たまには心を落ち着ける為に日記を書こうと想う。
俺は風呂が好きだ。
山梨に行ってから風呂好きになった。
あそこは冬は寒い、友人もおらん、飯も合わん、そんな時に慰めになったのが、風呂の湯の温かさだった。

仕事帰りによく行ったのは、穂坂から降りて20号で長野方面に暫く車を走らせたとこにある、『道の駅・蔦木』の温泉だった。湯の泉質はほったらかしとかに劣るが、人がいない分、心行くまで月を観ながら、浸かることが出来た。

この早春の頃になると、そんなことを時々思い出す。



…今は、人工肛門があるから、温泉にはいけない。


それは、この上なくさみしいものではあるけど、他の人の気持ちになれば理解できる、だから良いんだ。


生きていくなかで失ったものは沢山ある、しかし失った分は得ることもある、最近、風呂で、また違う喜びを見つけた。


…ただ静かに風呂に浸かる。

何も無しに、ただひたすら、じっと…。

そうすると、心臓の鼓動がさざ波になって、風呂に響く。


あぁ、俺は生きてるんだ。
そう、実感する。


誰とも何とも共有出来ないが、この心臓の鼓動、自分自身との会話、それを楽しむことは出来る。

これは空気でも同じだろう。

であれば、願わくば、少しでも、人に良いものを、響かせたい、そう想った。

そんな何でもない楽しみ、それが何よりの宝物。