終わりを告げようとしていた。高校受験の為の引越しとは言え、きっと娘は一日一日を惜しみながら生活をしていたに違いない。
2月に同窓会が控えている。XX中学校の同窓会だ。なんと27年振りに会う友人がいる。今回は初めて早々に出席を決めた。
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ロゴス嫁の年齢 中学3年生=15歳か16歳+27年ぶり=42歳か43歳
一昨年にも会があったが、私は多忙を極め、参加は無理だった。
旭川に住んでいた時も同窓会の知らせの電話をもらったことがあるが、参加は断っていた。「飛行機代を出してくれれば喜んでいくよ~!」と冗談めかして断った。
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地元は北海道ではない。
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塾は写真と地図の記載のもので間違いないでしょう。
スコーレ・ロゴスという塾は、親も子ども、そして家庭環境も丸裸になってもらう塾です。決して嘘は許さない、嘘が通用しない塾だと、認識を再度深めて下さい。
昨夜、スコーレ・ロゴスの塾長から退塾を言い渡された方へ
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ロゴス氏が使っていた表現
娘には悩んだ末、最もスタンダードなものに
これが娘の草履・バッグセットです
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成人式ということで、娘さんは今、20歳か21歳ですね。
娘は3月に短大を卒業します
そして、4月には1年間のオーストラリアの留学が決定しました
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まもなく帰国
ロゴス氏は現在塾の経営者です。
彼が津久井高校を10年間教員として勤務していたことは前述していましたね。
旭川では10年間、歩合制営業の過酷な職業に就いていました。
トップとして、走りました。
営業の傍ら、一人の女の子の家庭教師を引き受け、東大合格へ導きました。
大変なマンモス学校で当初、彼女の成績は学年で中間でした。
それが、中学を卒業するときは一番でした。
公立の難関校に入学し、高校後は見事、東大へストレート合格でした。
彼はその後、教師としてまた教壇に立ちました。
札幌で、2年かけて、診療カウンセラーの一部の資格を習得しました。
アスペルガー、ADHDといった広汎性発達障害についても学んでいます。
私もわが子もその関係の本を読み、勉強し、理解しています。
息子は、一部の先生から 「不思議ちゃん」 と呼ばれる、軽度のアスペルガー、ADHDだと思われる、男子2名を体育の先生から「お前の言うことは聞くから、あの二人をよろしく頼む。」と任務(?)が下っています。
6クラス38人の生徒中、2年間同じクラスです。
先日、体育の先生が「お前、クラス、あの二人と一緒でいいか?」と打診(?)がありました。
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