「沈思黙考」
考えるところがあって、暫く黙考します。 |
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考えるところがあって、暫く黙考します。 |
嫌がらせやからかいの書き込みがあちこちで見られます。
怒りをあおるような書き込み、ログインなしでの書き込みは無視するか、削除しましょう。
まともに相手にするだけ疲れます。
ここらで、心身ともに休めましょう。
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今は憶測と事実、虚偽と真実が飛び交って、大混乱の状態です。
しかし、私は自分の信念に従って行動します。
誤解の中で、誰かに傷つけられても、その人を憎み続けることはできません。
私だって傷つけているかもしれないからです。
ひとりひとりが良心のもとに動いてくれることを祈っています。
私が怖いのは人間ではありません。
神です。
その神さえ恐れずに悪を行っている者たちを憎みます。
悪魔に心を売ったからです。
聖霊を汚した彼らに待っているのは地獄です。
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。
そんなものより 、たましいもからだも、
ともにゲヘナ(地獄)で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
マタイ10章28節 |
若い時は、人生をどう「生きるべきか」と考えたものでした。 しかし、人生も後半を過ぎると、どう「死ぬべきか」と考えるようになります。 「まだ先がある。」という時より、「もう後がない。」という方が過ごし方を大切にするようです。 人の命の日数は引き算ですから、残された日数が少なくなれば大事にするのは当然でしょう。 好々爺と呼ばれるおじいさんは、いつも穏やかで、にこにこしていて怒ることもない。 情けに熱く、人に優しい。 不平、不満を言わず、欲にとらわれず、あるもので満足する。 まるで、通り過ぎる風のように、 自然の成り行きに身をまかせながら生きていく。 こんな生き方をしたいものです。 毎日、邪悪な者たちとの戦いに明け暮れていると、心は穏やかになれません。 疲れと人間に対する不信、失望、落胆ばかりです。 しかし、その中で正しいことが行われるために頑張っている仲間がいます。 早く平和な日々にするためにも、心と思いをひとつにして、戦いたいと思います。 |
似非クリスチャンたち。 あなたたちは、ひとりを相手に集団で襲いかかって、ことばを浴びせた。 それも本人ではなく、家族のことについて。 クリスチャンはこんなことは絶対にしない。 これでは、ただのカルト集団ではないか。 浴びせかけたことばは、そのままあなたたちに返ってくるだろう。 言いたいことがあるのなら、ちゃんとログインして来なさい。 どちらのことばが、神の意志にそったものか、神のみ前で明らかにしよう
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