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2012/02/11

【盲導犬アトム号の真実】 歪曲と錯誤を正す声が全国へ! by I.H.

Ii_2

>ヘーッ!なーんだ、そういうことだったのか?
>これじゃー、ネットで言われていることは全くのこじつけだなー!

 2012年2月11日。福岡県糸島市は晴れだった。気温は8℃。やや強い北北西の風が吹いていた。玄海灘を遠くに望む盲導犬の里で、私達は、歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排した事実の数々を目の当たりにしていた。結果、盲導犬アトム号の真実を言葉ではなく事実の積み上げで知ることができた。そして、エセ告発者のそれとは違う本当の真実が静かに全国へと発信されだした。

 真実を語るのに言葉なんて要らなかった。事実をただただ積み上げれば、それで良かった。経緯と事情と全体に関する知見をただただ積み上げれば、それで良かった。「百聞は一見にしかず!」とは良く言ったものだ。「風聞と真実との余りの差」に、我々は今更ながら驚いた。


 経緯と事情と全体の3つを反映しない事象の一瞬を切り取っただけの写真は必ずしも真実を示していなかった。写真という化け物は180度違う印象と感想とを与える場合がある。そのことを知った人々によって、今、盲導犬アトム号の真実が日本中に拡散しつつある。長崎ライフオブアニマルが流布した盲導犬育成事業への誤解と偏見を正す取組みが満を持して始まった。


往訪指導シーンを読み解く4つのポイント】

 閲覧者が皆無に近い我がブログで、事の真相をつぶさに書く必要はないだろう。そこで、ポイントだけを整理して伝える。

(1)問題の写真は、盲導犬ユーザの歩行崩壊を示す決定的な証拠ではなかった。
(2)それは、単に、盲導犬アトム号の排泄の特徴を示すものでしかなかった。
(3)加えて、盲導犬アトム号の盲導犬としての資質の後退を示すものでもなかった。
(4)正に、九州盲導犬協会の厳しい歩行指導・点検を裏付ける写真そのものだった。


 長崎ライフオブアニマルが「ドヤ顔」でネット上に公開した写真は、もはや、盲導犬ユーザを「盲導犬を引っ張り歩く老人」と糾弾する武器ではなくなった。九州盲導犬協会の怠慢を指弾する道具でもなくなった。つまり、長崎ライフオブアニマルが強行した正義も大義もないネット上の公開裁判を正当化する根拠では
なくなった。

>それが公開処刑というのであれば
>人権のため、公の場で真実を書く(風聞を流布する)ことは許されないのですね。
>私達は報道の人間ではないので取材は行いませんよ。
>それは報道のするべきことなので。(2012/01/31 長崎 Life of Animal)


 1月末、長崎ライフオブアニマルは私への反論でこのように言ってのけた。言い方を変えれば、「公開処刑と批判されようとも、我々は人権などは無視して風聞の流布をやってのける。その際、取材を行って風聞の裏付け確認を行う気なんぞさらさらない!」ということだ。彼らには「公の場で真実を書く=報道」という誰もが判る等式すら理解できなかったようだ。こうして、長崎ライフオブアニマルはネット史に記録される前代未聞の暴挙へと突っ走ったのである。その暴挙の根拠が、今、言葉ではなくて積み上げられた事実のみで完全に否定された。「風聞の裏付け確認を行う気なんぞさらさらない」と豪語する者が持ち出した根拠は実に脆いものであった。

 
盲導犬アトム号は、当日も立派にその仕事をしていた。その姿を、その雄姿をこの目で確認した私は、その後、人間のそれぞれの思惑に翻弄されることとなった盲導犬アトム号に哀れさを感じずにはいられなかった。そして、それを阻止できなかった無念さで唇を噛む協会スタッフの姿に心を痛めた。また、自らの組織の思惑を達成するためだけの正義なき扇動、大義なき扇動に盲導犬アトム号を利用した長崎ライフオブアニマルに対してあらためて激しい憤りを感じた。

>皆さんからバトンタッチされた犬の訓練と散歩に支障が出ていることは確かです。
>でも、可能な限りの勤務シフトを組んで犬達へ悪影響が及ばないようにしています。
>今回の事件の影響が犬達に及ぶことだけは責任を持って防ぎます。
>どうか、今しばらくお時間をください。


 九州盲導犬協会のスタッフにとって、長崎ライフオブアニマルの妄動などは眼中にない。あるのは、行方不明になっている盲導犬アトム号の安否。そして、訓練センターにいる犬達のこと。今更ながら、盲導犬協会とは、それぞれの思惑を犬の上に置くことを知らない人達の集まりだと思った。

 盲導犬アトム号の保護を一刻でも早く!
 盲導犬アトム号の確保に一人でも多く!


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■ 無知なればこそ・・・!
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>盲導犬のことに関しては、つい先日まで、
>ほとんど勉強する事もありませんでした。
>盲導犬に関しては個人的に良い印象はありません。

(2012/02/02 長崎 Life of Animal)

 
無知であることは、誰も責めることができない。大概の人間は、自分と直接に関係のない分野については無知に等しいものである。お互い様である。盲導犬に対する個人的な印象も「それはそれ。これはこれ」である。しかし、ならばこそである。そういう無知なる自分であることを自覚すればこそ、九州盲導犬協会とコンタクトを取って経緯と事情と全体の3つを把握するという一手間を重視すべきであった。その一手間を省いて、独断と偏見に基づきネットを武器に特定の盲導犬ユーザと九州盲導犬協会に対するバッシングを組織したのは責められてしかるべきである。

(1)盲導犬の歴史を開拓してきた先駆者達の努力に一切の目を向けない立場。
(2)「盲導犬協会なるものは、深い闇に包まれている!」という独断と偏見。
(3)「盲人の方の盲導犬の世話は叩けば埃が出る!」という穿った見方。
(4)「盲導犬の日々は辛くて哀しい日々に違いない!」との盲導犬同情論。

 人は、時には何とでも言うものである。特に、匿名性の高いネットで特定の盲導犬ユーザと九州盲導犬協会に対するバッシングを組織した場合、それは収拾不能の状況をもたらす。そこには、吸い寄せられるように盲導犬の歴史を一顧だにしない特殊な立場の者が乱入してくる。「今こそ、協会の深い闇を切り裂け!」という空文句に酔う者もでる。「盲人ユーザを叩けばきっと埃がでる!もっとやれ!」と無責任に煽る者も駈け付ける。これらは、「もう、盲導犬の育成なんてのは止めたがよいと思う!」という意見でまとまって行く。

 長崎ライフオブアニマルは、特定の盲導犬ユーザと九州盲導犬協会に対する不当不法なバッシングを組織しただけではない。誤りを恐れずに断言すれば、長崎ライフオブアニマルは「盲導犬不要論の大合唱」のタクト(指揮棒)を振ったのである。ここに、私の強い憤りがある。

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■ 市民からの告発は協会を支える柱の一つ!
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 私が盲導犬ユーザになったとしたら、その一年目は<習って覚えて、試して失敗の日々>だろう。そのトライアル・アンド・エラーにおいて盲導犬ユーザとして疑問視される行為があったとする。それを目撃した市民の方は協会に連絡するかもしれない。いわゆる、市民による告発である。これは、盲導犬と盲導犬ユーザの安全を確保する上でも大事なこと。盲導犬一般に関する偏見を助長する不適切行為を正すという意味でも意義ある行為。更に言えば、それは盲導犬の歴史の前進に寄与する市民力でもある。

 このように、市民からの告発は協会を支える柱の一つである。実際に、市民からの善意ある告発によって盲導犬の引上げを決定するに至った事案が2件ある。一つは政令都市で起きた事案。二つは長崎の今回の事案。前者は実行され、後者は不測の事態で実行が中断されている。

 長崎ライフオブアニマルは、私を告発反対派の急先鋒と看做しているようだ。それは、とんでもない誤解だ。「市民からの告発は協会の活動を支える柱の一つである」という私の認識は不動である。
正義の告発も手段と手法を間違えれば不正義となる。告発の一般的な意義は否定していないし、その行為に口を挟むつもりも毛頭ない。私は、踏むべき手順と手続きを省いた不当不法な糾弾という形の「エセ告発」、盲導犬アトム号の探索を横に置いたバッシング優先の「エセ告発」に強く反対しているだけだ。

 私には、「盲導犬アトム号の安否情報をお願いします!」という情報発信は捨て置かれているとしか思えない。その一方で、「盲導犬アトム号の『虐待』疑惑について語ろう!」という呼びかけが渾身の力をもって継続されている。真偽も定かでない風聞について語るのが、そんなに大事なことなのだろうか?私にとって「虐待」疑惑以上に、そのことが謎である。長崎ライフオブアニマルを筆頭とした諸団体の軸足のズレに強い違和感を感じているのは私だけなのであろうか?


※ 似非(えせ):似てはいるが本物ではない、にせものである、の意を表す。

Lifeofanimal

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