何が不愉快といって、誹謗中傷・罵詈雑言を繰り返し、無礼千万なブログ、こんなブログに行く必要はない。
もともと若くかわいい女性のブログであった。
そのかたのお誘いで、そこへ何度かコメントもした。彼女に訊かれるたびに、南京大虐殺についても語った。
突然そのブログの書き手が変わった。彼女の兄とその友人たちだった。
無礼千万な、もう何を言っても悪意に満ちた人たちだった。はじめから意図していて準備もしていたとしか思えない。
偶然なんかではない。
しかし、ここは丸くおさめようと、謝罪した。
それがわかるような連中ではなかった。
私の礼儀としての謝罪は惨い言葉ではねつけられた。
そして私の大切な友人をターゲットにして、誹謗中傷を繰り返す。
私はそのブログに誰も行かせないと言った。
しかし私の尊敬する友人は最後のしめくくりとしてコメントを書いた。
それも大きな立場からしっかりと、しかも媚びることなく、潔さに感動した。
それには勝ち負けなどよりも大人としての大きさが感じられた。
しかし、そのコメントにはまた無礼千万なレスがつけられ、ありとあらゆる暴言が付いた。
まるで辱めるようなひどい言葉だった。
しかし友人の態度は毅然としていて、一切の媚はなかった。潔癖で素晴らしかった。
もう、ここでおしまいにしたいと考えられたのだろう。
最初から話は違うのだから。
またそのブログの人たちは、私のブログの魚拓やログをとったからエントリーやコメントを消しても無駄だと書いてある。
それもその人だけでない、数人が時間差で登場し、口汚く書き込んでいるのだ。
私はそのブログのURLなどを含んだエントリーやコメントをすべて消した。
それはこの前の「お知らせ」に明記してある。
そのブログはもともと若い女性のものだった。そして人気のコメンテーターをその女性は褒め称えた。
私もうれしくてそのコメンテーターに声をかけてコメントに行っていただけたら、と頼んだ。
そのかたは頼まれてアドバイスを書いた。南京大虐殺について問われるままに「あまりくわしくないけど」と書いた。
それがこんなことになるなんて誰が予想できようか。
以前に最初の管理人の若い女性に請われて書いた南京大虐殺のコメントをしたことで、突然替わった実の兄の非常に強い攻めの口調、人を人と思わないような失礼きわまりない態度で出てきたのだ。私はこのいきさつについて、不信感を持った。
恐ろしいと思った。もう2度と相手にしたくない、誰も行かせたくない、と思った。
そのブログでは私のブログのエントリーを「今日はベッラがこう書いてある」とその管理人の友人が転載し嘲笑している。
転載というのは本人に断ってからするものだけど、そんなことなどお構いなしだ。
罵詈雑言を受けるほうも生身の人間だ。
私は怒りがこみ上げて、その無法ぶりに震えながら、ご紹介した方々に申し訳なく、いてもたってもいられない。
そしてこれからは私はブログのご紹介はしないことにした。
私がよかれと思ってご紹介したのは、若いかわいい女性のブログだったのだ。
それが待ち構えたように実の兄にかわり、また同じようにひどいことを言う友人数名もいた。
そのコメントなど完全な個人攻撃である。まるで待ちうけていたように。
書き込んだコメントは善意だというと、それも一蹴。
南京大虐殺で同じ考えを強制し折れてくるまで引きとめるつもりか。
それは人間が人間にすることではない。
そして魚拓やログをとったからエントリーやコメントを消しても無駄だと脅しのようなことを言われても、私は迷わず消した。
私は気が強い女性ではない、お化けの話も怖いし、根性もたいしたものはない。
でも、私の尊敬する大切な友人たちに申し訳なく、また私にブログを紹介された方々にも、ご迷惑がかかってはいけない。
ブログは個人的なものである。
そして最初のブログ管理人の女性だが、自分のブログにきてコメントを書いて下さった善意のかたがたは、全力で護らなければならなかったのではないか、と思う。
自分のために来て下さった大切なコメンテーターではないか、自分で南京大虐殺があったのかどうか「教えて」と頼んだのではないか。でなかったらそのブログには行きはしなかった。
そうでなかったらこれは「罠」なのか。しっかりした論客をターゲットを誘い込んだのか。
そして、それまでして書いたコメントのレスには「Pの円卓の騎士」というが「Pの円卓」はパーの円卓か、とあった。
何を言うんだ。パーと読むのは何語だ。
Pはピーであり、ドイツ語ではペーだ。これは「Pの円卓」そのものへの侮辱である。
Pさまは今、ご病気だ。私たちは辛いけれどPさまを通じて友人になったことを喜び、Pさまが再起なさるまでこうして仲良く
励まし合って友情をはぐくんできた。竹島の日もお祝いメールは「Pの円卓一同」だった・・・。(涙)
私は全力で護らせて頂く。かよわき女性でなにもかも至らない私だけれど、大切な尊敬する友人を必死に護りたい。
どれだけ人を傷つける言葉を情け容赦なくまき散らかしているか
・・・増長の限りだ。
ブログでこんな思いをしたことがあるかたはコメント、またはメッセージを寄せて頂きたい。
主義主張でこんな恐ろしい思いをするのは我慢できない。ここは社会主義共産主義の国家ではない。
そして二度とそのブログに行くことはない。
ベッラ・カンタービレ 61式戦車
☆☆用語解説 重宝(じゅうほう)を懐(いだ)く者は夜行(やこう)せず
《「戦国策」秦策から》貴重な品物を持っている者は夜歩いてはいけない。大きな目的を抱く者は、その身を大切にすべきであるというたとえ。
☆☆☆ こんな言葉も・・・
彼らの、相手を袋叩きにし声高に自分たち信じている正義叫ぶ姿を見ていると、
事実と向き合えないジレンマの鬱憤をぶつけている気がします。
自分たちの信じてきたことが実は違う事実があった、その証左であるような、そんな気持ちになりました。
刃から出た錆には磨ぐ砥石がないでしたか… 卑怯者は己の悪行に苦しむのだと思います。
沙楽鈴さまより
放っておけばいいです。
こうして見ると反論の術を持たない皇室の方々への中傷が何とレベルの低いものかわかりますね。
先日(3/13)に10年前の今日…で敬宮愛子内親王様のお宮参りの時の写真が出ていました。
皇太子殿下御夫妻の晴れやかで嬉しそうな表情。
今、雅子妃殿下はこんな写真を見る気持ちの余裕はあるのだろうか?と思い辛くなりました。
コメントを拝見して、喉の奥がつまりました。
母としての喜びに溢れていた雅子妃、「今、こんな写真を見る気持ちの余裕が」・・・これって辛いですね。母なのに悲しいですね・・・
私すごくわかるのです。
皇太子殿下の喜びに溢れた表情もいいですね。
でも・・・どうか立ち直って頂きたい、またこのような晴れやかなお顔をぜひ拝見したいですもの。私泣きそう・・・
果たして、こうしたブロガーは御皇室を攻撃したり、過去の日本の悪口を書いたり、そのなかで自らの人生の使命に従い、全うしているのだ、という確かな力強い実感のもとに日々を生きているのでしょうか。
ひとの悪口をえんえんと書きながら、あるいはひとの意見に反論を休み無く書きながら、みずからは誰にも恥じぬ信念がある、と胸を張って生きれるのでしょうか。
キリスト教にはこのような考えがあります、最終的には世界は存在せず、すべては神とじぶんとの間にあった出来事である、ということです。
政治も、国家も、すべて幻想です。過去の戦争も現在の対立もありません。美しい音楽も、素晴らしい自然の景色もみな、幻影です。
敵はいません、じぶんだけです。
だからそこにあるのは、人生においてじぶんに忠実であるか、という事実だけです。
それを神は一瞬たりとも見逃さずごらんになってます。
政治の信条が何かなど関係ない。そんなものはどうでもいい。
信念のもとに美しく生き、可憐に散る。それだけが問題なのです。
たとえばジャンヌ・ダルクはそう生きました。
彼女がフランスを守れたのは右翼だったからではない。
ジャンヌが、じぶんの使命に命をかけたからです。
国家や御皇室を攻撃するブロガーの方々もまた、信条を曲げずに生きてらっしゃる方々ですね、わたしはそれを疑いません。
しかし何かが、根本的なところが、ジャンヌ・ダルクと違う。
この違いは、わからないひとにはわからないし、わたしも言葉では説明し切れません。
おそらくそれを探すこともまたひとつの騎士的な探求だと思います。
毎度、わたしがコメントすると話が宇宙レヴェルでとんでしまいごめんなさい。
しかし、そのブロガーさんのことを思うと、このような根本的な結論に触れてしまいました。
ただ、わたしは恐ろしく反政治的な人間なのにベッラさんのブログにはコメントするのは、あなたがジャンヌ・ダルクとおなじだからです。
あなたのブログは、その反論者のブログと、政治的意見の違いを超えた違いがあります。
これだけはいえます。
私は、ブログを持った事がありませんが、また、”毎日(土・日は除く)”見るブログは、ベッラさんのを含め、3−4−5ですから、あまり知識はありませんが、特に、政治・歴史がらみのブログには、品性の欠片も伺えないコメントを時々見て、あきれる事が多々あります。厳しい意見と品性は別物です。
貴方を深く理解する人達に囲まれている事を信じ、誹謗、中傷コメントは、just
ignore なさって下さい。また、そん事で気分を害し、へこむ時間は、無い筈です。
私がおりますので、変な奴は河内弁でいてこまします(笑)。
安心してブログを綴って下さいませ。
しかし相変わらずkenさまのコメントは深いです。深すぎて私の頭脳が追い付きません(笑)。
ベッラさまへ、せっかくURLを書いてくださいましたが、私は携帯電話でブログを拝見しておりますので、わざわざそんなブログにパケット料金支払って見にいきませんよ(笑)。
そしてこれから「変なブログじゃないかしら」と疑わねばならないようなことにさせたそのブログ、相手にしません。
さらりんさまは「重宝抱く者は夜行せず」と言っておられます。
私もその通りと思います。
何か悪い夢でも見たような気がします。
また予知できなかったといえ、このようなことになったので、これから気をつけないといけないと気持ちを引き締めています。
いつもお優しく素晴らしいコメントをありがとうございます。
あまりひどいので、あきれます。
こんなブログもあるのですね。
最初は若い女性だったということは、防ぎようがなかったと思いますが、今から思えばもっと用心すべきだった思い当たる節もございます。
これも経験、と言えば苦しいですが仕方ありません。
そうですね、このようなバカ者につける薬はないしどうしょうもないということです。
南京虫は大量に「たたみ殺虫剤で」殺しました。シラミの一種で、痒いのです。
支那人はこれを南京大虐殺とか?(笑)。
おもろいやっちゃ!アホ!
さっきから何なの〜((((((((^ロ^;) ウケるwww ムププププ~~
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開けて見るのも気分悪いので。
izanagiさま、私は心の中ではそうしております。、
フローラはなさまへ、私は龍やんさまとは全く違う人間です。龍やんさまは大変な理論家でおられます。
私は相手を挑発してぼこぼこに叩くタイプですよ。
なかなか笑えるでしょう?。
なんせ、ベッラさまの防衛大臣を仰せつかっておりますので(笑)。
最初に日本人が懐かしくなるような動画を持ってきたりと上手い演出、あのブログの流れ、
きっとそこそこのおっさんでしょうが、可愛い女の子に成りすました文章をさらりと書いたり。
どんな職業なのかと想像してしまいました。
私はベッラさんを応援しています。無視が一番です。
最初の美しい日本の風景や黒髪の女性が髪を結うところ、あの24歳にしては幼稚すぎる言葉遣い・・・。
私、ショックです・・・。
どんな職業か・・・工作員、ですか。
でも何の落ち度もないのに、誠意を示しただけなのに、こんなひどい扱いを受けるなんて。
傷ついています・・・。
絶対に許せないです。
たとえ女の子が本当に女性であったとしても!
大切な尊敬する友人をあのような扱いをした奴ら、一生許しません!!
絶対に絶対に、許しません!!!
卑怯者の巣窟、これを見破ることができなかった・・・情けないことです。悲しいです。
!!ベッラさん付きの防衛大臣でしたね。
今日は参議院でマキオat 珈琲飲んで休憩しちゃった…がナンミョ~の議員に「棒読み大臣」と呼ばれ ヌヌヌ…ソウカも仲々やるにゃ…とヤンヤ♪でしたが……こちらの防衛大臣は頼もしいです。
ヤホホww