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カテゴリ:ネットサイコパス  

  • 三猿運動のすすめ
    [ 2012-03-18 05:56 ]
  • ネットサイコパス
    [ 2012-03-16 21:42 ]

三猿運動のすすめ  

2012年 03月 18日

    ◇サイコパスサイトに対抗するための智慧。

写真は、三猿(さんえん)の置物です。三猿とは、三様の姿をした3匹の猿のこと。
「見ざる・聞かざる・言わざる」の意味を表しています。
この三猿を、Wikipediaは次のように記述しています。
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3匹の猿というモチーフは古代エジプトにも見られる。シルクロードを経由して中国から伝わったものだという見解がある。
『論語』の一節には、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)がある。
インドのマハトマ・ガンディーは、常に3匹の猿の像を身につけ「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたとされており、教科書などに「ガンディーの三猿」が掲載されている。
「見ざる、聞かざる、言わざる」は日本には8世紀ごろ、漢語の「不見、不聞、不言」を訳した天台宗の教えとして伝わったものだという説がある。
この表現は古来世界各地にあり、同様の像も古くから存在する。
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私は、インターネットの悪徳掲示板、悪徳ブログへの最良の対抗策として、不見、不聞、不言の三猿運動を提案いたします。(警鐘を鳴らす場合を除く)
ネットを「玉石混合のカオス」と言う人もいますが、現実の世界なら巡り合うことも話をすることもない人とも、遭遇するというのがネットの世界です。
リアルの世界なら、その姿を見れば、一目で異常だと分るような人ですら、ネットの世界では判断ができません。社会を知らず、人間関係も作れない人が、政治を語り、宗教を語り、他の人々を批判しているのです。
まして、愉快犯的に立場を偽って、ウソをつき、デタラメを語ってかく乱する者までいる。
正体が分らないことをいいことに、言いたい放題。
このようなネット中毒者、ある種の精神的病を抱えているような人が、掲示板やブログのコメント欄に入り込み、ありあまる時間を背景として誹謗中傷をすることに、一種の「恐いもの見たさ」でアクセスする人もいることでしょう。
あるいは、自らのブログに、意味不明の誹謗中傷を書き込まれ、その意見に「何とか理解してもらおう」と延々と不毛な対話続けている人もいるでしょう。
しかし、それは無意味なことです。否、有害です。
相手が、「異常人格者」だったとしたら‥。そのことを十分に考えてほしいと思います。
ましてアクセスは、サイコパスサイトの有害性を増長させるだけです。
私のブログには、創価学会を嫌う人たちや、自称学会員を語るストーカーのような人たちが沢山押し寄せました。私は、彼らと対話を試みましたが、まともな対話になったのはほんの一握りでした。アンチ対応の過去の記事は、→ここをクリック!
悪徳ネット対策は、「見ざる、聞かざる、言わざる」が最も正しい方法だと思います。
どうか、読者の皆さま、悪徳掲示板、悪徳ブログのロムをやめましょう。
ネットサイコパスのような人たちを相手にしないようにいたしましょう。
ネットサイコパスの過去の記事は、→ここをクリック!

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追伸:この三猿運動は、有害サイトの糾弾を否定するものではありません。
有害サイトに警鐘を鳴らす正当な言論は支持いたします。

by sokanomori | 2012-03-18 05:56 | ネットサイコパス | Trackback | Comments(10)

ネットサイコパス  

2012年 03月 16日

    ◇ネット中毒の異常人格者たち。

サイコパスという言葉をご存知だろうか?
精神病質者を英語でサイコパス(Psychopath)というが、行動遺伝学者デヴィッド・リッケン(David・T・Lykken)は反社会的人格をソシオパス的人格、サイコパス的人格、性格神経症の三つに大別している。ソシオパス的人格は、親の育て方などによる後天的なもの、サイコパス的人格は元来の性格、気質などの先天的なものとして位置付けているが、一般には、ソシオパスとサイコパスはほぼ同義なものとして扱われることが多い。
サイコパスは他者に愛着を持ちずらく、良心に乏しく、加えて攻撃的(反社会的)な人物であるとされる。 彼らは冷酷で、相手にダメージを与えたことを後悔するどころか、そういうことには無関心で、ひとりよがりの満足感を優先する。彼らは、自分に悪いところはないと思い、他人は競争相手であると感じている。彼らは、自分が他人よりも劣ることを忌み嫌う性質のようである。
「診断名サイコパス~身近にひそむ異常人格者~」(ロバート・D・ヘア著・早川書房)によれば、サイコパスとは「他人に対する思いやりにまったく欠けた人物」だという。
善良な人たちから見れば、サイコパスとは、「あの人たちはいったい何者なのだ?」「どうしてあんなことができるのだろうか?」という存在である。
さて、このほど、鯖さんのブログに“創価系ブロガーに捧げたい「ネットサイコパスを見破る為の5つの特徴」”という記事が掲載された。私もサイコパスの本は読んでいたので、興味深く拝見した。
ネットにおける異常な批判行動、ストカー行為、不誠実な対話など繰り返す人物を、鯖さんは「ネットサイコパス」と呼び、その見破り方と対処方法についてアドバイスされている。
鯖さんのネットサイコパスの記事は、→ここをクリック!
私は今まで、何故、リアルではありえない異常な誹謗中傷がネットで行われるかを理解できなかったが、程度の差こそあれ、サイコパスだと考えれば納得がいくのである。
私は、批判者を対話によって解消したいと考えて「月下の騎士ブログ」を開設したが、対話を呼びかけても応じることなく他の掲示板などで批判を繰り返す人、対話がまったくかみ合わない人の中に、そのような傾向性を持った人がいるのかも知れないと感じた。
「診断名サイコパス」の本によると、心理療法は当人が自らの問題を解決したいと願っていないかぎり効果が出せないとのことである。
サイコパスは「自分に悪いことは何もない」と考えているから、とどのつまり自らの考えを変えようとはしない。書籍は結論として次のように書いている。
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(サイコパスは)自分を変えたいという願いを持たず、将来のことも念頭になく、セラピスト(治療士)たち全員に腹を立て、セラピストはだましたり脅したり誘惑したり利用したりする対称だと考えている。故に、ほとんどのセラピストは、サイコパスに何かを与えることはできない。
むしろ、セラピー(治療)は、彼らをより悪くするかもしれない。
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これでは、対話が成り立たないのは当然である。
鯖さんは、「誠実に対応しても時間のムダ。住む世界が違うと認識し、まともに相手をする事を避けること」と締めくくっている。私は、この鯖さんの結論は正しいと思う。
悪徳サイト、悪徳ブログは見ない、反応しないということが肝要である。
それが一番の対処方法だと私は主張します。
私が提唱する「三猿運動」は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2012-03-16 21:42 | ネットサイコパス | Trackback | Comments(19)