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2012/02/08

長崎:盲導犬ユーザ糾弾に関する休筆宣言! by I.H.

1月28日 01: 情報における事実と真実について!
1月29日 02: 「盲導犬虐待」情報と流布責任!
1月31日 03: 風評:盲導犬虐待情報」の虚実と3つの特徴!
2月03日 04:  長崎発:盲導犬ユーザ糾弾に見る事実と真実!
2月06日 05: 【長崎】盲導犬アトム号の真実に迫る視座!

 「風評:盲導犬虐待のエセ告発者の非人間性を告発する!」という怒りの一文は、04に収録している。2チャンネルでは、この一文は「パピーウォーカーのおっさんが発狂!」という名文句で紹介された。形としては、全く、その通り。だが、私の中では、実はそういう位置付けではない。

 本ブログの主は KITANOINU である。本ブログは、 KITANOINU が「時には張り切り、時には手を抜き」のパピーウォーカーの日常を日記風に綴るためにこそ存在する。そのありふれたブログが変質し始めたのは1月末。長崎の盲導犬事案がネットを使った人民裁判に発展することを察知した時からである。某犬猫レスキューの自爆行為ともとれる特定個人と九州盲導犬協会とに対するバッシングの組織・扇動に対して自制を求めるシグナルを送るべく<もう一人の私>である Ichiro Higuchi が動き出した。最初は、「情報における事実と真実について!」という静かな発信であった。その後、警告レベルの発信が2つ。そして、2月3日に発狂するに至る。

>ビンゴ!ギャハハ!ビンゴ!あたし、この子に会ってみたいなー!

 2チャンネルの俄かファンになった妻は、冒頭の書き込みを見て大笑い。だが、「パピーウォーカーのおっさん、発狂!」というのは表面的な見方。そうではなくて、Ichiro Higuchi が KITANOINU のブログを借用し某犬猫レスキューの安易なネットを利用した特定の盲導犬ユーザをターゲットとした事実上の人民裁判の強行という不法不当な行為を強く批判・抗議した。これが事の真相。それに、私はおっさんではなくて<じいさん>だ。

 本ブログの主が KITANOINU から Ichiro Higuchi  のそれに様変わりしたことについて憂うる失意の声が寄せられた。そういう声に応えるためにコメントをブロックした。しかし、今日まで発狂した Ichiro Higuchi  は休筆することはしなかった。全ては私の器量の問題であろう。失意の声を寄せられた方には、ここで改めてお詫びをしておく。

>代表がまたこれからも活動できるよう、
>生活や家庭が整うための時間をいただきたいのです。

2012-02-07:某犬猫レスキュー

 この2行を読んだ時、Ichiro Higuchi は休筆することを決めた。

 被告とされた盲導犬ユーザの生活と家庭はどうでもよいのか?被告とされた盲導犬ユーザと何がしかの関係をもつ人々の生活と家庭はどうでもよいのか?この間、慟哭の日々を送った関係者の苦しみはどうでもよいのか?全国の盲導犬と盲導犬ユーザの生命を左右する影響を後世に残す誤解・曲解を多々含む不用意な糾弾活動。しかも、既に、盲導犬アトム号が行方不明になっていることを承知の上での大義なき糾弾活動。それをやってのけた当の本人は「生活や家庭が整うための時間をいただきた」という。これから、盲導犬ユーザは、公の場で「ノー!」と盲導犬を強く叱責することを躊躇うことになる。これは、盲導犬ユーザのみならず盲導犬の安全という面からしても由々しき問題である。それなのに、多くの人々の現状と未来に多大なる負の影響を与える情報を発信した当の本人が「生活や家庭が整うための時間をいただき」とは笑止千万である。余りにも身勝手である。

>あっあーっ、この子には覚悟ってもんがないね!
>だから、あんた、もう鉾を収めんね!
>この子の気持ちも判らん訳ではなかろうが!
>ちょっと、やり方を間違っただけなんだから・・・。


 某犬猫レスキューの「皆様へのお願い」には、ある種の強い覚悟と信念が見られない。盲導犬アトム号を不憫と思う感情に身を任せただけの行動。知見不足による勇み足に過ぎない某犬猫レスキュー団体主宰者のエラー。経験不足による見通しの甘さ。「皆様へのお願い」を読めば、そういう内幕が透けて見える。これに対して反駁する形で<何時までも>怒りをぶつけるのは実に大人げない。もはや Ichiro Higuchi が出る幕ではなくなった。「生活や家庭が整うための時間をいただき」とは、多分、切なる願いなんだと察する。本意ではなかったにしろネットを武器とした事実上の人民裁判を仕掛けた者には、被告同様の過酷な日々が待ちうけている。「それを、やっちゃー、お終いよ!」という警告が無視され続けたことを、つくづく残念に思う。

>心情と動機とを考慮すれば・・・

 保健所の犬猫収容現場に足を運んだ経験者として、我を忘れた糾弾者の心情はよーく判る。ドアを開けて中に入った時、「飼い主が来たんではないのか?」との期待をもって見る犬達。やがて、そうではないと知って失意も露わに蹲る犬達。その余りにも哀れな犬達、あの不安に満ち満ちた白眼を伴った犬達の眼差し。それらを目の当たりにし続けてきた糾弾者にとっては、盲導犬アトム号に関する種々の風聞(うわさ)はどうあっても看過できないことであったと推察される。余りにも身勝手な糾弾行為ではあるが、その身勝手さの中にこそ糾弾者の悪意の無さが見てとれる。某犬猫レスキューの「皆様へのお願い」は、そのことを裏付ける一文である。人は時として感情を制御できなくて、結果として重大な誤りを犯すことがある。糾弾者の結果責任は余りにも大きくて看過できないものではある。しかし、その心情と動機とを考慮すれば、これ以上の責任追及は適当でないと判断した。

>欲しかった!されど一手間、たかが一手間。

  KITANOINU は、パピーウォーカーとしての私である。Ichiro Higuchiは、「犬猫殺処分ゼロの夢を現実に。一日でも早く。一頭でも多く」を希求するもう一人の私である。それゆえへに一部の犬猫レスキュー団体に潜む極めて危険な唯我独尊的な宗派主義の表出に対して厳しい批判を展開したのである。「犬猫殺処分ゼロの夢を現実に」の取組みは、それらの自らの取組みの幅を狭める悪しき傾向を排除してこそ前進する。このことだけは、糾弾者にも一つの教訓として汲みとってもらいたい。なお、自らを改革の先駆者と位置付けた唯我独尊的な暴走(思い込みによる暴走)を再び繰り返さないためには、<実際に関係者に直に会って話を聞く>という一手間を惜しまないこと。されど一手間、たかが一手間。そういうことだと思う。

>犬猫レスキュー団体としてのあるべきスタンス!

 なお、盲導犬先進国であるドイツで犬猫殺処分ゼロの夢が現実になりつつある。ドイツには、盲導犬育成事業を支える土壌としての犬文化があることを示している。盲導犬育成事業と犬猫殺処分ゼロの取組みは、正に車の両輪。犬猫レスキュー団体は、各地の盲導犬育成組織と適切な相互批判・相互協力を心掛け共に夢の実現を目指すべき立場にある。そういうスタンスを見失った時、自分達だけが改革の先駆者と誤認した暴走(立場を逸脱した暴走)が始まる。先に述べた一手間を重視する姿勢は、そういう確かなスタンスがあってこそ生まれる。そのことも教訓として汲みとってもらいたい。

>私の考える犬猫と共生する未来社会!

 「犬猫殺処分ゼロの夢を現実に!」というスローガンに正面切って反対する人は少ない。しかし、その意味するところを知るにつれて支持率は下降を始める。猫が庭先にウンチしてもニコヤカな眼差しで見る社会。犬が、門柱にマーキングしても「アララ!」で済ます社会。それが、犬猫殺処分ゼロの夢が現実となった社会の一側面である。そういう未来社会では、猫は原則的に室内飼いされる。犬は、必ず排泄を済ましてから散歩に出かける。犬の飼い主が、パピー教室に通うのは当然のこと。それだけではなく、一歳前後にドッグスクールに通うのも常識。こうして、犬は人社会の一員となり真の自由を獲得する。この時、猫の庭先での粗相。犬の玄関前で失敗。人々は、それを許容し始める。そういう社会へのプログラムを実践し始めた時、その時、取り組みを牽引する者に対する支持率は2%そこそことなる。これが、紛れもない今の日本の現実である。

>怒りと憎悪で人々を駆り立てる扇動者からの脱皮を!

 某犬猫レスキュー団体には、これから試練の日々が待ち受けていることと思う。その中で、支持率2%の取り組みを継続していくのは実に困難。でも、試練を乗り越えてこそ某団体の取組みは新しいステージに移行する。怒りと憎悪で人々を駆り立てても、待っているのは苦々しい後悔の日々!「犬猫殺処分ゼロの夢を現実に!」を掲げて進む啓蒙者への脱皮を!その時に直面する旧習の一つひとつを突き崩す地道な取組みは、決して平坦な道ではない。しかし、そこには苦々しい日々は待っていない。告発者には、それをやり切る力があると信じている。そして、それをやり遂げてこそである。

>盲導犬アトムの一日も早い保護を!

 最後に、盲導犬アトムの一日も早い保護を願って結びとする。本ブログは、かかる休筆宣言をもって盲導犬候補生アンジー号のパピーウォーカーであるKITANOINUの単なるパピーウォーカー日誌に戻る。

PS1、「盲導犬だってただの犬。粗相もすれば吠えもする」について!

 
この下りのみを抽出・拡大して、私があたかも<盲導犬の歩行中の排尿行為を正常と強弁>したかのように喧伝する向きもあった。そうではなくて、「盲導犬だってただの犬」ということを意識して臨まないと、そういう後退現象はいつでも発生する可能性があるという意味。確かに、統計上は盲導犬のかかる後退現象の確認は1%にも満たないことかも知れない。でも、その可能性はある。そういう問題意識をもって臨むことが大事。そう読み解くことは決して難しいことではなかろう。そして、なによりも「我もまたただの人」という謙虚さを取り戻す上でも求められる視座である。

 問題の写真は、盲導犬ユーザを裁くという目的をもって解釈すべきではなかろう。盲導犬協会による歩行指導、現状点検の一場面と率直に理解すべきだと思う。「後退現象はいつでも発生する」という強い問題意識が背景にあるが故の歩行指導、現状点検という理解以外の何があるというのか?「協会スタッフの怠慢の証左」と悪意をもって理解するのは、私には理解しがたい。余りにも恣意的な解釈である。盲導犬協会の歩行指導、現状点検は、盲導犬と盲導犬ユーザの生命そのものに直結したもの。そのことを意識した取組み(Plan ⇒ Do ⇒ Check ⇒ Action のサイクル)の詳細な実態を知らずして、軽々に、各自の物差しのみで悪意ある結論を出すべきではない。

 盲導犬の排尿間隔は4~5度程度と推察する。隣家の犬は、朝夕の2回のみ。この場合、盲導犬の排尿間隔は隣家の犬よりも相対的に多い。PWをして感じたことは、街中にまったく排便・排尿スポットが無いということ。使役犬は、適切に水分を摂取し適切に排泄しなければならない。一日中、犬小屋で寝ている隣のポチと同列視はできない。仮に、盲導犬ユーザが排尿させずに街に出たとしよう。その時、適当な間隔ではっきりとした排便・排尿スポットがあれば、その失敗はカバーされるだろう。そういう整備された環境は、盲導犬の排尿に関する後退現象を防ぐ上でプラスに作用するであろう。それぞれの存在環境はそれぞれの意識にも反映される。私の盲導犬の排尿間隔に関する記述も、このように読み解くことができる。むしろ、そのように読み解くのが自然というもの。告発者にあるのは糾弾という視点のみ。日本における犬文化、盲導犬文化の後進性を考える一つの警鐘という視点が完全に欠落している。そういう遅れた環境下での盲導犬協会の努力を評価する視点ってのが微塵もない。


 以上、曲解と誤解とをもたらした「粗相もすれば吠えもする」について補足しておく。

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