今売り出し中の田中濯氏の『他者からの言葉(震災詠についてその2)』を勉強する。
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短歌を短歌としてシビアに評価するとき、原発詠の多くは残念ながら手から滑り落ちてしまう。逆に言えば、「プロ」を自覚する歌人が心して歌わなければ、短歌史からも消えていく可能性すらあるということである。短歌の「大家」や腕自慢は危機感をもって然るべき話題であると考える。

しかしながら、いくつか、「詩客」での紹介に耐えうる歌が生まれているのも確かである。

天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ

     吉川宏志 / 角川短歌2011.10
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 田中氏の指摘通り、「原発詠の多くは残念ながら手から滑り落ちてしまう。」だろう。んが、しかし、掲出歌は絶対に手から滑り落ちることはない。なぜなら、はじめから手に取られないから。チャンチャン。「「詩客」での紹介に耐えうる歌」って、確かに[
詩客]レベルだな。

 末尾の
完了の「ぬ」を、場外で、真中朋久氏から打ち消しではないかと異論が出たということを仄聞した。驚くことに田中氏は、ご自身のブログで、今後の糧にすることを誓うと大時代的なセリフで真中氏に応えている。そもそもクレーム自体、目立ちたがり屋の塔シャインの出来レースと思われるが、あろうことか、「クリティカルな指摘をしてくださった」と礼まで言う田中氏のゴマスリの非凡さには感服した。ゴマスリに使う労力の十分の一でも短歌創作に向ければそれなりの歌も詠めると思うのだが。塔シャインって、あろうことか(しつこい)、永田ご一家と幹部へのゴマスリで身も心もすり減らしちゃうんだろう(泣)。
 田中氏は、「最適解は、その歌の力を最も引き出す読みである」とブログで気張ってるが、知ったか振りのデマカセ読みでは、歌壇でさえ通用しない塔内だけの局所的最適解だんべさ。[
詩客]でも、『 一応ここで少し注をしておくならば、短歌は三詩形のうち「権力」にもっとも近い詩形である。すなわち宮中歌会始の存在であり、必然的に歌人は、天皇制というものに向き合ったり、なんらかの思想的決断をする状況に追い込まれることがままある。』と、知ったか振りのデマカセ講釈してる
 「歌会始」と言ってるから、ここでいう「歌人」は第一義的には御用選者と受け取れる。御用選者は天皇制や思想的決断をする状況に追い込まれることが必然だとしても、ままあるとしても、予備軍を含めてもせいぜい数十人に過ぎないだろう。それをもって「短歌は三詩形のうち「権力」にもっとも近い詩形である。」という田中氏は、御用選者を「短歌」にすり替えて、しかも自身はそれを認識していない可能性が高い。御用選者は結社の最高幹部が多いことから、御用選者を頂点とするヒエラルキーを「短歌」と短絡しているのだろう。歌人としての満足な実績もなく結社力をバックに御用選者にまで上り詰めた夫婦の薫陶を受けたシャインならではの所感だろう。
 さらに、『短歌は権力と骨がらみなのだ。国歌「君が代」が短歌であることからもそれは自明といえるだろう。』と、御用選者夫婦の近習以外には、少なくとも日本国民には自明ではない
全くのデマカセを続ける。「君が代」が正式に国歌となったのは小渕内閣の時で、それ以前の1400年の短歌の歴史では国歌ではなかった。また、実質的に国歌になったのも明治であり、それ以前は単に賀歌の一首で特別な歌でもなかった。「君」も古くは天皇を指すとは限らない。そもそも「国歌」そのものが西欧的概念で、明治以前の日本には存在しなかった。短歌(「君が代」)が日本の国歌なのは、せいぜいこの百年ちょっとの間ということすら理解せず、『であるから、吉川が、ここで「アメリカ」でなく「天皇」を想起した、ということも実は興味深いことなのである(歌としては「天皇」のほうが衝撃力は強いことは確かだが)。』と、飛躍につぐ飛躍でアメリカまで持ちだしている。論理も事実もなく、聞きかじった言葉をそのまま繰り出してるだけで、背伸びし過ぎて足が地についてないのが丸見えだ。
 この後、真中氏の掲出二首についてふれた後、以下のように終えている。
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真中も吉川も、関西在住の歌人である。いま原発詠をより上手く歌える状況にあるのは、筆者(田中)にとっては全き他者である被災をしなかった関西以西のひとびとなのかもしれない。筆者(田中)はこの一年、非・被災者の震災詠をやや色眼鏡で見てきたのだが、このような優れた他者からの声を聞くと、私も頑張らねばと、やはり奮い立つものがある。被災地のウチとソトから、いずれはその垣根も無くして、今後も継続して良き歌が生まれることを期待するものである。
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 塔とは全く関係ない[詩客]にまで上司の歌を持ち込んで、これ以上ないほどのヨイショを最後までやり続けられる田中氏の愛社精神と忠誠心には感動した。ところで、「 この一年、非・被災者の震災詠をやや色眼鏡で見てきた 」という筆者(田中)は、東日本大震災の被災者なの? だとすれば、被った災害について具体的にお聞きしたい。
 田中氏の歌会始説に沿うと思われる拙歌を今日の勉強のまとめとして、

 塔にのぼり手に手を取ってありついた御用選者は権勢まみれ  結社ひとり