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第3話:奇跡の時
 アリシア蘇生をジュエルシードに直接願うのは、プレシアにとって盲点だった。
 しかし、ソレも無理からぬこと。ジュエルシードよりも先にアルハザードの存在を知り、死者を甦らせる秘術に異常なまでに固執して他の事に考えが及ばない状態にあった。目的の場所に辿り着く為の手段として、後にジュエルシードを見つけたのだ。もし、この順番が逆であったら、彼女達の未来も違っていたかもしれない。
 だが、過ぎてしまった事は仕方ない。それに、遅くなったがジュエルシードを使用しての蘇生方法に気付けた事は、プレシアにとって僥倖(ぎょうこう)。コレで、今度こそ望みを叶える。
 しかし、彼女の前に問題が立ちはだかった。
 その問題を解決すべく、『緊急特別会議! アリシアちゃんを生き返らせろ!』が開かれた。会議に参加するのは、部屋の住人である零、隼樹、そしてアリシアの母親であるプレシアの三人だ。
 リビングのテーブルを囲んで、零が口火を切って話し合いが始まった。

「ジュエルシードに直接、アリシアちゃんの蘇生を願う案は良いとして……問題は、数ですね。ジュエルシードは、一個だけじゃないんですよね?」
「ええ。ココに流れ着く前に私が持っていたのは、全部で九個よ」
「でも、手元にはコレ一個だけですよね?」と隼樹。
「おそらく、漂流して流れ着いた際に、散らばったんだと思うわ」

 プレシアの推察は、当たっていた。虚数空間からこの世界に跳躍した際に、九個のジュエルシードはバラバラに散ってしまったのだ。状況的には、過去で海鳴市で捜索した時と似ていた。だが、今回も一つの街の中だけとは限らない。もしかしたら、他の街、それどころか世界中に散らばってる可能性も捨てきれない。
 テーブルに置かれたジュエルシードを見つめて、零が言った。

「死者を甦らせるなんて、生半可な事じゃないから、ジュエルシードの数は多い方がいいわね」
「私もそう思うわ。けど、広範囲の捜索となると時間がかかるわ」

 早くも難問にぶつかり、零とプレシアは腕を組んでシンキングタイムに入った。いかにプレシアが優れた大魔導師でも、世界中に散らばった石ころを探すのは骨が折れる。海鳴市に散ったジュエルシードを探すだけでも大変だったのに、地道な捜索で一体いくら時間がかかるやら。
 二人が頭を悩ませていると、おずおずと隼樹は小さく手を挙げた。

「あの、ソレって結構簡単な事なんじゃ……?」
「え?」

 振り向いた零とプレシアの視線を浴びる中、隼樹は自分の意見を言った。

「他のジュエルシードをココに集めるように、手元のジュエルシードに願えば楽じゃないですか?」

 願いを叶える石。某メガヒット漫画にも、同じような石が存在した。その龍玉とジュエルシードには、決定的な違いがあった。
 ソレは、龍玉は特定の数を揃えないと願いが叶わないが、ジュエルシードは一個でも可能と言う点だ。
 願望機の機能を利用した隼樹の案に、零とプレシアは口を開けてポカンとなってしまう。意表を衝かれて、茫然と彼を見つめる。
 そんな二人を見つめ返して、隼樹は尋ねた。

「俺、何か間違った事言いました?」

 隼樹の声で我に返った零が、振り絞った声で言った。

「キミのその柔軟な発想を、時々羨ましく思うよ」
「ソレ、普段は馬鹿にしてますって言ってるようなもんだよね? 違う?」

 クール(ガール)に口論を挑もうかと思ったが、小学生相手に声を荒げるのも大人げないと、ココは褒め言葉として受け取って引いた。

「じゃあ、そうと決まれば、早速実行しましょうか」

 言いながら隼樹は、テーブル上のジュエルシードに手を伸ばして掴んだ。
 すると、珍しく慌てた様子でプレシアが止めた。

「待ちなさい!」
「え? 何ですか?」
「言った筈よ? ジュエルシードは、願いを歪んだ形で叶えると……」

 つまり、下手に使用するな、とプレシアは言いたいのだ。
 しかし、未知の道具を手にした際、試したくなるのが人間の(さが)と言うモノ。加えて隼樹は、暢気な面もあった。この二つが合わさって、彼はジュエルシードの歪みの危険度を軽視してしまった。

「でも、物を移動させる位なら、そんな深刻な事態にはならないでしょう?」
「そうかもしれないけど……」

 不安を拭いきれないのか、プレシアは顔を顰める。
 同じ気持ちで、零も不安げな表情をしていた。敏感な彼女も、嫌な予感を抱いてるようだ。
 二人の心配を他所に、隼樹はジュエルシードに願った。

「この世界に散らばった他の八個のジュエルシードを、ココに集めて」

 直後、持ち主の願いに反応したジュエルシードが、青い輝きを放った。
 これから超常現象を目撃する事になるかと思うと、隼樹は胸を高鳴らせた。どんな風に、他のジュエルシードが目の前に現れるのか、興味津々に待ち構えている時だった。
 何かを察知した零が室内を見回すと、突如、壁や窓ガラスを突き破って飛来物が侵入してきた。

「ぎゃああああああああああああ!?」

 突然の異常事態に、隼樹と零は同時に悲鳴を上げた。
 室内に侵入した飛来物が、テーブルの上に集まる。ソレは、違う数字が彫られた八個のジュエルシードだった。
 どうやら、ジュエルシードが願いを叶えた結果のようだ。
 隼樹の軽率な行動の結果に、プレシアは呆れて溜め息をつく。

「だから言ったでしょう? ジュエルシードは、願いを歪んだ形で叶えるって……」
「いや、ホント歪んでますよ!? 何すか、コレ!? てっきり、手品(マジック)みたいに、パッと目の前に移動されると思ってたのに……! 性格歪んでるよ、この道具!」
「どうするんだ、隼樹!? キミのせいで、壁に八つの穴が空いちゃったじゃないか!」
「いや、確かに願いを言ったのは俺だけど、実際に叶えたのはジュエルシードで……!」

 予想外の事態に慌てる隼樹と、嫌な予感が的中して声を上げる零。
 しかも、被害は自分達の部屋に留まらなかった。

「きゃあああああ! ウチの壁に穴がァァァァァ!」
「一体どうなってるんだ!?」
「誰の仕業だっ!? 訴えてやる!」

 隣室のみならず、一階の住居者から驚きと怒りの声が上がった。
 他の住居者の荒ぶる声を聞いて、隼樹と零はサーッと顔を蒼くした。楽な収集方法かと思われたが、近隣の人々を巻き込んだ大惨事を引き起こした結果になってしまい、声すら発せられずに立ち尽くす。
 現状に頭痛を憶えて、プレシアは頭を抱えた。
 それからは、事態の収拾に四苦八苦した。まず、壁の穴を直そうと冷静さを欠いた隼樹が、再びジュエルシードに願った事で新たな異変が起きてしまった。穴は消えたが、壁が丸ごと別の壁に変わってしまったのだ。修理では無くリフォームになってしまい、瞬時に壁が違うデザインにチェンジした事に住居者は騒ぎを大きくした。慌てて隼樹は、今度は騒動の記憶を消すよう願った。すると、一応騒ぎは収まり、三人はホッと安堵した。しかし、隼樹達が気付かなかっただけで、実は記憶消去の願いも歪んだ形で表れていた。何故なら住居者達は、今回の壁事件だけでなく、今までの人生で起こった全ての騒動の記憶を失っていたのだ。まあ、多分これからの人生に支障は無いだろうから、大丈夫だろう。


 とんでもないアクシデントが発生したが、何とか九個のジュエルシードを手元に集める事には成功した。

「何か……特に動いた訳でも無いのに、凄く疲れちゃった……」

 溜め息をついて、零は疲労感を漂わせる。精神的な疲れが酷くて、体がダルく感じていた。

「その……すいませんでした」

 騒動の発端である隼樹が、素直に謝った。流石に自分の軽率な行動を反省しているようだ。

「それじゃあ、次にいくわよ」

 気を取り直して、プレシアが会議を再開した。
 九個のジュエルシードが揃ったが、まだ問題は残っている。ソレは、ジュエルシードの願いの叶え方だ。先ほどの騒動のように、願いは歪んだ形で叶えられてしまう。まともな願いの叶え方をさせるには、一体どうすればいいのか、一同は再びシンキングタイムに入った。
 やがて、零が挙手をした。

「あの、願いを唱える際に、歪みを取り除く言い方をすればいいんじゃないかな?」
「おお、その手があったか!」

 隼樹も納得して頷いた。
 向こうが歪めてくるなら、先手を打つ。有りそうな歪みの可能性を挙げて、ソレ等を取り除くように願うのだ。そうすれば、アリシアをノーマルな状態で蘇生させる事が出来るかもしれない。

「そうね。他に方法は無さそうだし、ソレしかないわね」

 プレシアも零の提案に同意を示した。
 零の歪み解消の案が採用され、早速三人は実行した。とにかく、思い付く限りの歪みを口にして、ソレを白紙に書き並べていく。願いを唱える際には、コレを読むのだ。
 最初に歪み候補を言ったのは、隼樹だった。

「えー、ゾンビとして蘇生させる」
「サンダースフィアァァァァ!」
「ぎゃああああああああああ!」

 候補を口にした直後、プレシアの攻撃魔法が火を、いや、雷を飛ばした。
 バリバリと感電の音を室内に響かせ、強烈な紫色の閃光を光らせる。電撃が収まり、アフロヘアーで全身黒焦げになった隼樹が床に倒れた。
 初めて目にする魔法に唖然としていた零だったが、すぐに倒れた隼樹に駆け寄った。

「隼樹ィィィィ! しっかりしろ! テスタロッサさん、何するんですか!?」
「ご、ごめんなさい。その……彼が言った候補の内容が、酷かったから、つい……」
「いや、気持ちは解りますよ? 自分の娘が、その……アレになって生き返るなんて想像したくないでしょうから……! でも、幾らなんでも電撃はやり過ぎですよ!」

 どちらかと言えば、ギャグパート的な場面だったので隼樹は軽傷で済んだ。割と素直にプレシアも謝ってくれたので、わだかまりも生まれず会議は続行された。
 ただし、声に出して意見すると、娘想いのプレシアがまた暴走しそうなので、それぞれ手元の白紙に書いて後でまとめる事にした。黙々と紙に書き並べた結果、十数個もの歪み候補が出てきた。
 三人の意見がまとまった紙を片手に、いよいよプレシアはアリシア蘇生に臨む。空いてる左手の上には、九個のジュエルシードが浮いている。
 準備を整えたプレシアは、寝室のベッドに横たわっているアリシアの傍に歩み寄り、静かに腰を落とした。亡き娘を見つめる顔には、緊張の色が滲み出ていた。おそらく、コレがアリシアを生き返らせるラストチャンスとなる。
 隼樹と零も、緊迫した場の空気に触発されて、口を閉ざしてプレシアの背中を黙って見守る。奇跡の瞬間に立ち会う緊張感が高まる中、彼女の願いが無事に叶う事を心中で祈っていた。
 重苦しい空気が支配する寝室で、プレシアは意を決したように溜め息を()いた。

「いくわよっ……!」

 自分に向けるように呟き、プレシアは遂に娘の蘇生に挑む。
 紙に並べられた歪み候補を心中に唱えていき、娘の蘇生を強く望む。声に出さずとも、心の中で強く念じれば願いはジュエルシードに伝わる。そしてプレシアの意思に呼応するように、左手のジュエルシードは徐々に輝きを強めていった。
 願うのは、死なせてしまったアリシアの蘇生。
 望むのは、失った二人の幸せな時間。
 プレシアは願う。
 願う。
 願う。
 願う。
 その強い願いは、声となって出る。

「ジュエルシード……! 私の願いを叶えなさいっ……! アリシアを生き返らせなさいっ……!」

 ありったけの感情と想いを込めて、プレシアは願いを叫んだ。
 次の瞬間、ジュエルシードは一際大きな輝きを放った。寝室を包み込む光が強過ぎて、目を開けている事が出来なくなる。後ろで見守ってる隼樹と零の二人も、目を閉じて視界を封じられた。
 やがて強烈な光が収まり、ゆっくりと二人は瞼を開けた。
 目の前には、プレシアと横たわってるアリシアが居た。ふと零は、ある事に気付いた。プレシアの左手の上に浮いていたジュエルシードが、消えているのだ。おそらく、死者の蘇生と言う通常の望みを超えた願いに応えた結果、結晶体を保つ事が出来ずに、全魔力を消耗して消滅してしまったのだろう。
 ならば、アリシアはどうなったのか?
 すぐに隼樹と零の目は、眠ってるアリシアに向けられた。真っ直ぐに注視、凝視する。

「アリシア……」

 傍に座るプレシアが、名前を呼んだ。手に持つ紙が、ハラリと床に落ちる。
 その時、後ろで見ていた隼樹と零は、アリシアの驚愕の異変に気付いた。先ほどまで息をしていなかったアリシアの胸部が、規則正しく上下に動いているのだ。コレは、呼吸をしている何よりの証。

「えっ……!?」

 衝撃の光景を目にして、隼樹は思わず声を上げた口を手で覆った。
 眠ってるアリシアの顔を見つめてるプレシアは、この変化に気付いていない。

「アリシア……! お願い……目を開けて……!」

 涙声で声をかけ、両手を娘の頬に添えた。
 固唾を飲んで見守る中、ベッドの上のアリシアの小さな手が、ピクリと動いた。
 それだけにとどまらず、

「う……う~ん……」

 口から声を漏らし、身じろぎを始めた。

「アリシア!」

 娘の(せい)ある反応に、プレシアは弾かれたように声を上げた。
 母親に肩を抱かれた娘は、薄らと目を覚ました。顔を動かして、自分を見下ろすプレシアを見上げる。

「お母、さん……?」
「アリシアっ……!」

 娘の蘇生に歓喜の涙を流して、プレシアはアリシアに抱きついた。

「生き返った……!?」

 本当に奇跡の瞬間を目撃して、隼樹と零は見事に声をハモらせた。ビックリ仰天して、目を見開き、口なんか顎が外れそうな程に開けている。
 一方、プレシアは生き返った愛娘を手放さないように、力一杯抱き締めていた。

「アリシア……アリシアァァ……!」
「お、お母さん、どうしたの?」

 何故プレシアが自分を抱いて泣いているのか解らず、アリシアは困惑する。
 蚊帳の外と化している隼樹と零は、信じ難い光景に唖然と立ち尽くすだけだった。

「コレは夢か……?」
「頬、抓ろうか?」
「いや、結構……」

 零の申し出をお断りして、目の前の親子を眺める。
 自分の常識を遥かに超えた、まさに超常現象だった。
 すぐに自分の目を疑ったが、紛れも無い現実だった。

「あるんだなぁ、こういう事が……」
「うん」

 感嘆の声を漏らす隼樹の隣で、零は笑顔で頷く。彼女の中では、驚きよりも喜びが勝っていた。

「よかったね、アリシアちゃん」

 誰にも聞こえない、小さな声で零は呟いた。
 死んだ娘が蘇って、感動の親子の再会で万々歳で解決した──と思われた時だった。

「うっ……! ゴホッ……ゴホッ……!」
「お母さん!?」

 突然、プレシアは口を押さえて激しく咳き込んだ。

「テスタロッサさん!?」

 異変を察した隼樹と零も近寄り、彼女の様子をうかがう。
 尋常じゃない咳き込み方に訝り、心配になって顔を覗き込んだ。

「テ、テスタロッサさん……!?」
「ち、血が……!?」

 動揺に震えた声を出した二人が見たモノは、口から赤い血を滴らせるプレシアの顔だった。
 苦痛に顔を歪め、息を乱して喀血を起こし、床に小さな血溜まりと赤い斑点を作る。
 母親の異変に、アリシアは目に涙を溢れさせて声を上げた。

「お母さん!? お母さん、どうしたの!?」
「テスタロッサさん……まさか、何か重い病気に……!?」

 零の言葉に、プレシアは自嘲染みた笑みを浮かべた。

「ええ……。肺がんを患って……もう、手術も手遅れの状態よ……」

 彼女の言葉を聞いた瞬間、零はハッと思い返した。

 時間が残されて無い(・・・・・・・・・)

 過去を語った中で、プレシアが口にしていた言葉である。文字通り、自分の命が残りわずかである事を言っていたのだ。

「お母さん! 嫌だ……! お母さん、死んじゃ嫌だよ……!」

 ボロボロと大粒の涙を零して、アリシアが必死に呼びかける。
 プレシアは微笑みを向けて、娘の頭を優しく撫でた。

「ごめんなさい、アリシア……。コレは、きっと罰なのよ……。貴女を死なせてしまった、私への罰……」

 アリシアを死なせてしまったあの日から、アリシアを生き返らせる事だけを考えて生きてきた。
 アリシアが生きる希望であり、全てだった。
 アリシアを生き返らせる為なら、自分の身を犠牲にする事さえ(いと)わなかった。
 けれど、娘が戻ってきた今は違った。
 生きたい。
 死ぬのが恐い。
 アリシアと離れたくない。
 やっとアリシアが生き返ったのに、自分は死んでいく。取り戻したと思ったら、今度は自分が死ぬ番。二人で幸せな時間を過ごそうにも、自分の命が尽きかけている。
 死への怯えは、体の震えとなって表に出てきた。

「嫌ぁ……! 死にたくない……! まだ、死にたくない……!」

 愛する娘を抱き寄せて、泣きながら必死に迫りくる死を拒絶する。
 苦しむ母親の姿を見て、アリシアは助けを求めた。

「お兄さん! お母さんを助けて……!」
「えっ……!?」

 まさか自分が頼られるとは思っておらず、虚を衝かれた感じに隼樹は顔を引き攣らせた。

「お、俺……? 俺ぇ!?」

 自分を指差し、声を上げて動揺を露にする。
 隼樹が戸惑ってる間にも、プレシアは苦しみ、アリシアは止めどなく涙を流し続ける。

「お母さん! お母さん!」
「アリシアちゃん、落ち着いて! テスタロッサさんも、しっかり!」

 零が必死にアリシアを宥め、プレシアを励ます。
 二人の対応で手が一杯の零が、目を向けてきた。出来る限りの事をして、と目で語りかけていた。
 ──出来る限りって、出来る事がねーんだよっ!
 医者でも何でもない自分が、治療不可能の病を患った女性を助けるなんて、どう考えても無理だ。
 しかし、だからと言って助けを求めてくる少女の願いを無下に扱う事も出来ず、プレシアを見捨てるなんて事も気持ち的に出来ない。かと言って、何か助ける方法がある訳でもない。
 何とかしてやりたい気持ちは山々だが、打つ手が全く無いのが非情な現実だった。

「ああっ……! どうすればいい……? どうしたらいいんだよ……!?」

 頭をグシャグシャと乱暴に掻き、隼樹は寝室の中を歩き回る。
 その時、何か固い物を踏み付けて、足の裏に痛みが走った。

「いってェェェ……!」

 地味な痛みに涙を浮かべ、その場に屈んで足の裏を押さえた。
 この追い詰められた状況で、何たる不運だ。
 チクショー、と心中で悪態をつきながら、痛みの原因に涙目を向けた。
 ソレを見た瞬間、隼樹は痛みなど忘れて、驚愕した。

「あああああああああああああああっ!」

 大声を室内に響かせ、隼樹は最後の希望に手を伸ばした。
 隼樹が掴んだのは、消滅しかけた一個のジュエルシードだった。死者の蘇生に膨大な魔力を必要として、他のジュエルシードは跡かたも無く消滅してしまった。だが、消えかけだが、一個だけ残っていたのだ。ソレを、たまたま落ち着き無く、室内を歩き回った事で発見した。
 奇跡の偶然。
 神懸かり的僥倖。
 隼樹は迷わず、願いを口にした。

「テスタロッサさんの病気を治すんだ……!」

 アリシアを生き返らせた時のような、細かい制限をグダグダ並べてる時間は無い。
 だから、一言叫んだ。

「変な叶え方したら、ぶっ殺すぞおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 ジュエルシードが輝きを発すると同時に、プレシアの体も青い光に包まれた。
 やがて光は収まり、隼樹の手の中にあったジュエルシードも、魔力を使い果たして消えた。
 果たして、プレシアは助かったのか?
 恐る恐る振り返る首の動きは、まるで油の切れたロボットのように鈍く、ぎこちない動作だった。
 そして隼樹は、視界にプレシアの姿を捉えた。こちらに背中を向けてるので、容態は分かり難い。
 心臓が高鳴り、五月蠅く聞こえる。緊張した面持ちで見つめていると、プレシアは声を発した。

「コ、コレは……!?」

 プレシアの声は、震えていた。
 治った? 治って無い?
 どっち?
 見てるこっちの方が、緊張状態で倒れそうだった。

「苦しみが、消えた……。体が楽になって……軽いわ……!」

 自分の体を確かめ、震えた声でプレシアは言った。
 体の変化から導かれる答えは、一つだった。

「解る……解るわ……! 病気が、治ってる……! 私……助かったわ……!」
「お母さん!」

 アリシアが抱きつき、プレシアは力一杯抱き締めて迎えた。
 死の淵から生還したプレシアは、顔色が良くなり、歓喜の涙を流していた。口周りの血も消えて、体調も良好。完全に回復して、元気な姿を見せている。諦めかけていた分、助かった喜びも倍増していた。
 プレシアの病も治って助かり、冷や冷やしていた零は安堵した。
 二人の親子を一瞥して、隼樹に笑顔を向けた。

「たまにだけど、やる時はやるじゃないか……!」
「一言余計だよ……。はあ……」

 深い溜め息を吐いて、隼樹はその場に座り込んだ。一番ドキドキしていたのは、プレシアが助かる事を願った隼樹自身だった。緊張の糸が切れて、脱力感に襲われて立つ気力も無い。

「隼樹!」
「え……?」

 不意に名前を呼ばれ、顔を上げた。
 その直後、暖かい感触が隼樹の体を包んだ。プレシアが、隼樹に抱きついたのだ。無遠慮に二つの柔らかい膨らみを押し当て、無邪気な子供のように抱き締めた。
 抱きつかれた隼樹は、「はあっ!?」と一気に赤く上気した顔を引き攣らせた。
 同じく顔を赤くする零が見てるのも構わず、プレシアは感謝の念と喜びに任せて隼樹を力一杯抱き締める。

「ありがとう、隼樹……! 本当にありがとう……!」
「い、いえ……あの……! そんな……ど、どういたしまして……!」

 緊張は去ったと言うのに、今度は興奮で心臓が早鐘のように高鳴ってきた。女に、それも美女に抱かれるのは、コレが初めてだった。
 隼樹にお礼を言った後、プレシアは零に顔を向けた。

「零ちゃんも、ありがとう……!」
「いえ、どういたしまして……!」

 気恥ずかしくなって、零は目を逸らした。


 マンションの一室で、誰も知らない奇跡が起こった。
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ついったーで読了宣言!
ついったー
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