病から、人はどう立ち上がろうとするのだろう。昨年暮れ、2度目の脳梗塞(こうそく)に倒れた歌手、西城秀樹さん(56)が復帰を目指してリハビリ中だという。聞いてみた。「あきらめない」心って何ですか。【根本太一】
ワインレッド色のレザージャケット、ブルージーンズ。長身で、相も変わらず、カッコいい。目の前に座っているのは、まぎれもなく西城さん、いや、昭和30年代生まれの世代にはあこがれのスーパースター、ヒデキ!である。
最後にお会いしたのは2年前。NHKの家庭菜園作りの番組で、旬の野菜を育てながら「この味をヒロミ(歌手の郷ひろみさん)たちにも教えてあげたいよね」なんて笑い飛ばしていた。
お久しぶりです--。
「ああ、あの時の」
思い出してくれた! だが返ってきたその声は、以前とは違う。ろれつが回らないとでも言った方が正確か。西城さんは数錠の薬を手のひらに取り出して、ペットボトルの国産ミネラルウオーターとともに飲み込んだ。
「今は、こうして歩けるようになったんです。月、水、金曜日はリハビリで、専門の病院に通っています。『バランスボール』ってゴムのボールを使って訓練をしたりね」。自ら話をし始めた。
「火、木、土曜日は中国漢方式のはり。リハビリ運動と同じく、神経を刺激して、身体を動かす命令を脳がスムーズに出せるようにする訓練なんです」。手の機能回復のためトランプを用いることもある。「テーブルに並べたコインが取れない。指先が滑るんだね。ほら」。起き上がって片足立ちを試みるがおぼつかなく……椅子に倒れ込んだ。「今まで普通に当たり前にできていた動作が、できない。分かる? このつらさ」
身体に異変を感じたのは、デビュー40周年のディナーショーを間近に控えた昨年暮れだ。頭がフラフラして大学病院で診察を受けたが、結果は「異常なし」。帰ろうとしたが念のためにと検査入院を勧められた。その夜、血管が詰まってしまった。
発見が早かったせいか大事にはいたらなかったものの、一部の脳細胞が死に、機能がまひした。右半身が思うように動かなくなり、舌も思うように操れない。
それでも退院直後の1月には静岡県富士市のイベントで座ったままでバラードを2曲歌った。2月には新潟市でディナーショーも開催した。ただ「気持ち的には『死にたいな』くらいの落ち込みよう」だったという。「また闘わなくちゃならないのかって考えたらね。前回の時も、リハビリに3年もかかったから」
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最初の発症は03年。後遺症で言語障害に陥った。コップの水の、「水」がうまく言えない。ヒデキが歌を歌えない。「もう、歌手をやめるしかないって思った」。だが妻から返ってきたのは「ゆっくりと時間をかけて病気になったんだから、ゆっくり歩いて治していこうよ」の一言だった。
以前は暴飲暴食、たばこも1日4箱。血圧も高かった。前年に過労で緊急入院し、医師に休暇を勧められても「俺は車なら最高級の外車だろう。壊れるなんてあり得ない」とうそぶいた。「健康診断で変な結果が出ても無視していた。車だってメンテナンスをしないと走れないのに」
リハビリは、舌を温めたり冷やしたり。口を開いたり閉じたり。「最初は涙が出るほど悲しいというか、どんどん悪くなっていくんじゃないかって焦りが膨らんで」
そんな折、長男が誕生。「電話の向こうで赤ん坊が泣く声が、僕に必死に何かを訴えている。そんな気がした。不思議ですよね、『俺は生きているじゃないか』って思えたら、急に力が湧いた。病気だけど病人にはならないって。要は『気』なんですね」
妻は専門書を買い求め、カロリー計算をしたバランスのよい食事を作ってくれる。ヨーグルトとみそ汁、納豆は欠かさない。ジムにも通った。身体機能が回復し、脳梗塞の予防法について講演をするようにもなった。
それでも、再び倒れた。
再発は防げないのか。実は、西城さんに会う前に、脳梗塞の権威で、日本医科大神経内科部長の片山泰朗さんに話を聞いてきた。
「高血圧、糖尿病、脂質異常。一つでもある人が脳梗塞になりやすい。しかもいったん脳梗塞にかかった人は、動脈硬化が進み血栓ができやすい。10歳年をとるごとに発症率は2倍。しっかり治療すれば再発の可能性は低くはなるが、100%ではないんです」
自分は健康だと思っていても突然かかるのが、脳梗塞の怖い点だと片山さんは話す。再発すると、1度目より重症になる危険性がある。「西城さんの場合は自らのコントロールで生活習慣を変え、摂生もしていたからこそ、再びステージに立てる程度の症状で済んだのだと思います」
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片山さんの言葉を伝えると、西城さんの顔がほころんだ。再発前、1食600キロカロリーに抑えていた食事が今は400。まだ、ジムで汗を流すこともできないが、自宅近くを1キロほど散歩している。「ファンでもないのに僕を気づかって、声をかけてくれる人がいる。大げさかもしれないけど、同じ時代を一緒に生きる運命共同体というか、人と人とのつながりをひしひしと感じられる」
2月には岡山で、摂生しても再発した自身の体験を語って「転ばぬ先のつえ」として定期検診の重要性を訴えた。
正直、後遺症は前回より重いと思っている。「たまに真っ暗な部屋にたった独りでいるような感覚になるんですよ。文字通り七転八倒の日々なんです」
4月、長女は小学校4年生に、長男は3年、次男は2年に進級する。「長女は階段で手を引いてくれ、長男は風呂で背中を洗ってくれましてね。子どもに勇気づけられて、闇より明かりのある所にいようと思わせてくれるんです。僕は生き抜いてやるぞってね」
どうしても、聞いてみたくなった。また「ヤングマン」を歌える体に戻れますか。
「うーん。8月か9月か、もっと先になるのか。自分の体と相談しながらね。でも必ず歌いますよ。だってほら、あの歌詞、今の僕にピッタリでしょ」
♪ヤングマン、さあ立ち上がれよ……ゆううつなど吹き飛ばして、君も元気出せよ……。ああ、聞いてみたい。
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2012年3月26日
4月1日北リアス線田野畑~陸中野田間復旧
岩手県・宮城県に残る災害廃棄物の現状とそこで暮らす人々のいまを伝える写真展を開催中。