さらば愚なる者よ
「排外主義」の正当性を改めて主張する!? ちょっともう笑っちゃうんだけど。。 排外主義自体は悪役を演じれば一分の正当性は誰も否定しないだろう。そんなことは最初から言っている。
暴力行為でもやれば、オマエは本物の排外主義者への階段を一つのぼったことになる。
そして改めて正当性を主張しろ! その暴力の正当性を主張するんだ! その暴力はこのような精神性に裏付けされているのだということを主張すればよいのだ! その裏付けられた精神性が素晴らしければ、正当性は確保できるのだ。
今の時点でオマエがいくら排外主義の正当性を主張しようが、絵空事なのだ。ちょっともののわかった人なら、誰もオマエを信用しないだろう。
まえにも書いたが、ヒトラーは暴力の価値をはっきり認めていた。平和愛好や暴力否定の思想ほど彼が信用しなかったものはないそうである。
オマエのブログのヘタレ信者は、「人数が少ないから、今は暴力なんてできない。」と言ってるが、人数は関係ない。今の人数でできる暴力をすればいいだけだ。
ヒトラーの運動は6人から始まったのは有名な話だ。人間の本性というものは、暴力が嫌いではない。暴力沙汰を起こせば、一人二人は逮捕されていなくなるかもしれないが、それに惹かれて、もっと多くの信者を獲得することができるものだ。排外主義と言うならリアリズムを語れ!!
「わがドイツの平和主義者らは、国民に対する残酷な圧制が行われても暴力的な抵抗によって運命を変えなければならないなら何もしないことを選ぶのだろう。」
アドルフ・ヒトラー
「暴力はむしろ道徳的なものである。というのは、それによってわれわれが四十八年かかっても出来なかったことを、わずか四十八時間でやってのけたのだから。」
ムッソリーニ
このような本物の極右になるのだ。
「命は尊い」などとほざく人権屋では話にならない。「人権」と「命」に価値をおく者には、公につくすための暴力などできまい。今のオマエは飾り物の言葉を吐き満悦している「甘やかされたお坊ちゃん」に過ぎない。そのような者の元に集まってくる者も同罪である。
保守主義者の私の方がよほど極右じゃないか。それをオマエはいつか認めざるを得ない時が来るだろう。さらば愚なる者よ!
P.S 今回の論争において、極右評論は、こちらの質問に対して何一つ明確に答えれなかった。一般に言論活動をする者にとって、抗弁できない者は、これを思想破綻という。思想破綻を認めるのであれば、断筆をし、言論活動を停止すべきである。さもなくば、間違いを素直に認め、ブログで表明すべきである。それが言論活動を行う者の作法である。 両方ともしない奴は、言論活動を行う価値がない。精神的に死んだも同然だ。
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