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風塵山荘
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納得できないんで書かせてくださいな。 返信  引用 
名前:けつねうろん    日付:2012/3/23(金) 12:49
今日はまじめな話をしたいので標準語で投稿します。大阪人だってまじめに書く時には標準語がええんです。大阪弁だと漫才になります。)

昨日ふざけたHNで投稿したのは僕です。下に三件とありますが、自分が書いたのは二件です。(道教の件と日蓮大聖人様の御振舞いの件)

道教はそれ自体は確かに平安以前より中国から来たものであるということになっている。陰陽道とか日本各地の風習にその名残が有ることは承知している。そこは砲太郎はんの仰るとおりだ。また、時代に応じて道教の姿が変遷したというのもその通りだ。

だが、波木井坊氏が書かれた「庶民は道教で葬儀をした。」「徳川以前の庶民は僧侶を呼べなかったのだ」なんていうのはどう考えても間違いだろう。(平安時代以前なら、南都六宗は「行基」等のごく一部の僧侶をのぞき、庶民に接しなかったので正しいと思うのだ。)

百姓一揆を見よ。
三河では徳川家(浄土宗)に対し、浄土真宗を担いで対抗しているし、石山本願寺も畿内の一向宗の尊崇を集めて織田信長に激烈な抗争をし、加賀の一向宗はこれまた殿様を認めずに激しく抗争したのだ。

「戦争をする」というのは「生きるか死ぬか」である。「死ぬ」可能性があるのが解っていて百姓は抵抗したのだ。「死の時」に僧侶が来ないでなぜ、命を張ってまで南無阿弥陀仏を唱えようか。石山本願寺のために尽くそうか?(むろん、無駄飯喰らえの馬鹿な殿様/武士よりも、商業政策に長けた石山本願寺にシンパシーを感じた側面はあっただろう。ただ、信長の凄さはさらに進化させた楽市楽座だが、そこは念仏へのほうが勝ったのだろう。)

そうしたことを考えると、おそらく、戦国時代の遥か前からもっと死の際には僧侶を呼ぶというのは当たり前に行われていたのだと思う。
(鎌倉時代以降に開宗、ここまで庶民に浸透したという意味で一向宗:浄土真宗はもしかしたら激烈な何かがあるのだろう)

ワシの住む大阪南部ー和歌山には雑賀衆という、当時信長をも凌ぐ強力な鉄砲隊衆があったが天下は取れなかった。なぜか?
それは、雑賀衆自体が真言宗を担ぐグループと浄土真宗(石山本願寺)を担ぐグループで成り立っており、高野山を担ぐグループが信長と野合したため、統制が取れなかったとされるが、斯様に宗教界と庶民は大いなる結束があったのだ。
(テレビもない時代である。夜になればすぐに寝るよりほかになく、油灯もない当時の庶民は闇の怖さを宗教に求めたのは自明であろう。今とは違って効果的な医薬品が限られた時代、信者が病気になったと聞けば僧侶や祈祷師は真っ先に祈りに行ったであろう。)

二点目を書かせてもらう。
ここにいるメンバーは全員日蓮大聖人様の信仰に属していると思う。

熱原で首を切られようとする際にまで、お題目を唱え続けたお百姓さん
方はは日蓮大聖人とその弟子方の振る舞いや信者の死の際、成仏の相を見て他の宗派(特に念仏)とは違う!と感激し、確信したがゆえいくら脅かされようとも題目を唱えたのであろう。

もし、大聖人様やお弟子がたが真宗と同じく肉食妻帯していたら熱原の法難なんて起きず、実に平和(旧態依然と書くべきか?)な農村社会が
続いただろう。僧侶が在家と同じように欲深いのであるならば尊崇する意味なんかないではないか。法を持っているから?そんな欲深い人物に法なんか説いてもらっても、煩いだけだろう(苦笑)。

さてはて 返信  引用 
名前:憚りながら波木井坊竜尊@日蓮宗葵講    日付:2012/3/23(金) 11:52
また、暫く冬眠するよ。

ちぃっとおもしろい釣りができた。
何かあったら法太郎メールでもしてくれ。

でわ。

創価学会には同性愛サークルが存在する 返信  引用 
名前:憚りながら波木井坊竜尊@日蓮宗葵講    日付:2012/3/23(金) 10:15
創価学会には同性愛グループが存在するのよ。

新宿二丁目でストリート折伏して入会させる、なんてのが問題になった
事があるようです。

さっき書いたように旧華族会の霞会に集うような人々にはゲイ人脈も実際ある。
創価学会の同性愛サークルもこういった特殊な世界への浸透政策の一環で
もあるのではと思う。

時には一種の恫喝の道具にもなる。

押尾被告が入獄に強く抵抗した理由に刑務所内での性暴行を上げていたが、
そういう発想をすること自体、経験があるのだと私は感じた。

アメリカの海外ドラマにOZという刑務所内を描いた連続ドラマがあるが、
毎回毎回ほぼ必ず、マッチョな囚人に犯される若い男性囚人とか、恋愛劇とか
がでてくる。押尾被告のような容姿の男性は、女代わりに性の対象にされて
しまうのだ。

話が飛んだが学会員のこの同性愛サークルの中に久遠居士とつながっている
人物がいるのでは、というのが私の推論だ。久遠居士にはもう一枚剥ぐべき
裏がある。

おい、波木井坊 返信  引用 
名前:松木、    日付:2012/3/22(木) 19:41

>はたまた井出のケツ穴、じゃなかった井出のお穴もあり、w実にミステリアス


※このノリ、オレののりではないか!。パクルなあっぁっっっっっ!!!

ところで、きみがパソコン通信の時代に、得意の諧謔性でガンヘツドを荒らしているはずだ。これも謎だったのだが、バカ久遠は、どうしてガンヘッドにおけるゲイの情報に詳しかったのであろうか。

ヤツこそゲイの可能性は高く、かって北海道新聞に連載されたのだが、女性を妻帯していても自身はホモなので子供を設けたのち、趣味としてゲイをやることを細君の許可をもらい、その道を堪能する人生を綴った記事があった。

性異性障害が社会問題となって様々な問題が取り上げられた時期である。ひょっとしたらきみが荒らしたガンヘッドに久遠居士が常連参加していた可能性が高いのだよ。なにか思い出せないか。
 



Re: おい、波木井坊
名前:憚りながら波木井坊竜尊@日蓮宗葵講    日付:2012/3/23(金) 9:57
いや、知らん。

このネットは調べたが管理者はすでにAIDSで死亡しており、また参加もしていない。

久遠へ創賊から提供されたガセネタだろう。

結婚しながら同性とも関係を持つとか同性に興味は無いが女装するとかは
結構あるもので、中にはちゃんとしたスーツを着てるのに下着は女装とか
いるものだ。

ゲイ疑惑なら2chに法ちゃんの学会員時代に先輩から仏壇の前でガマンしろ
と言われて掘られた、とかの書き込みが以前にあった。
いかにも創価学会員が暴露した風にリアルな書き方だったw

君らには奇異に映るかもしれないが、日本では旧華族制度が霞会として
今だ存在し、公然と旦那様が美少年や美青年を囲うという習慣は存在する。

肉体的な関係やゲイ的な感性ではなく伝統として残っていて、例えば芸術
や音楽、趣味が同じ若い男性のパトロンになるとか、芸能関係で応援する
とかは実際おおい。

フランスでは有名だった美男ピアニスト、リチャードクレーダーマンなども
フランス貴族の後援があり、専用オーケストラまで準備する、という
入れ込み様だったのだ。

久遠居士がゲイであったとしたら、あの逆恨み様はまさにオネエ的で男の
感性ではないだろう。そうでないとしても感性はとても女性的だとおもう。
実際彼のセキュシャリテイについては創賊の方が詳しく調査しているのでは
ないだろうか。

ま、久遠居士が川崎あたりのニューハーフソープとか新宿二丁目通いしていた
としても、この点で攻めるつもりはないんですよ。
あの文章読むと、女にモテるタイプには思えないし、女にモテない男は
男にもモテないのだから。

法華初心成仏抄とは 返信  引用 
名前:憚りながら波木井坊竜尊@日蓮宗葵講    日付:2012/3/22(木) 10:52
この御遺書は法ちゃんも知っている通り、現在の沼津市岡宮(駿河国岡宮)
の妙法尼に宛てたお手紙である。

岡宮には現在の法華宗本門流の大本山のある寺で、日蓮の弟子、日法上人の
布教で天台宗から改宗されたとされる。

井出のお穴にも近く、また例の学会員がw発見したとある三鳥派遺跡の近隣
でもある。根方街道東端側に位置し、現在でも日蓮宗、日蓮正宗、法華宗寺院が
ここ根方街道沿いには異常なほど多い。

岡宮は日蓮身延入山のおり、泊まった地という説もあり、ここにはなんらかの関係者があったようだ。

さてはてここ光長寺門前には巨大楠木なんかありw、日蓮宗妙海寺も近隣でww、
はたまた井出のケツ穴、じゃなかった井出のお穴もあり、w実にミステリアス
な場所であるがwwW

この御遺文のよき旦那とは一般ピープル、檀家を指すのではない。
やはりパトロンの旦那、その地の有力者、豪族、氏族、領主などを指し示す
と解釈するのが順当である。

名はあるがw苗字もなくwの一般ピープルに寺院を建立するなど領地を寄進する
などできないわけである。

また尼というからには女性である。当時の女性はほとんど文字が読めない。
大抵は文字が読める者が来て読み聞かせるのが普通であるし、御手紙を読める
女性だとしたら、それはよほど位の高い男性の奥方である。

一般ピープルの女房に文字は読めない時代なのだ。

この御遺文は公安ではなかったw弘安元年頃、身延にいた日蓮が書いたとされる。

身延の地を波木井公から寄進され草庵を立てたのがこの数年前。
本格的な堂は弘安四年あたりになるが、よき旦那から日蓮は自分の寺院を
寄進されたわけ当時に書かれた御遺文である、というわけだ。
になるわけであるが、

れいな様へ 返信  引用 
名前:第三管理人    日付:2012/3/22(木) 10:47
メールを入れました。

削除3件 返信  引用 
名前:第三管理人    日付:2012/3/22(木) 10:43
 今回波木井坊さまに対する執拗な攻撃が
行われましたので3件を削除処分としました。
冨士宗学研究の暴力と思われますので各位も
ご注意ねがいます。

波木井坊の「道教」発言について、 返信  引用 
名前:松木、    日付:2012/3/22(木) 8:48

先に波木井氏は、

>江戸時代まで大半の大衆は道教で葬式あげていて、仏教で葬式だせる家なんざ一握りの階級の人達だったのだ。


※と述べているが、あながち間違いではない。こういうと旧知だからかばっているのだろうと受け取る人がいるかも知れないが、「道」というのは一般的概念であり、儒教、仏教も一般的には「道教」と呼ばれることがあったのだ。

徳川政権によって仏教を利用して人民管理を行うまでは各地方文化による葬儀が執行されており、一般的には民間信仰を中心として神仙思想、陰陽五行説、道家思想などがもととなって道教という宗教が成立していたのである。

仏教が日本に輸入されてからは地方文化を肯定しつつ吸収しその地方独特の思想として発達した一面がある。これを格義仏教≠ニいう。自然崇拝や土着神との融合、易や五行等の思想と混然となり、それらを総称して道教と呼ぶことがあったのである。

道教では数多の神々がいて、天神、俗神、神仙等がある。それらの神々には現実の階級が反映されたような序列があるがそれは時代や宗派による相違が顕著である。

波木井氏が述べるように、江戸時代以前は仏教で葬式をあげられる者は少なかった。一般人には供養料が払えなかったのだ。で、土着の信仰とか、あるいは領主的存在(名主等)が自分の帰依する僧を随伴して読経等の回向をしたようである。

江戸時代以降は徳川政権により庶民はいづくかの宗派に所属することとなるが、百姓(種々の業界人)と一概に云っても、もともと武家で領主だったものが新たな支配者のかわりに土地を管理したから、農家で云うと百姓(名主[みょうしゅ]・庄屋)の下に小作、水呑等がおり、名主以下では僧を呼んで葬儀を執行することは無理であった。

江戸の下町の熊さん、八っつあんなんかも長屋住まいの階級では無理で、親代わりの家主が面倒をみていたようで、一般の貧しい階級では確かに現在のような葬儀は無かったのである。

波木井坊はときおりプロセスを無視して結論だけ云うことがあるので誤解される一面がある。これをわざとやっているならば諧謔的な性格ということになり、彼が敵を作る大きな要因となっているのである。波木井坊よ反省せよ。
  



Re: 波木井坊の「道教」発言について、
名前:憚りながら波木井坊竜尊@日蓮宗葵講    日付:2012/3/22(木) 10:58
反省猿w

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