2011-05-03 今やる「謝謝台湾計画」の愚行
■[text][news]今やる「謝謝台湾計画」の愚行

↓2012/03/26追記↓
セルフツッコミ「このエントリには説得力が足りない」
※参考「中学生からの論理的な議論の仕方」http://ronri2.web.fc2.com/index.html
コメント返信が完了し、新規コメントも途絶え、上記問題点を抱えたままで、何より長過ぎてご新規さんも私自身も読むのが大変なので、このエントリを証拠保存した後コメント含め消しちゃいます。要点だけ残して。
逃亡扱いや袋叩きはご自由にどうぞ(犯罪や訴訟沙汰にならない範囲で)。ただ、このエントリへコメント頂いても多分スルーしますのでご了承ください。
あとはてダのヘッダから外したバナーは、フォトライフにデータ残ってます。
↑2012/03/26追記↑
台湾からの義援金は感謝してます。
そのうえで「謝謝台湾計画」をとんでもない愚行だと断言させて頂きます。
事の発端は日本政府が海外からの(被災への)支援に対し「不公平な」謝礼広告を出した事でした。
今回震災に対し、大小様々な国・企業・人から様々な支援を頂きました。(ありがとうございます m(_ _)m )
日本政府は謝意を表明しようとしました。しかし謝礼広告にはお金がかかります。全ての国を掲載するには大金が必要となってしまいます。
その結果政府はアメリカ、イギリス、中国、韓国、ロシア、フランスにだけお金を使って謝礼広告を載せました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041400150007-n3.htm
そんな事をすれば「他の支援国を軽視してる」と判断されかねません。
しかもお金に困ってお金をもらったのに、その状況のままお金を使ってしまったんです。
本来は
- 震災復興を最優先し、日本をしっかり立て直し、そして支援国への感謝は決して忘れない。
- 今はお金のかかる謝意表明はせず、お金のかからない範囲で出来る限り謝意表明をしておく。
- 将来的に余裕がもし出来たなら、全ての国に対して謝礼広告を出す。返せる恩は徹底的に返す。
といった対応がベストだったはずです。
私はこのニュースを見た時日本政府に呆れました。
そしてその件がきっかけで、謝謝台湾計画が始まりました。
『有志がお金を集めて、台湾の新聞に謝礼広告を載せよう!(余りが出たら義援金に回そう)』という内容でした。
しかしそれは台湾以外はカバーしない「不公平な」謝礼広告です。
(自己満足で)1つの国だけ謝礼広告を追加するだけで、日本政府の愚行と全く変わりがありません。
そして時期も震災から1ヶ月しか経っておらず、被災地の「お金に困った」状況は無くなった訳ではありません。
日本政府の愚行を非難した人たちが、日本政府と同じ愚行をおかす胸糞悪い茶番でしかありません。
アホな政府に追随してアホな国民が行動しただけの事です。
そして謝謝台湾計画がどうなったかと言うと、無事(?)台湾の新聞に謝礼広告を載せる事に成功したそうです。
↓不確かな事を取り上げた上想定ミスまでやらかしたpochi-pが馬鹿だと示す記述↓
広告が載ることで話題になり売上増となる事を想定してませんでした。私自身が浅慮でスミマセン。
収益増を踏まえて計算しないと、負担になったかどうかは分かりませんね。
そもそもソース確認してない情報をわざわざ書くべきではありませんでした。
正確な数字も把握せずに成り立つ内容ではないので、この部分は読み飛ばして下さい。
ここの記述で失礼な事書いてスミマセンでした。お詫びします。
↓ここから不確かな事の記述があります。注意して読むか読み飛ばしてください↓
そしてその広告を載せた新聞社では「広告費と同じだけの寄付を検討している」との話があるそうです。※正確なソースはまだ確認出来てません
粋で素敵な新聞社ですね。ですが…。
ここで台湾に好感を持つのは良い事ですが、これがどういう結果なのか事実を見極めないといけません。
※公式サイト見る分には広告費240130万円、義援金16001700万円っぽいです? とりあえず前の数字のままにしておきます。 2011/05/06 03:01
※不適切な「負担を強いた」という記述を、「負担になった」に訂正します。 2011/05/06 14:58
これは台湾の新聞社に「タダで謝礼広告を載せてもらった」という事と、全く同じなのです。
もしその広告枠が謝謝台湾計画に使われ、他の広告が載せれず広告収入が無くなった場合――→新聞社に計240万円の損失を与えたになった。、もしくは新聞社に240万円の義援金を強制した。
もしその広告枠が謝謝台湾計画に使われ、他の広告が後回しとなる場合――-→新聞社に240万円入る時期が遅れかねない。もしその広告枠は増減自由で、謝謝台湾計画があっても無くても他の広告には影響がない場合――→謝謝台湾計画の広告分の紙代・印刷代を負担させたがかかった。
3番目は240万円ほどの損失ではないかもしれませんが、決して安くない費用でしょう。(※これは2番目のケースでも同様に発生しうる費用です)
たかだか1Pとあなどるなかれ、同人誌のページ数を増やすのにかかる費用がいくらかググってみなさい。
新聞社の刷る部数はもちろん、弱小サークルよりはるかに多い数ですよ?
それで費用を計算し、安い出費かどうか考えてみるべきです。
謝謝台湾計画は日本の馬鹿どもが自己満足で浅慮なまま行ったろくでもない行動であり、結果として新聞社に負担を強いたの負担になったとんでもない愚行です。
↑不確かな記述ここまで↑
↑不確かな事を取り上げた上想定ミスまでやらかしたpochi-pが馬鹿だと示す記述↑
もちろん私も、震災から充分に復興した後、有志が同じような計画を立て実行してたならむしろ良いことだなと評価してました。
(その場合の不公平さは個人の限界と言う事で仕方ないとも見逃したでしょう)
しかしわざわざ今やるのは、たとえ誰に文句言われようとも『愚行』と断言しておきます。
つーかね、頭使えもっと頭使えよ。
ネット使ってるやつなら、blogやSNS使ってない? 自分のプロフィールや日記に「謝謝台湾」って書くとかローコストに出来るでしょ?
2ちゃんねるONLYな人も「謝謝台湾な名無しさん」とか名前欄全部変えるとか簡単に出来るよね?
台湾の2ちゃんねる的掲示板探して、片言でメッセージ書くより余程簡単だよね?
SNSのアイコンとかを「謝謝台湾」って字入れたものにも置きかえれるよね? 日本人以外も使うSNSはいくらでもあるよね?
何で頭使わず、工夫もせず、思考停止のまま他人に流されて馬鹿やってるの??
何で頭使う余地も、工夫する余地もまだある状態で、それ以上の思考に進まず『今すぐの有料広告』に執着するの??
※↑「一切の努力をしてない」かのような失礼な表現になっていたので、表現を訂正します。スミマセンでした。 2011/05/07 21:05
謝謝台湾計画を立ち上げた人、参加した人、賛美する人達はちったあ反省しやがれです。(-_-メ)
2011/05/06 03:01追記(コメント欄に書いた内容複写)
迷惑は私にというより、台湾にかけたと思いますよ。
台湾の人たちは「日本(の被災者さん)早く元気になってね」という意味合いで義援金くれた訳です。
そしたら「東北の元気は後回しにして、台湾にありがとう表現に金使うよ。240万円で助かる人がいようと、優先順位は広告より低いよ」ってお返事返された訳でして。
大事に思った人(=被災者)の為に何かしたら、他所からを「そいつら(=被災者)大事じゃないよ」という声が聞こえたんです。普通に考えると嫌な気分にさせちゃったんじゃないですかね?
まず「結果出てるからOK」についてまとめてレスします。
「集まって良かったね」と結果に対して言うのは問題無いですが、
「結果的に集まったから」→「問題は無い」と言うのは論理の飛躍ですよ。
「いじめをバネに、反骨精神で頑張って成功した人」は、結末が良かったから「いじめは問題無い」と認めなくてはいけないのでしょうか?
そんな結果論万能主義だと、過去の地震の“結果”を元に「結果的に津波被害はなかった」「だから追加の津波対策は必要ない」と東電が(過去に)主張してても正解になりますね…。
そして「この計画のお陰で結果的に1600万円の義援金集まった」という主張について。
で、この計画が無ければ誰も義援金は出さなかったって解釈してよろしいのでしょうか?
皆さん人に尻叩かれないと人助けなんか決してしないケチくさい人ばかりなのでしょうか?
私はむしろ計画が無くても皆さん寄付していたと思いますよ。タイミングは違ってたでしょうが。
方法が歪だったとしても、皆さん善意でやってくれてたのだと思ってますし。
ただ善意の行動が毎回全て上手く行く程甘くありません。(善意で害を受けた個人的な経験もあります)
だから一度冷静に振り返り、『考えて行動する習慣』を多くの人に持って欲しいのです。(煽っといて何ですが)
あなたに迷惑かけたのかを知りたいねw
あなたは全世界の全て国、人に平等に謝礼ができなければ何もしないほうがいい。ということかい?
俺は好きな人、好きな国にはプラスアルファがあるだけだ。
ただ単に、ろくでもない使い方ってだけで。ろくでもない人生も自由じゃないですか?
どうしたら良いかについては本文中に書いてありますよ。
迷惑は私にというより、台湾にかけたと思いますよ。
台湾の人たちは「日本(の被災者さん)早く元気になってね」という意味合いで義援金くれた訳です。
そしたら「東北の元気は後回しにして、台湾にありがとう表現に金使うよ。240万円で助かる人がいようと、優先順位は広告より低いよ」ってお返事返された訳でして。
大事に思った人(=被災者)の為に何かしたら、他所からを「そいつら(=被災者)大事じゃないよ」という声が聞こえたんです。普通に考えると嫌な気分にさせちゃったんじゃないですかね?
名無しさんはハム即で紹介されてる台湾人のコメント(>>188)はきちんとご覧になってますか?
ifの話もするなら「広告費と同じだけの寄付」が現実になった場合、当エントリの『不確かな事の記述』に書いた迷惑まで実現しますよ。
本来ならば新聞広告なんて簡易な手を使わず、もっと効果的な手段で援助をしていただいた各国に公平に感謝の意を示せば問題は無かったはずです。
しかし『謝謝台湾計画』に関して言えば、元々は台湾に思い入れのある主催者が今回の莫大な義捐金への『お礼』をしたいという事から始まっただけで、別に『台湾だけ』にお礼を言いたいといった不公平な意図もありませんよ。
これは『不確かな』事ではありませんし、『どこかのまとめサイト』等をナナメ読みせずに主催者のブログの経緯等を読めば分かることです。
で、頭使うって事で言えば、この企画はツイッターやブログを駆使してローコストに(手間隙の事までは言いませんよね?)成されたとは思われませんか?
そして『不確かな記述』に関して言えば、広告費云々の貴方の推測は相手方(新聞社)の問題であって、それを考慮・処理するのは『適正な契約で受けた』新聞社なのですから貴方が邪推して負担云々を書き飛ばすのは誤りであると思ういますよ。
やけに広告費に拘っていますが、2ちゃんでその様な書き込みを続けている方がいたのを見ましたが、もしや貴方?
主催者blogは以前にQ&Aや一部のみ目を通しただけでした。解説ありがとうございます。
『個人的に台湾だけ』という構図が止むを得ないというのも分かりますが、なら(今やる分では)本当に個人だけでやればって感じです。人を集めずに。
あと『今ではなく後々に同じ計画してたら評価する』と本文に書いたのですが……きちんと本文読んでからコメントされてますか?
ついでにコメント欄に書いた分も参考になさってください。誰の気持ちに、どういう反応しているのか深く考えてください。
『不確かな記述』にて台湾新聞社が契約した事を責められてますが、仮に「広告は後でいい、今は義援金に送って」と言って契約しなかった場合、あなたは広告が載らないことを納得出来るのですか?
謝礼『広告』に拘ってる人が素直に引き下がるとはとても思えませんがね…。
今回は2ちゃんねるへの書き込みはしてませんよ。信じるかはご自由に。
広告費であろうと何であろうと、物事にはタイミングや順番が重要なのです。
オムレツ作ってる最中でお風呂入るのが適切だと思いますか? 普通オムレツを完成させてから入浴するでしょう?
そういう優先順位や順番を見誤ってるから『今やる「謝謝台湾計画」の愚行』というタイトルなんですよ。
計画は政府のやり方に反対が大意じゃないかな。
何もしていないくせに、グダグダ言うんじゃねえよ。
オマエは、今まで恩を受けた人全てに平等に感謝してきたのか・・・
それは結構なことですなあ。
自分も罵倒される覚悟があってのことなんでしょうが・・・
はたからみてて、そういうやりとりは非常に見苦しいです。
「何もしてないくせに」って何を根拠に言ってるの? 私の何を知ってるの?
私は私のすべき事したい事をやってきたし、今後もやってくんだけどね。
あと何をしてようがしてまいがその人の言動の是非は変わらんのだがね。
あんたは殺人犯が「1+1=2」って言ったら「間違ってる!」って言うタイプかい?
いちいちコメントするなら、『グダグダ言ってる内容』のどこかが駄目か言ってくれよ。
ありがとう。
> あーさん
見苦しくてスミマセン。坦々と間違いと問題指摘してる方がいいですよね。
ただ「愚行」「頭使え」は表現変えれても外す事は出来ないので、攻撃色ゼロは多分無理です。
当初から、ツイッターで何回も同じこと言って執拗に妨害したり、ブログに変なコメントしていたのはあんたですか?
実際、1600万ほどが義援金に回され被災地にも役立っているわけです。
この結果を受け入れず、この計画なしには集まったかどうかもわからない想像上の金額を根拠にああだこうだ、順番がどうだのいうのは、全く有益にあらず。
阪神大震災時に「人殺し(自衛隊)から水貰うのは人殺しと一緒」なんて被災者に言い、妨害活動ばかりして何の役にも立たなかった糞活動家と同じ匂いがします。
結果、あんたの便所の落書きよりも、この計画の方が世間に役立っているのは動かせない事実。
口だけ野郎ですか??
「広告費にする金があるなら義捐金に回せ」
と、台湾人みんなが思っているような言い方をしていますが、統計をとってみないとなんともいえませんよね。
台湾人でも、そう思う人もいれば、新聞広告を出すことによって感激してくれる人も少なからずいると信じています。
日本人にも同様に賛成する人と反対する人がいますよね。
この計画に賛成し、また義捐金を送ろうと思う人も必ずいます。
そういう意味でこのプロジェクトは非常に有益だったのではないでしょうか。
そもそも「謝謝台湾計画」のおかげでお金が集まったわけでありまして、この計画がなければそもそもお金は集まっていません。
1600万円が寄付に回された、その意味を考えてみてください。
私はむしろ現在の震災に対する義援金としても、良い企画だったと評価しますよ。
所詮結果論ですが、震災義援金+日台友好に一助って成果をあげているんですから、
結果に対する成果は評価しないとね。
>blogやSNS
>「謝謝台湾な名無しさん」
わざわざ見に来る人がいるのか疑問ですし、台湾だけにお礼するんですか?
コスト以外のやり口は、あなたが批判した「同じ愚行をおかす胸糞悪い茶番」
でしかないのですが、自己矛盾を感じられないのでしょうか?
「集まって良かったね」と結果に対して言うのは問題無いですが、
「結果的に集まったから」→「問題は無い」と言うのは論理の飛躍ですよ。
「いじめをバネに、反骨精神で頑張って成功した人」は、結末が良かったから「いじめは問題無い」と認めなくてはいけないのでしょうか?
そんな結果論万能主義だと、過去の地震の“結果”を元に「結果的に津波被害はなかった」「だから追加の津波対策は必要ない」と東電が(過去に)主張してても正解になりますね…。
そして「この計画のお陰で結果的に1600万円の義援金集まった」という主張について。
で、この計画が無ければ誰も義援金は出さなかったって解釈してよろしいのでしょうか?
皆さん人に尻叩かれないと人助けなんか決してしないケチくさい人ばかりなのでしょうか?
私はむしろ計画が無くても皆さん寄付していたと思いますよ。タイミングは違ってたでしょうが。
方法が歪だったとしても、皆さん善意でやってくれてたのだと思ってますし。
ただ善意の行動が毎回全て上手く行く程甘くありません。(善意で害を受けた個人的な経験もあります)
だから一度冷静に振り返り、『考えて行動する習慣』を多くの人に持って欲しいのです。(煽っといて何ですが)
立案者さんのTwitterアカウントは知りません。公式ブログにもコメントはしてませんね。
同じ臭いがするとか言う前に、誰を相手にしてるのか落ち着いて判断ください。
> hiroさん
あなたの立派な想像力におまかせします。
> こさん
一部を除いて概ね正論だと思います。どちらが多いかは机上の空論になってしまいますね。
最後3行について別コメントもご参考下さい。
> 善意の批判は、大義を得られずさん
> わざわざ見に来る人がいるのか疑問ですし、台湾だけにお礼するんですか?
見に来るかどうかですが、そういう動きが向こうのネットニュースに取り上げられる位はするのではないかと思います。
難易度低い例を出しただけで、現地の見れる範囲に書き込んでも良いですよ。
勿論台湾に限定する必要は無いですよ。他の国に対してもどんどんすれば良いです。
謝謝台湾計画の人に向けて書いたので例示が台湾になっただけです。
「謝謝台湾な名無しさん」は掲示板システムの方でランダムな国名を当てはめるようしても良いでしょう。
> 権米さん
何の事を言ってるのかよく分かりません。因みに私が一番好きな国はたぶん台湾です。
例えば今回のことはモスバーガー食べたい人が手を上げただけであって、マクドナルド食べたい奴等は賛同者つのって何かしらのことを成せばいい。
もともと結果ありきの行動じゃないんだよ
何か出来ないかというプラスの気持ちから起こった事柄に、否定とかマイナスのことぶつけてもしょうがないだろ、それ以上にプラスの行動おこしてから文句いえばいいだろ⁉
不確かな記述を根拠に、「謝謝台湾計画は日本の馬鹿どもが自己満足で浅慮なまま行ったろくでもない行動であり、結果として新聞社に負担を強いたとんでもない愚行です。」と断言できるpochi-pさんとは何者なのでしょう。
それ以外はちょうど上にコメントを書いておられるポンキチさんと同意見ですね。
別に台湾でなくたって、韓国だって、北朝鮮だって、モルジブでだって良い訳です。
今回はたまたま台湾に思い入れのある人々が集まったというだけでしょう。
そんな活動にケチをつけてもしょうがないじゃないですか。
こいつ、大企業の寄付にも「所詮イメージアップなんだろ」とか言ってそうwww
私は私で月日が過ぎた後に謝謝台湾計画っぽいのがあれば参加させて頂きますし、早い時期のは全部お断りします。
義援金はテキトーに送ってます。
で、貴方も『殺人者の言う「1+1=2」は間違い』って言い張るタイプなんですか?
善意がもたらすろくでもない結果なんて山ほどあるのにね。そういうの見る機会が無いとは、羨ましい限りです。
> ヤッツィーさん
不確かな事の記述は『ここは不確かな記述です』と区切りつけて分けて書いてますけどね。
反論しないと言いながらそこをとりあげ「断言してる」って書くのはネタですか?
「後々すれば良い事なのにね」と書くのはケチついてる事なんでしょうか? 攻撃されるんじゃないかと構えすぎじゃないですか?
一度「非難」と「批判」の違いを辞書で引いてみてください。
> そういえばさん
イメージアップ戦略、結構な事じゃないですか。好感持てるわ喜ぶ人が出るわWin-Winだと思いますよ。
イメージアップであろうが無かろうが、非難する要素はどこにも無いと思いますよ。
> 名無しさん
邪気眼ください。
あんたの理屈で言うと「善意の寄付」という行為自体が「他にも救いが必要な人がいるのに特定の相手にだけ寄付するのは云々」とか何とでも難癖付けられることになってしまうからね
文章のどこをとりあげるとそういう理屈になるのかよく分かりません。該当箇所をご指摘ください。
あと難癖も何も、見殺しなんて当たり前の事でしょ? 全員を救おうなんてのは不可能なんですから、自分の寄付したい相手にだけ寄付してればいいんです。
「震災被災者より他の相手に寄付するぜ!」だって全然かまいやしませんよ。
今回の謝謝台湾計画って「他の寄付」じゃなく、「広告」に回ってる話でしょ? それと貴方の言う難癖がどう関係するんですか?
2ちゃんねらもコピペするならhttp://d.hatena.ne.jp/pochi-p/20110503の方にリンク貼ってくれ…。
Aさん 2011/05/06 12:37
台湾の新聞が広告費分を義援金にしたら台湾の新聞社の利益が減って迷惑を掛ける事に
なるから広告を出すな?
それ全ての義援金も同じですよ。
本来は利益として株主や従業員に還元されるのか、設備投資に回るのか、下請けに回る
のか、あるいは社内に留保されるべきお金なのかはともかく、本来自社自国に回る筈の
お金が、自社自国にとって短期的には全く意味のない義援金として他所の国にわたるの
ですから。
あなたの言い分を要約すると義援金はその国、企業の活動にマイナスだから受け取るべ
きではない。つまり義援金そのものの否定です。
典型的な反対の為の反対ですね。
仮定の話の方にだけ食いつかれてもね…。
その仮定の話では「無料広告掲載になったら新聞社が身銭切っただけになっちゃうね」って書いただけですが。
その内容でどうやって「義援金を出すな」って結論が出たのか不思議です。
何よりメインの本文で「将来的に余裕がもし出来たなら、全ての国に対して謝礼広告を出す。返せる恩は徹底的に返す。」と書いてるのに、何故その場で義援金を受け取ったら駄目ってなるんですか?
義援金は素直に受け取って、その好意にしっかり応えて(=元気になって)、後で恩返せばいいんですよ。
妄想の私を相手にせず、目に見える私(の文章)を相手してください。
結果として台湾の新聞社に負担をかけたかもしれませんし、利用したのかもしれませんが、核心は『政権への不満』この一点ではないでしょうか。計画自体がよかったか、よくなかったかは立場や考え方で評価が別れるところですが、何かを変えたいという気持ちや(単略的とはいえ)実際に行動に移す力を感じられたことは同じ日本人として不安は多少感じるものの、嬉しく思います。
自己満足なんだから
匿名ブログなんかで食いつかれ易いケチをつけるのも自己満足の極みだしな
が、同意できない部分もありますね。
>しかしそれは台湾以外はカバーしない「不公平な」謝礼広告です。
あなたも批判している政府などの公的機関ではない、あくまで個人が行った行為です。なんの問題ありません。
>これは台湾の新聞社に「タダで謝礼広告を載せてもらった」という事と、全く同じなのです。
広告料の額を聞いて掲載計画が始まった話です。何等かの損失があったとしても、それは新聞社の判断であり、広告主を責めるのはお門違いです。
同人誌とかどうでもいいです。それこそ趣味の範囲の同人誌と商業誌を比較するのは間違いです。
アイコン云々はどうでもいいですかね。そもそも目的が違います。
>「いじめをバネに、反骨精神で頑張って成功した人」は、結末が良かったから「いじめは問題無い」と認めなくてはいけないのでしょうか?
これは論理の飛躍どころか、比喩になっていません。いじめは具体的に何を指しているのかわかりませんが、子どものいじめのようなものであれば
犯罪に近いようないじめ→結果成功
事業を起こしたら同業者に叩かれた場合なら
予想されるいじめ→結果成功
どちらであっても違いますね。
謝謝台湾計画は広告掲載がゴールで、計画自体が愚行と思えませんので、結果は大成功です。
>皆さん人に尻叩かれないと人助けなんか決してしないケチくさい人ばかりなのでしょうか?
この計画がなければ、 そこまで集まっていないと思いますよ。
あなたのように、義捐金を自治体に直接振り込む人は少ないと思います。
多くの人は、出かけた先にあった募金箱だったり、電話やインターネットで送金できたりの仕組みを使っていると思います。手間なく寄付できる仕組みがあるから多く集まるものです。
おそらくチャリティー興行なども否定されるのでしょうけど、私は賛成ですよ。
②新聞社の240万円うんぬんの所はソースもない不確かな情報である
③今回の運動については賛否があった。
①から私は今回の運動を肯定しています。あなたの意見も否定はしませんが、ソースが不確かな件や、理由が個人の主観で凝り固まっていて賛成はできませんでした
なお当の台湾の反応ですが、ニュースサイトや大衆掲示板を覗いた限り、日本と同じく大半の方は喜んで頂けているようです。
お時間がありましたら、覗いてみるのもいいかもしれませんよ。
自己満足ですね、私も彼らも。
> なるさん
なるほど。興味深い指摘ありがとうございます。
「韓国に攻撃されてむかつくからチリに募金してやろうずwww」的な構造があったのかもしれませんね。
マトモな政権に変わることと、国民の行動力がより効果的に活かされることを期待したいですね。
> 素敵さん
> >しかしそれは台湾以外はカバーしない「不公平な」謝礼広告です。
> あなたも批判している政府などの公的機関ではない、あくまで個人が行った行為です。なんの問題ありません。
時期等も含め、政府の失敗と符合しているのを示す為の記述です。
本文中に書いてある通り、時期の問題さえ無ければ「個人の限界で仕方ない」と思ってますよ。
ですが書き方にもっと工夫出来たかもしれませんね…。反省します。
> 何等かの損失があったとしても、それは新聞社の判断であり、広告主を責めるのはお門違いです。
最終的な決断は新聞社のものですね。
ご指摘を鑑みるに、「負担を強いた」は不適切でした。「負担になった」とだけ書くべきでした。
> これは論理の飛躍どころか、比喩になっていません。
いじめのたとえで分かり辛いなら、「結果的に無事故だった」で「飲酒運転などの道交法無視」が許されるかどうかで考えてください。
個別に1つずつサンプルすれば、結果だけ「無問題」なケースは多々ありえますよね。
ですがそのサンプル以外でいずれ事故が起こりうるし、飲酒運転は問題行為に違いないですよね?
今回の計画もあくまで1サンプルとその結果です。『結果よければ過程良し』はやはり論理の飛躍じゃないでしょうか?
結果に満足せずより良い過程を模索すべきだと思いますよ。より良い結果に繋がりますし。
ただ「広告掲載」だけが目的で「被災地復興」が目的でないなら、確かに大成功かと思います。被災者やその関係者は心中複雑でしょうが。
> この計画がなければ、 そこまで集まっていないと思いますよ。
そうですか、それは残念です…。
なるさんもコメントされてるように、別の目的が結果的に義援金になった部分が少なくないのですね。
自由意志については最初の名無しさんへのレスした通りの考え方です。
(2)については書かない方が良かったですね。蛇足でした。
素敵さんへのレスに書いたような不適切な表現がありましたし、2ちゃんねるに注釈無しで抜粋されたりもしたようですし…。
主観については排除して書いたつもりです。指摘されてるのが何処かは分かりかねます。
ただ見直してみると余計な装飾らしきものはあちこちにありますね。それも主観として排除すべきでした。スミマセン。
ニュースサイトや大衆掲示板、時間があれば見てみます。ありがとうございます。
ですが 『要するに』 どうなんですか?
タイミングに対する観念とか主観が一番言いたい事なのでせうか?
それとも台湾にのみこういったそこそこの規模の行動が起こった事に憤ってるのでせうか?
コメント欄でも色々な理論展開が見られますし、きっと聡明な方なのだとお見受けします。ここは愚鈍な私めに『要するに』貴方様が何を主張したかったのかをご教示ねがえませんでしょうか?
かしこ
>新聞社に負担を強いたの負担になったとんでもない愚行です。
と批判しつつ
>震災から充分に復興した後、有志が同じような計画を立て実行してたならむしろ良いことだなと評価してました。
としている「復興してからなら台湾の新聞社に負担かけてもよかった」というように
読めてしまいましたが、違いますよね?
何だか貴方が何を批判したいのかよくわからなくなってきました。
すみません。もしよろしければ簡潔に批判点を示して頂ければなと思いました。
要点を絞れば「政府のやった失敗と符合してる箇所がある」「タイミングずらせば良い事だし、他の方法もありえるはず」の2点ですね。
次点で「台湾も他の国もありがとう」「善意を理由に何でも正当化は出来ないよ」って所ですか。
長文書く鍛錬が足りないようでスミマセン。
あと私は聡明ではないですよ。後々訂正入れたり指摘されて要反省だったりする、普通の凡人です。寧ろ頭の回転速度も遅いです。
謙虚でいるのは良い事ですが、必要以上に自分を卑下する必要は無いですよ。>どもーさん
「復興してからなら台湾の新聞社に負担かけてもよかった」はNOです。
というか、新聞社も気兼ねなく広告代金を受け取れますし、負担になる要素が無いでしょう。(もしかしたら善意で割り引いてくれるかもしれませんが)
簡潔に書けてなくてすみません。要点を絞るとどもーさんへの返信内容になります。
「台湾だけ」については個人の懐事情なので本当仕方無いと思います。
ただ「仕方ないけどそれじゃ政府と符合しちゃうよー。動機が政府に憤ってって場合には矛盾しちゃわない?」と思います。
> はあ 2011/05/06 17:48
> まず、不確かな情報で誹謗中傷するのはやめれ。
> 台湾の二紙は、両方ともこの広告効果で、珍しく売り切れたよ。
> どこが新聞社に負担を強いているんだよ?
広告効果による売上増は盲点でした。想定が甘くてスミマセン。
『不確かな情報』の部分は蛇足な上問題あったと今更ながら思ってますが、単純に消すのも無責任なので扱いに困ってます。
とりあえず注記追加しておきますね。
指摘ありがとうございます。
何だか感情的なコメントや反射的で下卑たものの言い方も多いですねぇ・・・折角意見コメントに対してちゃんと返答していただけるのに勿体無い。
まあこれだけコメントと返信があるので私の意見も重複しそうなのですが、一応気にかかった事だけでも書き込ませてくださいな。(文章でやり取りする討論とか意見交換ってなかなか難しいですね)
『今ではなく後々に同じ計画してたら評価する』と言うのは記事内の『今はお金のかかる謝意表明はせず・・・』の事ですよね?わかりますよ、ちゃんと把握しています。
んー、これに関しても私としては『政府に言いたい一言』としか言えないんですよね・・・私の意見で言えば『お礼と言うものは即座にするもの』と思っていますし、忘れた頃にありがとうと言われても、一般的には失礼にあたるかと思われますし。
それもあったから、やり方はダメダメだったけど政府でさえ急いで謝意を示したのではないかと思います。
それと相手方の反応に対しても上記に他の方のコメントにもありますが、それこそ『まとめサイトのナナメ読み』であって台湾側の一部コメントの反応が全てではないと思います。
また、新聞社の広告契約に関しての事ですが、私は自己の意見を述べたまでで別に責めた訳ではありませんよ。更に言えば新聞社からその様に返答されたら私は素直に納得しますし、主催者が納得できないのであれば彼女のその後の動向を見て判断します。
最後に一言! 私への返答にも有りましたが、『オムレツ作ってる・・・云々』等の例え話がよく見られますが、これはちょっと物事の比喩としては当てはまらないと思いますが・・・・
例えられている事象の結果はその事の結果であって、『ほら!同じようなことだろ?』とは言えないですし、ご自身の意見を言う場合に極論の結果を提示して相手への反論とするのは如何なものかなと・・・
まあ異論反論色々有るのが当たり前で意見を交わす事は楽しいですが、なかなか思ったとおりに相手に伝わらないのがお互いもどかしいですね。
エントリーを拝見させて頂きましたが、貴殿の仰る事にも一理有ります
ただ、「政府の愚行が発端」この点は、強調されて然るべきです
私個人としての考えですが、日本政府が限られた国に感謝広告を打つような愚行さえなければ、今回の動きに参加する事は無かったでしょう
本来、落ち着いた時に感謝の意を表明すべきなので
すから
大前提として、感謝の意は「額」ではなく「行為」に対して平等であるべきだと思っています
ただ、今回の政府の勇み足にピックアップされた国の中に台湾が入っていないのは少なくともおかしいのではないかと思いました
いわば 政府が撒き散らした恥を少しだけでも回収しようという意志と捉えてもいいと思います
> 何だか感情的なコメントや反射的で下卑たものの言い方も多いですねぇ・・・折角意見コメントに対してちゃんと返答していただけるのに勿体無い。
「2ちゃん〜もしや貴方?」と的外れな推測されたのと、あと「何故書いた筈の事が伝わってないのだろう? 読んで貰えてないのかな…空しい…」という思いなどで、つい感情的になりました。
言い訳にはなりませんよね…。感情的なコメントですみませんでした。
> 『今ではなく後々に同じ計画してたら評価する』と言うのは記事内の『今はお金のかかる謝意表明はせず・・・』の事ですよね?わかりますよ、ちゃんと把握しています。
> んー、これに関しても私としては『政府に言いたい一言』としか言えないんですよね・・・私の意見で言えば『お礼と言うものは即座にするもの』と思っていますし、忘れた頃にありがとうと言われても、一般的には失礼にあたるかと思われますし。
> それもあったから、やり方はダメダメだったけど政府でさえ急いで謝意を示したのではないかと思います。
うーん、そこを読んで貰えてるのに伝わらないですか…。
仰る通りお礼が早いに越した事はないと、私も思います。
ただ「政府は台湾に対する謝意表明をどんな形でも一切していない」という訳でもないのに、「早めの広告」に拘るのは違う気がします。
もし政府が一切御礼してなくて、民間人に他の謝意表明の手段が広告しか残されて無いのなら、広告出すのも仕方ないですけど。
「お金のかかるお礼の仕方(=広告)」ゆえに「お金の要る今」はどうかと思うのですよね…。(そもそも政府が広告出したのが大問題ですが)
> それと相手方の反応に対しても上記に他の方のコメントにもありますが、それこそ『まとめサイトのナナメ読み』であって台湾側の一部コメントの反応が全てではないと思います。
どちらかの意見しかない、では無いでしょうね。一人の人間でも両方の意見持ってたりもするでしょうし。
成立前と成立後の時期も踏まえた上で確認してみたいです。
> また、新聞社の広告契約に関しての事ですが、私は自己の意見を述べたまでで別に責めた訳ではありませんよ。更に言えば新聞社からその様に返答されたら私は素直に納得しますし、主催者が納得できないのであれば彼女のその後の動向を見て判断します。
了解です。「「負担云々を書く」のは誤り」→「新聞社の負担は知った事じゃない」かと思ってしまいました。
あとその部分は色々と問題含んでいてスミマセンでした。最初に仰られた通り邪推し過ぎでしたね。
> 最後に一言! 私への返答にも有りましたが、『オムレツ作ってる・・・云々』等の例え話がよく見られますが、これはちょっと物事の比喩としては当てはまらないと思いますが・・・・
> 例えられている事象の結果はその事の結果であって、『ほら!同じようなことだろ?』とは言えないですし、ご自身の意見を言う場合に極論の結果を提示して相手への反論とするのは如何なものかなと・・・
『自宅が火事になった時、消火活動を誰かに手伝ってもらったらその場でありがとうと言おう。でもそのお礼の菓子折りを購入して持ってくのは消火後にしよう』ってニュアンスなんですが、これも駄目かなぁ…。
例え話が下手でスミマセン。自分の中では大丈夫なのに相手に伝わらない事が多いようです。他の例えについては末尾で補足します。
> まあ異論反論色々有るのが当たり前で意見を交わす事は楽しいですが、なかなか思ったとおりに相手に伝わらないのがお互いもどかしいですね。
そうですね。仰る通りだと思います。再度のコメント有難うございました。
●●分かりにくいと評判のたとえについて補足●●
> 「いじめをバネに、反骨精神で頑張って成功した人」は、結末が良かったから「いじめは問題無い」と認めなくてはいけないのでしょうか?
> 「結果的に無事故だった」で「飲酒運転などの道交法無視」が許されるかどうか
『目的は手段を正当化しない』と同じく『結果は手段を正当化しない』という事を言いたかったのです。
分かりやすく具体例を例示したつもりが、余計意味不明に見えちゃいましたか……。
> 『殺人者の言う「1+1=2」は間違い』〜
義援金に出した額でこちらの意見の良否を判断せず、単純に間違ってれば「その理屈はおかしい」と言って欲しいのです。
0円だから「何もしてないお前が言うな」って言われるのも、
100万円出してて「君の言う通りだね」と持ち上げられるのも、どちらも嫌なんです。
個人の属性と意見は別物でしょうと。
※義援金の具体的な金額を伏せるのも、そういう個人の属性で議論をすり替えられたくないからです。
・詭弁のガイドライン『9.自分の見解を述べずに人格批判をする』
・議論のアンチパターン『罵倒』『レッテル貼り』
に若干近いですが、ピッタリは当てはまらないですね……。
> おそらくチャリティー興行なども否定されるのでしょうけど、私は賛成ですよ。
別に「チャリティー興行だから否定」とかはしませんよ。
興行にかかる費用が集まった募金よりはるかに大きいとかだったら、「もう少し効率的にやろうよ…」って小言言う程度です。
(※もちろんチャリティー関係なく活動に費用がかさむ代物もありますので、単純な費用と募金額の比較だけで評価するのも違うと思います)
> わたるさん
> ただ、「政府の愚行が発端」この点は、強調されて然るべきです
> 私個人としての考えですが、日本政府が限られた国に感謝広告を打つような愚行さえなければ、今回の動きに参加する事は無かったでしょう
> 本来、落ち着いた時に感謝の意を表明すべきなのですから
> 大前提として、感謝の意は「額」ではなく「行為」に対して平等であるべきだと思っています
> ただ、今回の政府の勇み足にピックアップされた国の中に台湾が入っていないのは少なくともおかしいのではないかと思いました
凄く同意します。元もとの政府の行動(=広告)がそもそもの大問題ですよね。
しまった! 本文中にその事もきちんと書くべきでした…。orz
諸悪(?)の根源を差し置いて、立案者&参加者のみ責める内容じゃ反感買って当然だわ。反省せねば…。
参考になる意見ありがとうございました。
俺がこう思ってるからお前もこう思え!って叩いてる人はちょっとおかしいかな。
自分は今回のことは賛成だったけど、ポチさんの言い分も十分に理解でき、こういう見方も納得できます。
皆チラ裏に反応しすぎ。
日本は中国の顔色を伺い、台湾を独立国家として認めていないわけだ。
現在の台湾成立の歴史を知っていれば、実に恥ずべきことだとは思わないかね?
つまり、強い者に媚びへつらって、弱いクラスメイトを「見えない君」扱いしているわけだ。まあ、スネ夫並みだな。
そんな扱いを受けている「見えない君」が、義捐金という名の愛情で、日本に対する好意を誰よりも強く示してくれたワケだ。
そういう相手に対して優先して謝意を示すのは、日本人としては普通の感覚だと思うがね?
また、台湾人の中でも日本に対して特に強い思い入れを持っている「高齢者」が、ネットなど見ていると思うかね?
日本語で「ありがとう」と記したことには、そういう意味もあると思うのだよ。
香典をもらって、香典返しをしたら、それは個人を冒涜したことになるのかね?
どうも君の感性が理解できないな。
人の数だけ正義は存在するということは
この計画の発起人さんが当初から特に強調していた点でありまして
私も同じ考えであります。
pochi-pさんの正義に基づくお考えが、まさしくこの記事なのでしょう。
私としては、尊重すべき意見のひとつであると思いますし
pochi-pさんの日記に乗り込んで、真っ向否定するようなコメントを残すのは
同じ賛同者にはしてほしくないです。
ただご理解いただけず残念であるのは
>何で頭使わず、工夫もせず、思考停止のまま他人に流されて馬鹿やってるの??
とおっしゃっている点です。
私は
pttやkomikaなどの繁体字掲示板に感謝の言葉を投稿しようと試みましたが
中国語がまったく理解できない私にとって
他意無く感謝の気持ちを伝えることは、かなりハードルの高いものでした。
ですから、2chに「多謝台湾」だの「台日友好」だの散発的に書き込んだり
若しくは台湾在住の日本人を称する書き込みに対して
「俺に代わって感謝の気持ちを伝えてくれ!」とレスするくらいしかしてきませんでした。
本当に台湾の方に伝わってるのかどうか疑いながらです。
台湾を訪問する機会もしばらく作れそうにないしと
悶々としているときに、この大それた、私一人の力では実現不可能な
企画を発見できたのです。それはもうときめいて、心躍りました。
この企画の舞台裏であるブログ等を拝見する限り、賛同者の多くは
私と同じような経緯をたどっていると思います。
私の行動はpochi-pさんがおっしゃるには、頭も工夫も足りなかったかもしれませんが
この企画の発起人さんの考えが私の主義に合うものであったため
私が選んで参加を決めたのです。
思考は停止していませんし、流されてもいません。
私は自身のブログはもっておりませんし、SNSも使っておりません。
ですので、pochi-pさんのおっしゃるblogやSNSを使った感謝の表し方を
ご自身で既に実践されておられるのであれば、是非参考にさせていただきたいです。
よろしくお願いいたします。
"目的は手段を正当化しない" ごもっともでやんす。
でもそうするとひとつ引っ掛かります。何故blog主さんは今回の賛同者が
「政府のやった失敗と符合してる箇所がある」を批判の根拠にしてるのでしょうか?
本来、【公と個】の行動原理自体は【団体と個人】の概念とは大きく乖離しています。それは一番上の方でblog主さんが
>自身の金をどう使おうと自由だと思いますよ。
ただ単に、ろくでもない使い方ってだけで。ろくでもない人生も自由じゃないですか?
と仰ってる事からもご理解の上の事かと存じます。多分。
今回の計画に何人参加し、それがひとつの集合体となったところでご存知の様に誠に残念ながら【政府】という集合体と同意の【公】にはなりえないのです。
そんな訳で「政府のやった失敗と符合してる箇所がある」という立脚点には反証可能性なんか無いのです。
blog主さんの"台湾謝謝計画"の批判という目的に"政府と個の集合体の同一視"という手段は正当化されるどころか根拠にもなりゃしないわけです。
つまり批判ありきなのが初めから透けて見えるのです。
さて僕が聴きたかった『要するに』ってのはそんな事じゃあありませんですよ。
一体全体何がそんなに書き散らかすほどにお憤りなんですか?
それとも何かをお恐れなんですか?
なまじ本音を簿かそうとするから斜線がふえるのです。
ではまた。
きっと、この子は自分のお小遣いを義捐金に寄付してくれたんだと思う。
日本からの広告に喜んでくれたかな。平仮名の「ありがとう」をパパかママに尋ねたかも。
なんて考えていると楽しくなるね。自己満足ですかね。いいでしょう、有志でやったんだから。
コメントありがとうございます。
> ひろしさん
謝意を示すのは大賛成ですよ。
あくまで、「金の要る今」「金を使って」がどうなのかという話です。
台湾だけの理由で「国としての扱い」を貴方が気にされてる事は分かりました。
ただ「台湾国」との表現・指定がされては無いかもしれませんが、台湾宛にも公開書簡で感謝のメッセージを送ったと聞いています。
http://www.taiwannews.com.tw/etn/news_content.php?id=1569534
http://www.taiwanembassy.org/br/ct.asp?xItem=193354&ctNode=2237&mp=1&nowPage=14&pagesize=15
これはひろしさんにとっては「これでは台湾へのお礼になってない」という代物か、もしくはデマ記事(もしくは日本語訳が違ってるとか)だったりするのでしょうか?
例えば仰るような「ネット見ない輩に公開書簡の情報は(新聞などで)届いていない」という類とか…。
それと私もわたるさんと同様に『感謝の意は「額」ではなく「行為」に対して平等であるべき』と思っています。
義援金の額などを根拠に「好意を誰よりも強く」と比較するように表現するのは蛇足ではないかと思います。
> 香典をもらって、香典返しをしたら、それは個人を冒涜したことになるのかね?
香典をもらう状況は、「お金の要る」状況なのでしょうか?
そりゃあ葬式代は要りますけど、それで生活に困るとは限らないでしょう。
「お金が無くて医者に行けない」「お金が無くて餓死寸前」「お金が無くて住むところが無い」という例えなら『被災して義援金』の話と一致しますけども…。
構造の違う例題を持ち出されても「(´ω`)?」となります。
> ホッピーさん
コメント、そしてお心遣いありがとうございます。
> 中国語がまったく理解できない私にとって
こちらから書く分には簡単な英語でいいと思いますよ。ネットで機械翻訳も可能なんですから。
教育環境やネット環境が整ってない国でしたら、現地の言葉に限るなどの配慮は必要でしょうけども。
(流石に識字率の低い国だと新聞広告&現地語すら使えないかもしれませんが)
台湾はそういう所でもない筈なので、そんなに心配はいらないのではないでしょうか。中国語は方言の差が激しいと聞きますしね。
ただ「ここに書いて良いのかな?」と確認するのは、中国語が分からないと難しいですよね…。
> ですから、2chに「多謝台湾」だの「台日友好」だの散発的に書き込んだり
> 若しくは台湾在住の日本人を称する書き込みに対して
> 「俺に代わって感謝の気持ちを伝えてくれ!」とレスするくらいしかしてきませんでした。
> 本当に台湾の方に伝わってるのかどうか疑いながらです。
立派ですよ。それで充分だと思います。
今出来る範囲でやればいいのであって、限界を超える必要はありません。
後々出来る事は後でやればいいんです。(何ならNHKで中国語勉強してみた後でも)
本文趣旨の『将来的に余裕がもし出来たなら、全ての国に対して謝礼広告を出す。返せる恩は徹底的に返す。』もそういう事です。
> 思考は停止していませんし、流されてもいません。
うーん、どう書くのが一番良かったのかな…。
ホッピーさんは間違いなく自分で考えた上での行動はされてます。
ただ「謝謝台湾計画そのものについて、どこまで考えられた」のでしょうか?
「思考停止」「流される」がかかるのはそこの部分です。(馬鹿とか書くのはは間違いなく余計な事でした…スミマセン…orz)
何度も書くように、私も「時期さえ違えば評価」していた計画です。時期を遅らせるという選択は、ホッピーさんには有り得ないものだったのでしょうか?
また他の方宛にも書きましたが「台湾に感謝の意の公開書簡が送られた」では、『謝謝台湾計画による今すぐの広告掲載』の代わりにはなり得ないものだったのでしょうか?
> ですので、pochi-pさんのおっしゃるblogやSNSを使った感謝の表し方を
> ご自身で既に実践されておられるのであれば、是非参考にさせていただきたいです。
自身では特に実践してません。せいぜい本文中の「台湾からの義援金は感謝してます」の一言だけです。憤慨されるかもしれませんが。
表し方のサンプルとしては、日記の上部に載せたみた感じのバナー貼る程度で充分です。言葉の不安があるなら「国旗+国旗+ハートマーク+矢印」とかでも良いでしょう。
(やっつけです。アイコンタイプのものや、全部の支援国を表示するGIFアニメverとかは作ってると時間かかって返事遅れるので諦めました。英訳もあやふやです。あくまでサンプル版だと割り切って下さい)
よりよい既存のバナー&アイコンなどございましたら、是非教えてください。
もし台湾製GPSロガーとか買ったらその事の日記書きますよー。スマホやPC関係も買うかもしれません。台湾旅行したら通訳雇ってでもお礼に挑戦してみます。
……でも今の私は義援金送るだけで一杯一杯の無職なのです。当分先の話になっちゃいますね。
> どもーさん
【公と個】の話、興味深いです。
私が「符合してること」を持ち出す理由は『「政府の対応への憤慨」が動機だった場合、問題をなぞっちゃ動機と相反しない?』と思うからです。
もし「政府の対応への憤慨」が動機でないのなら、符合云々を持ち出すのは仰る通り批判の根拠にはならないと思います。
ただ当エントリにコメントされてる方の内容にも
「政府の愚行が発端」「政府が撒き散らした恥を少しだけでも回収しようという意志」『政府に言いたい一言』「計画は政府のやり方に反対が大意じゃないかな」という表現がありました。
なので動機だという推測は間違って無かったと思ってるのですが…、もしかしてとんでもない勘違いを私はしているのでしょうか?
> 一体全体何がそんなに書き散らかすほどにお憤りなんですか?
憤って書く必要は無かったと、過剰な装飾はすべきじゃなかったなと反省してます。これはあーさんへの返信でも書いた通りです。
ただ内容については元々主張してる通りですし、要点絞ったものは間違いなくどもーさんに返信したものです。
それが「真意を隠してる」と信用してもらえないのなら、こちらとしてはどうしようもありません。
> それとも何かをお恐れなんですか?
間違っていたら訂正入れて「間違ってました、ごめんなさい」と謝るつもりなので、特に恐れてる事は無いです。
色々と気付かされる事もありますし、たくさんの方にコメントされるのも特に嫌ではありません。(返信に凄く時間かかるのが難点ですが…)
> miyaさん
本当にありがたいお話ですね。
生きてる限り、この恩は忘れたくはないです。
ご返信いただきありがとうございました。
バナー拝見しました。
私が作ろうと思ったら結構時間がかかりそうですが
これでも簡単なものなのですね。
大変参考になりました。ありがとうございました。
先にコメントしましたとおり、私は私の主義にしたがって行動しており
その主義とこの計画の内容、発起人の主義が私のそれに適うものだと判断したため
参加を決定しました。
当然その過程では、本当にこの計画が有意義なものであるかという点についても検討しておりますし
pochi-pさんのおっしゃるような、この企画に対するネガティブな意見を拝見するたび
考えさせられてきました。
しかし、この日記を拝見する限りでは、どのような思考過程を経ていたとしても
最終的に企画への賛同という結果をとったのならば、それはpochi-pさんにとって
「頭使わず、工夫もせず、思考停止のまま他人に流され」た結果なのですから
この日記へのコメントとして私が「謝謝台湾計画そのものについて、どこまで考えられた」
かを論ずることは無意味だとおもいます。
私が申し上げたかったのは、謝謝台湾計画を立ち上げた人、参加した人、賛美する人達の
全てを一括して、頭使わず、工夫もせず、思考停止のまま他人に流されて馬鹿やって
愚行をおかす胸糞悪い茶番でしかないと結論付けておられたことが残念だということなのです。
あくまで残念だというだけです。
そういう考えも存在することは認めております。
蛇足ですが、発起人さんはこの企画への賛同を募るにあたって
「政治的意図は無い」と(あのチャンネル桜に出演された際においても)断言しておられ
広告のデザインもその点に配慮して作られています。
日本政府の愚行を非難するかどうかは、それぞれの参加者にゆだねられていますよ。
> しかし、この日記を拝見する限りでは、どのような思考過程を経ていたとしても
> 最終的に企画への賛同という結果をとったのならば、それはpochi-pさんにとって
> 「頭使わず、工夫もせず、思考停止のまま他人に流され」た結果なのですから
> この日記へのコメントとして私が「謝謝台湾計画そのものについて、どこまで考えられた」
> かを論ずることは無意味だとおもいます。
>
> 私が申し上げたかったのは、謝謝台湾計画を立ち上げた人、参加した人、賛美する人達の
> 全てを一括して、頭使わず、工夫もせず、思考停止のまま他人に流されて馬鹿やって
> 愚行をおかす胸糞悪い茶番でしかないと結論付けておられたことが残念だということなのです。
>
…確かに。自分で書いておいてなんですが、思考停止という言葉では、仰っている「考えた過程」を否定してしまうなと感じました。今更ですが。
「まだ工夫の余地がある」と「工夫もせず」はイコールではないですし、
「頭使う余地がある」と「頭使わず」はイコールではないですね。
過程の努力を否定する書き方で申し訳ありませんでした。本文記事に注記しておきます。
「思考停止」を正確に書き直すのはちょっと難しいですね。「思考中断」や「思考途中放棄」では意味合いがいささか違いますし。
「色々と是非を思考する余地がある」辺りですかね?
「愚行」と「茶番」についてはそのままで問題無いと思います。ホッピーさんには不本意かもしれませんが。
真摯にコメントくださってるホッピーさんに言うのは失礼になるでしょうが、あえて言わせてください。
「きちんと頭を使う」と「頭を使ったつもり」は違います。
もちろんホッピーさんがどちらに当てはまるのかは、思考過程を聞いてないので判断出来ません。
評判の悪い例えを持ち出して何ですが「マルチ商法などに騙される方は、頭を使ってるつもりで、小学生算数レベルの頭すら使えてない」のです。
それに対して私は「頭使う余地がある」と言う表現より、「頭を使ってない」という表現が通常相応しいと思っております。
失礼な書き方になったのは、そういう発想から来ていたものとご理解ください。(容赦までしなくていいです)
> 蛇足ですが、発起人さんはこの企画への賛同を募るにあたって
> 「政治的意図は無い」と(あのチャンネル桜に出演された際においても)断言しておられ
> 広告のデザインもその点に配慮して作られています。
> 日本政府の愚行を非難するかどうかは、それぞれの参加者にゆだねられていますよ。
「政治的意図は無い」は「日本政府の行動の批判意図は無い」も含まれてましたか。了解です。
ただ、そうなると「何故今、有料広告なのか」が、本当に私には理解出来ません。
もちろん仰る通り個々人で考えは違うのでしょうが、「日本政府がXXだから、こうする」といった単純な動機の方が理解出来ます。是非はともかくとして。
あくまでお願いですので断ってくれて良いのですが、もし良ければ先ほどの2つの質問に答えてもらえると助かります。
・時期を遅らせるという選択は、ホッピーさんには有り得ないものだったのでしょうか?
・「台湾に感謝の意の公開書簡が送られた」では、『謝謝台湾計画による今すぐの広告掲載』の代わりにはなり得ないものだったのでしょうか?
自分の嫌いな国に渡航しようとする他人を非難することと同じ。貴方は神でも何でもない。薄っぺらな「平等」とか口に出さないで。この活動には少なくとも6000人の
自発的な台湾への感謝の気持ちが表れているのです。貴方は国がやることだけに口を挟めばよい事。(納税してるからその権利を使ってくださいな)
他人がやってる善意に金の使い道ややり方に貴方が口を挟むことじゃない。ましてや貴方は台湾人に認められた代弁者でもない。貴方は自分で自分のやり方を考えて実行する
ことをお勧めします。
恐らく、私と同じように思っていらっしゃる方もいるのではないでしょうか?
台湾旅行に行くのも、台湾のhtcの携帯を買うのも、万単位のお金が動きます。そんなお金があったら、被災地に旅行に行きますし、日本製の携帯電話を買って経済を回しますよ。
私が振り込んだお金はたったの2000円です。後は、台湾バナナと烏龍茶を買ったぐらいです。
台湾に旅行に行った所で、私は台湾語は分かりませんし、お礼が言える人数なんてたかが知れてます。あと、義援金を送って下さった方は、お年寄りや小さい子供もいらっしゃいますよね?
インターネットできますか?また、日台交流センターや、台湾の大使館みたいな所にお礼メールをしたとこで、台湾の偉い方に気持ちが伝わるだけなのでは?
台湾からの義援金は民間の個人の方からが多かったのですが?
あと、私は総理には新聞で民間の人に伝わるように感謝広告を出して欲しかったです。あの馬英九総統でさえ、(この人は媚中反日の方です)テレビに出て、総統自ら、電話を取り、義援金を募って下さったのですから・・・
恐らく、中国に何か言われたのかもしれませんよね。台湾にミサイルを向けられる可能性だってあるのに。総理も中国に何か言われたとしても、「義援金を頂いたので、お礼を述べただけです。」と言い返すべきだとは思いますが・・・・
ただ、これは私1人の意見であって、発起人さんは政治色はないと思いますよ。現に新聞1社のみではなく、あえて2社にしたのですから。媚中、反日色の強い新聞社と親日色の強い新聞社ですから。反日の人も親日の人も義援金を下さったと思いますので。
できれば、反日の方も日本を好きになって欲しいですし、「日本は嫌いだけど、寄付して良かった」と思って欲しいので。
『神でもなんでもない、台湾人や日本人や台湾新聞社や謝謝台湾計画の代表でも代弁者でもない貴方は、他人がやってるブログにコメントすべきではありません。貴方は税金納めてる国の行動にだけ口を挟めば良い事』と、
貴方の仰る理屈ではなってしまいますが……。私はその理屈はおかしいと思いますよ。
> 6000人の1人さん
> 台湾旅行に行くのも、台湾のhtcの携帯を買うのも、万単位のお金が動きます。そんなお金があったら、被災地に旅行に行きますし、日本製の携帯電話を買って経済を回しますよ。
その理屈は正しいですよ。今すぐやるなら日本旅行&日本経済を優先すべきです。ただその事と
> 私が振り込んだお金はたったの2000円です。
↑はあまり関係ないですけど。2000円はあなた個人の額であって、謝謝台湾計画で広告に回された額(=義援金にも回すことも可能だった額)そのものではありませんし。
> お年寄りや小さい子供もいらっしゃいますよね?
> インターネットできますか?また、日台交流センターや、台湾の大使館みたいな所にお礼メールをしたとこで、台湾の偉い方に気持ちが伝わるだけなのでは?
私としては「お礼を見た人が、実社会で家族友人とその話題を話す事もあるのでは?」「政府間のメッセージについて、新聞報道がなされる場合もあるのでは?」と考えます。
「新聞広告でないと伝わらない」と考えられてるようですが、『時期を遅らせた後』の新聞広告でも伝わらないとお考えなのでしょうか?
『震災から充分に復興した後で謝謝台湾計画を実行したならば、むしろ良い事』だと私も評価しますよ。本文にも書いてますけど。
発起人さんの趣旨に全て同意してるという6000人の1人さんが、何故『今すぐ』に拘ったのか理由を聞いてみたいです。
このたびの震災は規模も大きく、それこそ長い時間がかかると思うので、私にはいつからが充分に復興した後なのか、区切りが分かりません。今回、発起人さんが「台湾にお礼を言いたいから、謝謝台湾計画を始めたい」と参加者を募集していたので、私にとってはこのタイミングで良いのではないかと、考えて参加しました。
あとこれは、発起人さんの趣旨とは関係なく、私個人の考え方なのですが、新聞社2社によって、話題になり、台湾のテレビに取り上げられたり、日本のマスコミも注目してくれるのではないかと思ったからです。現にテレビ朝日の「ワイドスクランブル」や読売新聞、産経新聞、中日新聞などで、この話を取り上げてくれました。日本のネットをできない方や、被災地の方にも伝わりましたし・・・・
マスコミはご存じのように、注目の高い話題は積極的に取り上げますが、ほとぼりが冷めた頃にはスルーする事が多いですよね?充分に復興した頃にはマスコミは取り上げてくれるでしょうか?
なので、私は「今すぐ、このタイミング」なのです。
pochi-pさんの言う「何故、今なのか?」、「新聞の広告に出すお金があるのなら、それも被災地の義援金に回すべきだ。」そのお気持ちは理解できます。私も理想を言えばそうだと思います。けれど、より多くの方に、効率良くお礼が伝えられる方法は新聞広告で、そして「今のタイミング」だと、私は思ったものですから。
それと、現在日本は風評被害に苦しんでいます。こうしている間にも観光地で働いている方が、失業の危機にさらされています。(実際、老舗旅館がこの震災で倒産しましたし・・・・)台湾の方は、風評被害に負けずにいち早く、日本に旅行に来て下さいました。台湾のテレビでも「日本に旅行に行って、日本を助けよう」と呼びかけて下さいました。
私は、台湾の方のためにも、早く震災復興をして、気持ちに答えたいです。お礼の仕方、金額にこだわるのではなく、被災地の人のために何ができるのかを考える事が、大切なのではありませんか?数百万円の広告費で、日本に興味を持ってくれたり、喜んでくれて、「やっぱり日本人はいいね。お礼なんていいのにね。日本に旅行に行ってみようかな。」そう思ってくれる人が日本にお金を落としてくれれば、復興はより早くなります。数億円の義援金に変わると考えても良いかもしれません。
長くなりますが順を追って回答させて頂きます。
「充分に復興した時点」を明確に線引きするのは、価値観の違いもあり現時点で断言するのは困難です。進み具合を予想するも難しいですし。
評価基準としては一応、インフラの回復具合、一人当たりのGDP(の都道府県版?)、失業率、住宅事情などを使う事は出来ますが、その数値の何処が『復興の境目』か、線引きするのは非常に難しいですね。
個々人の心の傷も含めれば、同じタイミングでも「復興した」と仰るも人いれば「まだ復興していない」と仰る人もいるでしょうし。
ただ『謝謝台湾計画』(というより「有料謝礼広告」)が『今は早過ぎる』とする基準までなら明確に示せます。
今現在『避難所に人がいる』状態です。それは『(災害による)避難が続いている』という事です。
流石にこの状態で『復興が進んだ』とするにはいささか早計でしょう。
せめて最低限、仮設住宅でもいいです。とにかく『基本的に避難所に人がいない状態』でないと『被災地にまだまだ助けがいる』と考えるべきだと思います。
そういう理由から『避難所の避難者がいなくなった後』でない今は、「有料謝礼広告」は気が早すぎると思います。
『謝謝台湾計画』を行う適切なタイミングとなると、価値観の違いもあり完全に同意してもらえる基準は示せません。
以下はあくまで「参考までに書いた個人的な考え」だとしてお読み下さい。
個人的には『1年後、2年後などの暦上の節目』のタイミングで『被災地の通信インフラ、個人の懐事情が回復し、被災者自身も謝謝台湾計画に容易に参加可能な状態』ぐらいが丁度良いのではないかと思います。
仰るように、注目され辛いタイミングもあるでしょう。
ですが一般的に『あの災害から〜年経ちました』とTV放送される事は多いはずです。おそらく日本以外でも。
私はTVをあまり見ないので勘違いしているかもしれませんが、近年でも阪神淡路大震災の事がTVに映っていたと記憶しています。
そういう節目のタイミングで行えば、台湾でも日本でもマスコミに取り上げられやすくする事は充分可能だと思います。
また新聞広告単体で見ればどのタイミングでも載せる事は可能であり、マスコミの注目度は余り気にしなくても良いかと思います。
もし本当に余裕が有り余ってれば、数日連続で広告を掲載しても良いかと思います。(←注目を集めたければ)
それと6000人の1人さんには理解して頂けてると思いますが、
「今する有料広告」を問題にしており、「有料広告」や「今する感謝」を問題とはしていません。
「新聞の有料広告」の利点は一応分かっているつもりですので、余り強調されなくても大丈夫ですよ。
「風評被害をやわらげる」「日本への旅行を増やす」という考えは非常に興味深いですね。
『先行投資的な意味合いで、広告を出す』というのは、立派な戦略だと思います。
もちろん費用対効果がどのくらいになるかは未知数ですし、それを無視してはいけませんが。
そういう考えでなら『今あえて有料の謝礼広告を出す』というのも(試算後なら)悪くないと私も思います。
最終広告案に「来てください」が消えてしまったのはとても残念ですね…。
公式ブログの途中の案では「私達は必ず立ち上がるので、また日本に来て下さいね。」という文言があったみたいなのに。
露骨なくらい「日本に来て」を書いても良かったと思います。(←今すぐ広告を出す場合なら、の話です)
否定だけで一方的に「反省しやがれ」はないでしょう…。
貴方の言葉一つとっても、どうにも否定ありきに思えてなりませんでした。
やらないと結果はでませんし、結果が出ないと反省しようにもありません。
反省しやがれと仰るのは、きちんと掲載されたという”結果”のみでなく
相手がどのように受け止めたかという”結果”がでてからではダメですか?
今のところ6000人の1人さんが仰った「集客戦略としての広告」くらいしか、私には肯定出来るものがありません。
何人か仰った「あくまで日本政府の批判の為(で被災者は正直二の次)」の方は『動機だけ』は納得出来るものの、手段が「日本政府と符合」してて納得出来ませんし。
なので否定する言い方になるのはどうしようもないです。肯定する理由が見つからないのですから。(過剰な表現だったのは余計な事でしたが)
名無しさんの仰るように、何事も『体験した方が分かりやすい』ってのはあるでしょう。
だからといって『体験してない事は何も考えれない、想像出来ない』というのは流石に極論だと思います。
(もしその理屈の通りだと、今まで学者さん達が時々作り出した「実用化されてないけど理論だけは先にあった技術」とかが一切存在しない事になりますよ…)
恩を受けた場合にとりうる選択肢について以下の3つがあります。
・恩に報いる(=復興し元気になる)
・恩に礼を言う
・恩を返す(=支援されたお金を返済する、または反対の立場になったら台湾を支援する)
その中で「優先順位が一番なのはどれ?」と考えてみる事は、有料広告を出さないと本当に不可能な事なのですか?
個人的体験で何ですが、今まで難病やら要移植手術やらで募金集めてたのに何度か関わりました。
そういう場合に「主催者が礼を言った」後「手術したけど亡くなった」ケースは結構あるんですよね。
あれね、かなり空しいんですよ。元気になってくれなきゃ何にもならない。お礼の言葉なんてどうでもいいです。つーかお礼が欲しいとも後で恩返せとも思った事無いですし。
金集めが上手くいったら、それで無事『報われる結果』になって欲しいだけなんです。他の事は些事でしか無いんです。
……もちろんこれは個人的体験&価値観なので、説得の根拠にはなりませんけどもね。
ただ「そういうシチュエーションに自分がなったら」って想像する事は、そんなに難しくないはずです。
私にはその『想像してみたプロセス』が『謝謝台湾計画』には残念ながら感じる事が出来なかった為、それを批判するエントリを書かせて頂きました。
今回の震災では各国からたくさんの支援を頂きました。それでも復興にかかる費用を全て賄うには至っていません。
そんな「被災地を支援する余地」がある状態では、各国の恩に報いる事(=復興)もかねて被災地の支援を今は最優先すべきだと思いますよ。
あのタイミング以外にはありえませんよ>お礼広告の掲載時期
どんなに説明を重ねても、まあ永遠に理解できないと思いますが。
ご家族が亡くなった方などは、いつからが復興になるのでしょうか・・・傷は深いと思います。日本は本当に地震が多いですね。東日本大震災の復興が見えてきた時、他の地域が震災にあってるかもしれません。もしかしたら、私自身が被災者になって、避難所にいるかもしれませんね。結局、お礼も言えないまま・・・
永遠に理解されない説明って、普通に説明の内容に問題あると思いますが……。
まあ@さんは「理解する知性を持ってない」っていう意味で仰ってるつもりなんでしょうけど。
> 6000人の1人さん
成すべきことをしっかり成して、その上でやりたい事も色々とやりたいですね。どちらも生きてる内に。
対処出来ない天災もありますが、対処可能な事柄から生存率を上げていきたいものです。(交通安全とか地道なものからでも良いので…)
ご返信ありがとうございます。
画像認証がうまくいかなくて・・・随分時間があいてしまって申し訳ないです。
>時期を遅らせるという選択は、ホッピーさんには有り得ないものだったのでしょうか?
有り得ないというほどのことではないのですが、早いほうがいいとは思っています。
台湾の方が抱えている国際的孤立感をなるべく早く払拭したいんです。
それとこれは屁理屈ですが、発起人は私ではありませんので、私の意志をもって計画実施を遅らせることは困難ですね。
私にはこんな大それた計画の旗振りを担う度胸も能力も人脈も時間もありませんし。
ですから「まだ早いなーと思うんだけど、でもこれを逃したら2度目は無いぞ。」との思いで参加された方もいらっしゃるかもしれないですね。
それこそ他人に流された結果だと思われるかもしれませんが。
>「台湾に感謝の意の公開書簡が送られた」では、『謝謝台湾計画による今すぐの広告掲載』の代わりにはなり得ないものだったのでしょうか?
どちらもあってよいと思います。
この公開書簡が謝謝台湾計画に取って代わるものという考えはありません。
逆もまた然り。
私も逆にpochi-pさんに質問をしたいのですが、よろしいでしょうか?
pochi-pさんにとって、被災地への支援を最優先するとは、具体的にどのような行動を想定しておっしゃっているのでしょうか?
今のところ、ここでいわれる「最優先」という言葉には、際限が無いように思います。
行動内容や方針、その限界等のご説明を添えられると、被災地への支援と有料による広告掲載とが両立しないというご意見が
より伝わりやすくなると思いますし、「具体的な内容・方針が示され、その後実現された計画」に対する意見を述べられる上でも
説得力が増すと思います。説得するつもりでこの記事を書かれたわけではないのでしょうけども。
めんどくさいことをお聞きしている自覚はあります。スルーしていただいてもかまいませんよ。
ここの反論意見を見ると、乙武洋匡さんのツイッターでの「一番迷惑で邪魔だったのは、自称ボランティアの人たち」発言に対するツイッター民のバッシングを思い出します。
反論者の動向はこんな感じですね。
「俺の金なんだからどう使おうと勝手だ」(名無し 2011/05/04 21:28)
「俺は金を出したから威張っていい、お前は金払ってないから威張るな」(hiro 2011/05/06 01:38)
「お前は何も立案してないんだから威張るな、立案した奴は威張ってよし」(頭でっかち 2011/05/06 00:43)
まず真っ先に反論してくる人の価値観はこのあたりにあるように思えます。
結果的に大金が集まって、余剰金が被災地にも回り、たまたま成功したから、その成功も大義名分になっていますね。
昔、万引きされた本屋が万引き犯を追いかけたら勝手に逃げて電車に轢かれて死んで、その本屋に人殺し批判が集中したという事件がありました。大義名分を掲げた人々による数の暴力です。
発言が善だろうが悪だろうが、数の暴力が発生すれば炎上の可能性があるものです。
暴走しやすい「自称ボランティア」達の価値観の中心が「俺が何をしようと勝手だ、指図する奴は許さん」である事は今後の課題ですね。
この価値観の人を説得できる内容の文章を書かねば炎上の危険があるという事なのでしょう。乙武さんのツイートのように。
けれども、感謝にしろ何事にしろ形にすることが大事ということもあるでしょう?
義捐金への感謝の気持ちもありますけど、何よりも”自分の身を削って”日本を助けようとしてくれた姿勢に感謝の形を現したい、そういう意欲を持った人間が1600万円もの寄付金を集めたのだと思います。
先に書かれた方もいますけど釣りバカ風にいえば”公私の私”のお金なわけです。
お世話になった方への盆暮れの贈り物と同じ。
その私的な消費に対して上から目線で偉そうに”ムダ”と決め付けるのは隣の家計簿に口挟むのと同様”ゲス”です。
数の暴力云々ありますが寄付した人間全員に対していわれのない文句を言ってるわけだから炎上して当然かなと思います。
> 画像認証がうまくいかなくて・・・随分時間があいてしまって申し訳ないです。
時間の事はお気になさらず。書くのも考えるのも、とても時間が必要ですから。
> >時期を遅らせるという選択は、ホッピーさんには有り得ないものだったのでしょうか?
> 有り得ないというほどのことではないのですが、早いほうがいいとは思っています。
> 台湾の方が抱えている国際的孤立感をなるべく早く払拭したいんです。
前半は分かりました。後半は「混ぜるな危険」だと思います。何か、色々と…。
> それとこれは屁理屈ですが、発起人は私ではありませんので、私の意志をもって計画実施を遅らせることは困難ですね。
> 私にはこんな大それた計画の旗振りを担う度胸も能力も人脈も時間もありませんし。
> ですから「まだ早いなーと思うんだけど、でもこれを逃したら2度目は無いぞ。」との思いで参加された方もいらっしゃるかもしれないですね。
> それこそ他人に流された結果だと思われるかもしれませんが。
>
こちらも屁理屈っぽい内容になりますが、あなたの意思をもって計画実施は遅らせることは不可能ではないです。
お金を出さなければいいだけなのですよ。もちろんあなた一人では意味が無いですけど。
これはもう選挙の投票や、「周りがスピード出してるからそれに合わせて(速度超過する)」の問題などと同じ理屈です。
「あなた自身も周りの人」という、分かるようで分からない話。まあ流石にこれは屁理屈と流してくれても結構です。
流石に無言だと周囲に分からないので「数年後に同じ計画あったら参加しますね! 今回の発起人さんのでも、他の人のでも」とコメントしたら、案外「後でもいいか」って思う人は増えたかもしれませんね。
それと人間って焦らされると落ち着いて考える余裕がなくなりますよね。「急いては事を仕損じる」って諺も昔からあるものの、なかなか難しい。
> >「台湾に感謝の意の公開書簡が送られた」では、『謝謝台湾計画による今すぐの広告掲載』の代わりにはなり得ないものだったのでしょうか?
> どちらもあってよいと思います。
> この公開書簡が謝謝台湾計画に取って代わるものという考えはありません。
> 逆もまた然り。
>
うーん、ちょっとすれ違っちゃいました。すれ違ってるのは分かるのにすれ違い回避する言い方が思いつかない…。
……スミマセンちょっと思いつかないのでこの質問については一旦ここまでという事で。
> pochi-pさんにとって、被災地への支援を最優先するとは、具体的にどのような行動を想定しておっしゃっているのでしょうか?
質問の回答ですが、最初から言ってる通り「お金の要るところへ、お金を回す」が最優先です。
現状では義援金&自治体への寄付(≒支援物資の購入費用、避難先の提供)などで良いと思います。詳細な使い道はそれこそいくらでもありますが。
次点として被災地&日本の経済を回す使い道になると思います。これもまた詳細をあげればキリがありません。
ただどこまで詳細に分類したとしても「お金の要るところ」という点では変わらないですよね? 私が優先すべきと言ってるのは、そういう「お金の要るところ」です。
もし仮に『台湾新聞社が経営難で破綻寸前』とか『台湾新聞社の従業員の方々が餓死寸前』とかだったら、それももちろん「お金の要るところ」と判断して問題ありません。
※ちなみに上記「お金の要る」は、「命を守るのにお金が要る」類のものです。
> 豆料理さん
コメントありがとうございます。
まあ本文中の書き方の問題も結構大きいので、この結果はある意味私の自業自得かと思います。
とりあえず、説得を試みる場合には『口汚いのは絶対駄目!』に違いないですね…。
論点のズレはいつも不毛ですが、『あらかじめの友好関係』や『あらかじめの教育』が無い限り軌道修正は難しいですね。特に後者は社会レベルの話ですし。
書店潰しの話は覚えてます。あれはとても酷い話でした。でも今でもきっと、同じように筋違いな事しちゃう人って少なくないんでしょうね。残念な事です。
というか万引き軽んじる風潮ヤメテ欲しい……。
乙武さんの事は最近知ったんですが、あの人格好いいですよねー。
> つくしさん
「ネットでお礼」が「形にすること」に当てはまらないのですか?
「台湾に感謝の意の公開書簡が送られた」も形として成り立ってないのですか??
どうも「お礼とはこういう形であるべき」という固定観念に囚われているように見えますよ。
あと「金も家も無く食べるものにも困る状態でお歳暮を贈る」を、一般的な「お歳暮を贈る」と同一視するのは、状況を的確に判断出来てるとは言いがたいですよ。
>時間の事はお気になさらず。書くのも考えるのも、とても時間が必要ですから。
いえ、firefoxだと画像認証がうまくいかないことに気づかず
連日同じブラウザで画像認証と格闘していたのです。
症状をググッたらあっけなく答えが出ました。情けない・・・。
>後半は「混ぜるな危険」だと思います。何か、色々と…。
私が危険な思想を持って参加したということでしょうか?
そう思われたのならショックですね・・・。
>「数年後に同じ計画あったら参加しますね! 今回の発起人さんのでも、他の人のでも」
「じゃあ数年後、あんたが発起人になってくれよな。そしたら参加するよ。」と言われたら
私からは返す言葉が無いですね。
先述のとおり私には発起人となることは事実上不可能ですから。
こればっかりは私の未熟さを証明するだけのことですね。
もしpochi-pさんが数年後、同じような趣旨で発起されたならば、私は支援させていただきますよ。
>「お金の要るところへ、お金を回す」が最優先です。
はい、これはもうpochi-pさんが最初から主張されていることなのでよく理解しているのですが
その度合いについて、お考えを伺いたかったのです。
たとえば「自身の生活に必要最低限の資金以外は、全て被災地の支援に回せ。」という前提意見があるならば
その正否は別として、この計画に参加することと被災地の支援を行うことが両立しないという意見は成立します。
数日間外食を控えるとか、晩酌を抜きにするとか、昼飯の弁当のグレードを下げるとか
被災していない人間にとって、一口1,000円という金額はその程度のことでまかなえるんです。
発起人もその程度の軽い気持ちで参加してほしいといっていますね。
そのような心積もりで参加した人間が「その金を被災地に回せよ。」といわれたら
どこまで我を捨てて被災地支援を行わなければいけないのかと感じるはずです。
さらにいえば、計画に参加しなかったことによって留保した1,000円をどこに振り向けたのかと問われて
非参加者が「その1,000円なら義捐金として支出した金額に含まれているよ。」と答えたら
参加者も「俺だってこの1,000円とは別に、義捐金を支出しているよ。」と答えて・・・
つまり私が先述したように、ここでおっしゃられる「最優先」という言葉には際限が無いように思うのです。
その点のお考えを示されれば、pochi-pさんの真意がより確実に伝わるのではないかと思い、お聞きしました。
ここまでのやり取りの中で、参加者の心理の一端でもご理解いただければと思ったのですが
私では力不足だったようです。お邪魔して申し訳ありませんでした。
それでも、pochi-pさんが真摯にお返事をいただける方であったのが何よりです。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
> >後半は「混ぜるな危険」だと思います。何か、色々と…。
> 私が危険な思想を持って参加したということでしょうか?
> そう思われたのならショックですね・・・。
>
洗剤の注意書きの引用です。
ホッピーさんが危険思想という意味では無かったです。気分害してしまいスミマセン。
ちょっと話が広がり過ぎる部分を故意に混ぜると必要以上に話が広がってしまったり、議論が紛糾しかねないのでよろしくないなーというニュアンスでした。あと、私の対応出来る範囲を超えてしまう…(汗)。
そういう意味で↓の1行は謝謝台湾計画の話に混ぜ無い方が良いとコメントした結果が「混ぜるな危険」でした。
> 台湾の方が抱えている国際的孤立感をなるべく早く払拭したいんです。
> >「数年後に同じ計画あったら参加しますね! 今回の発起人さんのでも、他の人のでも」
> 「じゃあ数年後、あんたが発起人になってくれよな。そしたら参加するよ。」と言われたら
> 私からは返す言葉が無いですね。
> 先述のとおり私には発起人となることは事実上不可能ですから。
> こればっかりは私の未熟さを証明するだけのことですね。
> もしpochi-pさんが数年後、同じような趣旨で発起されたならば、私は支援させていただきますよ。
>
その場合は「可能ならやってみるよ。でももしかしたら尻込みするかもしれないし、あまり期待しないでね。だから他の人も発起人に立候補遠慮しないでくれな! 正直臆病なんで他人をつい頼っちゃうんだ。今回の発起人さんみたいに行動力ある人が羨ましいよ」って書いとくだけで良いと思いますよ。
そもそも単なる賛同なら「俺もそいうのあったら参加するよ!」だけで充分で、「お前がやれ」って話をもってくい人は『暗に否定しているだけ』の可能性が結構高いです。失礼にならない感じで流しておけばそれで良いと思いますよ。
私はすでに謝謝台湾計画に参加した方々から嫌われちゃってるみたいなので、おそらく同じ趣旨で数年後発起しても「詐欺だな、きっと持ち逃げするぞ」とか思われるんじゃないでしょうか? まあどの道pochi-p主催では集まらないでしょうね…。先は分からないけど現在無職ですし。
プライベートなり別の名前なりで信頼得れてたら考えなくも無いですけど。
あと個人的には「恩返し>お礼」の順位なので、他の方法模索したいなあ…。
私が大●製薬の社長だったら謝礼入りデザイン缶の(消費期限の長い)飲み物を用意してみるとかしたいんですけど…。(←人口と同じ数用意するか、無料配布か赤字価格販売か、色々考えた上でね…)
> たとえば「自身の生活に必要最低限の資金以外は、全て被災地の支援に回せ。」という前提意見があるならば
> その正否は別として、この計画に参加することと被災地の支援を行うことが両立しないという意見は成立します。
>
> 数日間外食を控えるとか、晩酌を抜きにするとか、昼飯の弁当のグレードを下げるとか
> 〜略〜
>
> さらにいえば、計画に参加しなかったことによって留保した1,000円をどこに振り向けたのかと問われて
> 非参加者が「その1,000円なら義捐金として支出した金額に含まれているよ。」と答えたら
> 参加者も「俺だってこの1,000円とは別に、義捐金を支出しているよ。」と答えて・・・
>
> つまり私が先述したように、ここでおっしゃられる「最優先」という言葉には際限が無いように思うのです。
なるほど、そういう意味での質問でしたか。
あくまで最優先するのは「『震災関連』の支出の中で最優先する」だけで結構です。
『全ての(所持してるor収入得た)お金の使い道の中で最優先にする』という意味ではありません。
個人の生活費のうちどこまで回すかは、完全に自由です。(人助けは素晴らしい事ですが、それで『人助けしてない人は非難すべき』というのは大きな間違いです)
「余裕があって震災関連に回す分があった場合」に、その使途として最優先するのが「お金の要るところへ、お金を回す」というだけですね。
でもって「台湾への謝礼広告」が「震災関連の支出」にあてはまるかどうかですが、これは当然あてはまりますよね?
何もしてない状態で台湾の方から「兄さんこれで美味いメシ食べなよ」とお金頂いたのと違い、明確に「震災で大変だな、これ役立ててよ」という意思で頂いたお金ですから。
当然それに対する礼も「震災関連」の枠の中になります。
その意味でどれを『最優先する』かというお話をしていました。
もしかしたらまたすれ違いになってないか少し心配ですが、これが私の回答となります。
> ここまでのやり取りの中で、参加者の心理の一端でもご理解いただければと思ったのですが
> 私では力不足だったようです。お邪魔して申し訳ありませんでした。
> それでも、pochi-pさんが真摯にお返事をいただける方であったのが何よりです。
> お付き合いいただき、ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございます。
一方的にコメントして終わりではなく、こちらのコメントに再度コメントして頂けて(というより目を通して頂けて)ありがたいです。
何気に「書いたけど読まれない」が一番堪えます(汗)。もちろん、再コメントが無いだけで目を通して頂いてる方もいるのでしょうけど。
私は「謝謝台湾計画」には参加しておりませんが、「そんな金があるのなら被災地へ」という主張はネット上で度々目にしました
ホッピーさんの意見
> つまり私が先述したように、ここでおっしゃられる「最優先」という言葉には際限が無いように思うのです。
私もホッピーさんと同意見ですが、上記に対する貴方の反論は
>「余裕があって震災関連に回す分があった場合」に、その使途として最優先・・・
しかし
「被災者を助けたい」
「台湾の人に感謝したい」
という2つの感情はそれぞれ異なる動機から生じているはずですが、それをニュース報道のカテゴリ分けならともかく、実際の行動まで
「震災関連」という枠でひとくくりにするのは無意味な事であると感じます
被災者支援と台湾への感謝表明は、それぞれ重要であり、かつ全く別の話なのです
「震災関連に回す」のではなく、「義援金に回す」あるいは「謝謝台湾計画に回す」のです
すみません、ニュース報道ならその分類がよくて、他ではその分類は無意味であるという理由が分かりかねます。根拠は何なのでしょうか?
「動機」をもって「行動に対する分類」が無効となるというのはわけが分からないです。
それに異なる動機と仰いますが、動機の出発点はどちらも一緒でしょう。「被災者が助かって欲しい」と。
・「助かって欲しい」→「自分で助けよう」
・「助かって欲しい」→「誰かが助けてくれた」→「ありがたい」→「お礼言おう」
その出発点すら違うのだったら、台湾からの助けにお礼なんてする必要がそもそもない訳で。
もしかして他の出発点がありえたりするのでしょうか??
あと何度も言いますが「感謝表明」と「今すぐ金を使っての感謝表明」を一緒くたにしないでください。論点がずれます。
「動機」という言葉について私の真意がうまく伝わらなかったようなので、補足説明させて頂きます
以下私自身を例にとって説明しますが、
私は前回の書き込みの通り、謝謝台湾計画には参加しませんでした(もっと早くに計画を知っていれば参加していたでしょう)が、
計画を知ったときの私は、被災者に対する同情心とは無関係に
・純粋な感謝の気持ち
・台湾に新聞広告を出さない政府の対応への憤り、
・複雑な立場におかれた台湾の人々への同情心
・世話になったからにはきちんとお礼(ネット等ではなくあくまでも新聞広告で)を言わねば日本人のメンツにかかわる
のような色々な感情を抱きました。
つまり、各々の行動を起こす「直接の」動機は
?被災者を助けたい → 義捐金を送る
?台湾の人が助けてくれた → お礼がしたい
上記??の感情は別個のものであり、台湾の人の厚意に対する感謝の念を抱くとき、必ずしもpoch-p様の想定された通り
> 助かって欲しい」→「誰かが助けてくれた」→「ありがたい」→「お礼言おう」
という思考過程を遡る形で被災者の惨状にまで想いをはせるとは限らないと考えるのです
上記が前回の書き込みで使用した「動機」という言葉についての私のとらえ方であり、その上で2つの感情を「震災関連」という枠で
くくる事が無意味だと申し上げたかったのです
〜ここまで前回書き込みの説明〜
義援金と感謝広告を「震災関連」という同一枠で考える事に無理を感じるもう一つの理由として、上記の
「動機」の説明と重複する気がしないでもないですが、一応感じた事を挙げておきます
・もともと「枠」を設定した上で金を使うわけではない
大抵の人は「自分の資産のうち、5千円を震災関連の事に使おう」と決めた上で、3千円を義援金に、残り2千円を感謝広告に
振り分けているのではないと思います
また個人の金の様々な使途のうち、「震災関連」だけを特別視する事にも違和感を覚えました
貴方の主張によれば、仮に自由にできる金が1万円あったとして
例1)1万円全てをパチンコに使う → 個人の金の使途は自由である。非難するにはあたらない
例2)1万円のうち、5千円をパチンコに使う → 個人の金の使途は自由である。非難するにはあたらない
3千円を義援金に使う → 被災者の役にたつ。これも問題なし
2千円を感謝広告に使う → けしからん、この2千円も義援金に回すべきだ。
という事になるかと思います。
感謝広告に金を使う事は、直接被災者の役に立たないという点においては金をドブに捨てたり、他の遊びに使ってしまう事
と同様なのに、感謝広告だけが批判の対象とされる事にどうにも違和感を覚えてしまいます
> 計画を知ったときの私は、被災者に対する同情心とは無関係に
> ・純粋な感謝の気持ち
『感謝の気持ち』にはやはり『感謝の対象』があるわけで、今回の台湾に対しては「被災者の支援」を見ずに感謝する事は不可能だと思います。
逆に「感謝の対象」を見ずにする感謝では、場合によって不義理になってしまう事もあるでしょう。今回の場合もそれに当たるかと。
「被災者を大事に思った」台湾に対して、
「(現在進行形で大変な)被災者はそれほど大事じゃないよ」と受け止めれる行動を返しては、
『感謝の対象への不義理』になってしまいます。
ですのでその不義理を解消した形で謝意表明すべきだという話です。
だから「広告するなら時期をおいてから」「今は有料広告以外で謝意表明を」と書いています。
> ・台湾に新聞広告を出さない政府の対応への憤り、
これについては本文に書いたとおりの意見です。「そもそも政府は今何処の国にも有料広告すべきでなかった」と。不公平の原因なんですから。
> ・複雑な立場におかれた台湾の人々への同情心
それは「感謝」ではなく「応援」の形ですべき事ではないですか?
感謝しただけで台湾の立場が魔法のように安定したりするわけ無いでしょうに。この世は「医者は手術せずに患者に感謝するだけでOK」な魔法世界ですか??
今回の広告では「私達は友達です」という文言が含まれましたが、広告文は色々議論された後に決まったもので、謝謝台湾計画で最初から決めていた文でもないようです。
やはり台湾の国際的な立場を気にかけるなら、文面の不確定な感謝計画に賛同するのは方向違いかと思われます。
台湾の複雑な立場を何とかするのは、また別個の問題として『台湾国支持』を明確にした別計画にて成されるべきだと思います。
何かの『ついで』で解決するほど台湾の立場は簡単なものでは無い筈です…。
あと、その一文は「複雑な立場で無かったら台湾に感謝しない」「台湾以外の国に感謝しない」と誤解されかねないですよ。
> ・世話になったからにはきちんとお礼(ネット等ではなくあくまでも新聞広告で)を言わねば日本人のメンツにかかわる
コメント欄にも目を通して頂いたようですが、政府は台湾宛の公開書簡を送っています。
「一部国にだけ新聞広告を出した為に不公平感が出来てしまった」のが問題であり、「広告を出さない」のが問題ではありませんよ?
「感謝=新聞広告が正解」というのは、根拠を示さないとただの思い込みだと言われますよ。
あと個人的に「メンツに拘る」なんて人は信用してません。「礼儀に拘る」のは良い事ですけどね。
> つまり、各々の行動を起こす「直接の」動機は
> ?被災者を助けたい → 義捐金を送る
> ?台湾の人が助けてくれた → お礼がしたい
> 上記??の感情は別個のものであり、台湾の人の厚意に対する感謝の念を抱くとき、必ずしもpoch-p様の想定された通り
> > 助かって欲しい」→「誰かが助けてくれた」→「ありがたい」→「お礼言おう」
> という思考過程を遡る形で被災者の惨状にまで想いをはせるとは限らないと考えるのです
>
では思いをはせて下さい。思いをはせずに「これが最善だ」なんて言ってる事を問題にしたエントリなので。
> ・もともと「枠」を設定した上で金を使うわけではない
> 大抵の人は「自分の資産のうち、5千円を震災関連の事に使おう」と決めた上で、3千円を義援金に、残り2千円を感謝広告に
> 振り分けているのではないと思います
>
…「大抵の人は」なんて話を曖昧にされると、「大抵の人は自分の資産のうち、5千円を震災関連の事に使おうと決めた後、5千円を義援金にしてる」と話がすり替ってしまいますが…。
> また個人の金の様々な使途のうち、「震災関連」だけを特別視する事にも違和感を覚えました
> 貴方の主張によれば、仮に自由にできる金が1万円あったとして
> 例1)1万円全てをパチンコに使う → 個人の金の使途は自由である。非難するにはあたらない
>
> 例2)1万円のうち、5千円をパチンコに使う → 個人の金の使途は自由である。非難するにはあたらない
> 3千円を義援金に使う → 被災者の役にたつ。これも問題なし
> 2千円を感謝広告に使う → けしからん、この2千円も義援金に回すべきだ。
大前提として、例が大間違いです。あと批判と非難の混同はよろしくないです。
※正しい例
> 例1)1万円全てをパチンコに使う → 個人の金の使途は自由である。だがパチンコは大抵損失になるギャンブルであり、時間つぶしにしても同額でより満足出来るものは色々ある。基本的にお金と時間が勿体無い。PS2のパチスロゲームでも買って、他の事にお金を使う方が大抵得策である。
> 例2)1万円のうち、5千円をパチンコに使う → 個人の金の使途は自由である。だがパチンコは(以下略
> 3千円を義援金に使う → 個人の金の使途は自由である。被災者の役にたつ。ただ余裕資金内なら問題無いが、本人が無理しない程度に抑えるべき。また募金詐欺に合わない注意も必要である。
> 2千円を感謝広告に使う → 個人の金の使途は自由である。復興後だと好ましい。しかし復興前に行った場合は不義理を含む為感謝の形としては適切ではない。
どんな行為でも『批判の対象が含まれてたり』『問題となる条件が成立していた場合』は、全て批判の対象になります。
その批判対象の有無は、個人の自由とは完全に別問題です。『個人の自由行動なら問題は一切無い』なんて理屈はありません。ただの錯覚です。
私が「個人の自由」という事で「飲食店で全メニュー注文した。だが一切口にせず全部残して金だけ払って帰った」と法律に違反しない行為をした場合、あなたは「自由だから批判すべきでない」とか「自由だから批判の対象はない」と思いますか??
よってこれ(↓)は大きなミスリードです。
> 感謝広告だけが批判の対象とされる事にどうにも違和感を覚えてしまいます
「今すぐの有料感謝広告」について批判しただけであり「他に批判の対象は世に一切無い」なんて何処にも書いてません。
自分の可能な範囲で、自分が「あれ? 批判されてないのおかしくね?」と感じた事柄を一つだけブログで取り上げたに過ぎません。
これでもし「何でこれだけ取り上げるのさ!」ってお怒りになられた場合は「交通違反で捕まったアホと同じ事言うな……」と呆れる以外の事は出来ませんので、あらかじめご了承ください。
そして何度も言いますが「今すぐ」「有料」を外さないで、きっちり区別してコメントしてください。
他人と違う見識を持っているなどと思っていたら、それはとんでもない勘違いだ。俺の金、お前にどうこういわれたくないよ。
>で、この計画が無ければ誰も義援金は出さなかったって解釈してよろしいのでしょうか?
皆さん人に尻叩かれないと人助けなんか決してしないケチくさい人ばかりなのでしょうか?
私はむしろ計画が無くても皆さん寄付していたと思いますよ。タイミングは違ってたでしょうが。
おいおい、震災は3月11日、台湾計画は4月11日以降だろ。
1ケ月の間にほとんどの人は義援金、支援金は寄付しているだろ。
親切に礼をする。社会人としてあたりまえ。
ネットが使える台湾人にだけ御礼すればいいのかい?
最も親日と言われている層が確実に外れるよな。
少なくともあんたは口先ばかりでしてもらったら御心から台湾に感謝はしていないよ。
そう思っている台湾人が少なくとも1人、私の隣にいる。
将来的に余裕がもし出来たなら、全ての国に対して謝礼広告を出す。返せる恩は徹底的に返す。
これ、あんたなら明日からでもできるよな?
俺も応援するから、まずは始めてくれないか?
ケチだけつけて、自分で行動をおこさないってのはナシにしようぜ。
↑の訂正
×少なくともあんたは口先ばかりでしてもらったら御心から台湾に感謝はしていないよ。
○少なくともあんたは口先ばかりで、台湾からもらった恩を、心から感謝なんてしていないよ。
募金額云々についてはコメント欄に書いた理由により伏せてます。適当にページ内検索してください。
> おいおい、震災は3月11日、台湾計画は4月11日以降だろ。
> 1ケ月の間にほとんどの人は義援金、支援金は寄付しているだろ。
3月時点で一度寄付した人は、4月以降給料日来てから追加で募金したりしないんでしょうか?
後日募金する予定を明言してる人が少なくとも1人、私の隣にいますけど?
また大枠での義援金以外に、それなりに活発になってきたボランティア&NPO団体にあてて個別支援する動きは無いのでしょうか?
私自身も震災直後の義援金の他にも、4月20日時点で震災関連の支出した記録が口座情報にあるみたいなんですけど?
> ネットが使える台湾人にだけ御礼すればいいのかい?
ネットが使える台湾人はネットが使える人だけで集まっていて、使えない人とは一切接触せず暮らしてるんでしょうか?
ネットを使ってない人にネットで知った内容を喋ると激昂されたりする社会なのでしょうか??
> > 将来的に余裕がもし出来たなら、全ての国に対して謝礼広告を出す。返せる恩は徹底的に返す。
> これ、あんたなら明日からでもできるよな?
「明日からでもできる」のなら、私の財政事情に「余裕が出来た」って事ですよね?
私の財布や口座に大金が知らぬ間に入ってるのなら、是非とも何処にあるのか教えてください。
> 俺も応援するから、まずは始めてくれないか?
別に貴方に応援されたいとも思ってないので、貴方の知らない範囲で勝手にやらせてもらいますよ。
いちいちやった事を証明するのも、貴方に信じてもらうのも面倒ですし。
勝手に想像上の私を好きなだけ罵倒しといてください。
> 少なくともあんたは口先ばかりで、台湾からもらった恩を、心から感謝なんてしていないよ。
あなたがそう思うんならそうなんでしょう、あなたの中ではね。
現地の台湾人の友人にこのblogを見せて感想を求めたところ、
「この人ちょっと素直じゃない人ですねえ。台湾人の中にもいますよ。他人と違う意見を言うことで自分が目立ちたいっていう人が。ほとんどの台湾人は良いことだと思っていると思いますよ。」
最近はネット環境もかなり整備されて便利になりましたね。
羽田発松山空港着のエバー航空も快適でしたよ。
また来月台湾に行ってきます。
お帰りなさい。台湾旅行のいい所を宣伝するのは僅かながらの恩返しにも繋がりますので、是非体験談とか広めてみてくださいね。ネット整備されてるのは素晴らしい♪
とりあえず動機は「目立ちたい」では無いですね。
「目立って注目される」のと「目立って攻撃される」のを量りにかけたら後者のデメリットが大きすぎますし。
つか心労が半端無いですよ。コメント書き逃げで言いっ放しの人や話がかみ合わない人とか日本語分かってるのかって人とかを相手するのは徒労感がひどいです。(全部がそんな人って訳でもないですが)
もし違ったら申し訳ないのですが、すでにコメントされてるぽんさんと同一人物でありましたらこちらからの返信に対するご意見等も書いて頂けると幸いです。
ご指摘に対する反論が間違ってたら間違っていてる点を、また納得して頂けたかどうかなどを是非知りたいので。
あ、最優先で聞きたいことがあました!
台湾のご友人とコンタクトがとれるなら、是非次の事を聞いてみてください。
「もし4月でなく一年後に感謝広告を出した場合、台湾の人は『遅すぎる』『日本人は礼儀知らずだ』と思うのでしょうか?」と。
この答えがもし『遅すぎる』『礼儀知らずだ』なら、今回の企画は正当と言えちゃうんですよ。優先順位として礼儀を優先しただけの話になりますから。
これが『まあ大変だったし一年後でも礼儀知らずだなんて思わないよ』という答えなら、遅らせる事に何も問題がありません。
そうなれば『今すべきだった』と主張の人達と、『後ですればベストだった』と主張する私に言い争う理由が無くなります。
是非とも台湾の方とコミュニケーション可能なぽんさんに、その事を確認して頂きたいです。
よろしくお願いいたします。m(_ _)m
すみません再度追記です。
前提条件として『日本政府から台湾宛の感謝の言葉が書かれた公開書簡が支援を受けてすぐ送られた』『日本のネット上で台湾に感謝する言葉がちらほら有った』を付けた上で質問お願いします。
『他の謝意表明が一切無く、一年後の広告でのみ謝意が示された』という意味の質問ではございません。
よろしくお願いします。
掲示板などもそうですが、匿名になるとどうしても言葉が雑になります。もしこの計画の発起人の方と面と向かってお話しされるとしたら、「あなたの計画はアホです」とは言わないと思います。個人的な思いや、考えがあって計画に参加された方もいます。僕も少し傷ついた気がします。
台湾の人たちへの感謝の気持ちは同じだと思います。想いが届くといいですね。
> 台湾の人たちへの感謝の気持ちは同じだと思います。想いが届くといいですね。
その部分を分かって頂けただけでもありがたいです。誤解&妄想されっぱなしは凹みますので…。
> 匿名になるとどうしても言葉が雑になります。
実名・匿名はあまり関係ないと思いますよ。
普段から言葉に気をつけてるどうかの話ですし、責任もって発言する人は匿名でもいますので。
> もしこの計画の発起人の方と面と向かってお話しされるとしたら、「あなたの計画はアホです」とは言わないと思います。
uchidaさんにはピンと来ないかもしれませんが、私は面と向かった状況でも「あなたの計画は**〜という理由で**アホです」位なら普通に言いますよ。
「あなたはアホです」の方は滅多な事では言わないですけど。
感覚的には「ズボンのチャック開いてて見栄え悪いですよ」と言ってるようなものです。
本人が気付けて見栄え良く出来るのなら、そこは遠慮なく言ってあげようという感じで。
もちろん根拠なしに「バカ」と言われるなら私もいい気しませんが、「君のこことあそことあっちの行動はバカだよ」って理由つきの指摘なら私は「ありがとう」と受け止めます。
指摘違いなら「いやその理屈はおかしい」って反論するだけの事ですし。
完全ノーダメージとはいきませんが、「傷付いた事」より「バカじゃなくなる成長チャンス&情報」という比率がデカイです。
『傷付きたくないから成長する気も無い』な振る舞いだと、いささか寂しいと思いますよ。指摘される方もする方も。
1年や2年で台湾に「お陰さまで復興できる目処がつきました。」なんて言えるほど日本は回復しませんよ。
いや、ますます日本はひどくなっていく。
脱原発とか個人的な思い込みをベラベラしゃべる首相が居座る限り、日本の工業はますます海外にシフトし、セシウム牛によって農家だけではなく肉屋まで倒産。その次は野采や米の高騰。ボーナスカット。
呑気に台湾に御礼なんて言える状況じゃなくなりますよ。
今が日本のピークで、これから悪夢の転落が一気に来るんです。
だから、御礼は言える時に言っておくのが正しいのですよ。
そういう「日本オワタ」な前提も、無くはないと思います。可能性としては十分に。
ただそのケースだと「あー復興しないから、どのみち日本終わるから、気持ちだけもらっとくんで義援金そちらの財布に戻してください。義援金もらうだけ無駄ですわ」って始めからつき返すのがむしろ正解になるのではないかと思ったり。
まあ復興ではなく延命に対する義援金(?)と捉える事も出来なくは無いですけどね。
因みに国民総出で自殺して、皆で遺書に「台湾、…(以下略)…、諸外国のみなさんありがとう」って書いておけば、(数年後)有料広告出す金なくても全世界の人にお礼伝わるかなって気もします。
もちろん自殺するより意地でも復興した方が良いとは思いますけど。
あ、それと
> だから、御礼は言える時に言っておくのが正しいのですよ。
「お礼を言う」と「有料感謝広告を出す」を一緒くたにするとやはり議論がかみ合いません。
今「お礼を言う」のが間違いなどと何処にも書いてませんよ〜。
やっぱり、あんたずれてるよ。
国民総出で自殺なんて万に一つもありえないでしょ。
今の人たちはそういう教育を受けて来なかったんだから。
これから日本という国は2流経済国にソフトランディングしていくというだけですよ。
そして優秀な人たちや優良企業は国外に逃げていく。
>「お礼を言う」と「有料感謝広告を出す」を一緒くたにするとやはり議論がかみ合いません。
今「お礼を言う」のが間違いなどと何処にも書いてませんよ〜。
あなたは批判ばかりしてるけど、目に見えた形で台湾に御礼をしてないのは事実。タダでお礼が言えるのかね。
ネットを使って無料の御礼さえしていない人が良く言うね。
台湾人の多くの人があなたにお礼を言ってもらいたいなんて思っていないから、どうでもいいことですけどね。
ソフトランディング可能なら広告出せるのでは? 今回の計画よりより多くの人数が必要なだけで。
優秀な人達も逃亡先の国で生活しながら感謝広告出したり、時たまの台湾旅行でお礼言えるのでは?
てっきりそんな事すら出来ない惨状かと思い、「お金ないならこんな最終手段もあるかも」って書かせて頂いたのですが…。
>「タダでお礼が言えるのかね」
>「ネットを使って無料の御礼」
あの、無料でお礼出来るのか出来ないのかどっちなんですか…。
わたしはこの計画に参加しましたが、今でも自分の決断は誇りに思っています。
あのタイミングで新聞広告を出したことに意味があると考えるからです。
タイミングに関しては説明の必要もないと思います。お礼を言うことができる状況なのであれば、謝意を表すには早いに越したことはありませんから。
もう一つは、新聞広告であるということ。個人がネットなどでできる活動には限界があります。リソースを一つにつぎこむ、それも有力なマスメディアを利用するというのは効果的で手っ取り早く理にかなった方法です。
集まった義援金に関しても、この計画には「お礼を言いたい」という復興支援以外のモチベーションが加わりますから、結果としてより多くの義援金が供出されることになった可能性は否定できないだろうと思います。
また、台湾の方でこの計画を知って「募金して良かった!」という感想を持たれた方もおられるようなので、この活動がさらなる募金につながった可能性も否定はできません。現在でも台湾からの義援金は増え続けているとのことです。
であれば、無料にこだわる必要はありません。有料広告を出すことによってそれ以上の結果が得られたのであれば、むしろ無料で低効率な方法で時間と手間を無駄にするよりも良いわけです。
わたしはこの計画は理念も方法も結果も良いものであったと思います。
pochi-pさんのおっしゃるような無料で世界中に向かってお礼を言うような計画があっても良いでしょう。これは相反するものではありませんから例えばpochi-pさんが率先してそういう計画を別個に発動させても良いわけです。もしそういう活動をされるのであれば微力ではありますが協力させていただきたいと思います。
「感謝のタイミング」と「新聞広告という手段」を個別に話されても、話がかみ合わないです。
問題にしてるのは「今(=4月)する新聞広告(のタイミング)」の話であって、別々に取り上げると話のベクトルがずれてしまいます。
> 現在でも台湾からの義援金は増え続けているとのことです。
これは本当にありがたい事ですよね。
ただし、
> この活動がさらなる募金につながった可能性も否定はできません。
を書くのは、部外者から見ても正直どうかと思います…。(-_-;)
謝謝台湾計画は決して「募金をねだる計画」では無いのですから。あくまで「謝意表明の計画」です。
「新たな募金」を「計画の成果/手柄」のように書いてしまうのは、謝謝台湾計画の参加者にとってもやや不本意な事になりませんか?
もちろん理屈の上ではそういう流れは有り得ますが、それを計画の功績かのように意気揚々と書くべきではないと思います。
『謝謝台湾計画についての話』をする分では
> 台湾の方でこの計画を知って「募金して良かった!」という感想を持たれた方もおられるよう
までの記述に限定しておくべきだと思います。
> もしそういう活動をされるのであれば微力ではありますが協力させていただきたいと思います。
全コメント&レスを見るのは大変でしょうが、「私は私なりの行動する」のを大分前から明言してます。
そして「公表する気も無い」「協力してくれなくて結構」という主張も相変わらずです。(意地っぱりです)
そろそろ「何かするなら協力するよ」でなく「お前も参加したくなるような計画思いついたから協力しろ!」という頼もしい声を聞きたいところですね。
もう3ヶ月以上経った訳ですし、きちんと頭動かし続けてればアイデア浮かんだ人もそれなりにいるはずでしょう。
私の個人的な計画なんて、所詮既存のアイデアのインスパイアですし、カードがお餅でレンジに猫です。
もっとセンスいいアイデア、効率の良いアイデアは探せばきっと出せるはずと思ってます。
私を馬鹿だと断言されてる人も多いようですし、そんな賢い人たちからのアイデアをのんびり期待してるのですが、そういう声がいまだに聞こえてこないのが残念ですね。(単に私が把握してないだけかもしれませんが)
(書き終わってから追記)
下から3行目「でも、歴史って」だけ読んでいただければ、私の意見が伝わることに気づきました…
>で、この計画が無ければ誰も義援金は出さなかったって解釈してよろしいのでしょうか?
>皆さん人に尻叩かれないと人助けなんか決してしないケチくさい人ばかりなのでしょうか?
このくだりは実は核心を突いていると思います。
先日、宝くじ売り場で「東日本大震災復興東京都宝くじ」というのを見かけました。
調べてみると、発売額25億円のうち、10億円が寄付されるそうです。
(当せん金を年末ジャンボの期待値で差し引くと残りは約12億円)
そのとき私は「こんなの買うくらいなら全部被災地に寄付すればいいのに」と思いました。
ですが、↑の書き込みを見て考えが変わりました。
被災地の人を助けたいという想いは皆あるでしょうが
「月にのぼったうさぎ」で旅人に食べ物を与えるために
自ら火に飛び込んだうさぎのようにはなれません(極端な例えですが…)
で、復興宝くじですが、確かに被災地に届くまでに16.6%のロスが出ていますが
毎日至る所で「募金お願いします」よりもお金を出しやすいと思います。
これらをふまえて、私は今回の謝謝台湾計画は最良のタイミングだったと思います。
理由は
1.謝謝台湾計画を実行する上で、お金が集まりやすいタイミングだった
2.早い時期に義援金を送ることができた
からです。
pochi-pさんの言うように、復興してからお礼をするべきという指摘もうなづけますが
義援金は早いほうがいい(だろう)という点では今回のタイミングではないかと。
もし、人間が「ケチくさくな」ければ、今回のお金が全額寄付されたでしょうが
私は「ケチくさい」と思っているので、この計画が無ければずっと眠っていたであろう潜在的な義援金を引き出したと思っています(ちなみにロス率は12.4%)
この理屈が謝謝台湾計画の目的に沿っていないことを承知の上で書きました。
でも、歴史上の出来事の評価ってたいてい結果があるから評価されるのではないでしょうか。
長くなってすみません。よかったらご意見をお願いします。
また来ます。
ちなみに今回の震災に限らず、特定の機関に寄付した場合、
その金額の一定割合が所得税の課税対象額から控除されます。
http://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/1150.htm
この控除を無くして、増えた税収を被災地支援に回せば・・・と考えると
赤十字に寄付してもロス率は必ずしもゼロではないです(ゼロに近いでしょうが)
この税優遇の制度がある点から見てもやっぱり人間は「ケチくさい」と思います。
他のコメント欄でも書きましたが「結果は手段を正当化しない」です。
ですので結果だけを持ち出して「謝謝台湾計画」という手段を「すべて良かった(or悪かった)ことに」と評価することは出来ません。
仮に後の歴史に残る結果だけで話をしてしまうと、極端な例では「原爆」という手段が「戦争終了」という結果で「良いもの」と評価されうる話にもなりかねません。
「どのみち他の兵器で同じかそれ以上の死者が出ていた」という妄想とセットで…。
※↑はあくまで「歴史の結果」においての例示で、直近の「使用結果」においてはろくでもないことは明白です。
※分かりにくいと評判の例え話を出してスミマセン。
「結果を喜ぶ事」とは別に、「手段そのものの純粋な評価」はきちんとするべきだと思います。
「ケチくさい」のお話了解です。
ただ「人間全体を平均すればケチくさい」まではそうかもしれませんが、
その中で「謝謝台湾計画」参加者に限定して考えるなら「ケチではない」「あまりケチくさくない」人が大多数ではないでしょうか?
「ケチな人」にとっては「代わりに(私の分も)払っといて」な行動を良しとするので、お礼に関する出費ですら誰かが肩代わりしてくれるならそれでOKとするでしょう。
よってケチな人は謝謝台湾計画の「傍観者」にしかならず、「参加者」にいるとは考えにくいです。
その為『参加者は元来ケチな人で、その人から潜在的な義援金を引き出した』の仮定はいささか無理があるかと思われます。
>「結果は手段を正当化しない」
その通りです。
ただ、今回の件で言えばpochi-pさんが指摘・批判されているのは
被災者の方々がまだ避難所で生活を送っている時に
台湾に寄付のお礼をするために
広告掲載料金の募金を呼びかける
ことであれば、厳密に言えば「目的と手段」になるかと思います。
これと
>『参加者は元来ケチな人で、その人から潜在的な義援金を引き出した』の仮定はいささか無理があるかと思われます。
を併せて、私の意見を書きます。
(今回はなるべく結果論にならないようにします。)
私が書いている「ケチな人」とは文字通りのケチではなく
謝謝台湾計画以前に寄付やボランティアなどの行動を取った上で
これ以上の貢献が望めない(または望みにくい)人のことを指しています。
「お金はあるけど動かない人」とでも言いましょうか。
謝謝台湾計画は、震災の約1ヵ月後に始まりました。
つまり、それまでに寄付をするには十分に時間がありました。
もし、物理的にお金が出せないのであれば、ほとんど寄付は集まらず
計画は失敗するでしょう。
その上で、今回の計画で募金を期待する根拠は
「まだある」
つまり(消極的な意味で)募金するつもりがなかったお金がまだあるという
予想だと思います。
実際この予想は正しいでしょう。
よって、「潜在的な義援金を引き出した」と私は思います。
悪く言えば
「そのお金(=謝謝台湾計画に寄付したお金)、なんで今まで義援金にしないでとっておいたの?」
というところですかね。
私は2週間くらい前に謝謝台湾計画を知ったので、参加はおろか傍観もできませんでしたが、
もし参加して、↑の質問をされたら何も言えないと思います。
………なんかピントがズレてますね
いったんコメントして次に「目的と手段」について書こうと思います。
評価をする上で、「(今回の時期で)広告を出すために募金集め」と「足りないor余ったら寄付」を
切り離して考えたいと思います。
単純にお礼の広告をするための募金であれば、
まだ被災者が困っているのにそこにお金使うの?と私も思います。
確かにお礼は早い方が喜ばれるかもしれませんが。
これについてはpochi-pさんの意見に賛成です。ただ私は「愚行」とまでは断言できません…
政府にできない(政治的な意味で)ことを民間人ができるというのは
うまく表現できないですが、いいもんだな…と思います。
私だったら謝謝台湾計画に1,000円寄付して、罪滅ぼし(=自己満足)のために赤十字などにも
いくらか募金(1,000円以上)するかな…
ともかく、「今じゃない」と私も思います。
これに「足りないor余ったら寄付」があるために、評価が難しくなるのではないかなと
思います。
このため、全体的に見れば
寄付は早い方がいい(だろう)から、謝謝台湾計画がこの時期に行われても
良いだろうと思います。
返信遅くなってすみません。全然レスを纏められず、時間ばかり過ぎてしまいました。
頂いたコメント、2つとも興味深かった&参考になりました。(最初はつい「ケチの再定義されても…」と思いましたが…)
> 「そのお金(=謝謝台湾計画に寄付したお金)、なんで今まで義援金にしないでとっておいたの?」
というのも切れ味鋭い意見ですね。
なかなかスッキリ書けなかったので、箇条書きっぽくレスさせて頂きます。
それでもまだ分かり難い内容ですが、ご容赦ください。m(_ _)m
・『まだ出てない金額』が、動いたはその通り。
・しかし『まだ出てない金額』イコール『今後も絶対に義援金などに使われなかった』とは限らない。
・「ケチでないがまだ出してない人々」は、「レジのお釣りをそのまま募金」とかを十分しうる人たちで、謝謝台湾計画以外のきかっけでもお金は出していそうな人達である。
・つまり『まだ出てない金額』は別の契機(チャリティイベント・報道・何かの呼びかけ・街頭募金箱・復興支援宝くじ発売・ふるさと納税・etc)でも動く可能性はあった。
※「東日本大震災復興宝くじを買って外れたつもり全額義援金」なんて事をする人だっているでしょう。(東京版は買えないとか、全国版買い逃したって人もいるでしょうし)
・『まだ出てない金額』を動かす働きかけは、むしろ震災に対する関心が薄れてしまった時期の方が望ましい。その意味でも謝謝台湾計画は後々の時期の方が良かった。
・『謝謝台湾計画が無ければ絶対に出なかった金額』が『広告費部分』より大きければ、計画が無かった場合より『義援金が増額した』という立派な成果となる。
・しかし実際の『謝謝台湾計画が無ければ絶対に出なかった金額』と『広告費部分』はどちらが大きいのか??
・それとは別に、謝謝台湾計画があった事で『時期を早める』効果は確かにあった。
・ただし連日のように震災&被災地に関する報道があり、前述の「別の契機」が謝謝台湾計画より大幅に遅くなるとは考えにくい。
・その為「時期を早めた」効果はあったものの、その早さが「生死を分ける境界線」ほど重要だったとは考えにくい。(むしろそんな時間に逼迫した状況なら、余計に広告費に回すべきではなくなる)
以上の前提、および今までの本文&コメントに書いた事から
> 評価をする上で、「(今回の時期で)広告を出すために募金集め」と「足りないor余ったら寄付」を
> 切り離して考えたいと思います。
については
広告部分:…時期尚早という評価変わらず。
義援金部分:…「早めた」効果は少なからずあったが、謝謝台湾計画なしでも「遅すぎた」とは考え難い。そして「増やした」という効果は微妙。(計画参加者が生粋のケチとか「台湾好きだが日本人大嫌い」とかでない限りは)
とそれぞれ評価し、「広告部分と義援金部分を総合的に考えても、義援金部分の成果を根拠に謝謝台湾計画を良しとまでは断言しにくい」と考えます。
また広告と義援金の比率に注目してみてもせいぜい1:10程度であり、その割に広告費が安くないことも謝謝台湾計画を肯定しにくい理由になっていると思います。
もしこの計画で広告費分:義援金分の比率が、
》 240万円:1600万円 (※)
ではなく、
》 240万円:10兆5000億4276万円
や
》 2400円:1600万円
などの比率でしたら、おそらく私も(前者は結果論的に、後者はそのまま素直に)「良かった」計画だと評価していたでしょうね。
※最終的な金額は「130万+1700万」とかになった筈ですが、分かりやすさの為初期の数字を引用してます。
> これについてはpochi-pさんの意見に賛成です。ただ私は「愚行」とまでは断言できません…
「愚行」という表現ですが、「話し合い」や「意見交換」を目的とするなら、書くべきではなかったかなと反省してます。
ただ計画の評価自体は相変わらずなので、お口チャックは出来ても内心「愚行」と思っていたでしょうね…。
『入院した貧乏な友人に好物のメロンを持って見舞いに行った。とても喜んでくれた。もう一度見舞いに行くと今度は友人が私の好物であるフォアグラを用意してくれていた。どうしたのかと聞くと「腎臓一個売って金を作った」と答えた』みたいな話に感じてしまうのですよ。>謝謝台湾計画
それはもうさすがに「アホか!」って突っ込まざるを得ない訳でして…。
ただ本当、時期を後々にすれば凄く良い計画だったと思っています。>謝謝台湾計画
ですので
> 政府にできない(政治的な意味で)ことを民間人ができるというのは
> うまく表現できないですが、いいもんだな…と思います。
にはとても同意出来るんです。
しかしながら実際の計画が、あのような同意出来ない形でなされてしまった事が、非常に残念で仕方ありません。
> 謝謝台湾計画は、震災の約1ヵ月後に始まりました。
> つまり、それまでに寄付をするには十分に時間がありました。
>
> もし、物理的にお金が出せないのであれば、ほとんど寄付は集まらず
> 計画は失敗するでしょう。
この部分については他の方にも言った事なのですが、『仕事があって働けてる人なら、毎月給料日が来る』などでお金が後々手に入る事があります。
なので1ヵ月後“だからこそ”「物理的にお金が出せるように“なった”人」もいたでしょうね。
そして数ヵ月後や一年近く経っても定期的に義援金送る人もいれば、前述したような『機会さえあれば義援金出す人』も勿論いる筈です。
謝謝台湾計画のタイミングについては私の意見は出し尽くしました。
pochi-pさんも同様ではないかと思います。
「このタイミングで謝謝台湾計画が行われていなければ出てこないお金があった」かどうかは
お互いに証明できないでしょうから。
これが社会科学の難しくも面白いところなのでしょうね。
ただ、(揚げ足感は否めませんが)ちょっと承服しかねるのはこの例え話です。
>『入院した貧乏な友人に好物のメロンを持って見舞いに行った。とても喜んでくれた。
>もう一度見舞いに行くと今度は友人が私の好物であるフォアグラを用意してくれていた。
>どうしたのかと聞くと「腎臓一個売って金を作った」と答えた』みたいな話
これを今回の議論に当てはめるのは難しいと思います。
「入院した貧乏な友人」が日本、「私」が台湾、「メロン」が義援金、
「フォアグラ」が台湾の新聞に出した広告、「腎臓」が今回の計画で集まったお金だとすると
「メロン」が「腎臓」の数千倍の値段になってしまいます。また
謝謝台湾計画で集まったお金が日本の「腎臓」というのは大げさすぎます。
それに日本の平均所得は台湾よりも高いですし(物価や公債の残高を加味していませんが)
日本のEEZ(腎臓にはまだ遠い?)を放棄して尖閣諸島の領有権を台湾に認めるくらいじゃないと
この例え話は成り立たないかと。
私にとって、今回の議論はとてもためになりました。
このサイトに来なければ謝謝台湾計画について議論できませんでしたし
復興宝くじやそのたぐいのものを軽蔑し続けたでしょう。
今回の私の意見に対するpochi-pさんの意見も聞いてみたいですし、
またちょいちょい来ようと思います。
もちろん、pochi-pさんがまだ消化不良だというのであれば、ぜひ伺いたいと思います。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
> お互いに証明できないでしょうから。
> これが社会科学の難しくも面白いところなのでしょうね。
ここは難問ですよね〜。
証明するにも方法が無い、方法はあるが(個人では)現実的ではないなど、色々と難しいところです。
> ただ、(揚げ足感は否めませんが)ちょっと承服しかねるのはこの例え話です。
〜略〜
> これを今回の議論に当てはめるのは難しいと思います。
> 「入院した貧乏な友人」が日本、「私」が台湾、「メロン」が義援金、
> 「フォアグラ」が台湾の新聞に出した広告、「腎臓」が今回の計画で集まったお金だとすると
> 「メロン」が「腎臓」の数千倍の値段になってしまいます。また
> 謝謝台湾計画で集まったお金が日本の「腎臓」というのは大げさすぎます。
例え話へのご指摘、ごもっともです。
「腎臓売り」は「つっこみたくなることの例え」に偏り過ぎて、「謝謝台湾計画の例え」として不正確な内容になってますね。
震災被害額、復興必要額、義援金額、謝謝台湾計画の広告費。
それぞれの金額の比率をなるべく保ち、かつ規模が小さくなり過ぎず、そして『オリジナルで見えにくかったものが見えやすくなる例え』にしないと……。
…………む、難しいですね。少なくともメロンじゃ基準値としてとても扱いにくそうです。
> 私にとって、今回の議論はとてもためになりました。
> このサイトに来なければ謝謝台湾計画について議論できませんでしたし
> 復興宝くじやそのたぐいのものを軽蔑し続けたでしょう。
>
> 今回の私の意見に対するpochi-pさんの意見も聞いてみたいですし、
> またちょいちょい来ようと思います。
> もちろん、pochi-pさんがまだ消化不良だというのであれば、ぜひ伺いたいと思います。
頂いた意見にはレスさせて頂きました。あまり内容が無くてスミマセン…。
おそらく謝謝台湾計画についてはもうほとんど更新は無いと思いますよ…。
コメントも減ってきてますしね。今後も頂いたコメントには基本的に全部返信するつもりですが。
自分ではもう疲れたって思う程長々書きましたし(読み返すのが大変…)、コメントが切れ次第この話題は終了するかと思います。
新しい視点・意見を聞ける分には今でもありがたいですけどね。>creさんのコメントも参考になりました。
元々バラバラな内容を気の向くまま書いてるブログですので、そういうのでも良ければまた見に来て頂ければ幸いです。
> ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
こちらこそ長ったらしい本文&コメントに目を通して頂きありがとうございました。
発起人さんが「女を上げた」ことに嫉妬しているだけな印象を受けますね。
よほど悔しかったのでしょう。
他人を嫉妬する暇があったら漫画や猫でも見てニヤニヤしてる方が気持ちイイです。
面白い議論です。
この計画の発起人の意図は分かりませんがやはり第一次湾岸戦争のクウェートと対比される事案だと思います。
そもそも善意による行為(ここでいう善意とは裏の政治的、経済的意図は無視します)に対して世界的なコンセンサスは定まっています(これは私の文章で説明するのは難しいので曽野綾子さんかマザーの著書を読んで下さい)
「台湾だけにお礼言うと他の国が嫉妬する」なんてのは「他の国」に失礼です。
レス遅くなってすみません。
> 第一次湾岸戦争のクウェートと対比される事案
> そもそも善意による行為に対して世界的なコンセンサスは定まっています
> 曽野綾子さんかマザーの著書
すみません。どれも私の知らない物事です。最後の著書については機会があれば読んでみますね。
> 「台湾だけにお礼言うと他の国が嫉妬する」なんてのは「他の国」に失礼です。
…えーと。色々考えてみたのですが、誰宛のコメントか分かりませんでした。