崇彦、跳べ!ニースで
2012年03月24日
その供花は、まわりの物より数段大きく、遺影の正面に飾られていた。
私が到着したのは通夜開式の1時間前だったから、その位置は葬儀社が決めたのだろう。もとより、供花、供物、香典の大小、多寡にこだわるものではない。
しかし、遺影に手を合わせ焼香し、振り返ったときにその供花が眼に入るのを知った時、亡くなった親友への眼には見えぬ心遣いの力に、目頭が熱くなった。
釧路はスピードスケートの街だから、二人のフィギュアスケート選手の名が並んだ名札を見て、気づいた人は少なかったかもしれない。しかし、そこには日本オリンピック代表選手としては、わずか数組しかいない「親子オリンピック代表選手」の名が掲げられていたのだ。
親友、宮下健吉は面倒見の良い、人情の厚い男だった。
それゆえに、大学の同級生、小塚嗣彦の息子崇彦のインカレ釧路大会出場を喜び、歓迎した。そして今度は自らの癌との戦いにおいて、崇彦の見舞いに勇気をもらったのだ。
私は弔辞のなかでこう言った。
「今年のフィギュアスケートの世界選手権は、3月26日からフランスのニースだ。見に行って来い。おまえはもう、パスポート無しで、速度は音速で世界中を旅行できる立場になったのだ。元世界選手権銀メダリスト、小塚崇彦の新たな戦いを空の上から応援してやれ、、、」と。
「宮下君の葬儀、お疲れさまでした。また、私たち親子に対し過分なるご配慮痛み入ります。日本での練習も明日の土曜で終え、日曜に出発します。崇彦には貴君からのメールを読まさせていただきましたが、黙って食い入るように見ていました。何も会話はありませんでしたが、、、、ではまた」
大学同級生、嗣彦からのメールだった。
健吉、崇彦が食い入るように、見ていたんだと!
健吉、跳べ!ニースに
崇彦、跳べ!ニースで
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