この御遺書は法ちゃんも知っている通り、現在の沼津市岡宮(駿河国岡宮) の妙法尼に宛てたお手紙である。
岡宮には現在の法華宗本門流の大本山のある寺で、日蓮の弟子、日法上人の 布教で天台宗から改宗されたとされる。
井出のお穴にも近く、また例の学会員がw発見したとある三鳥派遺跡の近隣 でもある。根方街道東端側に位置し、現在でも日蓮宗、日蓮正宗、法華宗寺院が ここ根方街道沿いには異常なほど多い。
岡宮は日蓮身延入山のおり、泊まった地という説もあり、ここにはなんらかの関係者があったようだ。
さてはてここ光長寺門前には巨大楠木なんかありw、日蓮宗妙海寺も近隣でww、 はたまた井出のケツ穴、じゃなかった井出のお穴もあり、w実にミステリアス な場所であるがwwW
この御遺文のよき旦那とは一般ピープル、檀家を指すのではない。 やはりパトロンの旦那、その地の有力者、豪族、氏族、領主などを指し示す と解釈するのが順当である。
名はあるがw苗字もなくwの一般ピープルに寺院を建立するなど領地を寄進する などできないわけである。
また尼というからには女性である。当時の女性はほとんど文字が読めない。 大抵は文字が読める者が来て読み聞かせるのが普通であるし、御手紙を読める 女性だとしたら、それはよほど位の高い男性の奥方である。
一般ピープルの女房に文字は読めない時代なのだ。
この御遺文は公安ではなかったw弘安元年頃、身延にいた日蓮が書いたとされる。
身延の地を波木井公から寄進され草庵を立てたのがこの数年前。 本格的な堂は弘安四年あたりになるが、よき旦那から日蓮は自分の寺院を 寄進されたわけ当時に書かれた御遺文である、というわけだ。 になるわけであるが、
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