終盤戦のすさまじい内容の転変には、ただ圧倒されたとしか言いようがない。その激しい戦いの中に鶴竜が加わって、芝居や映画でいう主役級の役割を果たすことを期待された。しかし、実は、そこまで大きな役割を果たすことは無理というものではないかと、私はどちらかといえば、冷静に、冷たく見ていた。だが、鶴竜の健闘と、大きな期待を持った人々の見方が正しかったことを、事実として見せつけられることになった。
そして、15日間の場所が終わる日を前にして、ゆらぎもない結果が、ただ1人1敗という事実だった。しかも、ただ勝ち星を並べたのではない。当面の敵を次々になぎ倒したものだから、これ以上見事な首位はないと言ってもよさそうである。
場所中に、同年配のライバルたちから自分が一歩遅れた地位にあることを、鶴竜がひどく悔しがっているということが話題になっていたが、鶴竜が6人目の大関への昇進が確実であることをもう誰も疑わない。
しかも、この力士には、あまり例のない勝負強さが、武器として備わっている。例えば、14日目の琴欧洲戦だ。決まり手は下手投げと発表されたが、勝負は実に際どいものだった。15日間の本場所の間には、鶴竜の勝ち相撲であっても、いかにも際どい勝負だったなと思えるものを見せられることがある。多分、勝負を捨てない粘っこさからくるものなのだろう。
このことと、四つ身の巧みさは、まさに特筆すべきものだと思う。その意味で、この力士が6人並ぶ大関の一人になることを私は歓迎する。
気がついたら、終盤戦に突入してから何日だったか、満員御礼が続いている。御礼を言上する言葉は、その内容を伴っていなければならないものだ。とすれば、大相撲人気が少しずつ戻ってきてくれたのか。そう祈りたい。 (作家)
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