第三話「おサンポ」
その日、いつものように朝食を取った俺は椅子の上で足をぶらぶらさせながら、これからの予定を考えていた。
時刻は十時。幸いこちらの世界も一日が二十四時間なため、体内時計は崩れず済んでいる。ちなみに七日で一週間、一月が三十日で、一年は三六〇日で構成されている。向こうと大して変わらない暦に俺も驚かされたものだ。
時計はこっちの世界にもあるようだが、かなり高価な品らしく、一般家庭ではまず手が出ないようだ。そのため日の昇り具合いなどで大まかな時間を計るらしい。
いつもならこの時間は本を読んでいるか、外に出て散策をしているかだが、今日は前から考えていたコトをするのもいいかもしれない。しかし、それを行うには母に『お願い』しなければならないが――、
(さて、素直に聞いてくれるかどうか)
考えていても仕方がない、行動に移そう。
跳ねるように椅子から降りて玄関にいく。丁度、シオンさんと一緒に立ち話をしていた。
(シオンさんもいるのか。丁度いい)
ぱたぱたと母の元に駆け寄り、母の裾を小さく摘まんだ。
「お母さま、ボク川におサンポに行きたいです」
「あら、川に? そうねえ、じゃあシオンさんと一緒に行きましょうね。シオンさん、いいかしら?」
「かしこまりました」
いかん、シオンさんが居たんじゃ意味がない。なんとか上手く『お願い』しないと。
「あの、お母さま? おサンポにはボク一人で行きたいのです」
「えっ、一人で!? 駄目よそんなの、危ないわ! いい子だから、シオンさんと一緒に行きましょう、ね?」
「アシェリー様は私がお嫌いですか……?」
シオンさんが少し沈んだ様子で聞いてくる。お願いだから止めてくれ、罪悪感で胸がいっぱいになる。
「そんなことありません! シオンさんは大好きです! でも、ボクももう三才になりました。おサンポくらい一人でできます」
「――ッ!」
「うーん、でもねぇ……」
やはりというか難色を示す母と、なぜか鼻を覆うように手を当てて俯いているシオンさん。
まあ、当然の反応だな。俺も逆の立場だったら三歳児に一人で散歩させるなんて無謀なマネはまず許可しないだろう。いくらあそこの川が浅瀬だとはいえ、危険が皆無なわけではないしな。
とはいえ、今回ばかりは一人で行かないと意味がない。それに都合上、あの場所が一番適しているのだ。
胸中で三回謝りながら、俺は押し通すことにした。
「お母さまはボクのおねがい、聞いてくれないのですか……?」
上目遣いで少し瞳を潤ませて母を見上げる。
――ズキューンッ! という効果音が聞こえた気がした。
ガクッと膝を折った母が俺を抱きしめる。
「そんなことないわ! アーシェちゃんはいい子ですもの! お母さま、何でもお願い聞いちゃうっ!」
――ぽた……ぽた……。
ふと聞こえた水音。母の肩越しに目を向けると、鼻に手を当てたシオンさんが肩を震わせていた。
「ア、アシェリー様が、私を大好きって……アシェリー様が私を……」
(おいおい、大丈夫かよこの人たち……)
相変わらずの反応に内心苦笑する。
母が俺を正面から見据え真剣な顔で言った。
「わかったわ。アーシェちゃんがそこまで言うのなら、お母様は止めません。でも、ミューズの森にだけは行ってはいけませんよ? お約束できる?」
「はい、お母さま! アシェリーはお約束をまもります!」
ニコッと微笑むと、母は立ちくらみを起こしたようによろめき、床に手をついた。丁度、横座りの姿勢になりこれでハンカチでも噛めば『悔しがる女』の図になるなと、どうでもいいことが思い浮かぶ。
「では、きがえて来ます!」
「え、ええ……そうね。お母様はその恰好でもいいと思うけれど……アーシェちゃんはそのお服、嫌い?」
「きらいではないですけど、少しはずかしいです……」
今日の服はフリルがふんだんにあしらわれたスカートだ。黒を基調にしているため、認めがたいが黒髪黒目の俺に良く合っている。
(というか、この世界にゴスロリがあったなんて驚きだよ……)
それと、日に日に女っぽい服を着せられている気がするが、気のせいと思っておこう。
「そうねぇ、確かにアーシェちゃんからしてみれば、少し恥ずかしいかもしれないわね。わかったわ、着替えてらっしゃい。気を付けて行ってくるのよ?」
「はい!」
――あ、それでも着せ替えは止めないんだね……。
この世界には二つの大陸がある。オズフォート大陸とミレイディア大陸。俺が住んでいる場所はミラの村と呼ばれ、オズフォート大陸のアルトハイム王国にある小さな村だ。
人口は六十人ほどで特産品はなく、週に二度商人がやって来ては広場が人で賑わう平穏な村だ。この村には温かみがあり、横の繋がりが強い。小さな村だからこそ助け合いの精神を大切にしているのだろう。元都会人の俺にとってこの村の空気は新鮮で好きだ。
「あら、アシェリーちゃん。今日は一人なの?」
「はい。もう三才なので、一人でおサンポもできるんです」
「おう、アシェリーくん! 今日も可愛いな! ほれ、持って行きな!」
「ありがとうございます。でも、かわいいはよけいです!」
「あっ、アーシェくんだ! アーシェくんも一緒に遊ぼうよ!」
「ごめんね、今日はおサンポなんだ」
目的地である小川に行く途中で村の人たちに声を掛けられる。
身体は子供でも精神は大人なため、子供たちと一緒になって遊ぶというのは結構退屈だ。自然と大人の中に混ざる機会が増え、この世界の見識を深めるというのが俺にとっての『遊び』になってしまっていた。その頃からだろうか、大人たちが俺に一目置き始めたのは。
一応、友達と呼べる子もいるし、まったく交流が無いわけではないので両親は俺の人間関係に危機感は抱いていないようだ。俺としてもいらない心配を掛けたくない。
道中声を掛けてくれる人に返事を返しながら歩くこと十分。やっと目的地が見えてきた。
道沿いに小さな川が緩やかに流れている。その反対側には森があって少し歩くと明けた場所に出る。ここが目的地だ。
周囲を見渡して人の気配がないことを確認する。
(――よし、尾行はないな……)
母のことだからシオンさんがつけて来ているかもと思ったが、杞憂で終わった。
動きやすい恰好で家を出た俺はそのままの服装で念入りにストレッチを始める。隅々の細胞まで酸素を行き渡らせるように、十分ほどかけて筋肉を解す。
「では、始めるとしようか」
ここに来た目的、それは鍛練だ。
日本にいた頃の俺は保護者である爺さんから古武術を教わっていた。爺さんの一族に代々伝わるというその流派は千年という歴史を持つらしい。血の繋がらない俺に教えていいものなのか疑問だったが、爺さんは気にした様子もなく俺の身体に十五年という歳月をかけて武術を叩きこんでくれた。
以来、自己鍛錬はもう日課になってしまっている。健康にもいいしな。
(この身体での鍛練は始めてだからな、まずは補助なしでどこまで動かせるか把握しないと……)
全身状態の把握は武道を修める上での必須事項だ。まずはどこまで出来て、何が出来ないのかを知らないと話にならない。
半身で構えて、まずはその姿勢を十分間維持する。
続いて鋭い呼気と共に右の拳を突き、踏み込んだ足を軸に回し蹴り――間髪入れず後ろ回し蹴り。重心を完全に軸足に移し、イメージ通りに踵が空気を切り裂く。
震脚で大地を踏み抜き左肘を繰り出し、相の手で掌底を斜め上に打ち出す。腰の回転が不十分だったため力を乗せきれなかった。
上体を前方に倒し、重力と遠心力を乗せた左の手刀を上段から振り下ろす。風圧で足元の草が揺らぎ、俺は一旦構えを解いた。
「ふむ……」
正直、補助なしでここまで動けるとは思わなかった。もはや三歳児の運動能力じゃないだろこれ。
(やっぱり、転生の影響か……?)
異世界に転生した特典として身体能力上昇、なんていくらなんでもありきたりだろ。これが俗にいうテンプレというやつだろうか?
まあ、テンプレだろうが何だろうが、俺にとって悪い話ではないので、別にいいが――。
「じゃあ、次は気闘術だな」
目を瞑り、丹田に意識を落とすイメージで体内の気を感じ取り、腑深呼吸法という独特の呼吸で意識的に気を循環させる。
徐々に循環速度を上げながら四肢の末梢まで気を巡らせる。
目を開けると同時に、足裏で気を螺旋状に放出し駆け出した。
――ぐんっ
初速で残像を生み、二十メートル程の間合いを刹那で詰めて震脚を効かした拳を突きだす。拳圧で直線上の木々が揺れ、木の葉が舞った。
型を変え、目まぐるしく立ち回り、風切り音とともに手足を振るう。
一時間ほど経過したところで、動きを止めた。
「――と、少しやり過ぎたか? 身体に負担がかからないようにしないと。成長の妨げになったら目も当てられないしな……」
折角、容姿に恵まれたんだ。身体を壊さないように注意しなければ。気の循環を徐々に落ち着けて常時のそれに戻し、大きく伸びを一つする。
清々しい気分だった。久々に充実した時間を過ごせた気がする。やはり俺は身体を動かす方が性に合うかもしれない。
これからも時間を見つけては来るとしよう。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。