三畳間はある本来の用途としては広い部類に入る清潔な白い浴室に二人の人物がいる。
一人は浴室の洗浄場に下半身に軽くタオルを巻いて露出を隠し腰を下ろした、黒髪の何処にでもいそうな六、七歳くらいの年齢の少年。
もう一人は見た目が十八程の茶色の髪をした女性で、浴室の洗浄場に腰を下している少年の位置の後ろに、同じ様に腰を下ろしては居たが身体は少年と違い何かで隠している訳ではなく、その成熟し整った身体を惜しみげもなく晒して少年の身体をボディタオルで洗っていた。
端から見れば姉弟、女性が放つ母性からもしくは親子に見えるかもしれない光景。
ただ、その女性には人間であるなら本来は存在しない筈の肉体の部位が存在していた。
一つは頭部から生える猫の耳。そして、もう一つは彼女の腰部の丁度少し下辺りから生えている一本の尾が、彼女が人間ではないことを証明していた。
だが少年はその事に関しては特に関心はなく、気にした様子もなかった。そして、それも少年にとっては当たり前の事で、女性は少年にとっては家族で有り女性が人間でないことは既知の事実なのだから少年には当たり前の事実だったのだろう。
むしろ少年は女性が人間でないことよりも身体を隠さずに居る方を問題にしており、さっきから顔を若干赤くしながら女性から顔を逸らして場に満ちる沈黙を生み出していた。
「んでさ……、リニスが相談したい事って何なんだ?」
その場に満ちていた沈黙は、生み出していた少年自身の手で破られた。
リニスと呼ばれた女性は少年の身体を洗っていた手を一瞬止めて少しの間考える。そもそも、この二人が一緒に入浴すること自体は初めてであり、その入浴した理由がリニスの悩みに相談に乗ると言った少年が原因であった。少年に取り憑いている幽霊が風呂に入る時以外は常日頃から彼に取り憑いるため、話すのならば自分の正式な主人である彼以外にはあまり知られたくなかったリニスは、この場所を相談の場に選んだ。
そして、相談相手の少年自身にも家族に隠していることがあり、自分の相談は彼の隠しごとに触れるものでもあったからだ。
再び少年の身体を洗う手を動かし始めた頃には、リニスは少年への相談ではなく相談事に係わる質問を打ち明けた。
「死人は生き返ると思いますか?」
少年にとってリニスの質問は余りにも意外だったのか、鳩が豆鉄砲を食らった様な顔で正面を見ていた少年は振り返り、リニスの顔を見てからふと我に返ったのか慌てて正面に向き直る。
「それは……、本気で聞いているんだよな?」
「はい」
質問の内容をリニスが本気で聞いているのを信じられなかった少年は声に疑問の色が混ざっていたが、リニスはそのことを気にもせずに少年の確認にすぐ肯定する。
その肯定の返事に少年はすぐに言葉を発さなかったが、数秒ほどしてその質問が本気でされたものだと理解するとリニスからは確認できなかったが少年の瞳が観察者のものになっていきリニスの質問に答えを出す。
「無理だ。出来ないとは証明できないから言わないが、人間には少なくとも無理だと思うぞ。そもそも、生き返らせられるなら長い人類史上なんだから何人もの天才が挑んでとっくに叶えてるさ」
そこで少年は言葉を止めて、リニスの方を向く。今度は正面にすぐ向き直るよなことはせずにリニスの顔と目を見つめ口を開く。
「リニスの相談ってそんなことじゃないだろ? 本題は何なんなんだ?」
「……私はどうしたら良いんでしょうか?」
「なにが?」
「昔の主人のことです……」
リニスがこの家にやって来る前の主人であるプレシア・テスタロッサとの話になる。
リニスが造られたのは今から四年前、プレシアの娘であるフェイトが三歳の時だ。その時に主人であるプレシアから果たせと言われた契約はフェイトの教育だった。
リニスは契約の通りにフェイトの契約を履行していたが、フェイトの教育に無関心で研究室に籠りっぱなしのプレシアに対して反感の意を抱いていた。
そんな日々が二年ほど続いたある日、リニスはたまたま『ソレ』を見てしまった。緑色の溶液に満ちたポットの中に入っている、自分が教育している少女に瓜二つの姿をした金髪の少女を。
驚愕したリニスは思わずプレシアとの強烈な感情リンクを繋げてしまい、プレシアにリニスが見たものが流れんで、それに驚いたプレシアの記憶が今度は感情リンクを通ってリニスに流れ込んできたのだ。
そして、知ったのはプレシアの娘であるアリシアの死の事実と彼女がアリシアの為に捧げた人生のほぼ半分と言ってもいい時間の記憶、その時には既にプレシアがアリシアを生き返らせる事に折れてしまい、世捨て人と言っても良い精神状態になっていたことだった。
呆然としたリニスだったが、プレシアはリニスがアリシアの遺体を見たことの口封じをすることもなく、なにもせずにいつも通りの日常サークルに戻り、結局リニス自身もそのことをフェイトの教育が終わるまで喋ることが出来ないまま契約完了の時を終えて消滅したと思ったら、現在の主人に拾われて今に至っている。
「昔の主人とさっきの質問が何か関係でも……、もしかして昔の主人は誰かを生き返らせようとしてたのか?」
「はい……、あまり詳しくは言えませんが。ただ、前世の貴方と同じ類の役職の人でしたので、さっきの質問をしてみたんです」
リニスが質問したのは、プレシアと同じ役職もしくは同じ立場の人間ならどう考えるのか知りたかったからである。なぜなら近い立場の人間の話を聞けば彼女の行動理由を完全とはいかないまでも、似たよなものは知れると思ったからだ。
なぜリニスがそんなことを知りたがるのか、プレシアの行動に一つだけわからない点があったからだった。それは自分を助けたこと。
リニスはこの家の家族に言った通り、気が付いたら降りしきる雨の中に打たれていた。
そして次に意識を失い気が付いたら、今の主人である少年のベットで寝ていて最初は夢かと思ったくらいに驚いた。そして、冷静に分析して自分が意識を失っている間に地球への転移を行えたのは自分以外には三人しかいない庭園の中で実行できたのはプレシアだけなのだ。
「俺と同じ研究者(お仲間)で、そんな無謀な事に挑戦したってことは相当近しい人間を亡くしたのか……、肝心のリニスは前の主人の事をどう思っててどうしよと思っているんだ? それを聞かないことには俺も相談相手になってやれないんだが」
少年は正面を向いてからリニスがボディタオルで洗って泡立てた身体の泡をお湯で流す。
「主人に対しては同情しているかもしれません……、余りに彼女は報われなかった。けど同時に禁忌を犯した彼女を許せなくもあるんです……。その上でまた、なにかをしようとしていて彼女の真意がわからないんです……だから私は…」
リニスのプレシアへの同情、それ自体は彼女の過去を知った時から抱きはしたが、彼女が犯した禁忌の罪深さから今以上の同情は抱くことはできなかった。
だが、去年の八月に少年が旅行に行って帰って来た時に付けた、彼は幽霊ちゃんとあだ名をつけている幽霊の少女の咲を見てそれが揺らいだ。
一度彼女と二人きりで対面した時に話した内容を聞く限り、未練がなければ人は幽霊にはならないと言う。それを聞いてリニスは愕然とした。
なぜならリニスは咲が見えるのに、アリシアの幽霊は一度も見たことはなかったからだ。もしかしたら遭遇したことがないだけかもしれないとも思ったが、咲の話では、咲が殺された廃寺とか病院などの死の渦巻く場所、もしくは無理やり他の幽霊に縛られでもしない限りは生に執着する幽霊のほとんどが自分の遺体もしくは幽霊の縁者の近くに居ると言う。
それを聞いたリニスは、アリシアの為に捧げたプレシアの人生はなんだったのだとおもった。死んだ本人が自分の死に対して全く後悔の念を抱かずにいたかもしれなのだ。
そして、プレシア自身も自分の責任で死んだ筈の娘が何の後悔も抱かずに死んだ事をもしも彼女が知ればかなりの苦痛だろうとも思った。
そして、リニス自身その事を理解した上で自分はどうすれば良いのか分からなかった。自分を助けてくれたかもしれない、プレシアにとってリニスの存在は彼女の思惑が絡んでいる可能性もあったからだ。
だがそこまで考えてもリニスはそこから先はどう行動すればいいのか分からなかった。だから悩んで家族の中で誰よりも信頼している少年に無意識の助けを求めて視線を送っていたのかもしれないとリニスは思った。
「おーい…リニス、大丈夫か~」
思考の海に沈んでいたリニスは少年の声でハッとなる。気がつくと少年は彼女に背を向ける形でユニットバスの中に入っていた。
リニスもすぐに少年に続く形でユニットバスの中に入る。正座をすれば大人二人が入っても余裕の広さのユニットバスだがリニスは普段から広々と入るタイプなので、足を伸ばして少年の領地を侵略したため自然と少年は背後からリニスに抱かれる形でユニットバスに浸かることになる。
「息子がおっきしちゃうから、らめぇぇぇ!!」と小さい悲鳴が聞こえて少年が悶え始めるが、精神年齢はともかく肉体の方は所詮子供と言える歳なのでリニスは気にしない。
「ちょ…いろいろ当たってリアルな感触がマジでヤバい…、童貞のおっさんには鼻血もの刺激ですよ!?」
実際に当たっているのだからリアルな感触で当たり前なのだが、疼く鼻の頭を抑えて肢体の誘惑に耐えている少年の姿は歳不相応でシュールな光景である。
「悶えてないで答えてください衛……、私は真剣なんですから」
少年は真剣な声で名前を呼ばれ、悶えるのは止めたが鼻は相変わらずのまま抑えたままでリニスの相談相手としての答えを言う。
「リニスが信じるものを見つけ出して貫き抜き通せば良いと思う」
余りにも呆気なく、そして予想外の答え。その少年が出した答えにリニスは沈黙してしまった。
「あのさ人って何があろうが自分が信じたものだけは絶対に裏切っちゃ駄目…って言うか裏切れないと思う。
リニスはそれを見つけてないから悩んでるんだよ。だったら見つかるまで待てば良いと思うぞ」
「信じるものが見つかるまで待つ…ですか?」
「そうだな。俺は経験してるからハッキリ言えるけど、「その時」が来るまで見つからないモノで「その時」が来るまでそれが正しいことかも分からないけどさ、自分でもどうしようもないくらいにどうしたいのか分からないなら、どうしようもないと俺は思う。
なら「その時」が来るまで待ってみろ。俺の「その時」は自分の進む道を選択した時と俺の前の人生を省みた時だったし、リニスの悩みの根本とは違うものだから参考にはならないけど、リニスが今悩んでる昔の主人との事に直面したその時に信じるものが見つかってないなら手を貸すから、その時までは自分一人で頑張れ」
リニスは「あぁ…」と納得する。その答えは実に少年の答えらしいものだったからだ。
彼は基本的にその精神年齢の高さと面倒見の良い性格から同年代の子供たちの面倒を必然と見守る立場にいることが多い。
だが、本人が自身で乗り越えなければならないことに関しては、本人が助けを求め尚且つ他人が介入しないといけないことでもない限りは手を貸そうとはしないのだ。
それは、彼が送った人生から来ているものだとリニスは知っていた。彼は自分で選択して「その時」で答えを見つけることができた人間だから。
「……そうですね、貴方はなんだかんだで現在を生きる人でした」
「あれ? なんで今の俺の答えからそんな、後先を考えないバカみたいに言う返事が返って来るの?」
彼とリニスが使い魔の契約を交わした時、それは正規の手順を踏んだものではなかった。その不完全な契約の弊害なのか、彼から流れ込んでくる魔力はリニスにとっては十二分な程で彼女の使い魔としての性能を必要以上に上げていたし、使い魔との感情リンクも本来のものとは逆転してリニスの中に少年の感情の方が流れ込む仕組みになってしまっていた。
そのことを少年には言ったが当の本人はその事は気にしていなかったので現在に至っても、本来の主人と使い魔としては歪な主従関係はそのままだった。だが、そのことで少年が普段から口で言うほど異世界から来たリニスから見ても少しばかり異常な日常生活を嫌がっている訳ではなく、その日常を含めて毎日を楽しんでいることを知ることができていた。
「私としては褒めているんですよ……、でもありがとう衛。おかげで悩みに対して焦っていた気持ちは消えました」
どちらにしろプレシアがいる「時の庭園」は移動型の庭園なのだから、今のリニスには例え、この悩みを晴らす答えが見つかってもどうすることができないのだ。
ならば少年が言う「その時」が来るまでは、この家の家族達と平和を満喫しようと思った。
(もし「その時」が来た時に害意が貴方達家族に…、衛に及ぶようならば私が身を呈してでも貴方達を守りますからね)
心の中でそう決意し、主たる少年を愛おしげに自分の元に抱き寄る。
「リニスさん……、マジで鼻血とか息子とかがヤバいんですけど…………。あっ…鼻血……」
少年は彼女の肉体の魔力に耐えられずに鼻から深紅の液体を流しながら呟いた。
「今回は父さんに襲われても反論できねぇ……。心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却……鼻血は流しても息子は起たせるな…、イメージしろ俺! 一緒に入った時のなのちゃんの貧乳にすら成り得ていないナイチチを! ……役得だ」
少年が小さな声で言いきった直後に、隣の家に住むツインテールの少女がくしゃみをしたのは全くこの話とは関係のない余談である。
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