第1話:運命の出逢い
底無しの空間を、彼女は墜ちていった。
上下が存在しない世界では、重力に従って墜ち続けるだけだ。
自分の目的の為に集めた九つの青い石が、取り囲むように周囲に浮いている。まるで宝石の浮輪だが、この空間では意味を成さない。
虚数空間。次元の歪みによって生じた、この空間では全ての魔法は無効化されてしまう。本来なら空を飛べる彼女も、空間の法則に逆らえず墜ち続ける。否、彼女は逆らう気など無かった。
彼女──プレシア・テスタロッサは、忘れられた都を目指して奈落に身を任せる。失った大切なモノを取り戻す為に、様々な手段を講じてきた。しかし、どれも彼女の目的を成就させる事は出来なかった。絶望の淵に立たされた彼女にとって、コレが最後の希望だった。
墜ちていくプレシアは、愛おしそうにある物を抱えていた。ソレは、小さな女の子が入った生体ポッドだった。ポッドの中は透明な液体で満たされており、女の子は折った膝を抱える体勢で浮いている。中身の女の子は、アリシア・テスタロッサ。ファミリーネームから察する通り、プレシアの娘である。
必ず、辿り着く。
そして、取り戻す。何よりも愛する娘と失った大切な時間を──。
今度こそ、家族で幸せを手にするの。
娘を抱くプレシアの周囲に佇む九つの石──ジュエルシードがより一層強い輝きを放ち、虚数空間から二人の姿を消した。
*
林隼樹は、とある小学校の校門に寄りかかっていた。下校する生徒達から目を逸らして、仏頂面で周囲を見渡す。いつまで経っても、コレは慣れない。親に手を引かれて帰っていく生徒は、大半がこちらに目を向けてくるのだ。中には、別れの挨拶をしてくる親子も居た。そういう人には、こちらも挨拶を返す。
早く帰りてぇ、と隼樹が心中に呟いた時だった。
「いっつ……!」
足に痛みを感じて、隼樹は顔を顰めて屈んだ。丁度脛の辺りで、かなり痛い上に、なかなか痛みは引かない。
苦痛に歪めた顔を上げると、二人の男子生徒が去っていくのが見えた。おそらく、無防備な隼樹の脛を蹴った悪戯小僧だろう。迎えに来た親が、頭を下げて謝罪の意を向けてきた。
親に手を引かれて遠ざかる男子生徒の背中を、隼樹は恨みがましく睨んだ。
「クソガキが……! そうやって笑ってられるのも、今の内だぞ……! 社会に出たらな、そんな笑ってられないんだぞ……!」
「子供相手に、何大人気ない事言ってるのよ?」
呆れた声が聞こえ、隼樹は顔を向けた。
いつの間にか、隣に一人の小学生が立っていた。黒髪ロングの女の子で、幼さゆえかサラサラで艶やかな髪質をしている。まだ小学生ながらも、若干のツリ目をしており、妙に大人びた印象を受ける。両手をスカートのポケットに突っ込んで見下ろす様は、駄目な部下に呆れる女上司のように見えなくもない。
蹴られた脛を擦りながら、隼樹はしかめっ面で言った。
「被害者の俺を慰めようとは思わないの?」
「いつもの事じゃない」
「……だから、この時間は嫌なんだ」
愚痴を零して、隼樹は立ち上がった。
「ほら、帰るよ零」
「まったく。すぐ拗ねるんだから」
少女は苦笑して、赤いランドセルを背中に隼樹の横を歩いた。
彼女の名前は、秋山零。私立の小学校に通う三年生だ。
苗字から察せられる通り、この二人は兄妹では無い。とある事情があって、大学を卒業した隼樹は零と二人暮らしをしている。下校時刻に、零を迎えに行くのも隼樹の役目なのだ。
しかし、この下校時間が、隼樹にとって一番嫌な時間だった。言わずもがな、小学生がウザい。場違いな所に居る自分に子供や親が目を向けてくるのは勿論、さっきのような悪戯をしてくるガキも珍しくない。とにかく、零を待っている間、ロクな目に遭わないのだ。本来なら彼女の実の親が迎えに来るべきなのだが、生憎と来れ無い状態にいて、代わりに隼樹が迎えに来ている。事情が事情なので、すっぽかす訳にもいかない。それに今のご時世、子供を一人で帰路につかせると何が起こるか解らないから、嫌々でも結局来てしまうのである。
夕焼け空の下を歩きながら、二人は会話を始めた。
「今日の夕飯は何?」
「そうだな……アジの開きにしようかな」
「今夜は肉を食べたい気分なんだけど」
「今夜はじゃなくて、今夜もだろう? まったく……キミは肉ばかり求め過ぎだぞ」
年上の隼樹に対して、キミと呼ぶ零は、将来大物になると思われる。小学生ながら、精神年齢は零の方が上なのかもしれない。
他愛もない話をしてる間に、二人は自宅のマンションに着いた。五階建ての高級マンションで、二人が住んでる部屋は一階にある。扉が並ぶ通路を歩いて、自分達が使ってる部屋の扉の前で立ち止まった。
零がポケットから鍵を取り出し、錠を開けようとしたところで、手を止めた。眉根にシワを寄せて、不審に思うような顔つきで目の前の扉を見つめた。
訝しげに片眉を上げて、隼樹は声をかけた。
「どうしたの?」
「いや、何かおかしな感じが……」
零も引っ掛かりの正体が解らず、首を傾げた。
彼女は、異変を敏感に察知する感覚があるのだ。これまでも、何度か勘の良さを見せた事がある。
まさか、泥棒か? と隼樹の中で緊張が走り、眉根を顰めた。下を向けば、零が顔を見上げていた。小さく頷き、開けるよ? と目で確認してくる。まだ心の準備は出来ていなかったが、つられるように隼樹は頷き返した。
銀色の鍵を静かに鍵穴に差し込み、ドアノブを回して扉を開ける。足音を殺して、二人は部屋の中に入った。極力物音を抑えて靴を脱ぎ、部屋に上がって、短い廊下を進む。年上で体格が大きいと言う事で、隼樹は零の前を歩いていた。リビングに足を踏み入れた瞬間、二人は驚愕して目を丸くした。
「なっ……!?」
「何だ、コレ!?」
驚きの光景に、隼樹と零は絶句する。
何と、リビングの床が浸水しているのだ。段差で廊下には広がっていないが、それでもエラい事態である事に変わりない。
異常事態に面食らって、隼樹は取り乱した。
「えっ? えっ……!? 何コレェ!?」
「何がどうなってるのよ!?」
零も混乱するものの、浸水原因の場所を探す。
真っ先に台所を見たが、蛇口は閉じられて水道から水は一滴も出ていない。風呂場も覗いたが、ココも違った。
一方で隼樹は、何となく寝室を覗こうと思った。通常の水漏れの恐れのある個所以外だと考え、寝室の扉に手をかけた。今度は隼樹が、いくぞ? と訊いて零は頷いた。
次の瞬間、隼樹は勢いよく扉を横に開けた。直後、部屋に溜まっていた水が押し寄せてきた。溜まり具合から、どうやらココが浸水の源のようだ。
しかし、ソレ以上の衝撃が二人を襲った。
驚きのあまり、二人は口を開けるも声を発せずに唖然として立ち尽くす。
寝室の上に、一人の女性が横たわっているのだ。外見から推測するに、年齢は三十代前半と思われる。長い黒髪でウェーブがかかっており、前髪で顔の左半分が隠れており、覗く右半分は綺麗に整って美人の部類に入る。更に、恰好が凄かった。大きく胸元を開き、露出の高い紫色のドレスの上に黒いマントを羽織っている。
しかも、寝室に居るのは彼女だけでなく、もう一人居た。大きな透明のケースの中に、膝を抱えた少女が浮いている。ケースの一ヶ所が割れて、中身の液体が流れ出ていた。コレが浸水の原因だった。
二人の部屋は、どえらい事になっていた。
「え~!?」
度肝を抜く現状に驚きつつも、隼樹の目は二人の女の体を凝視する。熟された女性と幼い少女の身体に釘付けで、浸水の事など二の次で、頭の大半を煩悩が占めていた。
その時、彼のスケベ心を察知した零が、真っ赤な顔で動いた。
「ゴメン、隼樹!」
「おうっ!?」
指で目潰しをされた隼樹は、視界を強制的に封じられ、両手で顔を押さえて浸水した床に背中から倒れた。
「目がァァァ……目がァァァァァァァァァ!」
床を転がり、目を潰された痛みにのたうち回る。
申し訳ない気持ちを抱きつつ、零は浸水を止める為に動いた。タオルとガムテープを両手に、ケースの穴を塞ぐ作業に移った。
その間、隼樹は痛みを訴え続けていた。
*
数時間後、零の奮闘と回復した隼樹の手伝いもあって、何とか部屋を片付ける事が出来た。タオルで濡れた部分を拭きながらガムテープを貼ってケースの穴を塞ぎ、バケツで部屋に溜まった水を台所の流しや浴槽に捨て流して、雑巾で床を拭いた。隼樹にとって床拭きは、学校の清掃の時間以来だった。
「疲れたぁ……!」
「私も……」
リビングの椅子に重い腰を下ろして、隼樹は溜め息をついた。流石の零も疲労が溜まって、額の汗を手の甲で拭う。
液体の除去作業を済ませた二人は、今度は頭を働かせる事にした。
「で……結局、この二人誰よ?」
「私が知る訳無いでしょう」
隼樹と零の視線の先には、ベッドに寝かせている二人の女性と少女の姿があった。
女性の方は顔を紅潮させ、息を荒くして何やら苦しそうな様子なので、無理に起こさず寝かせたままだ。救急車を呼ぶ事を当然考えたが、状況が状況であるから、他人の介入は出来る限り避けるようにした。だが、命の危険だと判断すれば、その時はすぐさま119番をすると決めた。少女の方はおとなしく、裸のままでは可哀想なので零の服を着せてやった。少しサイズが大きいが、素っ裸よりマシだろう。
リビングから寝室を覗く隼樹の目は、不謹慎ながら女性の胸を注視していた。呼吸のリズムに合わせて、上下に動く大きな膨らみに目を奪われてしまう。
またも敏感に隼樹のスケベ心を察して、零は顔を赤くして睨んだ。
「ちょっと、ドコ見てるのよ?」
「いや、ゴメン。でもさ、どうしても見ちゃうんだよ」
煩悩を抑えきれず、ついつい視線が女性の胸に向けられてしまう。
「いい加減にしないと、また目潰しするぞ?」
「分かった、分かった……!」
零の目潰しの構えを見て、やっと隼樹は胸から目を離した。
とにかく二人共、事情を聞き出せる状態では無いので、自分達で見つけた手掛かりをもとに考えるしかなかった。
「手掛かりと言ったら、女の子が入ってたあのカプセルと──」
隼樹は、手に持ってる物に目を向けた。
「この青い石くらいだよな」
手に持っているのは、宝石と思われる青い石だった。先ほどの除去作業の最中に、零が寝室で発見したのだ。ローマ数字が彫られているが、外国の物と断定は出来ない。日本でもローマ数字が使われている商品は、いくらでもある。身元を突き止める手掛かりには、ならないだろう。
少女が入っていたカプセルも、素人が見たところで何が何やらサッパリ解らない。
早くも手詰まりとなり、隼樹が頭を悩めてる時だった。不意に、服の裾を引っ張られた。
「ね……ねぇ、隼樹……」
「ん?」
呼ばれて振り向いた隼樹は、怪訝そうに首を傾げた。
零の様子がおかしいのだ。顔色が悪く、何かに怯えるように体を震わせている。
「どうしたの? 大丈夫?」
「あのさ……実は私、ヤバい事に気付いちゃったんだ……」
「ヤバい事?」
冷や汗を流した顔で頷き、零は女性の隣に寝かせている金髪の少女を震える指で示した。
「あの子、息してない……!」
「え……?」
目で追った隼樹は、少女の体を注視する。女性の胸部は呼吸によって上下に動いているが、少女はピクリとも動かない。綺麗な等身大の人形のように、微動だにしていなかった。耳を澄ませば、寝室から呼吸音は一人分しか聞こえてこない。
異変に気付いた隼樹は、心臓が跳ね上がった。
涙目の零は続ける。
「私もさ、さっきまでは気のせいだと思ってたんだ……。水の除去作業で忙しくて、慌ててたから……。でも思い返してみたら、さっき服を着せてあげた時に、妙に大人しくて……だから気になって呼吸の有無を確かめたら……全然、息してなくて……体も、妙に冷たかったし……! それに、水の入ったカプセルの中に入ってた時点で、おかしくないか……?」
恐すぎて、逆に表情は笑顔に変わっていた。
隼樹も頭の中では、最悪な答えを出しつつ、引き攣った顔で尋ねた。
「え……? って事は、どゆこと……?」
「だ、だから、その……あの子は、い……遺体、じゃないのか……?」
零の口から最悪な答えを聞いた直後、隼樹は椅子から落ちた。
「お、おお、落ち着け……! こ、こういう時は、何……? 110番!? それとも119番!? どっち!?」
「あわわわわ……!?」
流石のクール小学生の零も、初めて目にする遺体を恐がって混乱する。
その時、ベッドで眠っていた女性が体を起こした。寝起きの頭を抑えて、寝室を見回す。
「ん……。コ、ココは……?」
隼樹と零は、ハッとなって動きが止まる。
そして、女性と二人の目が合った。部屋に沈黙が生まれ、空気が重苦しくなる。
女性は警戒するように目を細め、鋭い眼差しを二人に向けた。
「貴方達は誰……?」
「え……? あ……」
問い掛けられた二人は、たじたじになって上手く喋れなかった。
何と言うか、威圧感が半端無く凄いのだ。鋭い目は相手を居竦ませ、声は静かながらも凄みが加わっている。隼樹も親や教師に怒られた経験があるが、今の彼女の迫力はソレ以上だ。この女、間違い無く凡人じゃない。
逆らってはいけない、と本能の警告を受け、二人は名乗った。
「は、林隼樹です」
「秋山、零です」
名前を聞いた女性は、しばらく二人を睨んでいたが、ハッと何かに気付いて視線を逸らした。
「アリシア! アリシアは……!?」
一変して取り乱した様子で、何かを探す女性。
「アリシアっ!」
そして、捜し物はすぐに見つかった。同じベッドで横たわってる金髪の少女を抱き上げ、力一杯抱きしめた。
アリシア。ソレが少女の名前なのだと、リビングから様子を眺める二人は思った。女性が威圧的な視線を外してくれた事で、少し気分が楽になった。
しかし、ソレも束の間の事で、またすぐに女性は刺すような鋭い目を向けてきた。
「貴方達……アリシアに手を出してないでしょうね……?」
「だ、出してません! 出してません!」
「わ、私も……私の服を着せただけで、他は何も……!」
答えを聞いた女性は、二人から視線を外してアリシアの体を調べ始めた。本当に何もされてないのか、確認してるのだ。
待っている間、隼樹と零は心臓を高鳴らせていた。
ややあって、何もされてない事が解り、女性は安堵の溜め息をついた。
同時に、リビングでも声を殺した溜め息が二つ漏れた。だが、すぐに気を引き締めて姿勢を正した。機嫌を損ねるような事をしたら、相手の女性は何をやらかすか解ったもんじゃない。そんな感じがするのだ。零じゃなくても、それぐらいの危機感は抱く。
アリシアから目を離して、再び女性は問うてきた。
「次の質問よ。ココは何処?」
「えっと……な、夏木市です……!」
「夏木市……?」
地名を聞いた女性は、怪訝そうに片眉を上げた。
自分が関わった地球に、海鳴市と似たような名前の街があった。
「貴方達、海鳴市と言う街を知っているかしら?」
「海鳴市……? いえ、知りませんけど……」
「私も聞いた事が無い……」
新たな情報を得て、女性は最後の質問をした。
「時空管理局と言う組織を、知ってるかしら?」
「時空管理局……? 知りませんけど……警察か何かの組織ですか?」
「FBIでもCIAでも無さそうだし……」
困惑の表情を浮かべる二人を見て、女性は確信した。
地球の海鳴市と時空管理局を知らない、と言う事は、ココは管理局が管理外世界にしてる地球とは別の地球なのだ。俗に言う、パラレルワールドと呼ばれるヤツだ。似て非なる世界が無数に枝分かれして、独立して存在している世界。おそらく、虚数空間に堕ちて、九つのジュエルシードの影響で、この世界に流れ着いたのだろう。
状況を把握した女性だったが、浮かない顔をしていた。寧ろ、虚脱感と絶望が胸中を占めていた。
結局、辿り着けなかったのだ。自分が求めていた、失われた都、約束の地に──。
「あ、あの……」
ショックで項垂れていると、隼樹に声をかけられた。
「何……?」
顔を上げた女性と目を合わせた瞬間、隼樹は思わず身を引きたくなった。
先ほどまでの迫力は失せているが、今度は幽鬼のような雰囲気に息を呑んだ。顔の左半分が前髪で隠れているので、恐いのなんの。
恐る恐ると言った口調で、隼樹は言った。
「貴女は、誰なんですか……?」
「私は……」
名乗っても名乗らなくても、意味は無い。
「プレシア……プレシア・テスタロッサよ」
どちらでもいいので、プレシアは名乗った。
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