石巻工の底力見せた4点差逆転/センバツ
<センバツ高校野球:神村学園9-5石巻工>◇22日◇1回戦
苦難を乗り越え、自ら動き続けてきたチームが、人の心を動かした。21世紀枠で出場した石巻工(宮城)が、神村学園(鹿児島)に5-9で敗れた。序盤から苦しい展開も4回に一挙5点を奪って逆転し、九州王者を苦しめるなど、最後まで諦めない姿勢を貫いた。東日本大震災でグラウンドにたまったヘドロの片付けを開始した日からちょうど1年。支援への「感謝」を胸に戦った石巻工に、スタンドからは「ありがとう」の言葉が降り注いだ。
アルプス席に向かった石巻工に、思ってもみなかった言葉が掛けられた。いつまでもやまない拍手の中でも、はっきり聞こえた感謝の一言。阿部翔人主将(3年)は「『ありがとう』と言ってくれたのが、本当にうれしくて」と涙を抑えることができなかった。
甲子園出場の原動力となった諦めない心は、大舞台でも変わらなかった。0-4の4回、5安打を集め、敵失もあり、九州王者を逆転。口火となる適時打を放った阿部主将は「見えない力が背中を押してたと思う」。松本嘉次監督(44)は「ここに連れて来てくれたのもそうだけど、野球の神様がいるんですね」と感慨深げに言った。
エース三浦拓実(3年)は、右手人さし指に死球を受けた。5回途中から一塁に回り「バットもボールも握れない」状態で、8回に右前打で出塁。津波にのみ込まれながら「これを見るために生かされて帰ってきた」と生還した母富子さん(47)が見守る中、グラウンドに立ち続けた。
震災当時、この場にいることなど考えられなかった。部員も含め、校舎内に約800人が避難した。1人が飲める水は1日50cc。「生きていくことに必死だった」(阿部主将)。松本監督は、段ボールをかじって空腹感を紛らわせた。道路まで机を並べ、その上を歩いて脱出したのは3日後だった。
ちょうど1年前の22日。グラウンドに約10センチたまったヘドロを前にして、松本監督は選手に聞いた。「野球、したいか?」「したいです」。途方もない量の汚泥をかきだす作業を始め、校舎内や周辺地域の片付けにもあたった。震災から40日後にバット2本、ボール5個で練習を再開した。
動けば変わる-。松本監督は言い続けてきた。3月11日は、06年に亡くなった父久嘉さん(享年73)の命日。農家で「嫌と言わず、何でも引き受けてた」という天国の父から「動けって言われた気がした」。腰まで水につかりながら10人の老人を担ぎ、正門前のアパートに避難させた。
あの日から、1日も休んでいない。「休んじゃダメな気がして。学校行くと、やっぱり動いている。そいつら見ねえとさ。動かねぇと、何も変わらない。大変だなと思うことはやりたくないけど、それをやればいい」。そんな姿に、選手たちも呼応した。木原航平外野手(3年)は「先生だけは休まなかった。本当に前向きなんです」と振り返る。震災後は「そんなにやって大丈夫なのか」(松本監督)という練習量を、自分たちで考えてこなした。
初の甲子園に向けた協賛金を募ると、仮設住宅で暮らす人が「あの時世話になったから」と言って、裸の1万円札を握り締めてやってきたという。「これからも頑張る姿で、被災した方を勇気づけられたらと思う」と阿部主将。自ら動き続け、歴史を変えた石巻工は、人の心をも動かした。試合中からシャワーのようにかけられた「ありがとう」が、この1年の歩みの証明だった。【今井恵太】
[2012年3月23日9時15分 紙面から]
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