2011年10月22日

大事なことは隅っこに隠されている

今年もあと2ヶ月と少し。
何がなんだかわからないうちに1年が経ってしまう。そんな感じがします。

毎年恒例の夏の微熱。
今年は10月に入ってもおさまらず。5月末くらいからあやしくなって、6月、7月、8月、9月と、少なくとも4ヶ月はほぼ微熱の毎日、都合5ヶ月くらいは続いたかもしれません。毎年こんなに長い間微熱が続くのかと思うと、考えただけでぐったり(苦笑)
10月に入り、一旦気温が下がったあたりでおさまったかのように思ったのですが、その後また気温30度にせまる日があったりしてぶりかえし、結局3日前くらいまで続きました。
ようやく下がったと思ったら、15度くらい一気に気温が低くなったためか風邪をひいてしまったようで、今は風邪気味で再び微熱状態。
ダンナさんは私が何も言わなくても、私の蒼白な顔で調子の悪さを見抜いたようでした。
夏の間はちょっと動いただけでダラダラと汗をかくので、それがちと恥ずかしいのですが、だるさがあるだけで他にこれといった症状もなく、フツーに生活してます。涼しくなればおさまる微熱なので、ただただ暑い時期をやり過ごすのみ。
その昔、病院で診てもらったこともありますが、特に悪いところもなく。
体質だと思ってあきらめています。体温調節機能がぶっこわれているだけです。
その証拠に、冬場は逆に低体温になって、ガクガクとふるえが止まらなくなることがあります。完全に変温動物。
強いて言えば、代謝をよくすることが必要なのだと思いますが、体質改善というのは難しいものですね。
まぁ、愚痴はここまでとして…。

今日の本題。
最近、ポスティングされたもので、お惣菜の頒布会のチラシがありました。
月々一定額を払って、12ヶ月毎月何種類かのお惣菜が届くというシステムです。最近、レシピに悩むことが多いので、何か参考になるかと目を通してみたところ、びっくり!
カロリー表示のなんともめちゃくちゃなこと。
たとえば、鶏団子と里芋のの煮物で37kcal。鶏団子2個と里芋が2個入ってます。どう考えてもおかしい。里芋を極小さいと仮定して1個20gとしても2個で23kcal。鶏団子はこちらも1個につき鶏ひき肉が10gとして2個で34kcal。この他につなぎや調味料、野菜のカロリーが入るはずなので、到底37kcalではおさまらないはず。
もひとつたとえば、厚揚げの入った煮物。小さな厚揚げ2切れが入って26kcal。厚揚げが一般的な大きさ(1枚300g)のものの6分の1だとして、50g。これだけで66kcalになるけど?それに調味料が入るよね?
さつまいもの煮物が50gで25Kcal。さつまいも自体が極少なく見積もって30gだったとしても、それだけで37kcalはあるはずなんだけど?
海藻や葉物野菜のみのメニューのカロリーはさすがにさほど間違ってない気もするけど、全体的に見ると疑わしいものが目に付きます。

ちなみに、塩分も表示されているのですが、これもちょっと疑わしい。ほぼ0.4〜0.7gくらいになってます。冷凍で2ヶ月保存できるとあるのですが、保存をきかせるためには、塩分は高めになっているんじゃないのか。じゃないとしても、1品それだけの塩分に抑えて作ってあったら、塩分摂取量が1日6gくらいに制限されている腎臓病の人でも食べられるくらいじゃないのか?でも、その塩分でおいしく作るって至難のワザだよね。
これが本当なら、腎臓病や高血圧など、塩分摂取を控えている人は飛びつきたくなる商品だけど…。

あまりのことに見入ってしまったチラシだったのだけれど、チラシの一番下、惣菜の写真の欄外に小さく小さく書かれている文字がある。
「※カロリー・塩分は実際の商品と異なる場合がございます」

そういうことか。
一番大事なことは、隅っこに小さく書かれていることが多いってことですね。
保険商品とか何でもそうなんですけど、小さくて読み飛ばしそうなところにこそ、大事なことが書かれていると心得ておくと、おかしなものにひっかからずに済むかもしれません。
耳に心地よい誘い文句は、疑ってかかった方がよいです。残念ながら、世の中、悪い人がたくさんいますからね。

なんかあまり気分のよい話ではないので、おまけをもうひとつ。
書店で、ショーン・タンの新作『遠い町から来た話』を見かけました。
ショーン・タンは『アライバル』がよかったので(過去記事大人が読んでも楽しい絵本)、後で図書館で借りてじっくり読もうと思い、ほんの少しパラパラとめくっていると、目に留まった箇所が。
細かい表現は忘れてしまったのですが、「ほんとうにすばらしい詩や哲学は、誰も知らないノートのはじっこに殴り書きされている」といったようなニュアンスのことばでした。
隅っこに小さく書かれていることは、なにも言い逃れだけではないのですよね。

昨夜、久しぶりにNHKの『世界ふれあい街歩き』を観まして。
昨日は、メキシコのパツクアロという素朴な街でした。民謡歌手に憧れて、お父さんと一緒にギターと歌の練習をしていた8歳の少年。飲み物とお菓子を売るお店を静かに営んでいるおじいさん。お店の壁に描かれていたお魚の列がかわいかった。
誰も知らないかもしれないけれども、静かに流れている豊かな時間を楽しむ人々を観て、ショーン・タンの描いていたことを思い出したのでした。
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2011年05月16日

正常性バイアスのなせるワザ?

夜、外を歩くと暗い。
本来は当たり前のことのはずだけど、明かりが皓皓と付いている夜に慣れていた私たちにとっては、暗いですよね。

先日、暗く狭い歩道で向こうから自転車がやってきた。5台ほど通り過ぎた自転車の中で、ライトを付けていたのは1台だけ。
最後に通過して行った1台は若い女の子で、無灯火、片手運転で携帯電話で通話中。私とすれ違う瞬間、通話の相手に「まったく迷惑な話だよねー」と話してた。
あなたが迷惑です!(笑)いや、別に私が直接迷惑を蒙ったわけじゃないけどさ。歩行者や車や別の自転車にとっては迷惑な行為だよ?

ちなみに、近隣では、車道を走る自転車はほとんどいない。車の交通量が多くて逆に危険すぎるので、みな歩道を走る。自転車も歩道を走って良いとされている歩道もあるけれど、それ以外の歩道でも。これは致し方ないと思われ。
でも、歩道ではあくまでも歩行者優先というのが理解できていない自転車が多いのが現状。

実は、普段夜でも明るかったときは、無灯火でもあまり問題ないようにも思えるくらいだった。自分が自転車を運転するために道を照らす明かりは十分だったから。歩行者もよく見えたし。それでも当然ライトを付けてたわけだけど。
今、暗いとはいっても、行く手に極端にイレギュラーな障害物が無ければ、無灯火でも運転することは、きっと可能。だけど、歩行者や車からしたら、無灯火自転車はよく見えてないと思う。実際、ほんとに見えない。もし、以前から無灯火運転していたとしても、これだけ暗くなったら、さすがに無灯火はやめようとか判断しないのかな。
明かりを付けるということは、自分の前を照らすのはもちろんだけど、自分の存在を相手にわからせるという役目も大きいということをわかっていない人が多いのか。いや、そんなことないよね?わかってるよね?
大体、以前はペダルが重くなるから嫌だと無灯火にする人が多かったけど、今は自転車の機構とは無関係に付くライトも多いはずなのに。
車の免許を取得する人が減っているというけれども、車を運転する側になってみれば、自転車の危なさに気づくだろうに。車を運転する側になったことがないと、自転車に乗るときの自分の動きが、車から見るとどうなのかがわからないままなのではないのかな。
いくら説明されたって、自分で体験してみなければ理解できないのではないかと。
無灯火だけでなく、子供たちや若い世代が自転車で無謀な運転をするのは、この辺のことが影響しているのではないかと思えて。
灯火より無灯火が危険であることは、誰もがわかっていることだと思うのですが、たとえばそれが「面倒だ」というような単純な理由だとしたら、事故が起きたときのことを想像してないんでしょうか。自分や相手が死傷する可能性や、加害者になってしまったときの賠償の問題などのことを。
スイッチひとつでできることをやらない。その辺が、どうも理解できないわ。

生活していく上で、自分ができる危機管理はやっておこうとは思わない人が多いのですね。危機管理することで、自分に何らかの不利益が生じるなら躊躇するかもしれませんが、灯火することが何の不利益になるというのか。
私とて、完璧な人間ってわけじゃないので、いろんなところに穴はあるという自覚はありますが、なんか不思議で。
法律や条例を守らなければならないということ以前に、自分が嫌な目に遭わないように、できることはした方がいいと思うのにな。

東日本大震災を受けて、災害時の心理状態について勉強したいと思っているのだけれども、参考になる書籍などが少なくて、なかなか進まずにいる。
災害時には、冷静になろうと思うあまり”正常性バイアス”というのがかかって、遭遇した災害や事故に対して、「そんなはずはない」「きっと大丈夫」という心理が働くというのだ。
人間は、過去のパターンから未来を予測する。過去に経験してない事象は、未来予測に入りづらいというわけ。
そして、想定外の出来事に遭遇したときに騒ぎ立てたりして、周囲との同調を乱すことを恐れるらしい。
災害に遭ったときに、避難が遅れたりするのはそういうことが根底にあるという話。

無灯火の件にこれを当てはめるのは難しいかもしれないけど、危機管理をしないという意味での楽観的予測を説明してくれるような気がする。
Posted by nbm at 12:08  |Comments(4)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

牛乳といっしょに

昨夜というか今朝というか、大震災で中断されていた『魔法少女まどか☆マギカ』の残りの話数がようやく放映されまして、録画してまだ観てないので、内容についてはわからないのですが、なんだか異様な盛り上がりを見せているようです。昨日は、読売新聞で一面全面を使った”本日放送”の広告も載ったようで、この日、駅売店などでは読売新聞が売り切れたりしていたそうです。朝になって、Googleの検索急上昇ワードランキング上位に”謎の白い液体”とありますが、これはこのアニメ作品の放送中に流れた『世界遺産』の番組CMが原因。テキーラに関係する”謎の白い液体”が出てきて、それが話題になりtwitterなどで広まったものらしいっす。興味のない方には、こんなことがあったことはわからぬままに、一部では、一種のお祭り状態となってます。

さて、完全に後出しなんですが、一応書いておきたいと思います。こじつけてるだけですから、本気にしないでくださいね(笑)
一昨日の夜、11時45分頃、強めの耳鳴りがありました。その後、
4月21日0時29分 茨城県沖 M4.4 深さ約50km 最大震度3
が起き、当地も少し揺れました。ちなみに、まったく同時刻に
4月21日0時29分 淡路島付近 M3.4 深さ約20km 最大震度2
も起きたようで、地震情報が混乱し、インターネット上の速報をいくつか見ましたが、どちらかしか発表していないものばかり。
しかし、耳鳴りとの対応に関しては、早すぎるし規模が小さ過ぎる気がして、対応するものはやはりもう少し時間がかかるのかもしれないと思っていました。耳鳴りについては、どうも数時間〜1日後に強めの地震が起きている感じなんです。
そんなことを思っていたら、昨晩、
4月21日 22時37分 千葉県東方沖 M6.0 約70km 最大震度5弱
ってのが起きました。
耳鳴りについてはこじつけなんでどっちでもいいんですが、宏観現象として、20日あたりから主に関東地方南部で通信障害の報告が急に増えていて、これは大きめのが関東に来るかもと注意していたわけです。携帯電話の通話障害、インターネットやLAN接続が悪い・遅い、電話の海外からの混線、テレビのノイズなどの報告があり、通常と比べるとどうにも多い。たまたま、docomoで19日23時頃に一部で音声通話ができない状態になって400件以上の問い合わせがあったという話もありましたが、これは工事の影響らしいです。にしてもタイミングが…(笑)
低気圧の通過後で、多くの通信障害報告、昨日の夜は例の食欲不振でごはんが食べられなかったので(おかずは食べたけど)、そんな自分の体感も含め、昨日は千葉県の沖もしくは千葉県北部あたりの内陸に「くるぞ、くるぞ」と待ち構えていたので、「ほら来た!」みたいな地震でした。千葉県と考えていたのは、段々と震源が南下していたため。茨城から千葉に移ってきてますからね。今日も含め、宮城・福島あたりの東北はもちろんですが、千葉・茨城はまだしばらく大きな揺れに注意が必要かと。
しかし、震源がきれいに南下してきていることがわかってくるにつけ、次は東京・神奈川もしくは埼玉の出番か…。実際、揺れだしてるしなぁ。あんまり考えたくないですが、関東に関しては、これからが本番という感じでしょうか。
今日は、朝から短い耳鳴りが数度。昨日の地震があったからかもしれませんが、まだ体は緊張を解いていない感じがします。さて、今日はどうなることやら。

恒例の近場の地震メモをば。
4月19日 23時10分 茨城県南部 M5.0 深さ約50km 最大震度4

4月20日 4時2分 千葉県東方沖 M4.3 深さ約20km 最大震度2
4月20日 5時44分 神奈川県西部 M1.5 深さ約10km 最大震度2
4月20日 6時38分 茨城県沖 M4.0 深さ約30km 最大震度3
4月20日 8時7分 房総半島南方沖 M5.0 深さ約100km 最大震度2
4月20日 17時30分 茨城県沖 M4.2 深さ約40km 最大震度3

4月21日 0時29分 茨城県沖 M4.4 深さ約50km 最大震度3
4月21日 3時25分 埼玉県南部 M3.5 深さ約90km 最大震度1
4月21日 5時7分 茨城県南部 M3.1 深さ約50km 最大震度1
4月21日 5時32分 茨城県南部 M3.6 深さ約50km 最大震度2
4月21日 22時37分 千葉県東方沖 M6.0 深さ約70km 最大震度5弱(当地 震度2)
4月21日 22時47分 千葉県東方沖 M4.5 深さ約50km 最大震度3
4月21日 22時54分 千葉県東方沖 M4.5 深さ約50km 最大震度3
4月21日 23時10分 千葉県北東部 M3.2 深さ約40km 最大震度1

4月22日 0時6分 千葉県東方沖 M4.3 深さ約50km 最大震度2

最大震度5以上は、21日千葉県東方沖 M6.0のみ。東北地方も、まだまだ最大震度4程度の地震はあるものの、3月11日の巨大地震の余震については徐々に落ち着いてきているようです。
あ、でも安心できるわけでもありません。まだまだ少なくともこの先10年くらいの間は、M7〜8クラスの余震と呼びたくないような余震が来る可能性が高いわけですからね。

じゃあ、今日はくだらない話をひとつ。
この春に始まったアニメのひとつに『日常』という作品があります。日常を描いているのかといえば、ちっとも日常じゃなかったりするわけですが。
この作品に、8歳の少女”はかせ”が作った人型ロボット女子高生(?)”なの”が出てくるのですが、はかせの趣味で、なのの体には様々な仕掛けがされていて、腕からロールケーキが、おでこから甘食が出てきたりするんです。
でね、甘食の話。

”甘食”ってご存知でしょうか?
今回、甘食が全国区でないことを初めて知ったもので。
ご存知ない方のために説明しておきますと、甘食というのはですね、平べったい円錐形をした硬めで素朴なカステラのようなもので、菓子パン的な存在です。生地は、お山のてっぺんに十字の切れ目を入れて焼かれるので、焼き上がりはうっすら十字が残ります。大概、円錐の円の面を合わせて2個で対のような形で売られてます。
”ぼうろ”というお菓子があって、それに似ているという説明もあったりしますが、食感はだいぶ違うと思います。あんなにふわふわしてない。もっと硬くて、生地が詰まってる、重い感じです。ぼうろのレシピにバターを加えると甘食になるようなのですが、その他の材料の配合も違うのでは?
この甘食、どうやら関西や九州など西日本の方には馴染みが薄いようで。こういった地域の食文化の差は興味があります。どうしてそうなったのかなぁ。甘食の発祥は東京のパン屋さんだという説があるのですが、関東人にとってはポピュラーな食べ物だと思われ。ちなみに、『日常』の原作者であるあらゐけいいちさんは、群馬県のご出身らしい。
どこか昭和ノスタルジックというか、懐かしい食べ物という認識なのですが、年配の人に特にファンが多そう。懐かしいと思わせるのは、明治時代に考案されたという話からもわかるように、戦前からあるもので、しかも高級というわけでなく、庶民のおやつ的な存在だったからかな。
これが、水分がないと飲み込むのに苦労するのですが、冷たい牛乳と食べると絶妙な味わい。たまらない美味しさなのですよね。ということで、『日常』でなののおでこから出てきた甘食を見たら、無性に甘食が食べたくなって、だけど近所に売ってるのはヤマザキの8個入りで、ダンナさんと2人じゃ多すぎる。昔、2個入りとかで売ってなかったっけ?しかたなくベビー甘食を買って食べてみたんだけど、やっぱりなんか違う。軽いわ。もっと、食感がどっしりしてるはず!パン屋さんでも作ってるところがあるみたいなんだけど、近所では見かけたことがない。やっぱり8個入りの大きな甘食を買うしかないか。
ところで、ヤマザキのHPを見にいってみたんだけれども、製品のラインナップに甘食が入ってないみたい。全国展開してないからなのかなぁ。
冷たい牛乳と甘食へのあこがれ。これが頭から離れないでおります。数日中に実現してやる!

2011年03月04日

ファーストフード栄枯盛衰

ハンバーガー・ショップ、ウェンディーズが日本に再上陸するというニュースがありました。

ウェンディーズといえば、池袋サンシャイン通りの店舗くらいしか行った覚えがありませんが、チリが好きで、よく食べてました。私の中では、中身を選択できる初めてのハンバーガー・ショップという記憶があります。たとえば「トマト抜きで」とか。今のスタバとか、サブウェイとか、自分で細かくカスタマイズ注文するシステムを「めんどくせぇ」と思う私なので、特に嫌いなものもないし、そのシステムを利用したことがありませんでしたが。

1980年に日本1号店の銀座店がオープン。しかし、2009年12月末までで日本から撤退していたウェンディーズ。米国本部とのフランチャイズ契約期間が終了したとのことでした。再上陸のニュースを知って、気づいたことが。それは、”ウェンディーズ・アービーズグループ”という社名。アービーズって、あのアービーズ?違うのかもしれないけど。
アービーズっていう、ローストビーフ・サンドの店があったよね。渋谷とか池袋にあったのを覚えてます。いつのまにかなくなってたけど。今はローストビーフ・サンドといえば、サブウェイで食べられるしな。サブウェイっていえば、会社員をしてた頃、昼休みに外国人サラリーマンを見かけると、必ずと言っていいほどサブウェイの小さな包みを持ってた。「あんたたちゃ、そんな大きな体して、ちっぽけなサンドイッチパンごときで足りるんかい?」と、いつも疑問に思ってました。

この間、車で走っているときに、ドムドム・ハンバーガーの看板を見かけて、まだあったのかと懐かしく思いまして。
ダイエーの傘下だから、ダイエーにくっついてたんだよね、ドムドム。
そんなドムドムの看板を見て思い出したのが、サンテオレ。おひさまのマークがついてて、明治って名前がついてた。サンテオレは消滅したのかと思ってたけど、調べてみたら、縮小傾向にはあるものの、まだ営業している店舗があるのね。でももうあのおひさまのマークは使ってないんだな。
明治で思い出したけど、森永LOVEってのもあったんだよね。たしかアップルパイがおいしかったのを覚えてる。いつのまにか見なくなったと思ったら、やっぱり消滅してました。バーガー・キングに買収されてしまったのかぁ…。

昨日見たアニメ作品で、池袋のジュンク堂前の二又のところが使われてたシーンがありました。カラオケ屋になってるところ。あそこは昔はダンキン・ドーナツだったんだよね。池袋には、サンシャインにもダンキンがあって、けっこう使ってました。ミスタードーナツも好きだけど、もっとなんかこうアメリカっぽい怪しさのあるドーナツが多かった。どピンクのアイシングがかかってたりして。
甘いものついでに。数ヶ月前、品川に行った際、懐かしくなって思わず入ってしまったアンナ・ミラーズ。昔はお店のおねえちゃんのユニフォームが刺激的だったけど、今はどうなのだろう、と。しかし、スカートは確かに短いものの、予想に反しておとなしめというか貧相。昔はもっとゴージャスな、たとえて言えばお色気メイド喫茶的な印象だったのだけれども。胸を強調するデザインでさ。でも、実際のユニフォームのデザインはさほど変わっていないようで、どうやら、勝手な妄想が脳内で理想像を作り上げていたらしい…(笑)。昔は、渋谷のスペイン坂の途中にあった店舗に行った覚えがあるけれども、今はたったの2店舗か。巻き返しを図りたいなら、ユニフォームにもう少し力を入れるべきだと思う!アンナ・ミラーズで働くということは、モデルかタレント、もしくはレース・クイーンばりのスタイルが要求されると思っていたもの。あれが再現できるなら、繁盛するかも。

もうひとつついでに。
アイホップっていうファミレスが好きだったのに、これもなくなってしまいました。
IHOP(International House of Pancakes)の名の通り、パンケーキが美味しかったのに。4種類くらいソースがついてきて、好きにかけられるんだよね。あれ、もっと宣伝とか上手にやれば、売れたと思う。いまや買収されて、焼肉店なんかになってるけど、焼肉なんて飽和状態でしょう?焼肉店になんかしなければよかったのに…。IHOPはファミレスではあったけど、おいしいパンケーキを食べさせてくれる希少な店だったんだから。
アメリカ本土では、ポピュラーな店らしく、たまに映画などにも登場しているような店。日本での復活を願います。

最近気になるのは、回転寿司チェーンの乱立。この近辺では、数キロ圏内に5、6軒。いいかげん、要らないんじゃないかと。
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2011年02月21日

黒い集団

近年、就職活動をする学生を見ていて、気になっていたことがあった。
それは、リクルートスーツの色。みんなが揃いも揃って同じ。男性も女性も、誰も彼もが黒のスーツを着ている。いつからこんな風になったんだろう?厳しい状況も相俟って、就職戦線は非常に暗く重い空気に包まれているように見えてしまう。

自分が就職活動をしていた頃は、いわゆるバブル期。時代が違うといえばそれまでなのだけれども、リクルートのスタイルはもっと自由度が高かった。
その当時のリクルートスーツの主流は、濃紺やグレイだったと思う。黒は少数派だったような…。
自分の時代、就職活動が始まるのは、4年の春から。まず春夏用に麻混で細かい千鳥格子のスーツを買った。遠目にはグレイに見える。あんな時代にありながら夏を過ぎても内定が出なかったので(苦笑)、秋冬に向けて、モスグリーンのスーツを購入。その他にも、ペールブルーやシャーベットグリーンのワンピースを着て面接に行ったこともある。紺やグレイさえ着なかった私は当時でも少数派だったかもしれないけれども、面接に行って、飛び切り浮くほどでもなかった。友人たちも、いわゆる”リクルートスーツ”という雰囲気のものを着ていた人は少なかったような…色は抑え目でもデザインに凝ってたり、同じグレイでもダークグレーでなく薄いグレーとか、いろいろいたと思う。
男子の場合は、普段着る遊び着のスーツは当時は色やデザインがド派手だったので、リクルート用におとなしいスーツを用意した人がほとんどだったのではないかな。
女子の場合は、普段もちょっとしたときに着ていけるような服の中で、おとなし目のものを着ている感じだった。リクルート用に用意はしても、別の機会にも着られるようなものを選ぶ感覚。実際、私はリクルートで着ていたものを普段も着ていたし、大学を卒業して会社に入社してからも愛用してた。
もちろん、面接に行く企業の雰囲気というのも大きく関係するかもしれない。金融系などお堅い企業に行く人は、無難な色のスーツを着ていたと思うし、アパレルやマスコミなどを目指す人は個性を強調してもっと派手だったと思う。
私は特定の業界を狙っていたわけでもなく、規模にも拘りは無く、ただ社内の雰囲気が良さそうな会社を探していた。

先日、テレビ番組で、なぜ黒のリクルートスーツを着るのかということについて、実験をしていた。
黒いスーツとベージュのスーツの印象を街行く人に聞いてみると、同じ人物が着ていても、黒のスーツの印象の方が格段に良い。黒を着ていると、真面目だとか誠実だとかプラスの印象になるみたいで。黒と比べるのがベージュっていうのが極端過ぎてちょっと気に入らない実験だったけど、スーツの色で印象がかなり左右されることは理解できた。
蛇足だけれども、この番組では、「顔採用はあるか」というテーマの実験もしていた。事情を何も知らない企業の人事採用担当の人を相手に、わざと辻褄の合わないことを言うモデルさんと普通の対応をする普通の大学生が面接を受ける。すると、わけのわからんことを言っていても、モデルさんの方が採用されるという結果に…。番組では、モデルさんは笑顔慣れして溌剌と見えるからではないかと言っていたけれども、本当にそうなんだろうか。顔の良し悪しの問題は置いておくけど、やはり印象というのはかなり大きな問題であるのがわかる。

あらためて考えてみよう。
なぜ黒のリクルートスーツを着るのか。

リクルートスーツというものを打ち出して紳士服量販店なんかが売り出し始めたのは、もうだいぶ前の話なんだろうけれども、その手にまんまと乗せられているということがひとつ。「これなら無難」というラインを形にして売り出してあるものなら、安全だろうというわけだ。アパレル業界が打ち出す流行が、時代によって多少変遷するといったところなのかな。濃紺が主流だった時代もあれば、チャコールグレーだったり。そして、今は黒。以前は喪服のようだと敬遠された黒が、今は喪服にも使えるからファースト・チョイスは黒だと勧められる不思議。
一方、この無難を求める学生側の心理もひとつの理由なのだろうね。リクルートスーツという形作られたものなら、間違いないだろうという判断。
なんなら、大学入学時に入学式の時に着るものをすでにリクルートスーツにしてしまうという考えもあるそうで、中には、黒一色の入学式なんて光景もあるとか。ブラック・フォーマルを持っておかんと、とそのときに黒を選択するという考えもあるし。

不景気の時には、黒が流行するという。
以前、ダンナさんに聞いた話だと、不景気のときは車でも黒が多くなるんだとか。
不景気を抜きにしても(関係があるのかもしれないけど)、紳士服業界ではここ数年黒が流行色だったよう。その流れでリクルートスーツも黒が流行ったってことなんだろうか。

個性を前面に出して悪目立ちしろとは言わないけれども、あそこまで判を押したように同じ格好で面接を受けられても、採用担当は見分けがつくんだろか。
私とて、確かに人と同じなのは好きじゃないけど別に目立ちたかったわけではなくて、TPOに反しない程度で自分の好きなものを着て気持ちよく就職活動をしていただけのこと。それも含めて自分を見てもらえばいいし、それを理由に採用してもらえないなら、自分とは合わない会社なのだと思うし。
そんなことを言っていられない厳しい状況だからこそ、こんなことになるんだろうけども。見た目はとっかかりであって、清潔感とか最低限の常識を見るだけ。本当に見られているのは内面だし。
落とされて落とされて、自分に自信がなくなるのもわかるけれども、瑣末なことにとらわれるよりは、のびのびと自己表現することの方が大事だと思うんだけど。あとは会社との相性ってことで。

なんてね。
現在、どこにも就職できていない自分が言っても信憑性がないわな(苦笑)
就職活動中のみなさん、何かしらアピールできるものを作って、めげずにがんばってくださーい!
Posted by nbm at 12:10  |Comments(5)TrackBack(0) | 気になったこと , 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

便利なアイテム

雪が積もるんだろか。
みぞれまじりだった昨晩はそう心配しつつも、朝起きたら一面白銀の世界だったりして…などと想像するとちょっとわくわくしてたんだけど、結局雨になってしまったようで、残念。
朝になってから、少しだけ雪がちらちら降っていたけれども、今はもう晴れているようだ。
本格的な雪は、次の連休に持ち越し。

左顎はまだ腫れている。外見ではわからないぐらいだけれども。
痛みはほぼないものの、口をあまり大きく開けられないので、食事が面倒。ごはんを食べるのが面倒くさいと思うなんて…。食べないでもいいかなと思うくらいで。
あとは治っていくのを待つのみ。そして、左が落ち着いたら、来月は右側にチャレンジ!

”泣き”のギタリスト、ゲイリー・ムーアが、突然亡くなってしまった…
私は特別ファンというわけでもなかったけど、私たちの世代のオヤジ連中は泣いていることだろう。
ダンナさんは、若かりし頃にライブでゲイリー・ムーアの曲をやったりしてたから、やはりショックだった様子。
近年はブルースを演ってたんだってね。
合掌。

さて、今日の本題。
昨日の朝の情報番組で、マスクを使用する理由についてやっていたが、非常に興味深いものだった。
マスクといえば、インフルエンザなどに感染しないよう予防策として使用するか、もしくは自分が感染してしまった場合に周囲にうつさないように使用するものという認識だった。ほかにも、これからの季節は花粉症の人が花粉を防いだり、先日来の火山の噴火で火山灰を吸い込まないようになどと、異物の吸入を防ぐ働きもわかる。
歌手の人などは、喉を守り、潤すために使う人もいると思う。保湿効果があるものね。
しかし、今は、そういったこと以外の目的で使われているケースが増えているという話。

新しい使用法その1。すっぴん隠し。
女性がメイクをしないで外出する場合、すっぴんを隠すためのアイテムとしてマスクを使うんだそうだ。
最近は、どういうわけかすっぴんの女性が増えているという話も聞いたけど、それとは別だな。すっぴんを実践するコたちは、「自然のままの自分でいたい」とか言って、堂々と素顔をさらしてた。
本当はメイクがしたいけど、時間がなかったり、面倒だったりする人が、マスクを利用するんだと思う。顔を隠したいわけだからね。
普段メイクをしない私にはわからないけれども、便利なんだろうな。

新しい使用法その2。表情を隠すアイテム。
たとえば、ちょっとした変装をするときにメガネや帽子を使うけれども、そんな感覚か?
ヘアスタイルを失敗した男の子が、それを誤魔化すために本当は帽子を被りたいのだけれども、学校では帽子は被っていられないから、マスクをして誤魔化したと話してた。
温泉で、裸になったときに顔を隠してしまうタイプか?
別の女の子は、接客のアルバイトをするときに、マスクをすることで、お客さんに対して笑顔を作る面倒から解放されるというようなことを言ってた。
チンパンジーのような高等な猿でさえ、表情筋を使って、コミュニケーションをとるってのに。メラビアンの法則なんてものがあるけれども、人はコミュニケーションの際に、半分以上は視覚情報に頼っているという。顔の表情を読み取ることが果たす役割は、非常に大きいということ。
口元を隠されると、笑っているのか起こっているのか、非常にわかりにくい。
コメンテーターの方が言っていたが、西欧の人がマスクをするときに、マスクに口を描くことをするという。見せられない口を見せたがるってことだね。
ちょっと脱線するけど、東洋人と西洋人では、表情の読み取り方が違うという研究があるそうだ(グラスゴー大学 Roberto Caldara博士らによる研究)。東洋人は目を重視し、西洋人は口を重視するんだってさ。「目は口ほどにものを言う」っていうのは、東洋での話なんだな。この説の通りなら、日本人は表情を読み取る際にあまり口を重視してないってことになるけど、最近、歯医者に通って、マスクをしている人とよく話をしている私からすると、やっぱり口元が見えないと表情がわかりにくいよ。

新しい使用法その3。シャットダウン装置。
前述した「表情を見せない」という状態が嵩じると、こうなってしまうんだろうけど、世界から自分を隔離するものとして使用しているという人が増えているというのには、一番驚いた。
そういう目的でマスクをしている人たちは、みな一様に「マスクをしていると安心する」と言っていた。
感染症予防などでマスクをしているうちに、この安心感に気づき、感染予防の観点からは必要がなくなってからも、マスクがはずせなくなったケースが多いという。
普通に社会生活を送りながらも、精神的にはひきこもっている感じなんだろうか。中には、外出時だけでなく、家庭で家族といるときにもマスクがはずせないコもいた。

食事が一人でできず、トイレで食事をする大学生がいるという話を聞いたとき、その理由が、「一人で食事をして寂しいヤツだと思われたくない」ということであるのに驚いた記憶がある。
自分が寂しいのがイヤだというよりも、”そう思われたくない”気持ちが強いことに違和感を感じる。
自意識が過剰に思える。平均から逸脱することへの恐怖なんだろうか。

今回のマスクの件でも、同じことを感じる。
”見られている”という意識が非常に強い。だから、隠したくなる、隠れたくなる。
周囲のことが気にならないくらいに熱中することがないってことなんだろうか。「人からどう見られるか」なんてことを忘れるくらい楽しいこととかないんだろうか。
目立つのは嫌いだけれども、人から変に思われれば思われるほどニヤリとするあまのじゃくな自分としては、理解できない心境。
と同時に、情報過多の時代にあって、そこにどっぷり浸かってそれを享受しているようでいて、やっぱりどこかにしわ寄せがいってるんじゃないかと思えてくる。

マスクなんて簡単なアイテムで、不安が解消できるなら、便利なんだけど、根本的な解決にはならないんじゃないかと…。そこがちょっと心配。
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2011年02月05日

絶対に真似をしないでください

先日来、インターネット上のニュースで見かけたことが気になっている。

【富士山で高校生遭難か 山梨県警が捜索】
(2011.1.30 18:11 産経ニュース)

 29日午前7時15分ごろ、横浜市栄区の高校2年の男子生徒(17)が富士山に登ったまま帰宅しないと、母親(58)から山梨県警富士吉田署に通報があった。県警は遭難した可能性があるとして30日、ヘリコプターなどで捜索している。

 富士吉田署によると、生徒は27日昼ごろ、母親の車で富士山4合目まで入り、「下山したら連絡する」と言って入山。下山の日時や場所は伝えていなかった。携帯電話は不通だという。テントや食料などの装備は持っていた。

 生徒は国内外で、単独を含めて冬山登山の経験があるという。県警は29日も捜索していた。

2月1日現在の続報では、8合目以上は強風とアイスバーンのため、家族の了承を得て捜索が打ち切られたそうで、依然不明のまま。
高校生とはいえ、剣岳などで冬山登山は何度も経験しているのだそうだけど…。単独で、しかもちょうど寒波が来ているときに、午後から上り始めるというのは不可解。4合目で1泊するつもりだったのか。

このブログには何度か書いているけれども、若かりし頃は主に四駆の車で走り回っていた。
多いときは15台くらいで連なって、夜中の高速を走って、富士山だの赤城山だのの道なき道を朝までアタックということを繰り返していた。ま、ダンナさんの運転で、私は助手席に座ってただけだけどね(笑)

元日には富士山で初日の出、というのが10年くらい続いただろか。
これもこのブログでは何度も書いているけど、当然、本来なら車で入れるような場所ではないのだが(いや、冬は人もなかなかいないけど)、富士山の5合目から道なき道に入り、頂上を目指して車で登っていくわけだ。当時は、私たちの他にもいくつかの集団がアタックしてた。
といっても、せいぜい6合目くらいまでしか登れないけど。それも、エンジンや足回りをフルチューンし、チェーンをした状態の四駆のみ。
雪がなければふかふかの火山灰だけど、雪があることもあるし、凍結していることもある。登るにつれて斜度はきつくなり、30度近くある所も。30度なんて大したことないと思ったら大間違い。30度は車に乗ると、直角かと感じるほどの斜度。
厳冬の富士山は気温がマイナス数十度とハンパじゃなく低い上に、台風並みのものすごい風が吹く。私たちが登った斜面では、夜暗いうちは特に頂上からの吹き降ろしがものすごかった。
富士山ではこの2000m辺りが森林限界となるので、樹木は一切無く、頂上まではただただ火山灰の積もった山肌もしくは雪が見えるのみ。遮蔽物は一切無い。非難するような場所もない。
ということで、風は容赦なく吹き付けてくる。車は常に頂上に向かった状態にしていないと、横を向けば一発で横転し、どこまでも転がっていくような状態。風を見ながら、方向転換して車を下に向けるときが、一番緊張した。2t近くあるような車でもゆさゆさと揺さぶられるような風。話に聞いただけだけど、斜面にたいして横向きになったあるジープが、吹き飛ばされて1瞬で10mほどそのまま「ザン!」と移動してその後ゴロゴロ横転していったとか。
仲間内で横転した車は出なかったけど、今から考えると、かなりな無茶だったのだと思う。
けど、そこまで登ると、朝がくれば眼下には雲海。初日の出は、大抵、雲海から昇ってきた。周りに雲の上に顔を出すような高い山がないので、本当に海のよう。雲が広がる彼方から昇る日の出は、それはそれは美しいものだった。地平線からの日の出よりも遅い時間になるけどね(笑)
この醍醐味は、ぜひ夏場に登山して楽しんでください。夏場でもけっこう大変だと思いますが。
しかし、冬場の富士山では登山者に出くわしたことはない。冬場以外なら、あったけど。近年の夏の富士登山の映像で見かけるみたいに、登山道に人が数珠繋ぎなんて光景は見かけたことがない。つまり、人が登る時期を避けて車で登ってたってことなんだけど(苦笑)

2009年の12月、片山右京さんたちが南極遠征の訓練のために富士山に登り、8合目付近でテントごと風に飛ばされて遭難したことが報道された。
私たちがその昔に車で登って仰ぎ見ていた上辺りで、遭難されたのではないかと思う。そう思うと、とても不思議な気分になる。
夏の富士山なら、登ったことがあるという人はたくさんいることと思う。
しかし、夏と冬の表情の違うことといったら、想像を絶する。誰でも頑張れば登れると思わせる夏の富士山を想像してはいけない。夏と冬とではまったく別の山であることを知らなくてはいけないと思う。
冬の富士山の登頂に成功できるのは、ほんの一握りの高い技術を持った登山家か、でなければ、よほど気象条件に恵まれたたまたまラッキーな人かのどちらかだろうと思う。どんなに技術があっても、不運に見舞われればどうなるかわからないし。実際に冬場に富士登山を経験して、「そんなに難しくない」という人も中にはいるのだけれども、何も知らない人たちがそれを真に受けるのは危険だと思う。
最低気温がマイナス30度以下にもなる厳しい寒さもさることながら、一番危険なのは風。最大瞬間風速91.0m、最大風速72.5mという日本で一番の風速を記録している場所。3日に1日は風速20m以上の風が吹き、瞬間風速が40mを越えるのはザラ。体感温度は思い切り下がるだろうし、突風が吹けば立っているなんてとんでもない。人間が簡単に吹き飛ばされる風がびゅうびゅう吹きっぱなしになることもある。一度飛ばされたら、どこまでも転がって行ってしまうね。風は巻いていて、こっちから吹かれたと思ったら次の瞬間は逆からみたいなことになり、対応が難しい。ドン!っと突き飛ばされるような風に襲われることもある。
で、斜面は強風で磨かれた硬いアイスバーンだったりするから、滑落するともう止まらない。何百mでも落っこちる。どこかを骨折したくらいで済めばいいけど、だとしたら強運の持ち主ということでしょう。
冬の富士山は気温だけ考えれば南極の昭和基地と同程度。しかし、風が強い分、南極よりももっと厳しい場所と言えるかも。その上、斜度がある。そういう所。
冬に登るなら、それが誰であっても、命の保障は無いという山なのですよね。
独立峰である富士山の冬季のあの厳しい気象条件は、外国の高山でもなかなかないのではないでしょうか。登山家の野口健さんも、「厳冬期の富士山は時にヒマラヤ以上に厳しい」と言っているくらいだし。

仮に冬山経験者だとしても、経験してきたものとは別種の危険があるのではないかと想像するのだけど。冬の富士山の経験がないなら、冬山経験はないくらいに思っておいた方が無難なんじゃないかとさえ思う。経験のない私が言うべきことじゃないけど。
右京さんの一件があってから、さすがに冬の富士山の危険性は啓蒙されたかと思っていたのだけれども、それでも、毎年事故のニュースを聞いて、とても残念に思うし、そのたびに「富士山ごときで、なぜ遭難するの?」みたいな反応があって、そのことにもガッカリする。

貴重な厳冬期の富士登山の動画をYouTubeにアップしている人がいた。こんな状況の中、カメラを回すのは大変だと思うけど。
参考にどうぞ。→前編後編

2011年01月29日

どなたでしたっけ?

マンションの同じ階に、新婚のご夫婦が住んでいる。昨年越してきたばかり。
このご夫婦の奥さんの方が、うちのダンナさんの職場の社長のご親戚。ダンナさんの職場にはよく立ち寄るようで、ダンナさんとは日常的に顔を合わせて会話をしている。
ということで、結婚のお祝いの品をプレゼントしたりしてるんだけれども、私は面識がほとんどない。
マンション暮らしの常で、同じ階に住んでいるといえども、顔を合わせる機会はほとんどないし。
プレゼントを手に、結婚のお祝いを言いに行ったときと、あとほんの数回マンションの廊下ですれ違って挨拶をした程度だと思う。

ある日、この奥さんが、うちのダンナさんに
「最近、奥さん(←私)を外でよくお見かけするけれども、声をかける前に行ってしまわれて…」というようなことを言っていたそうだ。
つまり、私が彼女に気付かずに立ち去ってしまうということらしい(苦笑)
そう言われたうちのダンナさんは、「うちのかみさんは、文字と音はものすごくよく記憶するんだけど、顔とか画像が憶えられないんだよ」と言い訳してくれたそうだ(苦笑)

まことに失礼な話なんだけれども、ほんの数回しか会ったことがなく、言葉もほとんどかわしたことがないので、まったく彼女の顔を憶えていない。
印象は憶えている。ロングヘアのかわいらしくてやわらかい感じの人だ。あれ?でも、髪を短く切ったという話を聞いたような気もする。それもいつの話か憶えてないから、今どんな髪型なのかもわからないけれども、ちょっと前にマンションの廊下で遠くから後姿をお見かけしたときは、ロングだったような…。だけど、お顔のパーツや配置はまったく憶えてない。
この方だけではなく、私はたぶんお隣の奥さんに近所のスーパーで出会ってもわからないと思う。玄関先の廊下で出会えば、”お隣の人”という認識ができても、外で会ったら顔で判断しないといけないでしょ。こちらも数回しか顔を合わせていないとはいえ、やっぱり顔を憶えていないや(苦笑)

特に人の顔に限って憶えられないと自覚したことはないけれども、基本的に画像や色などを記憶する能力は非常に乏しい。それは自分でもわかってる。
どうやら私は、人の外観を認識するときに、映像データ的なものよりも、印象が優先してしまうようだ。例えば、
「あの目の大きい人ね」というより
「あのふわっとした雰囲気のやさしげな人ね」という風に。
とにかく、私の脳は、画像を認識する部分がとても弱いわけさ。

その上、在宅仕事で半ひきこもり生活をしているうちに照れ屋が重症化したのか、人の目を見られないので、視線を相手の顔からそらしてしまうんだよね。
前にも言ったけど、会話の必要性があるなら目を見てフツーに話せるのだけれども、あまり親しくない人と挨拶程度の合間だと、それが急にできなくなる。
ただでさえ、顔を認識することが苦手なのに、あまり相手の顔を見ないわけだから、余計に覚えられないってーの。

例えば、瞬間記憶というのがある。
0.1秒とか短い時間だけ表示される数字を読み取るというゲームをやってみた。
5桁は楽勝、6桁まではなんとか、7桁になるとひとつふたつ数字を間違えるミスがでてくる。(→こんなの
瞬間的に映し出されるランダムに並んだ数字を小さい順にクリックしていくというゲームもあって(→こんなの)、これは脳年齢が判定されるが、一番良くて24歳だった。微妙な判定だけど、悪くはないか。
相手が数字だと、こんな瞬時にも記憶できるのになぁ。どうして画像だと記憶できないんだろうか。

相貌失認というほどでもないと思う。顔認識については、脳の側頭葉底部にある紡錘状回という部分が関係しているという説があるようだけれども、単語認知や数字認知も司っている部分だとも言われているようで、だとすると、文字や数字の認知に問題が無い私は、単純にこの部分の機能が損なわれているわけではないはず。
その一方で、顔認識の際には、注意に関係する前頭葉や、記憶に関係する海馬からも信号が送られるそうだ。
外界からの情報を一次視覚野を経由して受け取る領域と、心の内面を表した情報を前頭葉や海馬などから受け取る経路のふたつが、顔領域への入力として存在するという。表情を読み取るという作業もあるから、顔の認識だけというわけにはいかないんだろうね。

たとえば、普段通らないような道を車で走っているとき。
自分が運転していないなら、風景を見ながらそれを別に憶えようと意識していなくても、自然に憶えているということがある。
再び同じ道を通ったときに、「これはあの道だ!」と思い出す。風景は、時として変わってしまう場合があるから、あまり役には立たないけれども、意識していないのにもかかわらず、こういう画像記憶はできてる。
たとえば、テレビでたまたま見かけた映画の1シーン。ほんのわずかなシーンでも、観たことのある映画なら、大抵そのタイトルが思い浮かぶ。
なのになぜ、ご近所さんの顔が憶えられないのか。

散々言い訳してきたけど、会社で仕事をしていたときにこの件で支障を来たしたことはない。友人関係においても支障はない。
つまりは、たぶん、とりたてて顔を憶える必要性があると思っていない。つまり、”あまり興味がない”という、我ながらヒドイ結果に気付く…。
いや、覚えろよ、オレ。ご近所づきあいってのも大事なんだからさ。我ながら、感じ悪いわぁ。
これからは、もうちょっと努力してみます。だから、見かけたら声をかけてね。
でも、そのときは名乗ってほしい(笑)
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2010年12月14日

会社は人で出来てます

忘年会の季節ですね。
会社という組織に属さなくなって、もう10年近く経つので、最近の忘年会事情はとんとわからない。
昨今の職場では、いわゆる職場の上司や同僚との飲み会というものが無くなってきていると聞くけれども、そういう職場はギスギスしたりしないんだろうか。

というのも、私には実体験があるから。
入社当初の私は「会社はお金を稼ぐ場所に過ぎない」と思っていて、仕事をきちんとこなせば文句は言わせないくらいのつもりで、定時にきっかり帰るということを繰り返し、上司や同僚とも必要以上に仲良くしようとは思わなかったし、正直興味もなかった。
しかし、それを続けて数年経つと、職場で孤立している自分に気づくわけです。別に仕事に支障が出るわけじゃなかったけど、やっぱりどこかやりにくい…。
「自分の考え方を変えなければいけない」
そう思い直した私は、積極的に上司や同僚と仕事以外の部分でもコミュニケーションを取る努力をした。
仕事の合間にはちょっとした雑談で趣味の話を聞いたりしつつ、飲み会があれば必ず参加し、女子社員同士ではアフターファイブにコンサートやイベントに出かけたりした。
そんな努力を続けていくと、酒が飲める私は上司のアフターファイブのお気に入りとなり、夜の歌舞伎町を連れまわされるまでになった…(苦笑)
仕事の上ではその効果は明白で、意見交換がしやすくなり、自分の心がけひとつから、とてもチームワークの良い職場になるものなんだなと思うようになった。
こちらから積極的に話しかけると、今まで興味を持てなかった相手にも、それぞれに面白い部分があることに気づき、いかに自分が相手のことを”見て”いなかったかを思い知った。
こんな経験があるもので、いわゆる”飲みニケーション”を失った職場がギスギスしないもんかと心配になるわけさ。もちろん、今は経済状況もあるから飲みに行くのは大変なんだろうけど。

とすれば、他にコミュニケーションを図る機会として考えられるのがランチタイム。
しかし、どうやらランチタイムは一人で過ごしたいと考えている人が多いようで、そのことに私は少なからず衝撃を受けた。
あるところにカキコミされた悩み。毎日毎日、先輩女子社員からランチに誘われ、断るわけにも行かず、それが苦痛だと訴える若手女子社員。
すると、それに同意する人が多数。
いろんな人の意見を見ていると、ほとんどの人が、「お昼くらい自由に一人で食べたい」という。『孤独のグルメ』というわけか…。

自分が所属していた会社では、女子社員は同期同士で集まってお弁当を食べるというのが主だった。
私の場合は、他にも職場の先輩や上司などに誘われて外に食べに行くこともあったし、体育会カレー部の1員だったので、月に1度はカレー仲間と周辺の店のカレーを食べ歩いて(走って)いたので、毎日必ず同期と食べていたわけでもないけど。
年数が経つにつれて、同期も少なくなり、仕舞いには、同期一人と一年先輩の一人と3人でお弁当を食べるようになった。
毎日お弁当を作ってくる子もいたし、周りにはお弁当屋さんがたくさんあった。もちろん、お財布が許すなら外食する店にも事欠かない。昼に出るのが面倒なら、出勤途中にコンビニで買ってくるという手もある。電子レンジはなかったけど、お湯はあるからカップ麺は作ることができたし。
そういえば、職場が日本橋だったので、1度みんなで親子丼で有名な人形町の「玉ひで」から昼に出前を取ろうという話になり、その話が盛り上がって最終的には20人くらい集まったと思うのだけれども、出前された親子丼の美味しそうな匂いがエレベーターに充満し、総務から怒られたっけ。
それから、ランチの出前はNGとなってしまった。
でも、自分の部署での繁忙期には何時間も残業することもあり、そういうときは部でまとめて出前を取り、仕事を一時中断して、夕食にお弁当や中華料理なんかを食べたものだ。
職場によっては、周りに食べる所がないという場合もあるかもね。食堂のみとか、給食が配達されてくるとか、弁当を一人で食べるしかないとか。昼休みでも電話番で席を離れることができないっていう人もいるかも。営業だと、出先で食べることも多いだろうしね。忙しい部署なら、サンドイッチをほおばりながら仕事をする人もいるかも。

ちょっと話がそれたけど。
私は、ひとりで食事をするのが苦手で、特に外食となると「食べなくてもいいか」と思うほど(苦笑)
一人で食事をすると間が持たないので、注文した料理を待っている間とか、どうしたらいいのか困ってしまうし、食べ終わったらすぐに店を出てしまう。
誰か付き合ってくれるなら、それが嫌いな人でなければ、ありがたい話だ。
でも、私のように思わない人が多いのだね。
大学生なんかで、誰かと食事をするのがわずらわしかったり、もしくは一人で食事をして”さびしいヤツ”と見られたくないってことで、トイレで食事をする人が増えてるっていう話も聞いたことがある。どちらにしても、”一人になりたい”ってことなんだよね。

たしかに、人間には、一人になる時間は必要だと思う。
だけど、「一人になりたい時間」が「食事の時間」と重なってきたことが不思議だわ。
上記のような経験をした私にとっては、ランチタイムは休憩時間ではあるけれども、会社にいる時間であって、会社の人とコミュニケーションをとる時間でもあったので。そこには”自分の時間”という考え方は無かった。
それはもちろん、個人の自由なのだけれども、過去の私のように、自分で働きにくい環境を作っていなければいいのだけれど。
もうひとつ不思議に思ったのは、携帯電話が手放せなずに常にメールをして「人と繋がりたい」と思う人が増えている一方で、「一人になりたい」と強く思う人も増えているというのが解せない。この二つは重ならないんだろうか。まったく当てずっぽうだけれども、不思議ときれいに重なるような気がするんだが。

ここからは私の勝手な妄想です。
人間には物理的に侵されたくないと思う範囲がありますね。対人距離というそうですが、45〜50cm以内には他人を近づけたくないと感じる。
満員電車なんかではまったく見知らぬ人に完全に侵されますから、ストレスが溜まるわけですよね。
では、物理的な対人距離の他にも、”心理的な対人距離”とでもいうものがあったとしたら?
携帯電話でのメールなどによって、物理的でなく心理的な対人距離を越えて侵入してくることに対して、無意識にストレスが溜まっていくとしたら?
一方では「人と繋がっていたい」と思いつつ、逆に「一人でいたい」と強く思う瞬間がある。つまり、過剰に人と繋がろうとすることの副作用のようなものではないかと。

別にね、飲み会を推奨してるわけではないんだ。
飲みに行ったって、会話が弾まなけりゃ意味が無いし、逆効果でさえあるかも。
ただ、仕事以外の人間対人間のつきあいを無視したまま仕事をしていても、その方が苦痛だってことが言いたいだけで。
職場の人間とて、仕事上の単なるコマ同士でなく、一人の人として対峙しあった方が、やりやすくなるんだって。
一日のうちのほとんどの時間、顔を付き合わせて過ごさなきゃいけない相手なら、歩み寄った方が雰囲気がよくなって、働きやすい環境が作れると思うんだが。
どうせなら、職場でも気分良く過ごしたいじゃないか。別に「飲み会に行け」って言ってるんじゃありません。姿勢の話です。自らコミュニケーションを絶つなということ。

長々と書いてきたけど、結局は私は職場の人間に恵まれていただけなのかもしれないな。それまでツンケンしていた私を、温かく迎え入れてくれたのだから。
一方で、飲みに連れまわされて上司にかわいがられたことから、無意識のうちに派閥抗争に巻き込まれ、会社を辞めるハメになったんだがな(苦笑)でも、後悔はしてない。
すべてを含めて、会社で働くということは、私に膨大な経験をさせてくれたからね。
Posted by nbm at 12:11  |Comments(4)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月19日

16歳の快挙

先日、弱冠16歳にして公認会計士に合格した人がいるとニュースになってましたね。
税理士受験からドロップアウトした私からみると、ほんとにとんでもない快挙だと思えます。

税理士は5科目合格して初めて取れる資格です。ただし、科目合格制度があり1科目ずつ取ることが可能ですから、年に1科目の合格を目指すとか、1〜2科目ずつ勉強して順々に科目合格を積み上げていくことができます。
私が税理士を目指していた当時、同じ部署に居た同僚が公認会計士を目指して勉強してました。その人いわく、公認会計士は、7科目分の勉強を同時にしなければならず、その広い範囲から出題される難問を1度にクリアしなければならないとのことで、税理士試験の1科目でもあっぷあっぷしていた私からすると、とんでもない試験に思えました。
公認会計士は広く浅く、税理士は狭く深く勉強しなくてはならない傾向にあるので、科目ごとに見ると単純に難易度を比較できないのですが。

公認会計士試験が難しすぎるということで、2006年に試験制度が見直されたようです。まず最初の関門である4科目の短答式試験を受験し、合格者はその後2年間短答式試験が免除されるので、その間に次の関門である5科目の論文式の試験を受験できることになったとのこと。
かつての同僚が言っていた”7科目同時”というのは論文式の部分のことで、それが5科目に減ってるみたいですね。その前に4科目の試験を受けなくちゃならないわけだけど、短答式と論文式の科目内容は重なってるみたいです。

以前は、まず一般教養的な1次試験があり、2次で上記のような短答式・論文式の試験があって、それに合格してもなれるのは会計士補。会計士になるには、2年間の実務経験を積んで3次試験を受け、これに合格して初めて会計士になるというものだったらしいです。
これが、かつての2次試験だけ受験すればよくて、資格取得後2年の実務経験で会計士になれるということになったという話。
他にも、受験資格が撤廃されたり、論文式試験に科目合格制度のようなものができたりと、以前に比べれば受験者に優しい試験制度に変わったみたいですね。
短答式試験は今年から年2回に増えているようで、これはありがたいかも。
もし、本気で公認会計士を目指している方は、試験制度について自分でちゃんと調べてくださいね。私が書いていることはあてにならないかもしれないので。

ニュースの少年は”最年少”といいますが、うがった見方をすれば、2005年以前は一般教養的な1次試験からの受験という道はあったものの、実質は大卒もしくは大学在学中でも必要な科目を受講できた3年生以降で受験資格を得た人たちが2次試験から参加すると考えられ、そうするとどんなに若くても20歳くらいがせいぜいという制度だったわけで、高校生以下のチャレンジャーもいたかもしれないけれども極少数だったのでは?ちなみに、昨年は18歳のコが最年少で合格しているとか。
2006年に新しい制度になってからは、受験資格事態が撤廃され、上記のような受験者に幾分優しい試験になっているわけで、一般教養は取っ払っていきなり2次試験から受験資格なしで受験できるようなもの。過去の例と単純に比べるのはどうかと…。

当然個人差がありますから一概には言えませんが、ある資格スクールによる資格取得までの参考とする勉強時間は大体こんな感じだそうな。
日商簿記2級  300時間
日商簿記1級  1000時間
税理士     6000時間
公認会計士   7000時間
司法書士    6000時間
弁理士     7500時間
弁護士     20000時間

今年合格した16歳の彼は、中学卒業直後から中部学院大学で行われていた市民講座に通いつつ1日10時間の勉強で合格したとか。本格的に勉強を始めてから1年ちょっとで合格ってことかな。
中学生の時から公認会計士を目指そうと考えていたらしいですね。その勉強時間を確保するために高校は通信制を選択。これを許してあげた親御さんは勇気があるね。
そしてやっぱり、短期間で難関試験に合格した本人はえらい!試験制度は変わっても、問題が易しくなるわけじゃありませんからねぇ。
ちょこっとご本人のインタビューを見たけれども、会計士が最終的な目標ではないというようなことも言っていたようだし、その若さで合格しても就職するまで現状維持+日々更新される法律についていくのは大変だぞと心配しましたが、合格してなお、復習を怠らない姿勢には感心しました。
どうせなら、司法試験とかTOEICとか、別のものも勉強して、社会に出るまでに鬼に金棒状態にしとくといいと思うんだが、たぶん彼もそう考えていると思うな。ちがうかしら。

以前勤めていた会社でも、当然監査というものがあって、そのたびに監査法人の会計士がぞろぞろとやってきては書類をひっくり返して監査するのにつきあわされたものでした。
チェックされた書類の数字の横には直径3mmくらいの小さな印が押されます。大概それぞれの会計士のイニシャルのアルファベット1字になっていたんだけれども、一人の若手の先生が、”B”という印を使っていました。
”B”ってなんだよ?
その先生の苗字のイニシャルはK。しかし、すでに先輩会計士にKさんがいらしたため、使えなかったと思われます。苗字しか知らない私たち下っ端の人間は、もしかして名前のイニシャルを使っているのかと推測したのですが…。
バビブベボだろ?そんな名前あるか?
で、その先生に私たちがつけたあだ名が
”ビビデバビデブー”
もう若い方のK先生は”ビビデバビデブー”ってことで。
もっさりした感じで、ちょうど『ハリー・ポッターとなんとか』に脇役で出てきそうな、丸メガネと黒いマントが似合いそうな方でしたし。
陰で勝手に”ビビデバビデブー”と呼び続けたのでした。
あの”ビビデバビデブー”も、大変な難関試験に合格した人だったのだよなぁ(遠い目)

毎日10時間も勉強するなんて、脳みそが融けそうだよなぁ。私は平日のがんばった日で6時間、休みの日でもせいぜい1日8時間くらいだったと思うな。効率の問題は置いといても、単純にそんなに長い時間集中力が続かないよぉ。
Posted by nbm at 15:22  |Comments(0)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月17日

解せぬ

今日は、地震の話。
すごく感覚的な問題なのですが、最近、マグニチュードの数字に対する震度が大きく出ることが多いように思っていました。深度が浅いのかと思うと、そうでもなかったりして。
例えば、
10月14日 14時30分 茨城県南部震源の地震はM3.9 深さ約50kmで最大震度3。
10月3日 9時26分 新潟県上越地方震源の地震はM4.7 深さ約20kmで最大震度5弱。
7月23日 6時6分 千葉県北東部震源の地震はM5.3 深さ約30kmで最大震度5弱。
大体、感覚的に、震度はマグニチュードの数字未満になるように思ってました。マグニチュード3程度だったら震度は2くらい、マグニチュード4で震度は3くらい、マグニチュード5で震度4くらい。もちろん、深度が浅ければ、大きめに出ますが。
マグニチュードは計算で算出したエネルギーの値で対数表示ですし、震度はもともと体感などを基準にした指標ですから、双方は単純に比例するようなものではありません。深度や震源からの距離にもよりますし、あくまでも感覚なことなのですが。
上記の茨城県の地震は、深さが50kmのわりには地表にダイレクトにエネルギーが伝わっている感じ。新潟県の地震は、マグニチュードの数字よりも震度の数字が大きくなっちゃってるし。千葉県の地震も、深さ約30kmのわりにはやはりダイレクト感が。

そんなことを思っていたら、究極な例が。
昨日の夜、宮崎県南部で起きたM1.9の地震。最大震度は3でした。ごく浅いとはいえ、このマグニチュードでこの震度には、ちょっと驚き。震源からのエネルギーが途中で増幅されているようだ(苦笑)
この後数時間内に、ほぼ同じ場所を震源としてM1.6とM1.4の地震が起きていますが、それぞれ最大震度は2と1、やはりごく浅い深度でした。2度目、3度目のマグニチュードと震度の関係は見慣れた感じです。2度目は少々震度が大きいように感じますが。

マグニチュードのエネルギーに対して、体感する震度が大きいというのは、どういう意味があるのでしょう?
原因はわかりませんが、地下で起きている地震のエネルギーが、途中で弱められることなく直接地表に届いている、もしくは途中で増幅されている(?)ということになると思います。
たまたま、地質的にエネルギーを吸収しにくい場所だったのかもしれません。しかし、特に地震に関心を持つようになって7年ほど経ちますが、マグニチュードの規模に対する震度が大きめに感じられたことはあまり記憶にありません。今年も後半くらいに入ってから、感じるようになったことです。
沿岸の海洋性でなくて直下で起きているから?それにしては、ここ最近だけなんだよな。震度計の基準が変わってるとか?震度計なんて、けっこうテキトーだからな。それとも、マグニチュードの計算方法の問題とか?
しかし、解せぬ。

2010年10月18日

耳を塞ぐと…

最近、ヘッドフォンやイヤフォンを装着することでうまれる危険性についての話題を立て続けに目にしました。
ひとつは、女性がヘッドフォン・イヤフォンを装着したまま歩いていると、痴漢被害に遭いやすいから気をつけましょうという話題。
もうひとつは、ヘッドフォン・イヤフォンを装着したまま自転車を運転することは、道路交通法では定められていないものの、34都道府県の条例や公安委員会規則等で禁止されていることをあらためて知らせるニュース。
状況が違いますから、二つの話題をまとめて語ることはできませんが、共通して言えることは、ヘッドフォン・イヤフォンを装着すると、危険察知能力が落ちるという問題が根底にあることが言えると思います。
こういうことを言うと、「ヘッドフォン・イヤフォンをしていても、自分はいつも気をつけているから大丈夫」という方がいますが、それは危険察知能力が低下していることを自分で認識していないだけだと思います。
いちいち面倒なんで、ここからはイヤフォンとだけ表記することにします。

当然、ラジオ番組や音楽などをイヤフォンで聴きながら移動していると、周りの音は聞こえにくくなりますよね。
東京都の「くらしの安全情報サイト」に、おもしろいものがあります。イヤホン使用による聴覚感度の低下の体感サンプル音。イヤフォンをしていると、どの程度周囲の音が聞こえづらくなっているかが体験できます。
イヤフォンを装着していて、電車の接近に気づかず、駅のホームや踏み切りで死傷事故となった例も報告されています。上のサンプルを聞くとよくわかりますが、アナウンスや警報、電車が近づいてくる音などが聞こえていなかったのでしょうね。

耳は音を聞くものだと限定して考えていると、音量を抑えて聴いている分には、周囲に常に気をつけていれば大丈夫だと思うかもしれません。
しかし実は、耳は”気配を感じる”器官なのです。いくら音量を下げようが、耳をイヤフォンで塞いでしまえば、その”気配を感じる”器官は使えなくなるも同然。耳を塞いでいなくても気配が感じられない人もいますが、それはまた別の話。あくまでも、元々使える状態にあるものを使えなくしているということです。もっと感覚が鋭敏な人は、鼻でも感じたりするらしいのですが。
もともと耳は、危険性のないような連続した音にはあまり注意を払わないようにできていて、物が壊れたりする突発的で危険と判断される音には鋭敏に反応するのだそうです。
つまり、それだけ危険察知をするための器官とも言えます。
その器官を塞いでしまうのですからねぇ。

なんでこんなことを言っているのかといえば、私もイヤフォンで失敗したことがあるからです。
夜道でバス停から自宅まで歩いているときに、それまではそんなことしたことがなかったのに、その日はバスから降りてもイヤフォンをはずさず、音楽を聴きながら歩いてました。
「こんなことしてたら、襲われそうになってもわかんないだろうな」
とのんきに考えてたら、その瞬間後ろから羽交い絞めにされたんです。
予想通りにタイミングよく痴漢に襲われました(笑)
犯人は、ずっと後ろに乗ってきた自転車を止め、忍足で後ろから付いてきていて、私が無防備だと判断するや、抱きついたのでしょう。
そのときの私は、人が後ろから近づいているなんて、まったく気づきませんでした。気配を感じなかったんです。断っておきますが、普段の私は勘が鋭く、それは過去記事「不思議な話」を読んでいただくとわかると思いますが、その私が、人が近づいてくる気配に気づかないなんて…。
幸いにして、何を思ったか唐突にしゃがんでみたら、羽交い絞めから解放され、悲鳴をあげると、犯人はスタコラ逃げていきました。強く抑えられた唇が腫れましたが、少々胸を触られたくらいで他にこれといった被害はなくて済みました。当然、恐怖心は残りましたが。

ちなみに、被害に遭ったのは、自宅からほんの数十メートル手前。自宅にはすでにダンナさんが帰宅してましたが、これまたヘッドフォンで音楽を聴いていたため、私の悲鳴も聞こえなかったらしいです(苦笑)

ということで、私はイヤフォンをしていることでいかに気配を感じることができなくなるかを身をもって体験しました。
それ以降、イヤフォンで音楽を聴きながら夜道を歩くということはトラウマとなり、ウォーキングが習慣になった時には音楽を聴きながら歩きたかったのですが、恐怖心が先にたって、なかなかできませんでした。
今は昼間ならウォーキング時にイヤフォンで音楽を聴いてますが、音量は控えめ、道の端を歩き、時折後ろを振り向くなどして周囲に気を配りつつ歩いてます。

人間が外界から得る情報は、たしかに目で見ることによるものが大きいと言われています。しかし、目だけでは得にくい情報もあるのですよ。
痴漢被害だけでなく、ひったくりなんかも考えられますから、何も女性だけに限った話ではないと思います。
イヤフォンを装着しているときは、それだけ危険にさらされているという認識は持っていただいた方がいいと思います。女性の夜道でのイヤフォンの使用は、本当に避けた方がいいですよ。
こう言うと、イヤフォンをしていないから襲われないというものではないと思われる方もいるでしょうが、危険を少なくするだけでも違うと思います。油断している人ほど狙われやすいですからね。
痴漢被害に限って言うと、私は不細工だからとか歳を取ってるからなんていうのは通用しません。ヤツら、何でもいいんですからね。いろんな趣味の人がいますし。
多少触られるくらいなら目をつぶろうという勇者もいるかもしれませんが、薬を嗅がされたり、刃物を突きつけられたりすることもないとは言えません。
場合によっては、痴漢でなく、いきなり刺されたり殴られたりすることだってあるかもしれません。

自転車に乗る場合は、私も音楽好きの端くれとして気持ちはわからなくもないです。通勤・通学やサイクリングの時間に音楽が楽しめなくなるなんてと残念に思いますが、事故を起こしては元も子もないんで。そこは、景色を楽しみ、風を感じながら走るってことで。何より、自分は守ってくれるクッションも何もない素の状態でヘルメットもつけず、けっこうなスピードで走る車両に乗っているということを忘れてはならないと思います。
余談ですけど、どうしてこう空白を埋めようとするのでしょうかねぇ。自転車に乗っていても、歩きながらでも携帯電話を操作したい人が多いみたいですけど、どうやら”ヒマ”だっていうことらしいんです。何かして時間を埋めたい。音楽プレーヤーが手放せないのも、「音楽が好きだから聴いていたい」というよりも、「隙間を埋めたい」という感覚が強いように思えてなりません。今のように小型の音楽プレーヤーが普及していなかった時代は、いつでもどこでも手軽に音楽が聴けるわけじゃなかったけど、それがさびしかったわけじゃないし、”ヒマ”だとも思わなかったけどなぁ。

じゃあ、同じ車両として車は音楽を聴いてるじゃないかってツッコミを入れたくもなりますが、車内でヘッドフォンしている人はあんまりいませんね。耳を塞ぐことがよろしくないので。もちろん、爆音でカーステはダメですが。
これも余談ですけど、交通法規に則ってさえいれば、意外と車の方が規則的に動くものだと思うんです。自転車は自由度が高いですからね。ウィンカーもストップランプも付いてないし、手信号をやる人もいません。今目の前を走る自転車が次にどうするのか予測がつかない。交通法規は別にして、歩道も車道も走る。車や歩行者から見ると、自由でスピードがある分、動きが唐突で危ないと感じるのかもしれません。

では、耳を塞がない骨伝導タイプのイヤフォンならどうなんだという話になりますが、どうなんでしょうね。耳を塞がないとはいえ、やはり音は聞き取りにくくなるから、規制の線引きをするとしたらやはりアウトかな。

最近ね、ヒトの危険察知能力はどんどん低下しているような気がしているんです。
想像力の欠如といえばそれまでなんですが、こうすると危ないというようなことに無頓着すぎるような気がして。
イヤフォンをして移動していても危険な目に遭ったことはないという人がいますが、たぶん、自分が気づかないだけで、周りから見たら「危ない」と思われたことがあると思いますよ。

いろんな考え方、立場の人がいますから、たとえ道路交通法で禁止となったとしても、どれが正解とか言うつもりはありませんが、イヤフォンをしていると危険察知能力が落ちるということだけは動かしがたい事実だと思います。
罰金などもありますので、あとは個人の判断、自己責任です。
Posted by nbm at 11:49  |Comments(3)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月17日

大砲と電話

来週の日曜日は陸上自衛隊の観閲式。
ということで、ここ最近は練習をしているらしく、頭上をヘリや飛行機が爆音で飛び交い、空砲を打つ音が聞こえてきます。
今日は総合予行が行われているようで、朝からヘリがうるさいっす。そろそろ大砲の音が聞こえてくるかも。
自衛隊の創設以来、神宮外苑で行われていた観閲式が、朝霞演習場に移ったのが昭和48年だそうで、平成8年からは、海上自衛隊の観艦式や航空自衛隊の航空訓練展示もまとめて、陸海空の持ち回りで観閲式を実施することになりました。
毎年朝霞で観閲式が行われていた頃、演習場に隣接した高校に通っていたため、体育の時間はブルマをはいた女子がわんさかいるグラウンドのネット一枚隔てた向こうで、戦車が地響きをたてて走るという状況。観閲式が近くなると、授業はヘリの音でまったく聞こえず。前日から道には数十メートルごとに機動隊が警戒に立ち、道路では展示用のミサイルが運ばれるというものものしさを経験してきました。
しばらく前から、空が騒がしく、日中に大砲の音が聞こえてきていたので、今年は陸自の年なのだなと思っていたのですが。
この大砲、どんなものなのかと思ったら、榴弾砲というヤツで、最近のものは20〜30kmも射程距離があるそうで、びっくり。そんなに飛ぶんかい。もちろん、観閲式では空砲なわけだけど、離れていてもけっこうな音が聞こえるので、間近で聞いたらものすごい音だと思われ…。
と言っているところで、ちょうど空砲が聞こえた。今日のは、なんだかいつも練習している音より低音に聞こえる気がする。不思議だな。

さて、もうひとつ、音の話。
先日、『ケイゾク』の二番煎じドラマ『SPEC』の中で、電話からは鈴虫の鳴き声は聞こえないという話が出てきました。
電話が伝えるのは、300〜3400ヘルツの周波数帯の音で、それ以外は伝わらない。鈴虫の鳴き声は4000ヘルツあるそうなので、電話の向こうの鈴虫の鳴き声は聞こえないわけですね。

それで思い出したことがあります。
ある年の税理士試験本番。とある大学の校舎で行われていたわけですが、2科目目の試験が始まってすぐに突然非常ベルが鳴り出し、そのけたたましい音は、試験中も止むことなく、試験後も鳴り響いてました。別にそれ以上の騒ぎはなかったので、火災が起こったわけでもなく、うるさいことこの上なかったわけですが、そんな状況でも試験が中止されることはなく、みんな必死で無視して試験に取り組んでました。けたたましい音だったけれど、ずっと同じ音が鳴り続けているというのは、わりと無視しやすいもんです。それとも、非常ベルの音には何か秘密があるんでしょうか。
試験後、終わったことを家族に伝えようと電話をしました。おもしろいからと非常ベルが鳴り響く場所からわざわざ電話したのですが、相手にはその音がまったく聞こえないようでした。私にとっては、相手の言葉を聞き取るのが難しかったのですが、会話は普通に出来ました。どうやら、非常ベルの音は電話を伝わらないらしいとは思ったものの、それがどういうことなのかまでは考えませんでした。
非常ベルの周波数は、鈴虫の鳴き声と同様に電話が伝える周波数に含まれていなかったということなのでしょう。

普段は周波数帯など意識しないのですが、我々をとりまく電波は、使用周波数帯を細かく分けられ、色々なことに使われているのですよね。
そういった中で、総務省の周波数再編にともなって、800メガヘルツ帯の使用が変更されることになり、そのせいで現行使っている携帯電話が夫婦そろって使えなくなるという事態になっているわけで。そろそろ機種変更を考えねばなりませんかねぇ。気に入ってるから変えたくないんだけどな。
Posted by nbm at 13:39  |Comments(2)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

電話に出んわ

さっき、固定電話が鳴ったので、出るとすぐに切れた…。
ムカツク。

たまにある家の固定電話へのワン切り。
携帯電話へのワン切りってのはあったけど、固定電話にもあるんだよね。
残念ながら、うちの電話機は古いので、ナンバーディスプレイがないから、コールバックできませんけど(笑)
実際、何のためのワン切りなのか、ちょっと調べてみた。

ひとつには、携帯電話にかかってくるものと同様に、履歴に残った電話番号にコールバックしてきた人に対して、何らかのサービスに見せかけて金を請求しようという手口。
もうひとつは、その電話番号が現在も使われているかを調べるため。個人宅の番号を記載したハローページは、個人情報保護の観点から存在意義を失っているらしい。情報を載せる人が少なくなっていたり、ハローページも単純に配布されるものではなくなっているのだそうで。ということで、勧誘など商売に使うための情報として、独自に活きている電話番号を確認した電話帳を作っているのではないかという説。
発信番号非通知でかけてくる場合も、その電話が使用されているか否かの確認だと考えられているけれども、固定電話の場合は不在かどうかを確認しているとも考えられ、この場合は窃盗犯の下調べという可能性もあると聞いたことがある。

固定電話が鳴るときは、実家や義母からなど家族からか、でなければセールス。そのどちらかで、両極端だ。
頻度からいえばセールスの方が多いくらいなので、電話に出るときに名前は名乗らないことにしている。苗字が珍しいので、読めない人も多いし。けれども、セールスではちゃんと読んでくる場合も多く、読み仮名つきでデータが出回っているのかなと想像する。

先日、電話が鳴り、いつものように名乗らずに「はい」と出ると、
「○○さん(苗字)ですか?」
「はい」と言うか言わないかのうちに
「××さん(下の名前)はいらっしゃいますか?」
と立て続けに聞かれた。

ここまでだと、相手がわからないので「誰だ?これ」と身構える。
その後、やっと相手が名乗り、修理を待っていた時計店の人からの電話であることがわかった。

こちらが名乗らないのも悪いが、姓を確認したところまでで、自分から名乗るべきじゃないのか?しかも客商売してんだろ?
50代くらいのいい歳こいたオッサンなんだが、癇に障る。ただでさえ、お気に入りの腕時計に傷をつけられ(→過去記事「どういうこった?」)、その後の対応もあまりよくなかったので印象が悪いんだが、このオッサン、まるでなってない。
時計に傷をつけたときも、まず謝りはしたが、「フタが固くて…」と言い訳をした。話を聞いたこちらとしては、言い訳7:謝罪3くらいの印象。態度に「申し訳ない」という気持ちが出てない。どちらかというと、「やっかいなことをさせやがって」的な感じだった。
「修理に出せば直ります」と言うものの、修理代やもともと頼んだ電池交換代については何も言わないので、こちらから「代金はどうなるんですか」と確認すると、やっと「けっこうです」と。誠意のかけらも感じられなかった。
せめてもの救いは、3週間かかると言われたものが、2週間程度で仕上がったこと。
一応、ハミルトンを扱っている店だからと、信頼して任せたのが間違いだった。電池交換さえも、もう頼みたくない。

自分自身、相当頭にきてたんだな(笑)ここまで私が怒ることは珍しいのに。

しかし、翻って自分のことを考えてみると、家族・友人以外に電話をかけるという行為を長いことやってない。
仕事をしていれば、人と電話で会話することは日常的なことだと思うのだけれども、在宅仕事で、連絡はメールで行っていたため、仕事上で電話で話すという行為を忘れてしまっている自分に気づく。
これから就職活動をしなけりゃならないのに、これはいかんね。

初対面の人とでも気軽に話せる私は、コミュニケーション能力は低い方ではないと思い込んでいたのだけれども、長きに渡って社会からほぼ隔絶されていたので、いざというときに当たり前にしていたはずの会話ができないことに気づく。「お世話になっております」とか、自然に言えないや。
性格上、お愛想が使えないのはわかっていたのだけれども、軽いひきこもり生活で、コミュニケーション能力は格段に落ちているという自覚がある。
リハビリが必要かしら…。
Posted by nbm at 11:15  |Comments(4)TrackBack(0) | 日記 , 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月01日

福島群発地震

福島で群発地震が続いています。
始まりは、9月29日の昼。これが、M4.9。次に、同日の夕方にM5.8で最大震度4。ですが、実は最大震度は5弱あったのではないかと後日報道されました。
このあと、最大震度1以上の地震だけでも、3日目の今朝までで30回以上。報道されないそれ以下の小さな地震は無数に起きているのかもしれません。最初に起きた地震の余震と考えられますが、それにしてはちょっと不気味。
連続してまったく同じ場所、しかも10km程度と浅いところでM3前後の規模で多く起きているのが気になります。
このくらいの小規模の地震が続く場合、溜まったエネルギーが小出しに放出されていると見れば怖くないのですが、そこの活動が活発化していると考えると、それだけで溜まったエネルギーが放出し切れるのかと心配になります。
磐梯山に近い地域ということで、火山活動との関係もないとは言えないし。
このあたりは、会津盆地東縁断層帯と呼ばれていて、この断層帯の中には磐梯山や猪苗代湖が含まれているようです。ここは、磐梯山噴火による岩屑なだれが厚く堆積している部分があって、調査が難しいらしく活動周期が不明。つまり、いつ大きな地震が起きても不思議でないということですね?
ちなみに、この断層帯の西側に位置する会津盆地西縁断層帯を震源とする1611年(慶長16年)の会津地震は、推定M6.9、震度6〜7ほどの大地震だったとか。こちらは活動周期が7千年〜8千年ほどだそうで、しばらくないとみていいでしょうか。
磐梯山は、1888年(明治21年)7月15日に大噴火して多数の犠牲者を出している山で、五色沼なんかはこのときに出来たのだそうですが、そんなに新しいものだったんだ。古くは、猪苗代湖もこの火山活動によってできたわけですもんね。
このまま収束に向かってくれればよいのですが…。
Posted by nbm at 11:16  |Comments(3)TrackBack(0) | 地震 , 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

示差性

最近、特に年配の方から見ると、若い女性がみな同じようなメイクをしているために、同じ顔に見えて区別が付かないと言っているのを聞く。

昨日、『たけしのニッポンのミカタ!』という番組で、このことについてとりあげていた。
顔認識研究の第一人者で、文部科学省の顔認知研究のプロジェクトリーダーでもある柿木隆介さんが、解説をしていた。柿木先生は、見た目はちょっと胡散臭いが(笑)どうやら元々は脳の研究をしている方のようで、近年は”かゆみ”を感じる脳の部位を特定したり、なかなか面白い研究をされているよう。
「美人がモテるというわけではない」というテーマだったわけだけど、この先生いわく、大事なのは”示差性”。つまり、他と区別してもらうこと。簡単に言い換えれば、個性と言ってもいいかも。
パッと見で印象に残るかどうかを考えると、美人と、美人ではないけれどもインパクトのある顔をしている人とは、同等くらいの印象の強さがあるよう。
それが直接モテる・モテないにつながるかは怪しいけれども、個性的な顔というのは、思っていた以上に威力のあるものだと思った。

直後に流し見していた別の番組で、たまたま10代から20代前半の若いママさんたちが10人ほど出演していて、みなさんモデルさんのようだったけれども、これが驚くほどに同じ化粧で同じ顔に見えて、苦笑。みんながみんな、これでもかとマスカラやつけまつげで目を強調する流行のアイメイクをしていて、本当に同じ顔に見えた。
示差性説も一理あると納得。

柿木先生の主張をもうひとつ。
これからは、ベビーフェイスがモテるんだそうだ。ちょっと前から騒がれているアヒル口というのがあるが、これも一種のベビーフェイス。
大体、人間は本能的に弱い者を守りたいと思うわけで、たとえば目が大きいとバランス的に幼児の顔に近く見えて、「守ってあげたい」と思わせるとか言うよね。
柿木先生いわく、おでこを丸出しにして、眉山を平らにすると、ベビーフェイスを演出できるんだとさ。
同時に、流行の目を強調するようなメイクを避ければ、示差性も働いて、注目される顔になるというわけか。
ただし、年齢を考えずにこれを真似ようとすると、失敗するとのことで、年齢はほうれい線やあごのたるみなど口元から下に出やすいので、若々しく見せるためには、髪をひっつめたりして顔の上半分にポイントを作ることが必要らしい。

そんなことを言いつつ、柿木先生は最後には「内面を磨くと顔に出て、それが魅力になる」と、元も子もないことを言っていた(笑)
つまりは、小手先のテクニックで魅力的に見せても、中身が伴わなかったらムダよ、ということね。
最近の若い女性に流行っている”盛る”アイメイクは、私も疑問を感じる。だって、素顔に近い方が、きっとかわいい。すっぴんでも勝負できる年代に、それをやらないなんて、もったいない。
なんて、いい年してロクに化粧をしない(できない)私に言えることではないか。

芸能人を見ていると、なんとなく短めのショートカットにする人が増えていて、「来てる!」と思うのだけれども、もしかしてこれもベビーフェイス流行の一端なのかな。
Posted by nbm at 12:13  |Comments(4)TrackBack(0) | テレビ , 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

昇温→熱膨張→降温→破壊?

今日は、若干デンパですので、真に受けないでください(笑)

まずは、気になったのでまじめな別の話題から。
ついに、ヤツらが変異したようです。
インドネシアの豚ちゃんの体内で、人に寄生できるように、ヤツらは周到に準備を進めてきたのです。H5N1、つまり鳥インフルエンザ・ウィルス。
約700匹の豚ちゃんの中で、人に感染しやすいように遺伝子が変異したウィルスが見つかったのは1匹。
調査・分析に時間がかかったのか、2005年から続いている調査で、変異したウィルスが見つかったのは2005年の豚ちゃん。
ということは、それからもう5年経ってますから、もっともっと変異が進んでいてもおかしくはないということですね?
パンデミックも近いかもしれません…。
豚インフルエンザなんて比じゃないですからねぇ。人類滅亡は大げさでも、かなりな被害になってもおかしくないよな。

さて、本題は、ちょいとデンパな話です。

昨日は9月1日、防災の日でしたね。日頃の備えや心構えは必要です。家族と避難経路を確認したり、災害用伝言ダイヤル171の使い方を憶えたり、帰宅難民になったときの対処を考えたり、家具を固定したり。できることはしておくことをオススメします。
最近は、地震だけでなく、豪雨による水害も懸念されてますし、今年は、日本周辺の海面温度が下がらないために”ゲリラ台風”が発生するのではと言う人もいるようです。地下鉄を利用する方や、低地にお住まいの方は、対処といっても難しいでしょうが、せめて気象情報は常に把握しておくとか、考えておいた方がよいかもしれません。

日本で起こった大地震といえば、誰しもが思い浮かべるであろう阪神・淡路大震災(M7.3)が起きたのは、1995年1月17日。
前年の1994年の夏は、記録的な猛暑でした。
当時、観測史上最高の猛暑となった1994年。各地で35度を超える気温が記録され、中には40度に達したところも。そして、残暑が長く厳しかった年でした。原因として、ダイポールモード現象が挙げられ、これが日本の降雨量を少なくして、猛暑となったということでした。
ちなみに、ダイポールモード現象というのは、ラニーニャ現象がインド洋で起きるようなもの。インド洋東部の海水温が低くなり、西部で高くなる現象。

新潟県中越地震(M6.8)が起きたのが、2004年10月23日。
2004年は、1994年に匹敵するほどの猛暑の年でした。山梨県甲府市で観測史上最高気温40.4度を記録し、残暑も厳しく、真夏日の記録が各地で塗り替えられました。
この年の猛暑の原因は、太平洋高気圧が例年より北に偏って張り出したためとされてます。


岩手・宮城内陸地震(M7.2)が起きたのが、2008年6月14日。
これはちょっとイレギュラーかもしれませんが、ちなみに新潟県中越沖地震(M6.8)も、2007年7月16日に発生。
2007年も猛暑の年でした。
北日本を中心に、記録を塗り替えるような猛暑でした。最高気温が40度に達した地点が5箇所・のべ7日間にもなり、そしてやはり残暑が厳しく、各地で9月の月平均気温の最高値を更新。
この年もラニーニャの影響ではないかと言われています。

ここ20年くらいの猛暑の記録を見ていたら、大きな地震が起きる直前が猛暑になっていることに気づきました。
90年代からこっち、例えば最高気温ランキングに出てくる年は、1994年、2004年、2007年。で、それぞれの直後に、デカい直下型・断層地震が起きてます。

そして今年、いわずと知れた記録的な猛暑。
今年はラニーニャとダイポールモードのダブルパンチだと言われています。
デンパなシロウト考えでいくと、様々な気象条件で気温が極端に上がって、それが冷えた後に断層に影響して地震が起きるとか(笑)
たとえば、もろいガラスなんかは、熱したあとに急激に冷やすと割れますよね?物理的に断層にそういった現象が起きているというのは考えられないことではないはず。
気象条件だけでなく、もしかしたら、地下の何らかの活動自体が逆に気温を押し上げていることだって考えられなくない。
これもデンパな話ですが、台風が通過した後に大地震が起きやすいという説もあります。これだって、まったく非科学的なわけではなく、台風の通過には気圧の急激な変化が伴うわけですから、地面が引っ張り上げられたり押されたりするわけで、それが断層に影響を与えたって、おかしくはないのではないでしょうか。
気温が高い状態が続くというのは、高気圧に長い間さらされているということでもありますね。

そうやって考えていくと…
単純に猛暑の後は大地震が起きやすいとすれば、今年の秋から冬、来年の頭にかけてくらいは、特に注意した方がよいのでは?
首都圏も含め、どこかでデカイのが発生してもおかしくないのではないかと思えてきました。
これを機会に、備えを確認しておくことにしようっと。

2010年07月29日

常笑野球

アニメ『おおきく振りかぶって』を観てからというもの、ひとりひとりがいろんな葛藤をしながら野球をやっているのだろうなと想像してしまう。そうして、俄然高校野球が面白く思えるようになったのだけれども、とは言いつつ、地方大会はあんまり観てないんだけど、埼玉県大会の決勝の最後だけ観ることができた。
本庄一vs花咲徳栄。春の選抜で代表だった花咲徳栄。一方の本庄一高は、ノーシード。春の大会でベスト16に入ると夏のシード権がもらえるらしいのだけれども、本庄一高はそうでなかったらしく、花咲徳栄よりも1試合多く戦って決勝まで進んできたチーム。
私が観始めたのは、8回。1−2と先行されていた本庄一高が、この回で1点入れて追いつき、同点で最終回へ。ワンナウトから、おもしろいように”これしかない”というようなヒットが出て、サヨナラ勝ち!まったく狙い通りに打てた感じで、爽快な勝ち方だった。
春夏連続出場を狙っていた花咲徳栄のバッテリーは、orz状態でグラウンドを拳で叩いて悔しがってた。あんな悔しそうな高校球児は初めて観たと思うくらい延々悔しがってたな。まぁ、しゃーないわ。それも人生だ。「いい経験をした」と思える日も来るさ。
試合後のインタビューで、本庄一高の監督は、「勝てると思ってなかったので、甲子園での戦いを考えていなかった。これから考えます」と言っていた。主将で、同点安打を打った葉梨くんは、とにかく明るさを忘れないで戦ったというようなことを言ってた。そういえば、後から考えれば勝てたからというのはあるだろうけど、みんなのびのびとプレーをしていた印象。
あらためて本庄一高のHPを見てみたところ、トップページに「やったぜ!常笑野球 野球部甲子園出場!」とある。”常勝”でなく”常笑”ね。
監督や選手が気負うことなく、のびのびとプレーしていたことがうかがえる。じゃなきゃ、甲子園出場がかかっている大事な決勝の最終回で、あんなにドンピシャなヒットを打ったりすることはできないだろうよ。
実力から言ったら、もしかしたら花咲徳栄の方が上だったのかもしれないが、精神力というか、心の余裕の勝利だったような気がする。
『おおきく振りかぶって』の中でも、緊張したときの精神コントロール方法として、自らに条件付けをし、サードランナーを見て気持ちを落ち着かせるように訓練していたけれども、ああいう訓練というのはやっぱり必要なのだろうな。

2008年は第90回という記念大会のために、埼玉県代表が北埼玉と南埼玉とに分かれて戦い、2校が甲子園に出場できた年。その時の北埼玉代表が初出場だった本庄一高。このときは青森山田を相手に2回戦で敗退。
2008年の北埼玉では参加78校の代表だったわけだが、今回は全県159校の頂点に立った!
以前から言っているけど、埼玉県は鉄道路線ごとに分断されていて、地域同士の交流がないため、まったく知らない学校だけど、常笑野球ってのがおもしろいし、甲子園でもなんとかがんばって1勝でも多く勝ち進んでもらいたい。本庄一高の監督さんは、特定の人間だけが活躍するのではなく、それぞれがいろんな場面で活躍して優勝できたと言っていた。化け物投手や大物スラッガー頼みのチームよりも、こうした全員野球のチームが勝ってくれる方が楽しいもんね。

ところで、この大会、地方大会は結果だけは追っていたのだけれども、1〜2回戦あたりはコールドゲームの嵐。実力差のあるチームがぶつかってしまうからなのかと考えていたのだけれども、4回戦になっても4割強がコールドゲームだったりしてる。
他の県ではどうなのかと神奈川県大会を見てみたら、やっぱりコールドゲームの嵐。コールドゲームって、案外多いんだねぇ。調べてみると、高校野球のコールドゲームは、「5回以降10点差以上、7回以降7点差以上」の場合らしいけど、コールドゲームを採用するか否かは全国で統一されていないらしい。
埼玉県大会は、今回の参加校が159校。11球場で20日間の間に行われていた。ちなみに、神奈川県大会は、参加186校。12球場で、やはり20日間の日程で行われている。タイトなスケジュールで開催する地方大会では、コールドゲームが採用されるのも仕方がないか。
なぜに神奈川を引き合いに出したかって、参加校数が全国最多の最激戦区だという認識だったからなんだけど、今年初めて、その地位を188校参加の愛知県に譲ったそうな。
面白いもので、参加校数というのは年々変化してる。いろんな事情で出場していたものが出場できなくなったり、逆に新設校・新設部ができたことで参加するようになったりするのだろうね。近年だと、学校の廃校や合併によって減る傾向にあるのかもしれない。

自分の出身高校は、在学中は確かベスト8が最高だったと思う。今でもベスト16くらいにとどまっていることが多い(と思う)。当時は、野球部よりもラグビー部が幅を利かせていて、グラウンドを占領していたし、サッカーは部でなくて同好会だった。
それでも、夏の大会は球場に野球部の応援をしに行ったことがある(通学路にある球場だったし)。しかし、炎天下で、よくそんなことができたな(笑)当時の立教高校野球部が練習試合に来て、それを見学したこともあった。「あれが長島の息子らしいよ」と若き日の長島一茂氏を遠くから眺めていたものだ。

基本的には、野球の試合を観続けるのは苦手な方なのだけれども、高校野球はドラマ性が高くて面白いので、ついつい観てしまうのよね。
さて、今年はどんなドラマが待っているでしょうか。
甲子園での全国大会は、8月7日(土)開始!
Posted by nbm at 12:12  |Comments(4)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

そらまめ君

夏は、光化学スモッグの季節。
昨晩あたりのニュースでは、酷暑のため、熱中症に注意するとともに、光化学スモッグにも注意しましょうとアナウンスされてました。
光化学スモッグ…聞きなれない方も、未体験の方もいらっしゃるかもしれませんが、ここ埼玉では日常茶飯事。小さい頃から、「光化学スモッグ注意報が発令されました」というのをいやというほど聞かされてきているので、「だから何?」程度にしか思ってません。いや、甘く見てはいけないのはわかってますが、不思議と埼玉では注意報が多く発令されるわりには、被害としては大したことがない印象です。たとえ、注意報が発令されても、「またかいな」と別に気にせずに外出しますし、洗濯物も外に干したまま。たまに影響を感じたとしても、多少、目がチカチカしたり、息がしづらいのを感じたりする程度です。帰宅したら、目薬をさしたり、手洗い・うがいをしっかりやる程度で。
慣れっこってのも、どうなんでしょうねぇ(苦笑)

そんな地域に生まれ育ったため、全国的に見るとどんなものなのかわからず、ちょっと調べてみました。
昨年、光化学スモッグ注意報が発令されたのは28都道府県。1970年代にピークとされたものの鎮静化に向かっていたはずなのに、近年はまた増えてきている様子。平成19年には10年ぶりとなった九州北部や日本海側で発生し、これは中国から汚染物質が飛んできているのではといわれているようです。平成20年には長野・佐賀、平成21年には山形・鹿児島と、初めて光化学スモッグが発生する地域が増え、広域化しているのだそうですね。

smoke(煙)+fog(霧)でスモッグ(smog)。工場や自動車の排気ガスに含まれる窒素化合物などが、日光の紫外線によって光化学反応を起こして、光化学オキシダント(オゾンなど)を発生させる。これが気象状況により空中にとどまると、人体や農作物などに被害をもたらすことに。ということで、この光化学オキシダントの濃度が0.12ppm以上で注意報が、0.20ppm以上で警報が発令されます。
埼玉県の場合は、晴れまたはうす曇りで、朝方は北よりの弱い陸風、日中は南よりの海風が吹く、気温は25度以上という条件で発生しやすくなるようです。
平成20年の時点でのことですが、過去10年の埼玉県の注意報平均発令日数は、24.3日。発令日数は、毎年まちまちですが、20日前後は注意報が発令されている感じですね。
不思議なことに、県南部よりも県北部の方が発生日数が多かったりするような。そして、秩父地方は極端に少ない。
関東地方全域に目を向けると、意外と、栃木・茨城あたりに多く、千葉や神奈川は少なめ。勝手な想像ですが、内陸で海からの風が届かないような場所に溜まるってことなんでしょうか。

被害を訴えた人の人数っていうのも指標になっているようなのですが、これを見ていると、局地的に100人単位で被害が出てますね。愛知県とか福岡県とか。不思議と、埼玉や東京都では、そういったたくさんの被害は出ていないように見受けられます。

光化学スモッグ注意報が出たことをどうやって知るかといいますと、自治体の防災無線で呼びかけがあります。
防災無線というと、大抵は迷子か迷い人のお知らせなわけですが、夏場ともなると、スモッグ注意報の連発です。
いろいろと調べていたら、こんなものを見つけました。
じゃ〜ん!そらまめ君
国や県のサイトには、「光化学スモッグ注意報は自治体のホームページなどで確認してください」とありました。注意報を知らせてくれるメール・サービスもあるみたいだけど、そんなこと、自治体のサイトを見に来た人じゃないとわかんないよ。まぁ、防災無線は一応聞こえるけどさ。
この、そらまめ君は、環境省大気汚染物質広域監視システム。全国の大気汚染状況について、24時間、情報提供してくれます。「そらまめ君は、空をマメに監視します」…そういうことらしいよ。
昨夜は、いろんなニュースでスモッグに注意とか言ってるわりに、そらまめ君を紹介してくれた番組は皆無だったね。光化学オキシダント濃度だけでなく、二酸化窒素や二酸化硫黄、浮遊粒子状物質なんかについても教えてくれる。浮遊粒子状物質って何?黄砂とか?風向きや気温もわかるから参考になるね。

そらまめ君の分布を見ていると、その時々で、気象条件などにより、光化学オキシダントの発生の仕方が違っていて、興味深いです。光化学オキシダントの発生は天気や気温が関係していて(晴れて暑い日とか)、それが継続するかどうかというのは風向きが大きな要素なんだろうね。

光化学スモッグへの対処を書いてませんでしたね。
お外に出ない。そして、窓を閉める。
これに限ります。
その際には、必ずエアコンで冷房を入れましょうね。じゃないと今度は、熱中症が待ってます。
運悪く、スモッグを浴びてしまったときは、目を洗う、そして、うがいをする。
呼吸困難や痙攣などが起きたときは重症ですから、すぐに医療機関へ。
光化学スモッグが発生したときは、お空がどんよりと灰色がかって見えますから、そんなことも参考になるかもしれません。

熱中症やらゲリラ豪雨やら竜巻やら、注意せねばならないことがたくさんある夏ですが、光化学スモッグにも注意ですね。あら、忙しい!
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2010年06月22日

何に見える?

NHK教育テレビで放送している『見えるぞ!ニッポン』という番組があります。日本の各都道府県をわかりやすく紹介する、地理を勉強する番組。
声オタクな私は、ちょっと見かけたときに、出てくるキャラクターの声にピン!ときました。男の子のキャラクター・みえるくんは、代永翼さんの声。一方、犬のチーズは、釘宮理恵さんの声。釘宮さんは別格の声優さんだとして、代永さんの声は『おおきく振りかぶって』の主人公レンレンで気に入ってしまい、最近では『いちばんうしろの大魔王』のヒロシ役も印象深いところ。
ということで、声につられて、ちょいちょい観てしまいます。

毎回、テーマとして取り上げる都道府県とは別に、クイズが出題されます。都道府県のカタチを何かに見立てて、「これはどこの県でしょうか?」というもの。例えば、今日は「サイの親子」。まったくわからずにいると、正解は「香川県」。
たしか、我が埼玉県は、「さつまいも」に似ていると言われていたような気がするんだけど。諸説あるのかもしれないけど、私が育った川越市はさつまいもの産地として名を馳せているので、その印象が強いのかも。この番組では、もうクイズに登場したのかな?何に見立てられていたんだろう?番組HPでも作れば面白いのに、無いみたいなんですよね。
以前にこのクイズを観て感心したのは、大分県。大分県の形は「どんこ」でした。名物ですもんね。納得しました。
たしか、バカリズムが都道府県の形をネタにしていましたよね。動画を探して見返してみたら、やっぱり面白かった。
どこかで、都道府県を落とした(?)ときの動きを見せる動画があったな。島が多いとバランバランに飛び散ってすごいことになるヤツ…。

きっと、地元ではこう見立てられているというものがあるのでしょうが、あまり聞いたことがありません。
勝手に考えれば、青森県には斧がついてるなとか、高知県はブーメランみたいで投げやすそうだとか、愛媛県や鳥取県は四足の動物みたいに見えるけど両方とも頭が無い(笑)とか、福井県は鍵に見えて、京都府や兵庫県あたりに差し込むのを想像してみたり。

こんなサイトがありました。みんなの知識【ちょっと便利帳】−【クイズ】形で当てよう都道府県
都道府県のそれぞれの形だけを見て、どこか判断しようとすると、私にとって一番難しかったのは長崎県でした。
自分が暮らす関東地方はわかるし、東北地方もなんとなくわかるんだけど、関西以西がさっぱりですわ。近畿地方とか九州地方とか、形だけ見せられても、ピンときません。
そう考えると、日本も広いやね。
Posted by nbm at 10:59  |Comments(4)TrackBack(0) | 気になったこと , 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

呼応

ついにやってきました!ワールド・カップ南アフリカ大会。
迷走なのか、敵を欺く策略なのか、まったく得点の匂いがしないまま本番に突入する日本代表ですが、まぁ、生暖かく見守っていきましょう。

ちょっと前にテレビ放送された、中田英寿さんと本田圭佑選手の対談。見逃していたのですが、YouTubeにあがっていたので、見てみました。今現在は削除されてしまったかも。
中田さんにしても本田選手にしても、嫌いじゃないけど、さほどお気に入りというわけでもないのですが、この対談を見ていたら、なぜか涙がこぼれて仕方がありませんでした。ナゾの感動…。
わたしは、たまにこのような”ナゾの感動”に襲われることがあり、自分でもわけがわからないうちに泣いているということがままあります。感動の理由は、当然そのとき触れたものによるわけなのですが、今回はなんだかよくわかりません。

中田さん…呼びにくいな。どう呼んだらいいか。ここでは便宜的に”旅人”と呼ぶことにします(笑)
旅人は、言わずと知れたすごいサッカー選手でしたね。この方とささいな共通点がある私としては、勝手に親近感を覚えているわけなのですが、今のところ、旅人ほど世界を舞台に活躍した日本人選手はいないんじゃないでしょうか。
4年前、ブラジル戦終了とともにピッチに倒れ込み泣いていた姿は、今も鮮明に憶えています。

一方の本田選手。ビッグマウスと言われつつ、旅人と同様に早くも海外に飛び出して、着実に力をつけてきているように思えます。実は小心者なのかもしれないけど、若さに任せての勢いだけかもしれないけど、結果はなかなか出せてないかもしれないけど、それでも期待を持って見てしまうのは、やはり、周囲の雑音をものともせずに、強い気持ちを貫き、「やってやろう」という気概が感じられるから。

この2人、周りと協調しづらいという共通点はあるものの、性格的なものや、考え方などは違うと思うのですが、それでも、対話を聴いていると、置かれている(置かれていた)ポジションが似通っていて、ものすごくお互いを理解し合えているのがビンビン伝わってきます。

魂が呼応している。

そんな風に思える対談でした。
真剣に、純粋に、サッカーを語る。偉ぶることなく、後輩に教えてあげられることはすべて授けようというような旅人。この日、旅人はラフなスタイルで対談に望んでましたが、あれが自前の衣装なら、相手にリラックスしてもらおうと思ってのことでしょう。逆に、本田選手は着崩してはいるもののスーツ姿でした。偉大な先輩に対して、敬意を表していたのでしょう。
語られることは、率直で直球な言葉ばかり。それでも、互いへの敬意はふまえているので、「感じ悪〜い」と思う部分が一切ない。言葉にして語られない部分も、互いに「それはわかってるよ」とアイコンタクトで分かり合っているように見えました。言葉にする度に、互いに「やっぱりそうなんだ」と納得しているのが伝わってきます。互いに持っているカードを出す度に、同じカードだった!みたいな。
こんなに噛み合う対話を見ることは稀だなと思えるくらいの、いい対談でした。

一番印象的だった話は、日本は「練習なら強い」って話でした。
海外と日本との違いは、練習でも本番同様に”削られる”し、何よりも個を前面に出してゴールを決めないと評価されない。日本より確実に格上である海外のやり方・考え方を真似ていかないと、少なくとも気持ちの上では勝てっこないね。もちろん、スピードや協調性みたいな日本人の持つ特性ってのもあるけど、それだけじゃ勝てないことがはっきりしてきたような気がする。
旅人自身、チーム内のバランスを優先して、個を封印し、どっちつかずになってやりきれなかったことに後悔を感じているようだったし。

実のある対談をしたからって、実戦に即効性があるとも思えないけれども、本田選手自身が「背負ってる、背負ってる、って、一体何を背負ってるっちゅうねん!」(意訳)と言っていたように、別に失うものなど何もないのだから、ダメモトってことで、個人の力を最大限に発揮してがんばっていただきたいです。

ニワカのくせにすみません。
世界の選手で、私が一番注目しているのは、イニエスタ選手です。ケガしたみたいだけど、大丈夫かなぁ。
昨夜の『アメトーーク』で、やべっちが注目選手にシャビとイニエスタを挙げていたのだけれども、そこに後からデコも加えたのを観ていて、「ゲッ!私と趣味がかぶってる!」って思いました(笑)デコも以前から好きな選手。それに加えて、趣味の似ているやべっちオススメってことで、シャビにも注目すべきだなと思いました。
では、みなさん!寝不足な日々になると思われますが、4年に一度の祭典を楽しもうじゃありませんか!

2010年05月15日

危機回避能力

直接自分とは関係ない話ではあるのですが、なんだかショックだったので、書きとめておくことにしましょう。

数日前、大阪で起きた列車事故。女子高校生が亡くなったそうです。実はこれ、反対側のホームにいた友人の所へ、ホームを下りて線路を横切って向かい、同様にして自分側のホームに戻るときに、運悪くこの駅を通過する予定の快速急行がやってきたということらしいのです。女子高生は2人で、ホームからホームへと移動していたらしいのですが、帰りに後ろの1人がホームに手をかけたところで…。この時、片側には列車が停車していて、快速急行の運転手にしてみれば、停車車両の陰から人が急に飛び出してきたという状況だったらしいです。通過する駅だったんだし、ブレーキっていったって、止まれるわけがありません。このコたちの通う高校の生徒は、時折”肝試し”と称して、この線路渡りをしていたのだとか。高校の先生は見回りをしていたのだそうですが、この日は先生の到着時にはすでにこの事故が起きていたといいます。見回りしているくらいだから、当然学校でも注意はされていたことでしょう。なのに、なぜに?

これに関連して。
ここ数年、各地で、若者が電車の上によじ登り、架線に触れるなどして感電する事故が何件も起きていることを知りました。
最近に限った話じゃないのかもしれないけど、
電車がどうやって動いているのか、少しでも知っていたら、架線に触れることが危険であることはわかると思うのですが。
私とて、詳しいメカニズムは知りません。でも、電車の上を通っている電線に高圧の電気が流れていて、そのエネルギーで電車が動いていることくらいはわかります。そして、高圧の電流が流れている電線に接触すれば、おそらく命はないであろうことも。
高圧であると、電線に直接触らなくても、空中に放電しているかもしれないから、近づいただけでも危険だという話もありますし。

知識のあるなしということにとどまらず、ヒトの危機回避能力が落ちているということはないんでしょうかね?
何を知らなくても、命に関わることであれば、知識として憶えていくし、自分の身に危険が及べば、どうすればいいか考えると思うのですが。どうも、そういう方向へエネルギーを使うことを切り捨てている人間が増えているような気がしてなりません。
若い時分ってのは、ムチャをする時期ではありますが、それとはちょっと違うような気がして。若い人だけじゃなくて、死に至るような危険、ひいては死そのものを軽くみているような。「別に死んでもいいや」的な心が、どこかに隠れているような。
例えば、暑い日に車の中に子供を放置したりとか。ケータイを操作しながら自転車に乗ったりとか。河川敷でのバーベキューで酔っ払って川に入り流されていくとか。何かの加減で死ぬようなことになりかねないのに。

人間という生物は、ちょっとしたことで簡単に死ぬ生物だと思います。私も、「絶対に死んでたまるか!」みたいな気概は自分にまったく感じないので(笑)危機的状況に陥ったら、ペロッて死んじゃうと思うんですが、もうちょっと、人間という種が全体的に”生きること”に執着していかないと、あっという間に衰退して、人類は滅亡していくのではないのかなぁ、なんて考えてしまいました。
Posted by nbm at 10:45  |Comments(0)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月23日

ストレス・コーピング

昨日のこと。
何やら外で女性が叫んでいる声と子供の泣き声がするなぁと思っておりました。様子からして、おそらくお隣。ちょっと騒ぎが長いので、どうしたんだろうと心配しているときに、「ピンポーン」とうちのチャイムが鳴る。出てみると、やはり隣の奥さんだった。お子さん(幼児)をひとり家に置いて、駐車場にちょっと行って戻ってきたら、どういうわけか玄関のドアが開かなくなってしまったという。私もカギを借りて差し込んでみるのだけれども、シリンダーがまったく動かない。詳しいことがわからないけど、ドアの内側でお子さんが泣き叫んでいるので、なんとか早くドアを開けてあげないと…。たまたまダンナさんが早く帰っていたので、家に戻ってダンナさんに「緊急事態!」と助けを求める。「ベランダ側の窓は開いてますか」とたずねると、開いているはずだということなので、早速ダンナさんがうちのベランダからお隣のベランダへと侵入し、窓から失礼して玄関へ。お子さんは、突然ベランダから現れた強面のおじさんに恐怖していた様子だったらしいけど、内側から鍵を開けてママと再会できたら、安心した様子。よかったねぇ。別れるときには「バイバイ」と手を振ってくれました。
マンションなので、近所づきあいなんてものはなく、お隣とて顔を合わせることもほとんどないくらいなのですけれど、困ったときはお互い様ってことで、お役に立ててよかったです。

さて、話は変わりまして。
数日前、偶然知人と会いました。
その日は、ちょっと遠いスーパーまで自転車で買い物に出かけました。いつもはそんなに買い物に時間をかけない方なのですが、その日はどういうわけか、ぐだぐだと時間がかかってしまい、なんでこんなに時間がかかったんだかと疑問に思いつつスーパーを出ました。
荷物を積んで自転車を漕ぎ始めてすぐ、ベビーカーを押しつつ、もう一人小さなお子さんを連れたママさんとすれ違うのですが、その瞬間、お互いに「あれ?!」って(笑)知人でした。
「ははぁ」と思いましたよ。偶然人に会うときは、いつもこうです。予定がずれこんだりする。会うべくして会うんです。買い物に異常に時間がかかったのは、こういうわけだったか(笑)
以前近所に住んでいた方で、当時はシングルマザーだったのですが、再婚されて引越しをされたのです。私も引っ越したのですが、引越し先がまたわりと近かったので、こうして偶然会うことがあります。でも、もう数年会ってなくて、年賀状をかわすくらいの間柄。この方、実はもう成人するかというお子さんがいらっしゃるのですが、今のご主人との間に新たにお子さんを2人ももうけられたので、今また育児の真っ最中。
あまりに久しぶりに会ったので、しばらく立ち話をしていたのですが、実はしばらく前までうつ病で大変だったとのこと。小さなお子さんを抱えて、さぞ大変だったことだろうな。今はだいぶ良くなって、薬も飲んでいないということだったのですが、まだ症状が出ることがあるとのことでした。ご主人との関係も良好そのものだし、上のお子さんとも仲良くやっていると思われ、またまたお子さんにも恵まれて、仕事もうまくいっている様子。しごく順調な生活を送っていたはずなんだけど、なぜに?という感じ。深く聴いてはいませんが、ご本人も病気になった原因に思い至っていないような。
ご自宅で美容関係のお仕事をされてるので、きっと忙しくしているのだろうなと勝手に思っていたのですが、わりとゆったりしたスケジュールでやっていると聞き、「んじゃ、遊びに行くね」と約束して帰ってきました。

うつ病といえば、何か強烈にストレスとなるマイナス要因があったりして、そういったものが引き金になるのだと思い込んでいたのですが、そうではなくて、本人も気付かないうちにゆるやかになるものもあるのかもしれないと思いました。

先日、テレビ番組で、うつ病にならないため、またはうつ病の治療のための4つのストレス対処方についてやってました。番組HPはコチラ
「積極行動型」は、一休みするより、積極的に問題を片付けようとするタイプ。
「気晴らし型」は、ショッピングをしたり、同僚と飲みに行ったりしてストレスを発散するタイプ。
「否認型」とは、ストレスの原因となる問題を見て見ぬふりをして、先送りにするタイプ。
「回避型」とは、嫌いな人とは会うのを避けてひきこもるなど、ストレスそのものを回避するタイプ。

この4つのストレス対処法のバランスが重要なのだそうですよ。たとえば、一見すると理想的に思えるような「積極行動型」だけでは、解決困難な長期化する問題に直面しているときなどは、逆にうつ病を発症・悪化させることになりかねないらしいです。否定的に感じる「否認」や「回避」という考え方も、精神の健康を保つためには実は必要であるというのが面白いですね。
このバランスを見る診断テストがあったのですが(番組ケータイサイトからなら診断できます)、やってみると、私はバランスがとれているようでした。診断テストの結果は、
「積極行動型」11
「気晴らし型」13
「否認型」  13
「回避型」  11
タイプ的には、「気晴らし型」と「否認型」が少々強いので、気晴らししながら、見て見ぬふりをして問題を先送りにしているらしい。たしかに。気晴らしも放置も、すごく自覚してます(笑)今まさに、重要な問題を放置してたりするんですが、それは今そこに突っ込んでいくと、自分が壊れる危機感があるからです。もうちょっとエネルギー充填してから突っ込んでいこうと思ってて。それがいつになるかわからないけど。てへっ。
あくまでもバランスが重要で、一つの項目だけ突出していたりすると、良くないみたいです。

以前は、自分の精神力にわりと自信があったのですが、ここ数年でその根拠のない自信を持つのはやめようと思い直しました。自分が精神の健康を保つには、努力というと語弊があるのだけれども、やった方がいいこと(場合によってはやらない方がいいこと)をやるべき(またはやらないべき)だという考えに至りました。
まさに、重要なのはそのときどきのバランス。私はたぶん、時期的にこの4つの対処法をミックスしつつ割り振ってます。基本は「気晴らし&否認」なんだけれども、スイッチが入るとガーッと「積極行動」に出て一気に片付け、また「気晴らし&否認」に戻るということを繰り返しているような気がします。今は、思いっきり「回避」してますけど、たぶんそのうち「積極行動」に切り替える時が来ます。ある程度、意識的にやってるんだなぁ。

2010年04月22日

<冲方丁『天地明察』本屋大賞受賞記念>○×考察

冲方丁さんの『天地明察』が、今年の本屋大賞を受賞されたそうであります。
大賞候補作品中、私が他に読んだのは、小川洋子さんの『猫を抱いて象と泳ぐ』のみなので、大きなことは言えませんが、納得の結果でありました。納得しているのが私だけでない証拠に、本屋大賞のHPに掲載されている得点を見れば、『天地明察』がダントツの得点を得ていることがわかります。2位以下に大差をつけての大賞受賞です。おめでとうございます!
『天地明察』については、コチラの記事をどうぞ。
冲方作品としては、他に
『マルドゥック・スクランブル』シリーズ(過去記事「愛すべきねずみたち」
『オイレンシュピーゲル』『スプライトシュピーゲル』シリーズ(過去記事「ザッピング・ライトノベル」
を読んだ程度なのですが、好きな作家さんのひとりであります。『オイレンシュピーゲル』・『スプライトシュピーゲル』はそれぞれ何巻まで読んだかわからなくなっちゃって(笑)そのうえ『テスタメントシュピーゲル』ってのも始まってるそうなので、シュピーゲル・シリーズは頭の中でいつか整理しないとな。
『マルドゥック・スクランブル』は、一度頓挫したアニメ化計画が新たに進んでいて、「第一部 圧縮」が今年の秋に劇場公開される予定。PVがYouTubeに残ってました。個人的には、バロットが林原めぐみさんというのはピンとこないのですが…。なんといってもウフコックの変身シーンに興味があります。ウフコックは普段は金色のねずみの姿をしてますが、亜空間にある物質を呼び出して、自らを武器に変身させたりするんです。主人公のバロットがもともと少女娼婦ですし、全体的には際どい内容のお話なので、レイティングがかかるでしょうか。

こんなことを書くつもりじゃなかったのに、横道に逸れました。
いや、『天地明察』の中で気になっていたことがありまして。
それは、数学の道場での話。掲げられた問題に対して解答を書き込むと、その解答が正しい場合、”明察”と書き込まれるわけです。現代の私たちで言えば、”○”をもらうようなもの。
たとえば、海外では、不正解は”×”でも正解は”チェック(レ点のようなカタチ)”が多いと聞きます。選択式の場合は、選択項目に”チェック”でなく”x”を付ける場合もありますし、混乱しそうですね。海外で”○”を使う場合は、その部分を囲んでいるということらしく、「正解」という意味とは違うようです。「正解」の意味として”○”を使うのが日本だけかどうかはわかりませんが、少数派ではあるのでしょうね。
江戸時代に、正解に”○”を使ってなかったとしたら、どこから”○”になったのだろう?と思いまして。

調べていくと、「三省堂ワードワイズ・ウェブ」にこんな記事がありました。
”×”については、「凶」の字に含まれることなどから、悪いものの象徴とされ、呼び名としては「罰」からきているというように認識されているようです。でも、それは明治時代以降。古来、注連縄などの”〆”からきているという説もあり。
しかし、”○”については、その出所がよくわからない。たしかに、太陽を思わせたり、切れ目がなく完全なものを表すカタチではあるのですが、記号として使われるようになった経緯がよくわからない。江戸時代の俳諧の「丸五点」(輪五点)が、採点として”○”をつけた走りではないかと言われているようなのだけれども、記号論として誰も細かく研究してないのかな。

福沢諭吉が慶応義塾で初めて”○”を採点に使ったという説もあるようなのですが、”○”よりも”△”の方が数段格上だったらしく、これを始まりだとするのには、ちょっと違和感がありますね。

たとえば、家紋や屋号などのシンボルとしての記号は、もっと昔から使われていたのでしょうが、ひらがな・カタカナを含め。漢字を元とした文字以外の記号というものは、ずいぶんと歴史が浅いという印象です。早くても江戸時代くらい?句読点を始めたと言われているのは、二葉亭四迷だから、明治になっちゃうし。
文学が庶民に広がり、塾や学校のような教育機関が整備されていくにしたがって、こういった記号が一般化していったのでしょうね。
逆に言うと、漢字という文字自体に意味を持つものを使ってきたことによって、記号の発達が遅れたといえるとか?だったら、中国や韓国での記号の発達はどうだったんだろう?
いや、あまり深入りしてはキリがないので、この辺で。

日本以外では、”○”に良いイメージを持つことはないようで、どちらかというとゼロを連想したりして良くないイメージを持つような。国旗が日の丸だったり、”丸くおさめよう”とか言っちゃったりする中で育っちゃうと、抵抗ないんだけどね。
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2010年04月21日

<阿漕>と<メーデー>

ギター関連のことをネットで見ているときに、<アコギ>という文字を見て、「あこぎな商売」とか言うときの<あこぎ>って何だろう?と疑問に思いました。漢字ではどう書くんだろうな。
そこで、即座に辞書を引くと、<阿漕>とありました。その後に続く語句の由来は衝撃的なものでした。
(三重県津市の地名から)非常にずうずうしいやり方で、ぼろいもうけをねらう様子。(新明解国語辞典)

なんてひどい!これでは津市阿漕の方たちが、まるでみな時代劇に出てくる悪役の越後屋かのような言われようじゃないですか(笑)
どういう経緯でこうなったのか、もう少し詳しいことを調べてみましたよ。
三重県津市には阿漕ヶ浦という海岸があるそうで。そこに古くから伝わる話が由来になっているのですね。阿漕ヶ浦は伊勢神宮にお供えする魚を獲るための禁猟域だったのに、ある漁夫が密漁をしていて、何度捕らえても密漁をくりかえしたのだそうな。それが平安時代の歌集に載ったり、世阿弥作といわれる謡曲のネタになったりしている。
んで、室町時代頃になると、「度重なること」の比喩として<阿漕>が使われるようになり、近世以降には「しつこいさま」という意味になっていく。
これが、時を経てもっと変化して、「強欲であくどい」というような意味に変わっていったとさ。
阿漕という地名をご存知の方なら、ピンとくるのかもしれませんが、関東で生まれ育った私は残念ながら阿漕ヶ浦を知らず…。

さて、もういっちょ。
飛行中に青い炎に包まれた飛行機の謎というのを、テレビ番組で放送してた。これについては、火山の噴火があって、その火山灰による摩擦で静電気がおきたための炎ということだったのだけれども、なんとタイムリーな!火山灰の噴煙自体もエンジンに直接悪影響を及ぼすことは充分に想像できるけれども、静電気が起きるんだね。
この事故を教訓に、火山の噴火があった場合の対処について、飛行マニュアルが変更されていったということなんで、今回のアイスランドの噴火による混乱も無関係ではないよな。

ここで気になったのは、、<メーデー>という緊急時に使われる言葉。放送されていたもののもともとの番組はナショナルジオグラフィックのもので、番組タイトルが「Mayday」だったんだよね。だけど、どう考えても、5月1日のメーデーとは違うよね?
航空無線ではSOSの時に「メーデー」って言うらしいんだが、それはフランス語を英語に音訳したものだという話。フランス語の「m'aidez」(助けて)から来てるのか。英語で言うと「Aid me」か。なるほど。
日本語だって、外来語はたくさんあるわけだけど、英語にも外来語があるというのが理解しずらいのはなぜなんだ?ただでさえ外国語なのに、その上その外国語から考えても外国語かよ!みたいなことが理解しずらいのよね、きっと。

ちなみに、船舶でも無線が普及した頃から「メーデー」は使われていたそうだけど、航空機にせよ船舶にせよモールス信号時代なら「SOS」だよね。だけど、その「SOS」がお払い箱になってたのを知らなかったよ。
モールス符号による遭難・緊急通信は、1999年で廃止されたんだって。今は、「Global Maritime Distress and Safety System(GMDSS)」ってのがあって、専用発信機を使うことになってるらしい。自衛隊やアマチュア無線、一部の遠洋漁業なんかではまだモールスが使われるそうだけど。そりゃそうだよな。考えてみれば、いまだにモールス信号ってのも大時代的か。だけど、自分が無人島に流されたとしたら、やっぱり砂浜にはとりあえずデッカく「SOS」って書くだろうな(笑)
ちなみに、「SOS」は頭文字をとった略語などではなくて、言葉としての特別な意味はないそうな。打電しやすく聞き取りやすい符号を組み合わせて作られたものということらしい。

ということで、気になった二つの言葉の語源をメモしておきました。
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2010年04月05日

脳が混乱する味

朝、ダンナさんを送り出すと、玄関に何やら黒くて小さなものが落ちている。なんだコレ?拾いあげてみるとそれは…サルミアッキ!(爆)

SALMIAKKIとは、知る人ぞ知るフィンランドのキャンディ。リコリスと塩化アンモニウムでできた黒い塊。”世界一まずい飴”としてその名を轟かせているアレ。
しばらく前に、友人が大量に入手したという情報は聞いていて、それを配られた仲間内からも評判は聞いていたのだけれども、まだお目にかかっていなかった。
つい先日もテレビ番組でまずいものの代表選手として、韓国のホンオ・フェ(発酵させたエイ)などといっしょに紹介されていたけれども、タレントさんたちはサルミアッキを口に入れて一拍置くと、次の瞬間にセット裏にダッシュしていたっけ。

そのサルミアッキがなぜ、うちの玄関に落ちていたかというと、かの友人がゆうべうちに遊びに来て、たまたまサルミアッキを持っていたのだけれども、帰り際に箱から出てしまったサルミアッキがポケット中に散乱しているのに気付いて、そこで箱に戻していたのだよね。そのときに落ちた一粒だったのでしょう。すごく簡単な包装で、タバコのような紙箱のふたを開ければ直にサルミアッキが入ってたからな。

ゆうべ、友人がひょいとうちに立ち寄ったのですが、いきなり
「今日、体調はいいですか?」
と聞いてきた。
なんでそんなことを聞く?と思ったら、次の瞬間、彼のポケットからは白黒ダイヤ柄の箱が!
「あぁっ!サルミアッキ!」
というわけで、おそるおそる一粒いただいてみましたよ。
友人本人はというと、もう食べ慣れてるという体で、まるでそれがフリスクか何かかのように自然な感じで口に運んでました(笑)

感触は少々やわらかめ。匂いを嗅いでみるも、臭いはしない。
思い切って、お口にポン!
「ん?」
その味の情報が、舌から脳内に到達するまでちょっとタイムラグを感じる。次の瞬間、味わったことのない味に、脳内が大混乱し、私は眉間にシワを寄せ、両手で頭を抱えつつ、何度も首をひねる動作を繰り返してました。
”苦い”というウワサも聞いてましたが、苦味はあまり感じません。まず感じるのは軽い塩味。次にこれまた軽めの甘味。んで、全体的に感じるのはたぶんリコリスとアンモニアの風味。リコリスの風味はリコリス風味としか言えませんね。それが経験上あり得ない組み合わせなので、脳内が大混乱。とても複雑な味で、解析できない…。一言で言えと言われれば、確かに”まずい”!
今までの経験上、一番近いものを脳内データベースから引っ張り出すと、それは昆布飴。あの磯のかおりと甘味のミスマッチ感覚。グルタミン酸の旨みと砂糖の甘味は、煮物なんかには定番の組み合わせなはずなんだけど、あくまでそれは醤油や塩の味がメインで、脇役の味として使われることに意味があるんだよなと納得させられるような。しかし、昆布飴さえもう何十年も口にしてないよな。

たとえばメントスにもリコリス・ミントってのがあって、よく食べてたけど、まずいとは思わなかったな。リコリスは甘草の一種らしいから、自然な甘味があるってこと?風味の成分はグリチルリチンってことか?漢方だと消炎作用があるってことになってる。
グリチルリチンは目薬にもよく使われているようで、目薬をさしてすぐに横になったりすると、喉の奥に甘苦い味を感じて気持ち悪いことがあるけど、あの甘苦いのはこのグリチルリチンの味だったりするらしい。

んーわかったぞ!サルミアッキの味が!
つまりは、あの目薬の甘苦さを舐めている感覚か。苦いとはあまり感じなかったけど、思い出してみるとわかる。あのなんともいえない風味。それにしょっぱさが加わってるんだよな。しかし、なんで塩化アンモニウムを加えなきゃならなかったんだろうな。えもいわれぬ”えぐみ”は、このせいだと思うんだけど。塩化アンモニウムは塩味でしかも苦くてえぐいってことになるらしい。

さて、私が口に入れたサルミアッキ。
最後まで舐めきろうとチャレンジしたのですが、途中から「なんでこんな飴ごときのまずさを我慢せにゃならんのだ!」とふと我に返り、半分くらいの大きさになったくらいでギブアップ。
下手にがんばってしまったため、そのまずさは舌に残ってしまい、ずっと取れませんでした(苦笑)

なんていうんだろう。普段しない体験をして、脳みそのあまり使ってなかった部分が活性化される感じってあるでしょう?
それをお手軽に体験させてくれるのがサルミアッキのいいところだな。あの脳が混乱する感覚は、初めてギターを弾いたときの感覚に似ていなくもないわ。
初回しか体験できないだろうけど。
機会があればぜひ!
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2010年04月04日

反響空間

今日はまず、愚痴から。
また、『プライミーヴァル』第1話を観逃した!どんなドラマかはコチラ
やるなら「やる」って言ってよ、NHK!
気付いたのはもう終了間際だった…。
もう。
日曜の朝から、しかも10:50とかハンパな時間から始めやがって…。
来週から録画します。くすん。

新番組が始まるこの時期は、油断できんな。

あんまりテレビを観なくなっているわけですが、チェックしている番組があります。
それは…野村義男『めざせ!ロック・ギタリスト』(爆)
とか言いつつ、やっぱり第1回は見逃しました。そして、すかさず再放送を録画予約しましたよ。なんかNHK教育の『チャレンジ!ホビー』枠っていうと、幽かな抵抗を感じますが(笑)、よっちゃんが教えてくれるっていうなら、とりあえず観ない手は無い。
しかし、こんな番組が始まるなんて、どんだけおっさん連中がギターを始めてるんだか。
NHKの趣味講座といえば、ちょっと前に放送してた『デジタル一眼レフで巡る ローカル線の旅』ってのはよかった。特別、鉄道に感心があるわけじゃないんだけど、講師の広田尚敬さんの鉄道写真は、とっても躍動感が感じられるもので、観ているだけで楽しかった。思わず、秩父鉄道に乗りたくなったもんな。

あとは、当然アニメ(笑)
このクールは本数が少なくて、助かります。やっぱりもうアニメ制作は本数的には減る傾向にありますね。うちが、気が違ったかのようにアニメを観出してから数年が経ちましたが、一番制作されるアニメが多かったとされる2006年あたりはとりこぼしている作品も多かったため、うちとして観る本数が一番多かったのは昨年でした。しかし、このクールはそれよりも10本以上少ないようです。それでも週20本くらいありますが(笑)
昨クールからは、クオリティの低い作品が極端に減った印象です。
個人的に一番楽しみにしていたのは、『おおきく振りかぶって』第2期。あまりに楽しみにし過ぎて、第1回のOPが始まった途端にナゾの感動をしてしまい、目から変な汁が…(苦笑)

さて、話は変わりまして。
以前に、「ナレーションや番組構成が好みじゃなくなったからもう観〜ない」と思った『世界遺産』ですが、4月からは深津絵里さんがナレーションを担当されるということで、また観ようかなと思いはじめています。深津さんの声って、かわいらしいけど少し深みがある。なかなか良い人選なのではないかと思って。

うちは、”アニメオタ”というよりは、”声優オタ”若しくは”声オタ”のような感じなのですが、独自の理論がありまして。それは、骨格について。
声優さんの中でも、第一線で活躍されている方のアゴの骨格を見ると、みなさんガッシリされてます。エラが横に張り出しているという方だけでなく、一見わかりにくいけど、よく見るとアゴが奥に向かって広がっている方多し。
声質には声帯の強さ・器用さというのももちろん関係すると思いますが、声の響きはアゴの骨格がモノを言うと確信しています。アゴの骨に反響する音が大事なんだなと。
深津さんも、実はわりとガッシリ。

そこで、今日、発見したことが!
うちのダンナさんの声は、とっても響くのですが、アゴは細く、上記の理論には当てはまらない。本人いわく、実は声が上半身に反響しているというのです。長いつきあいですが、今日まで気付かなかった…(笑)
喉の下、胸のあたりを触らせてもらうと、声を出しているときに震えて反響しているのがわかります。ちなみにと自分で試してみましたが、そんなふうには震えません。ダンナさんは、上腕の辺りも震えてます。あんた、どうなってんだよ?
うちのダンナさんは、骨格がちょっと変わっていて、大男でもないのに胸囲が1m以上あるのですが、筋肉も無くはないけど、それは主に肋骨がデカいからで、ちなみに肺活量もバケモノ級です。たしか7000mlとかあったはず。
というわけで、人並みはずれた上半身の骨格に、声が反響してよく響くようなのです。
やっぱり骨格って、声に影響するんだなぁ。

どうやら自分は声帯が細いようで、あまり声が前に出ないタイプ。専門家の方には、それを補うために腹筋を鍛えなさいと言われたことがあります。普通にしゃべっているつもりでも、声が小さくなっちゃうみたいで。だから、大きくはっきりと声が出せる人がうらやましい…。

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2010年04月03日

ニセモノ感

今日は毒を吐きます。
一個人のことを軸にお話ししますが、その方を批判する意図はまったくありません。自分の感覚についての話ですので、あしからず。

しばらく前に、某番組でとあるスタイリストさんに密着取材をしていました。今、大人の女性向けのファッション誌で絶大な人気を誇る方なのだそうです。ファッション雑誌を手にしなくなって、おそらく10年以上経ってしまっている私は、まったく存じ上げず…。だからこそ、たまたま見かけた番組を観てみようと思ったのです。

しかし、私はこの番組を観ていくうちになぜか違和感を募らせていきます。

「この人が作るスタイル、かっこ悪いとも思わないけど、そんなに騒ぐほどかっこよくない…。センスを感じない…。こんなにもてはやされているのが理解できない…」

世間でカリスマと言われる人に対して、どうしても”ニセモノ感”を感じてしまい、自分はなぜそんな感覚を覚えるのか、自問しながら番組を観続けておりました。

<シンプル>であることを提唱しているこのスタイリストさん。たしかに、作るスタイルは何気ないシンプルなもの同士の組み合わせ。
密着取材しているわけだから、日々のこの方のファッションも見ることができるのだけれども、どこかだらしなくてキメきれていない感じがする。髪もボサボサなままだし、撮影の補助をしているときのスタイルは、”ちょっとそこのコンビニへ”的な感じに見える。

「なんか違う…」

とっても忙しいのだろうけれども、たぶん夜中だったと思うけど、立ち食い蕎麦屋で食事をされていた。選んだメニューは”かけそば”。どこまでも<シンプル>を貫くということらしい…。

「ん?そこで<シンプル>が出てきちゃうか?
年齢的にも食事にはもっと気を使わないと、逆にかっこ悪いぞ」

外国のとあるブランドから、日本向けのダウンジャケットのデザインを依頼される。基本はそのブランドのベーシックな形で、その方が工夫されたのはフードにファーを付けたところだけ。ところが、そのブランドの会長さんがよかれと思って付けてくれたゴールドのファスナーが気に入らない様子。試作品を見たときには気に入らないながらもスルー。しかしどうしても気になったようで、翌日になって、「やっぱりファスナーをゴールドじゃなくしたい」と申し出る。会長さんは浮かない顔。生産ラインに乗るギリギリで回避。だったら最初に言えばよかったんじゃ?

「こだわりがからまわりしているように見えるな…自信がないのか?」

ショップさんから選んできたたくさんの洋服を前に、一人で部屋にカンヅメになって雑誌に載せるいくつかのコーディネイトを考えるという場面で、取材カメラがその部屋に入ることを許される。動かないということを条件に。数時間の間に一度だけ表情を取るためにカメラが動いたのだけれども、その日コーディネイトを決めることができず、カメラさんに対して「動かないって約束したじゃないですか」となじる。

「集中を邪魔されたのかもしれないけど、八つ当たりにしか見えない…」

そして、その方の、若い頃からのスナップ写真が何枚か映し出された。それを観て、私は自分が感じてきた違和感に納得するのです。そのスナップでは、ファッションに感心を持っている人とは思えないような洋服を着ていた。その状態は彼女のOL時代になっても変わらないように私には見えた。

「この人、全然おしゃれじゃない…洋服に興味がない人の着方をしてる…」

私から見ると、元々さしてファッションに興味があったわけでもないのだけれども、流れとしてスタイリストになってしまい、変に持ち上げられてしまったから、<シンプル>とお題目のように唱えることで自分を武装しつつ、肩に力を入れてがんばっちゃってるという風に映った。なんだか、無理をしていて、かわいそうに思えた。

ローティーンの頃から、ファッションに興味があって、ファッション誌を読んでは洋服を買い漁り、自分でああでもないこうでもないとやっていたとしたら、そういう人は30代40代にもなれば自分なりのスタイルというものを確立していると思う。自分なりのセンスというのがファッションにも現れてくるはず。
だけど、この方には、そういう部分が感じられなかったんだ。それが、私が感じた違和感だったんだと思う。
興味を持ち始める歳は関係ないのかもしれないけれども。時間をかけたものや、触れてきた情報の物量というのはそれなりにその人の中で成熟するわけで。
若いモデルさんなんかでも、ファッションに興味があるなら、何かちょっと自分でコーディネイトしたものを見ても、とってもかわいかったりするよね。
たとえば、R&Bの歌手としてデビューする人がいるとして、今まで自分がR&Bなんかひとつも聴いてこない人生だったら、歌いこなせない。ロックを聴かない人には、ロック・バンドのロゴが付いたTシャツは着こなせない。それぞれの魂がわかってないから。
そこには”ニセモノ感”がついてまわることになるはず。分かる人には、底の浅さが見破られてしまうのだよね。

ここまで偉そうに書いてきて、じゃああんたはどれだけファッションに精通しているんだよと聞かれれば、あたしゃそんなにおしゃれさんじゃないわけだけど、ここで言ってるのはそういうことではなく、その人の背景がやってることに滲み出てしまうって話です。良くも悪くも。
だから、自分も、知らない分野のことは扱えないなぁと、あらためて感じたわけなのです。大体、”浅く広く”な方なんでねぇ。ま、私ごときにだれも”深さ”なんて期待してないか!(爆)


Posted by nbm at 11:02  |Comments(4)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月04日

豆腐神話

昨夜、観るともなく観ていた番組で、豆腐を使った料理を”ヘルシー料理”と紹介していた。”ヘルシー”ってなんだ?ローカロリーというならまだわかる。そういう説明なら、通常の作り方で作った場合と、カロリーの比較があって当然だし。でもね、しつこいけど”ヘルシー”ってなんだ?(笑)豆腐を使えばなんでもヘルシーなのかい?んなわけねーだろーが。

このテレビ番組のような伝え方じゃ、まず豆腐がどういう風に”ヘルシー”なのか、さっぱりわからない。ちなみに、音声を消して観てたので(笑)音声だけで説明されている部分は知らないがな。
まず、豆腐を全部いっしょくたにして考えるのはどうかと思う。絹ごし豆腐の場合は、食品成分表によると100gで58kcal、1丁300gとすると174kcalになる。一方、木綿豆腐だと、これが100gで77kcal、1丁(300g)で231kcalになる。製造方法によって、カロリーが違うことを知っている人がどれだけいることか。
ちなみに、たとえばローカロリーなお肉の代表格である鶏肉のささみは100gで109kcal、豚のヒレ肉は134kcal。
100gを基準にして比較すると、「やっぱり豆腐はローカロリーね」ってことになるかもしれないのだけれども、ちょっと冷静に考えてみると、使う時の分量が問題になってくるのがわかる。
お豆腐を使って実際に料理をしようと思ったら、2人で1丁くらいの感覚じゃないかな。1人分は半丁で150gとすると、絹ごしで87kcal、木綿で115kcal。
お肉をお料理に使うとしたら、お肉メインの料理でなければ、一人分が大体60gくらいじゃないのかな。すると、ささみなら65kcal、豚ヒレなら80kcal。鶏のもも肉で120kcal、豚ロースで159kcal。
野菜などと組み合わせない、お肉がメインの料理だと、80gから120gくらいになるかもしれませんけどね。
豆腐半丁と、肉60gのカロリーを比べてほしいんですよね。お肉でも、部位を選べば、木綿豆腐より低いカロリーになる…。小ぶりの300gのお豆腐を基準に計算してみましたけど、これがもっと大きなお豆腐だったり、家族の人数とのバランスで、計算がまた変わってくるかもだけど。お肉にしたって、とりもも肉1枚を何人分にするかは、状況によりまちまちだと思いますが。
ようするに何が言いたいかというと、豆腐を使えばローカロリーになるかというと、別に他のものでも分量や肉の部位の選び方によってはローカロリーにできるのだから、ローカロリーは豆腐の専売特許みたいな扱いは止めたほうがいいのになってことです。

昨日の番組でも、”ヘルシー”という謳い文句だったので、何でもかんでも豆腐を入れた料理を紹介してました。ホットケーキミックスに豆腐を入れた豆腐パンとか、豆腐をクリームに見立てた白菜のクリーム煮とか。パンの場合は、カロリーを考えると、普通にホットケーキミックスだけで作るよりも明らかに豆腐分のカロリーが増えるよね?生地の分量を考慮して、1人分を少なくして焼けば問題ないけど。
クリーム煮には、味付けにからあげ粉を入れてたよな。番組HPをもとに1人分のカロリーを計算してみよう。絹ごし豆腐75gで43kcal、牛乳37.5ccで23kcal、からあげ粉は10gくらいとして34kcal(昭和さんのHPでは100g344kcal)、これだけで合計100kcal。う〜む、テレビで紹介されたものは、カロリーだけを考えると、通常のものよりも50kcalは高いことになるぞ。一般的には、牛乳の他にとろみをつけるための少量の片栗粉を入れるだけだよね?ちなみに、もしホワイトソースを使用するとしても、うちで作るホワイトソースだと、バター2.5g、小麦粉小1弱、低脂肪牛乳50ccで46kcal。普通の牛乳を使っても56kcalだよ。

”ヘルシー”が何を指してるのかわからなかったから、とりあえずカロリーをもとにアプローチしてみました。
まぁ、昨夜の番組は、時間を節約するということがテーマの番組みたいだから、カロリーとか”ヘルシー”とか、どうでもいいんだろうけどな。だったら”ヘルシー”って使うなよ!
ちなみに、番組内でカロリーについては触れられなかったし、HPにも表示されてません。

豆腐が悪いと言っているわけではありませんよ。
お豆腐は、植物性として摂れる数少ないたんぱく質。大豆製品で脂肪も含むけど、90%は水分。消化吸収がよいので、脱水症状を起こしたときなどは温めて食べるとよいそうですよ。(日本豆腐協会HPより)
豆腐、つまり大豆の脂肪は、植物性の不飽和脂肪酸。コレステロールを少なくする働きを持っていると言われています。他にも大豆イソフラボンが女性ホルモンと同じような働きをするとか、いろいろありますが、この辺のことについては、ツッコむと長くなりそうなので、別の機会に。
いつも思うのですが、豆腐がいいと聞けば豆腐ばかり食べる、まいたけで痩せると聞けばまいたけが市場からなくなるほど買って食べるみたいな、”ばっかり食い”がからだにいいわけありません。いろんなものをバランスよく食べるというのが大事なはず。体に良いと言われているものでも、たくさん摂取し過ぎるとかえって毒になるってこともないことはないです。たとえば、ビタミン類だって体に良いものとされてますが、過剰摂取すると悪影響を及ぼしますよね。

何をもって”ヘルシー”と言っているのか、何をもって”エコ”と言っているのか。言葉だけに踊らされないようにしたいですし、伝える側も感覚的なことだけで安易な使い方をしないでほしい言葉です。

2010年01月13日

nbm参上!

前回は陰鬱な気分をそのままブログに反映させてしまったため、心配をしてくださった方々には、心配をおかけしてすみませんでしたとお伝えしておきます。ブログを読んだ友人も慌ててメールをくれたりして…ほんとにごめんなさい。
私は1日で立ち直ったので、大丈夫です!

今日は、思わぬところから、思わぬものの勉強になった話。
ちょっとディープなので、ついて来られなかったらごめんなさい。
昨日、ダンナさんとニコニコ動画を観ていた。何がきっかけだったか、「踊ってみた」シリーズを延々と再生。”にわか”な我々は衝撃の事実を知る…。
「かわいいにもほどがある」でお馴染みのベッキー・クルーエルが踊っていた『男女』。『男女』という曲に、初音ミクが踊っている動画をあてたものを真似しているのだけれども、知っていたのはここまで。
そのダンスの振り付けのオリジナルが”キルロイ@罪袋”と名乗る男性によるものだと初めて知った。これはまた別の人物が作った動画(アニメーション)を元に、実際に人間が踊ったもので、これが広まって初音ミクも踊った(踊るらせた?)ということに。それがまた海を越えてベッキーが踊る(笑)
ニコニコ動画では、様々なコラボレーションや波及効果が見られるのだけれども、これもこういう流れだったのかと学習。
Aさんが作った楽曲「B」にCさんが動画をつける。Dさんは「B」を踊る。Eさんは「B」を楽器で演奏する。Fさんは「B」をボーカロイドに歌わせてみる。やがてDさんのダンスの振り付けを真似る人が出てくる。別のボーカロイドに歌わせてみる人も出てくる。様々な楽器で演奏する人たちがセッションしたり、踊り手さんたちが集まって集団で踊るようになったり…。こうして、無限の広がりをみせていくというわけだね。
そういう具体例のひとつのルーツを確認できたということなのでした。

さて、この”キルロイ@罪袋”さんのお名前が非情に興味深い。
まず、「罪袋」から。
これは、東方Projectという作品群に出てくるキャラクターで、”罪”と書かれた袋を頭に被っています。
そのキャラクターの設定に根拠はあるのか。つまり、罪人の頭に袋を被せるという習俗について調べてみたのですが。死刑囚などの頭に袋を被せるというのは、どこかで聞いたような気もするのですが、明確にはわかりませんでした。実際、日本の死刑においても、頭に袋を被せていると説明している記述をいくつか見ましたが。アラブ諸国でも、そういったことをするようです。デリケートな問題なので、ネットには載りにくいですね。機会があったら、図書館で調べてみましょう。ご存知の方がいらしたら、ぜひご教示ください!

もうひとつ。「キルロイ」について。
「キルロイ」といえば、我々世代で思い出されるのが、STYX『Mr.Roboto』(1983)という珍曲。原題は『Kilroy Was Here』というのですね。動画はコチラ
私はメロディー先行で音楽を聴くため、ロクに歌詞を見たことがなく、この曲で最後に「キルロイ!キルロイ!」言っている意味を考えたことがありませんでした。インチキくさい東洋人風の風貌のロボットが出てくるPVや、♪ドモアリガット、ミスターロボット、ドモ、ドモ♪というフレーズには苦笑するばかりで、この曲を真剣に取り合わなかった…。ごめんなさい、デニス・デ・ヤングさん。
この曲の内容は次の通り。人に代わって日本製のロボットが労働をする近未来。ロックは堕落した音楽とされていた。ロック・スター、”キルロイ”のコンサートに検閲委員が現れ、結局キルロイは逮捕。そのキルロイの脱獄を描いたのがこの曲。キルロイがロボットの仮面をつけ脱出を試みるというわけ。最後の部分はこんな感じ。

The time has come at last
To throw away this mask
Now everyone can see
My true identity...
I'm Kilroy! Kilroy! Kilroy! Kilroy!

とうとう時は訪れた
この仮面を脱ぎ捨てる時が
誰もがわかるはずさ
僕の本当の正体を
僕はキルロイ!キルロイ!キルロイ!

いまさらだが、そんな内容だったんかい(笑)

で、この”キルロイ”ですが…。
この曲の原題『Kilroy Was Here』というのが、キーですね。「キルロイ参上!」ってわけだ。アメリカでは有名な落書きのフレーズらしい。絵も決まってる。壁の向こうから頭の先を出してこちらを覗きつつ一言。
ひとつの説によると、発端は第二次世界大戦の時。造船所でリベットの検査をしていた検査官キルロイさんのサインだというもの。工員は止めたリベットの数で工賃が払われていたんだけど、それを数えていたのがキルロイさん。キルロイさんのチェックを改ざんして工賃を儲けようとした工員がいたため、チェックのサインを消えにくいクレヨンに変え「Kilroy Was Here」と書いた。それがそのまま出来上がった船に残り、このサインを見た兵士たちの間で「なんじゃこりゃ?」という話になり、そのうち兵士たちが戦地に行く度に「Kilroy Was Here」と書き残すようになったとさ。というわけでアメリカ軍の兵士が行く先々で広まっていくわけだね。
アシモフのSF小説をはじめ、映画などいろいろなところで使われるモチーフらしい。んで、実際にこの落書きを見た人は、「キルロイって誰だよ?」ってなるわけだね。Wikipediaによれば、かのスターリンもそう言ったとか言わないとか(笑)
落書きは褒められたもんじゃないけど、ここまでくるとひとつの文化になっちゃうね。

ということで、思いもよらぬところから、面白い発見があったのでした。
Posted by nbm at 15:50  |Comments(0)TrackBack(0) | 気になったこと , 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

使えない自覚

今日は、仕事について語ってみたいと思います。
最近感じていたこともあり、それに加えて、今朝の情報番組で内職商法についてとりあげられていたからです。

私は現在、在宅でPCを使った入力の仕事をしています。訳あって、フルタイムで働くことは自分には難しく、やってできないことはないのだろうけれども、心身ともに健康を害することになるのは目に見えているので、そこまでして働く意味があるのかとブレーキをかけてしまうのですよね。甘えだというのもわかっています。だからやっぱりフルタイムで働くべきよねと考え始めたのですが、そう考えているうちに世間では仕事を見つけるのが厳しい状況にどんどん落ち込んでいってしまい、簡単に方向転換できなくなってしまいました。今は完全なる様子見状態です。この状況、残念だけど少なくとも数年は変わらないんだろうなぁ。
簡単に私の履歴を紹介しておきますと、大学卒業後に建設関係の会社で経理をしておりました。父が税理士だったので、家業を継げればと30歳くらいから働きながら学校に通って税理士試験にチャレンジするも失敗。いろいろあって会社を辞め、税理士試験1本になってチャレンジしてもうまくいかず、結局ドロップアウト。このあたりの細かい話は割愛しますが、自分の適性や嗜好を考えず、周囲の状況のみを優先して行動したことによる失敗でした。
ということで、私の職歴はここで一旦ゼロにリセットされます。たまたま勤めた会社で経理に配属され、細かい移動はありながらも、経理畑で10年以上勤め、また試験には受からずとも5年は税理士の勉強をしていたことから、経理の知識と経験は蓄積されました。実家の家業の手伝いも問題なくこなせるようになりましたし。けれども、資格といえば日商簿記2級しか持ってません。税理士を諦めた後、独学で1級に挑戦しましたが、税理士の勉強と半分くらいは内容が重なっているとはいえ、慣れない工業簿記・原価計算を独学で習得するのは、私には難しく、1級には合格できませんでした。本来なら、もう1度チャレンジしようと思っていたのですが、ここで状況に変化があり、断念。

さぁ、ここから迷走が始まります。
派遣会社数社に登録しつつ、近所で仕事を探してみるのですが、会計事務所など2、3面接に行っても、なかなか決まりませんでした。週2、3日程度の仕事を探していたのですよね。今ほど悪い雇用状況ではなかったと思いますが、そうそう無いです。
そんなとき、ハローワークで面白そうな仕事を見つけたのですが、勤務先が都内だったので、近隣で働きたかった私にはムリだと思いながら、その会社の情報をプリントアウトして持ち帰りました。家に帰ってから何の気なく、その会社をネットで検索してみると、在宅で仕事をしてくれる人も募集しているとのこと。
ここで内職商法の話ですよ。「在宅でPCの入力仕事」といえばアヤシゲなものばかり。恐くて手が出せないでいました。だけど、今回のきっかけはハローワーク。ハローワークで紹介している会社ならとりあえず信用してもいいかも、と。それもどうかと思うけど(笑)
半信半疑でメールを送ってみると、トライアルを受けてくださいとの話。送られてきたトライアルをやって送信すると、直接お会いしたいので会社まで来てくださいという話に。ここまで、別に金を請求されたわけじゃなし、実体がちゃんとある会社なんだし、素直に行ってみました。トライアルの出来が非常に良かったとのことで、即採用していただきました。
仕事はCDやDVDの商品情報等を一覧表に入力するもの。単なる入力だけでなく、メーカー資料をもとに字数制限のある解説の文章を作らなければならないので、半分ライターの要素が入ります。ありとあらゆる内容の商品を扱うのですが、自分がこれまで貯めてきたムダ知識が役に立つ仕事があったなんてと、正直驚きました。いろんな音楽を聴き、映画を観て、アニメを観て、本を読んでと楽しんできたことが、こんな風に仕事に活かせるなんてね。また、文章を書くことは好きなので、これも活かしていることになります。つまり、それまでは最初についた仕事がたまたま経理だったから進んでいた道だったのですが、自分の嗜好・適性に合った仕事に就けたというわけなのです。
在宅仕事ですから、そんなにバカみたいに稼げやしませんが、自分が思い描いていた内職仕事での収入以上のものは稼ぐことができています。

同年代の友人で、派遣の仕事を続けてきたコがいまして、今、本当に仕事がなくて困っています。派遣だけでなく、正社員にしても、アルバイトにしても、本当に厳しい状況だそうです。この1年、彼女から、面接に行ったけどダメだったという話を何度聞いたことでしょう。

そんな厳しい雇用状況の中、気になっていることがあります。
とある質問&回答掲示板でよく目にし、ショックを受けていることがありまして。主婦生活を経て再就職している今の40代女性は仕事上使えないというボヤキが多いです。確かに、バブル時代を謳歌していた年代ですからね。女の子は会社に勤めても2、3年で社内恋愛で寿退社なんてのが定番だったかもしれません。つまり、ロクに働いた経験もなく、まだPCも職場に普及していない時代だったので、個人で勉強しない限りはPCの扱いもわかっていない人が多いのだとか。そういう人たちが、子育てが一段落して、再び仕事に就くものの、仕事の勘も鈍っているし、どうにもならんという声が多いのですよ。逆に、再就職しようにもPCもよくわからないし資格もないし経験も浅いしという悩みを訴える40代女性も多し。
耳が痛い話です(苦笑)でもね、自分は、就職先がどんな会社であろうと3年は辞めないという決意のもとで働き、結果10年以上勤めました。長く勤めた分、PCもギリギリ職場で触れる時期を経験できました。…そんなもんだけしかないけど。あはははは。
もちろん、世代でひとくくりにできる話じゃないことはわかっています。しかし、自分も含めて基本的に考えが甘い人が多いのは認めます(笑)でもでも、そういう人ばっかりじゃないはず!

在宅で仕事をしたり、家業を手伝ったり、細々とですが仕事をやっていても、バリバリ働いていた頃のようなコミュニケーション能力は失っているという自覚があります。経済状況や政治にもあまり興味がないしな(笑)自分が思っていたほど外向的な人間ではなかったという発見もありました。営業とか絶対ムリだし、一人でマイペースにちまちまやる仕事が理想です。
学生時代にバイトをしていたときには、給料日を忘れていたほど仕事をするということが楽しかった記憶があります。基本的には仕事をすることは嫌いじゃありません。誰でも、自分がやりたい仕事に就ければ最高だけど、いまややりたくない仕事でさえも就けないような状況。
就職活動中の友人も含め、まずはみんなが食べていけるだけの仕事に就ける世の中になってほしい。努力も必要だけど、努力したところで報われないと、やる気もなくなるよなぁ。
Posted by nbm at 11:32  |Comments(5)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

「食べる」ということ

みなさんは、今朝、何を食べましたか。
うちでは、バターロールにスクランブル・エッグ、きゅうりとハムをカロリーハーフのマヨネーズであえただけのサラダ、それにコーヒーといったメニューでした。なんのことはない、とても簡単な朝食です。でも、炭水化物とたんぱく質、繊維質である野菜といったポイントは押さえてあります。もちろん、カロリーも計算済み。今日は少なめ、400kcalほどです。
会社員時代を思い起こすと、朝に弱く、遅刻ギリギリだった私は、何も食べずに出かけ、コンビニでサンドイッチやおにぎりなどを買って、会社に着いてから始業直前に急いで食べるといったような始末でした。
実家で生活していた学生時代の頃の朝食は、すでにほとんど記憶にないのですが、たまに前日の夕飯の残りで、朝からカレーとか、朝からカツ丼とか、そんなヘビーな朝食があったことは憶えています。どちらかといえば、朝食はちゃんと食べていた方なのではないかと思うのですが。

そして、昼食。
健康を考え、食生活をがらりと変える前のことを思い出すと、多めに作った前日の夕飯の残りや、麺類やチャーハンなど簡単にできる1品料理を食べていたことが多かったように思います。
会社員時代は、お弁当屋さんのお弁当やコンビニで買ったパンやカップ麺などが多かった。
大学時代は学食や喫茶店などでの食事、高校時代は母がお弁当を作ってくれました。小・中学校では給食ですね。

んで、夕食。
どうしても、3食のうちでは一番ヘビーになりがちでしたね。
一番ひどかったのは、昼は会社、夜は学校に通っていた時代。学校の授業がある日の夕飯も、自分が帰ってから作っていたので、作り始めるのが早くても10時を過ぎてました。食べるのは11時や12時近いなんて日もありました。これじゃあ太るのも当たり前って感じで(笑)当時は義母と同居していたのですが、食事を作るのは私の役目と決まっていて、そのことに遠慮したのか、お腹を減らして気持ちが悪くなりながらも義母は夕飯を作らず、我慢して待っているという状況で(笑)今になると、その辺りがなぜもっと工夫できなかったのかと、自分でも不思議なのですが。自分が手術をして退院し、1周間ほど実家で療養して戻ってきたら、「なぜ食事を作らない?」という空気になってきたので、ガウン姿で立っているのもやっとという状態で足をふるふるさせながら食事を作っていたのも、今ではいい思い出です(笑)それほど、食事当番の呪縛は強かった…
実家で生活していた頃の夕飯を思い出してみるのですが、正直あまり憶えていません。ごはんがあって、おかずがあって、汁物があってというごくフツーの食事だったような気がします。ただ、好きなメニューだとバカ食いしていたのは憶えてます(笑)カレーやスパゲティだと必ずおかわりしていたし、小学生時代にとろろめしを食べすぎて胃アトニーになり、胃腸病院の先生に「ここは小学生の来る所じゃない!」と怒られたものです。

長々と、自分の食生活を振り返ってみましたが、先日のテレビ番組で、今の食生活を取材した内容が、自分には衝撃的に映ったもので。
おもしろかったのは、小学校の運動会のお弁当タイム。コンビニ弁当やファースト・フードは当たり前、小学校の近所のレストランで食事をしていたり、小学校にピザが配達されるということもあるとか。なるほどね、そういう手があったか!そこまで考えつきませんでした。イベントと考えれば、レストランやピザという選択も一理ある(笑)運動会でシートの上座って手作りのお弁当が広げられるという光景は、もはや過去の幻影なのですねぇ。自分が親の立場だったら、普段は子供にテキトーな食事をさせていても、ここぞというときには豪華なお弁当を作ってあげたいと思うのではと想像してみるのですが。
手作り弁当を作らない母親たちへのインタビューを聞いてみると、やはり「面倒」とか「大変」といった思いが見え隠れします。

運動会だけでなく、普段の食事も変わりつつあるようです。菓子パンのみの朝食、食卓から消えたみそ汁、魚料理はしない、子供が自分で自分の分だけ買ってくるコンビニのパスタ、大きな鍋のままど〜んと食卓に出される夕飯…。親の側からすると、手間をかけたくないし、子供が食べたいものを好きに食べればいいというスタンス。子供の側からすると、嫌いなものは食べない、食べたいものだけを食べるというスタンス。
そりゃあ食事を作るということは、大変なことだと思います。食事作りに手間をかけられないのは、おそらくは仕事を持っていたりする忙しいお母さんたちでしょう。だけど、忙しいからと言って、あまりに食事への手間を切り捨てすぎると、後で痛い目に遭うような気がするのですが…。栄養の偏りから病気につながることもありますし、情操面からみても、鍋から直接食べる食事や、トレーのまま食べる弁当がいいとは思えない。個人的な意見ですが、食事をないがしろにしていると、他のこともどんどんグダグダになっていくような気がします。

以前、「UMAMI」という記事を書いたことがありますが、味覚が発達するのは、小学生のうちくらいらしいです。その頃までに、様々な味を体験しておかないと、後になってからでは「おいしい」と感じられる味を広げることができない。嫌いなものやアレルギーがあるのは仕方がないことですが、いろんなものを食べるという経験が、意外と大事みたいです。
重い病気になって、好きなものを食べられない人が、どんなに切ない思いをするか、知っていますか。そんな思いをしている人もいるのにとかいう比較が言いたいんじゃありません。食べるという行為は、自分が思っている以上に、色々な意味で自分に大きな影響を与える行為なのだということを自覚したい。私はそう思います。

えらそうなことは言えません。だけど、自分も食事についていい歳になるまであまり考えたことがなく、失敗してきたから言うのですよ。生物としても、人間としても、食事を甘くみてはいけません。
Posted by nbm at 10:49  |Comments(3)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

ヒューマノイド・インターフェース

ここ数日、テレビでよく見かけるROPIDくん。かわいい人型ロボットです。
ROPIDくんの特徴は俊敏な動き。ジャンプと走ることが得意です。RAPID(俊敏な)+ROBOT(ロボット)=ROPID。このROPIDくんを製作したROBO GARAGEのHPで動画が見られます。実際に製作している高橋智隆さんは、京大工学部物理工学科メカトロニクス研究室を卒業された方。Panasonicの電池のCMに出ていたエボルタくんも高橋さんの作ったロボット。中身もプラスティックのボディも、みんな高橋さんが作ってるらしい。エボルタくんは色んなシリーズがありますが、最近観たのは「ル・マン」に挑戦している姿でした。見事に24時間を完走したとか。こちらのHPでは、他にも様々なカタチで製作されたロボットたちが紹介されています。驚いたのは『攻殻機動隊』のタチコマくん。DVDの宣伝用に特別に作られたもののようなのですが、こりゃあすごい。欲しい!(爆)
ROPIDくんに話を戻しましょう。HPのムビーには出てこないのですが、音声認識で「開始」と話しかけると動き出します。そのとき、「うん」って感じで頷くのがかわいい。それと、命令された動作を終えたときに、「終わったよ」ってな体で、かすかに見上げるしぐさがまたかわいいです。走ったあとは「はぁ、はぁ」息が切れてるし。
今朝の番組に出ていたのですが、高橋さんやROPIDくんといっしょに出演されていたのが、大阪大学教授の石黒浩さん。自らをモデルにジェミノイドというロボットを作った方。本当にご本人にそっくり!”ドッペルゲンガー型ロボット”と呼んでいるそうですが。これをインターフェースとして声などを本人が遠隔操作するとしたら、限りなく本物に近い存在感があるはずです。コチラのHPでジェミノイドが見られます。不思議なのは、微妙に<不気味の谷>を超えているような印象があること。人間に近づけば近づくほど、妙な嫌悪感を感じるものなんですが、これはそれをあまり感じない…。何が違うんだろ。たぶん、居ずまいからしてモデルである石黒さんを完璧にコピーしているからなんだろうな。面白いのは、「これだけリアルなロボットができてすごいでしょう?」的なことではなくて、”存在感”というものをキーワードに、実際にあえてリアルな人間型ロボットを先に作ることで、そのロボットが実際に人間に及ぼす感覚的な反応を研究してみようという姿勢。人型インターフェースが、どの程度人に受け入れられるのか、より受け入れやすくするためにはどうしたらよいか。そういったことを研究されているよう。つまり、ロボットの研究というよりは、ロボットに対する人間の感情の研究と言ってもいいな。

高橋さんと石黒さんの創りだしたロボットは、対照的に見えるのだけれども、根っこはいっしょなんだね。高橋さんは、親しみやすさを出すために、かわいらしいしぐさを取り入れている。それが観ていて本当に「かわいい!」と思うことに繋がっている。石黒さんのジェミノイドは、究極的にリアルに作りこまれていて、ご本人の体の動きの微妙なクセなどが取り込まれている。遠めに観ている分には非常に自然で、”人間のように”見える。
どうやら、しぐさというのが重要なファクターらしい。高橋さんのロボットで、女性らしい動きを取り入れたFTというのがいる。このコは、単純に歩くだけでもなぜか”女性らしい”。そういった動きを研究して作られているのだろうけれども、人型ロボットを作るのには、人間それ自体の細かな動きを再生することが必要だから、そこを突き詰めていくのだろうな。人型ロボットを研究することは、人間を研究することに他ならないんだね。

アニメ作品を多く観ていると、人型インターフェースのロボットはもはや当たり前のように出てくる。人間にはできない離れワザをやってみせたり、逆に人間には簡単にできることができなかったり、そういった人間と異なる描写が出てくること以外は、装備にロボット的な部品が描かれていない限り、人間と何ら変わりなく見える。動くとはいえ画ということで、細かなしぐさや質感を伝えるのは難しいわけで、人間とロボットとの差異を表現するのは限界があるよね。

人型インターフェースというのは、コミュニケーションに特化したカタチ。人間側の都合として、親しみやすさを第一に考えたカタチ。
もうひとつ、頭をよぎったのはサイズの問題。ジェミサイドは人間をリアルにコピーしたものだから、人と同じサイズでいいとして、ROPIDくんも、タチコマくんも、小さなサイズだから脅威を感じないで接することができるんだよな。タチコマくんがアニメ内で動いているような実物大だったとしたら、相当恐い(笑)兵器だもんな。

ドロンパくんに感じる「かわいい!」は、白熊の子供を見るときの「かわいい!」とほぼ同じものだという自覚があるのだけれども、それはROPIDくんを見て「かわいい!」と思うのともほぼ同じなんだよな。「かわいい」の基準ってなんなんだろう?
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2009年10月22日

ふぁっしょんチェッーク!

2日間、連続でお茶の水を歩き回って、感じたことがある。楽器店が密集しているとあって、当然音楽をやっていそうなルックスの若者は多い。スタッズ付きのアクセサリーとか、金髪とか、ビジュアル系とか、そういうルックスの若者が通りに多いのは頷ける。んだけど、その一方で、おそらくM大であろう学生が地味なこと(笑)
男の子も地味だけど、女の子も地味だ。これは、色使いによる印象の問題だったのかもしれないけど、何しろ見かけるのはベーシック・カラーのみ。グレー、ネイビー、黒、白辺りでしか構成されていないファッションばかり。バッグやアクセサリーでのさし色もナシ。んー、なんだかもったいないゾ。もっと、はじけるべし!
一瞬、時代の閉塞感や流行のせいなのかとも思ったけど、他の街を歩いていてそんな風に感じたことはないし。勝手な推測だけど、「校風?」って思っちゃった。
この大学を出た人は知り合いに少ないけど、確かに地味めだな。

自分が通っていた大学は、大学自体は無名で目立たない存在だったけど、ここまで地味ではなかったな。ま、バブル全盛期だったけどね(爆)見た目だけでも色んなタイプの人がいたし。
キャンパスがある街の雰囲気というのも、校風や学生の気質と影響しあっているようにも思えますわね。
御茶の水は、楽器店と大病院が密集する街で、たとえば雰囲気のよさそうな喫茶店もあまり見かけないし、かわいらしい雑貨屋とか、洋服を扱っているようなお店とか皆無に近かった。学生たちは、みんなどこで遊ぶのかな?池袋や新宿、渋谷辺りに繰り出すのか?

自分の大学があった街は、大学が3つあったので、学生街とも言われてて、喫茶店の密集率が日本一とも言われてた。いろんなタイプの喫茶店があって、その日の気分でいろんなお店で友人たちとランチやお茶をしたものです。一方で、小さな大学だったので、学食や図書館に行けば、誰かしら友人に出会えるといったようなこじんまりとした雰囲気もありました。
男の子でもファッショナブルなコもいたし、毎日詰襟の学ランを着ているコもいれば、カジュアルなコもカチッとしたおしゃれをするコもいた。女の子は、ワンレン・ボディコンのコもいたし、ファッション誌から抜け出たような”女子大生”然としたコもいれば、古着を着こなすコもいたし…。

御茶の水で見かけた学生さんたちは、ユニクロあたりの、しかもベーシック・カラーのものだけを選んで着てるみたいな印象だった。校則で決まってるのか?ってくらいに画一的。個人的な感想だけど、つまんね。せっかくいろんなおしゃれにチャレンジできる年頃なのに。あれじゃ、ちょっと色の着いたもの着てるだけで、キャンパスで悪目立ちしそうだ(笑)

何も色が地味だからいけないってわけじゃなくて、地味な色だけでも当然おしゃれはできますし。なんだか画一化されている印象を持ったのですよ。個性を感じない。意識的に目立たなくしているというか。それに、どよ〜んとしてて元気がない。それが気になっちゃったんだな。

私自身、ファッションについて、大学時代は試行錯誤の時代でした。高校時代はそれほど冒険はしなかったけど、大学に入ってから冒険するようになり、色んな路線を試してみたもんです。若いからできるのさ。今思い出すと恥ずかしいけど、おもしろいカッコしてたな(爆)学生だから、当然高いものは買えず、バイト代で買えるものでローテーションを考えたりしてさ。母が若い頃に着ていた古着を引っ張り出してきて、なんとか着られないものかとチャレンジしてみたり。そういうのも楽しかった。

今かわいらしい洋服を見かけたりすると、それが着られる若い女の子が羨ましくなるんですよね。着られるうちにファッションを楽しんでほしいなぁ。

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2009年09月01日

ニッカーボッカー・ルール

毎度ながら、くだらないことが気になっているnbmです。
時折書いてますが、私はスポーツ観戦をするのは基本的に好きですが、野球やゴルフはあまり好きではありません。スピード感のある激しいスポーツが好きなので。ルールが複雑で決まりごとが多いのも苦手な理由のひとつかもしれませんが。

で、最近、やけに気になるのが、野球のユニフォームなんです。よく考えると、おかしくないか?一番解せないのが、腰のベルト。あれって、皮でできてて、フツーにバックルが付いてるヤツだよね?たとえば、ヘッド・スライディングとかしたら、お腹が痛くなりそう。どうして、ベルトが必要なの?そんなことを考えていたら、どうも納得がいかなくて。もっとシンプルで、動きやすいユニフォームにしてもいいんじゃね?着るのも時間がかかりそうだしさ。

そもそも、野球というスポーツを体系的に創ったのが、ニューヨークに住んでいたアレキサンダー・カートライトというお方だそうじゃ。もともとはイギリスなどヨーロッパでプレイされていた”ラウンダーズ”とか”ベース・ボール”などと呼ばれていたバット・アンド・ボール・ゲーム。それが、北米に渡って”タウン・ボール”となる。これが基本となって、1845年に現在のような野球になったとさ。
それから30年くらいして、明治の世、後に東京大学となる東京開成学校予科に野球は日本に伝えられたらしいのだけれども、この開成学校というのは、文部省主導で、西洋の学問を研究・教育するためのものだったらしい。東大の始まりがこんなだったとは。勉強になりました(笑)
さて、野球に関する真面目な文献って、わりと少ないんですねぇ。前述のアレクサンダー・カートライトさんが消防団員だったことから、消防団の制服でプレイしていたらしい。白いフランネルのシャツ、青い長ズボン、フランネルか麦わらの帽子。これがユニフォームのはじまりか?1860年代になると、南北戦争の兵士たちが軍服でそのままプレイしていたことから、ストッキングが定着。帽子も、兵隊の軍帽的なデザインが導入されたようで、現在のようなキャップが作られるようになる。どうやら、南北戦争時の軍服が野球のユニフォームの起源にあたるようですね。単に、ファッションを考えても、軍服に由来するものはたくさんありますよね。機能性を考えたところから始まってるからだろうか。今日のユニフォーム・スタイルの最初は、1868年のシンシナティ・レッズだそうだよ。
とはいえ、今の野球のユニフォームが機能性を重視しているとは到底考えられん。個人的に一番理解不能なのはベルトなんだけど、帽子を被るのもベルトをするのも、”紳士としての礼儀”的な考えからだという説があった。野球の起源が、タウンミーティングの時に行われていたスポーツだとすると、市町村の代表が集まる場だったわけで、なんとなぁくわからんでもないが。「そこ変えないのかい?」ってツッコミを入れたくなるなぁ。監督が選手と同様にユニフォームを着用するというのは、規則で決まってることじゃないけど、元々は選手と監督が兼任であったことから、伝統を重んじるってことも考えてるようだ。意外と、紳士のスポーツって感じで、伝統を重んじているのかもしれないね。

ちなみに、日本で最初に野球をプレイしたであろう開成学校の学生たちは、上着を脱いでシャツ姿。暑いときには、素っ裸に六尺ふんどし。寒いときには羽織袴。大雨のときには、蓑笠に脚絆、草履ばきだったらしい。
創立間もない巨人軍が初渡米(1935年)したときには背番号が漢数字で、米国ファンもビックリだったとか。日本で初めて背番号を採用したのが、第8回センバツ野球大会(1931年)。地味に変遷はしてきたのね。

このクール、実は2つも野球アニメを観ている。ひとつは、あだち充原作の『クロス・ゲーム』。それと、”たいやき”こと『大正野球娘。』。そういえば、どっちもたまたま女子が野球をする話だな。
特に『大正野球娘。』の方は、時代が時代だけに、女の子が野球をするという設定が際立つ。何せまだ大正時代だからね。
といっても、全国高等学校女子硬式野球部連盟のHPによると、現在、高等学校女子硬式野球部は全国に6チーム。まだまだ、とほほな少なさだねぇ。
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2009年08月25日

(※個人の感想です)

天気予報で「今日は、所によりにわか雨や雷雨があるでしょう」といわれる日、注意深く降雨情報を見ていると、特に西から迫ってくる雨雲は、山間部から埼玉の平地部分に入ると消えてしまうことが多い。洗濯物をいつ取り込もうかと、インターネット上の情報を見て構えていると、結局雨が降らないということが数え切れないくらいある。あまり真剣に考えたことはなかったのだけれども、埼玉県の平野部は、雨が少ないことに気づいた。
気象データを見てしまうと、県としてまとめられてしまうので、雨の多い山間部の秩父地方のデータと平野部のデータが混ざってしまい、平野部のみのデータが出てこないんだけどね。それでも、日照時間の長さも快晴日数も常に全国1、2位を争うという所。そして、平地率は茨城県に次いで全国第2位(61%)。秩父はありますが、確かに意外と平地が広いんですよ。つまり、天気が良くて、平坦な土地が広いのが埼玉県のひとつの特徴というわけです。イメージ先行で、よく”住みにくい”と言われる埼玉県ですが、こんな側面を切り取ると、住みやすい土地に思えます。

もうひとつ、最近感じるのは、アイドル系の女の子たちに埼玉県出身者が非常に多いということ。アイドル・ユニットAKB48で数えてみたら(←ヒマだな)、研究生・卒業生を合わせると20人も埼玉県出身者がいました。東京都出身がはやり多くて27人。しかし、千葉県・神奈川県は10人。一方、ハロー・プロジェクトでいうと、℃‐uteのメンバーは6人のうち4人が埼玉県出身という脅威の埼玉率!(爆)なんで、こんなことを考えたかというと、テレビで見て最近自分がかわいいと思った女の子のことを調べてみたら、立て続けに埼玉県出身だったので、ちょっとびっくり。たとえば、カルピスウォーターのCMの川島海荷ちゃん。それから、NHKの子供向け料理番組『クッキンアイドル アイ! マイ! まいん!』の(まいんちゃん)こと福原遥ちゃん。どうした、埼玉?
ダサイタマというイメージのせいか、美人が少ないと言われ続けている埼玉県ですが、ちょっと様子が違ってきてませんか。女優さんも多く輩出してますが(←以前の記事「埼玉の逆襲」)、どちらかというと「綺麗な美人さん」よりも、「愛嬌のあるかわいらしいアイドル系」が多いような気がしますね。
実は、近所のスーパーで買い物をしていても、可愛いコをよく見かけます。大体、小・中学生くらいなんですけど。あと、友人たちが生む子供が、小さい頃から整った顔をしているコばかりというのも、以前から感じてました。時代の流れだと思っていたのですが、地域差ってあるものでしょうか。そんなことないですよね?
こんな考えをすると、反発する方もいらっしゃるかもしれませんが、これはもしや遺伝子のなせるワザ?埼玉は、ご存知のようにベッドタウンで、実は生粋の埼玉出身者は少ないです。色んな土地からやってきて住み着いた人ばかり。日本の中でも混血化が進んでいる場所なのかもしれません。それが年代を追うごとに進み、若い世代ほどその影響が顕著に出ているとか…。
当然、人口が多いんだからってことはいえるでしょう。地の利というのもあります。東京に近く、たとえ義務教育の年代でも実家にいながら芸能活動ができる。
しかし、神奈川や千葉も条件はあまり変わらないはず。今ひとつ、納得のいくような説明を考え付きません。誰かおせーて!

以前から、地域性というものに興味がありまして、いわゆる県民性というのもおおまかな傾向としてありうると考えてました。最近、U局の放送を見ていて感じることがありまして。
TVKを観るようになって、神奈川県の保守的な部分をひどく感じるようになりました。よく言えば、伝統を重んじる。悪く言うと、感覚が古いっていうか、昔のまま停まっている感じがします。たぶん20年くらいは時間が止まってる…音楽とか、お笑いとか、全然イケてない。(※個人の感想です)
テレ玉を観ていると、これが真逆で、ひどく前衛的でアグレッシブ。(※個人の感想です)
最近の埼玉県民の県民性はですね、中身は前衛的だったりアグレッシブだったりするのに、それを積極的に外に出そうとせず、内に篭っている感じがします。それが、自分さえよければよいという考えや自己満足に繋がっているような感覚。だから、批判されても堪えない。いろんな地域から流入してきたバラバラの集団ですからね。人のことなんか考えちゃいないんです。ある意味、殺伐としているとも言える。だけどこれが逆に働くと、人がどう考えようがやりたいようにやるという個性に繋がるのかもしれません。独自の考えで動く個性的な人間が育っていくかもしれませんよ。秘めたエネルギーを外に放出すると、「火傷するぜ!」くらいの破壊力に!(笑)しかしこれは、埼玉県南部に特有の特徴かもしれません。北部の人はまた違う気質のような気がする…。
ちなみに、よく比較される千葉県民は、もっともっと穏やかで明るく開放的な傾向にある気がします。ファッショナブルで遊び好きで正直。多少軽薄なイメージはありますが、埼玉県民が隠し持っているような”毒”はありません。
またまたちなみに、昨日のクイズ番組で知ったのですが、神奈川県について。「ひったくりの認知件数」と「教師に対する暴力件数」が大阪府に次いでともに全国2位ということでした。意外に荒れてるのね。神奈川の場合は、勝手な想像によると、保守的なことを求められるあまり、抑圧されて反発するエネルギーが高まっているのかもしれませんよ。神奈川県は、交通事故が減っているそうですね。とてもいいことだけど、よく管理されているようなそんなイメージもありますな。

なんか今日は、けっこう毒を吐いたような気がする。デトックス?
ということで、東京の近県に住まうことを冷静に考えるとしたら、人の気質を重視すると、千葉県に住むのが、一番オススメかもしれません。
しかし、ここまで言っておいて何ですが、埼玉もいい所ですよー!(←ウソくせー)
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2009年08月22日

東京生まれの狸だよん

ゆうべ、私は恋をした。
その相手とは…東京ドロンパ!(爆)
FC東京のマスコットです。いや、何の気なく観ていたFC東京の番組で見かけて。ファン・イベントで城福監督がマイクを持って挨拶をしているシーンが映ってまして、その横で監督の話を聞きながらうんうんと頷いたり小さな動きを繰り返すドロンパがかわいかったので、動画を探しまして。観てみたら、それはそれはキュートなヤツで、すっかり虜になってしまいましたよ。
たしかにね、私はゆるキャラに弱いんですけどね。以前、日光江戸村に行ったとき、にゃんまげがかわいくて、当時は「にゃんまげに飛びつこう!」というCMが流れていまして、だけど私は大人だから飛びつかないもんねと変な自制心を気取っていたら、にゃんまげの方から「だっこしてあげようか?」的な申し出があり(ジェスチャーで)、「いやぁムリムリ。重い私を持ち上げるのは」と遠慮する私を、にゃんまげがお姫様だっこしてくれたということがありました!あのあと、にゃんまげの”中の人”は大丈夫だっただろうか(笑)友人に写真を撮ってもらったものの、現像に失敗したらしくて、その奇跡のようなシーンは記録に残ることはなかったのですが、記憶にはしっかり残っております。
しかしドロンパは、ゆるキャラとは一線を画してますね。市町村なんかの町おこし的な存在のマスコットと、スポーツチームのマスコットでは、まったく違うのはわかりますが。素早い動きで、走り回ったりダンスをしたり。狸穴生まれのたぬきですから、シティ・ボーイらしいですよ。ローラー・ブレードで走り回ったり、スプリングで飛び跳ねたり。えっと、”中の人”は一人なんでしょうか。(←”中の人”などいなーい!)
キャラクターそのものもかわいらしいのですが、しぐさがかわいいのですよね。
では、ここでひとつ動画をば。コチラ

スーパーゆるキャラとして有名なのは、なんと言ってもガチャピンですよね。あらゆるスポーツに挑戦するし。だけどあれは”中の人”を代えているだけで…(笑)
スポーツのチームのマスコットというと、現役を引退した選手がやったりするという話を聞いたことがありますが、みんな運動神経がいいですよね。あんなもの着たままで、バック転したりするんですから。かわいいナリで、そんなことしたりするから、見た人はギャップで喜ぶというわけでしょうか。

何にしても、昨晩は、ドロンパを見て脱力しっぱなしでした。

2009年08月05日

動くジオラマ

現在YouTubeで、<わたしの好きな場所>という企画が展開中。Google Mapとの連動企画のようです。
そこで人気の動画が、とても面白い。mockmoonという方の動画です。コチラが、YouTube上のmockmoon channel。ビルの上など、東京の風景を高い位置から見下ろしたアングルで撮っている動画なのですが、まるで”おもちゃ”。ジオラマのように見えます。
Tokyo Miniatureシリーズがオススメです。他にtrainシリーズなども面白いですが。
どうして”おもちゃ”みたいに見えるのか不思議に思っていたところ、微速度撮影という方法で撮影されたものであることを知りました。つまり、コマ落ちしているのですね。本来、長時間撮影しないと変化がわかりにくいもの、例えば星の動きや夜明けなどを撮影する場合に取られる手法のようなのですが、同じ手法で街を撮ると、こんな風に見えるんですね。
調べていくうち、大自然を撮った美麗な映像に出くわし、以前観たことを思い出しました。同じ方の作品だったのですね。上で紹介したところでも観られますが、continuous shatterというmockmoonさんのブログでも紹介されています。この方、ピアノもご自分で演奏されてるのですね。しかも、自作の曲。星空の映像などは、フルスクリーンのHDで観ると、もうほんとに感動ものです。心が洗われるようです。
こんなにもダイナミックに世界は日々変化しているのだなぁと、そんなことを教えてくれる映像でもあります。あぁ、地球って美しい!

高い所から地球を撮った映像というのを、最近よく目にする気がします。Google Earthとかもそうなのですが、”惑星としての地球の表面”を観察するのは面白いものですね。宇宙から見ると、そんな風に見えるのかって。UFOとか宇宙人とか、よくわからないけど、もしUFOに何かが乗っているのなら、そうやって上空から地球を観察するのって、ものすごく面白いことなんじゃないのかなぁと。

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2009年04月23日

ギジン

またまたテレビから。
NHK教育テレビの番組だったか、松井今朝子さんという方が歌舞伎について語られていまして、その中で興味深いことがひとつありました。
蜷川幸雄さんがシェイクスピア劇をロンドンで公演されたとき、人が二人入る馬を舞台に登場させたところ、場内が大爆笑になったという話。ロンドンの人には、どうもギャグに見えたらしい。でも、蜷川さんは、笑いを取ろうと思ったわけじゃないみたい。
松井さんによると、獅子舞のような、あの作り物の二人がかりの馬は、歌舞伎に出てくる独特のスタイルなのだそうです。たとえば、京劇にも出てこないし、狂言にもない。シェイクスピアの本場、ロンドンでは、シェイクスピアの舞台に動物が登場することはあまりないらしい。作り物の動物は笑いの対象にしかならないようです。日本人にしてみると御馴染みの、テレビでやっているコントなんかでも度々目にしてきたあの二人がかりの馬は、歌舞伎が元になっているんですね。

歌舞伎には、馬だけでなく、動物が登場する演目がたくさんあるのだそうです。有名なのは、『義経千本桜』。歌舞伎に疎い私でも題名くらいはなんとなく知ってますし、白い毛のようなもので覆われたモコモコのお着物を着て演じている役者さんの画像も記憶にありますが、あれが狐だとは知らなかった(笑)両親が殺されて鼓の皮にされてしまったことを悲しんだ子狐が、人間に化けて、その鼓を持っている義経のもとに現れるという話だそうで。

さて、西洋でも、物語の中に擬人化された動物が出てくるものは少なくありません。イソップやグリムなんかの童話を思い浮かべてみればわかりますね。そこには特に抵抗感がないのがわかります。だけど、それが二次元・三次元となると変わってくるんでしょうか。
一方、日本で動物の擬人化といえば、なんといっても『鳥獣戯画』だと思うのですが、古くねぇ?いや古いと言ったら、イソップの方が断然古いだろうけども。ただ、2次元的に擬人化されたものと考えると、やっぱり古いよね。
西洋での絵画というと、キリスト教を中心とした宗教画の歴史が古くて、俗っぽい絵画は19世紀くらいにならないと一般化してこないらしい。
日本では動物を擬人化し絵に描くことに抵抗がないというのは、誰もが想像できるように、日本人が八百万の神を信奉してきたことと関係があるのでしょうね。証拠とまではいかないけれども、動物でさえないものを擬人化してしまってますし。

近年の漫画・アニメでは、その傾向が強く現れてきていると思われます。
90年代あたりからは、猫耳のついた人間型のケモノ(?)が一般化し始めました。猫と人間が混ざったようなキャラクターもあれば、妖精系としてとがった耳がついているものもありますが。
そのうち、毛皮を着たケモノ以外の動物も擬人化されるようになってきます。たとえば『もやしもん』では、菌類が擬人化されていました。数多くの作品で、妖怪などと言われてきた超自然的存在も、人間に近い形で描かれるようになったとも思います。これは水木しげる先生が元祖なのかな?でも、最近の傾向は水木先生の描いたおどろおどろしい妖怪ではなくて、ゴスロリのかわいい女の子だったり、着物を着た綺麗なお姉さんだったり。
それから、無機的なもの(?)まで擬人化されるようになりました。たとえば『ヘタリア』では、国が擬人化されていますし、アニメ化が決定した『ミラクル☆トレイン〜中央線へようこそ〜』では、中央線の駅がそれぞれ個性的なイケメンになってます。東京零・新宿慎太郎・中野陸・吉祥寺拓人・立川ルネ…。
そんなこと言ったら、洋もので『きかんしゃトーマス』ってのもあったね。
だけど、最近の擬人化は萌えの方向が定着し、しかも腐女子系までシフトしてきているような。

たとえば、『ミラクル☆トレイン』のキャラ設定を見るとおもしろいです。HPはコチラ。東京零は、「幼少のころから徹底した西洋教育をされているため、和の心に疎い」「JR一お金持ちの駅であり、御坊ちゃま体質」。新宿慎太郎は、「人が増える度に適当に増設し、公家の持ち物だった場所も平気で潰して拡大するという、度胸と強引さの持ち主」。中野陸は、「自分がおたくである事は歴史的背景からも自認している」。吉祥寺拓人は、「自分が住みたい町ランクでも必ず上位のアイドル駅であることを自認している」。立川ルネは、「アメリカ軍の影響が大きく、ルックスは金髪碧眼である」。オモロー。こうして見てみると、いちいち頷いてしまうところが、駅ひとつとってみても、それなりのイメージで捉えている部分が少なくないのがわかります。こういう共通認識があった方が、擬人化が受け入れられやすいですわね。

こうして考えてくると、特に二次元や三次元で擬人化されたものを受け入れるかどうかというのは、”慣れ”によるところが大きいのかもしれないと思えてきます。
劇場でシェイクスピア劇を観ていて、人二人が入った馬が出てきたら、自分はどう見るかなぁ。それがシリアスな場面だったとしたら、たぶん、笑いを噛み殺しながら見るでしょうね。だけど、家でDVDか何かで観たとしたら、声を出して笑うかもしれませんね。
もしも、自分が歌舞伎を見慣れていたり、シェイクスピア劇を見慣れていたりしたら、そこで全然ひっかからずに何も疑問に思うことなく演目に集中できるかもしれません。

擬人化もやり方というかキャラによるので、個人的には『きかんしゃトーマス』とか、すごくコワいんですけど(笑)あのコワさは、多少”不気味の谷”作用が働いているんだろうか。
同じ擬人化といっても、近年の漫画・アニメ作品では、思いっきり人間と違う形をしているか、もしくは猫耳キャラだったら、人間の形に耳としっぽがついている程度。じゃなければ、設定だけは擬人化されているけれども、キャラクターの見た目はまるっきり人間。これがアニメでなくCGとなってくるとまた話が違ってくるところが面白いけど、長くなったので、今日はこのへんで。

2009年04月18日

時既に時間切れ

今日は、朝から感動巨編を観ましたよ!
土曜の朝のバラエティ番組で、子供が何かに挑戦するのを応援するコーナーがありまして、いつもはあんまり観ないんですけど、今日は食いつきました。埼玉県に住む小学生の女の子が、県の花であるさくら草を見つけたいっていうんです。そうですよねぇ。たしかに自生している姿は見たことがありません。鉢植えなら見ますけどね。
最初は荒川の土手を探してみます。さくら草は見つからないものの、歩くうちに、彼女が観たことのなかった植物がいくつか見つかるのですが、彼女は植物図鑑とスケッチブック、それに画板のようなものを持ち歩いていて、知らない植物を見つけては、その場で図鑑で調べ、観察して絵を描き特徴をメモし、ものさしを取り出して丈を計ったりしてました。その姿に感動ですよ。なかなかこんなコいません。この歳にして、ちゃんとフィールドワークしてますよ。テレビ用じゃなくて、いつもそうやって歩いているんですよね。その証拠に、いろんな草花の名前をよく知っていました。人が嫌がるフィールドワークを、このコはこの歳にして、自ら進んでやって、しかも楽しんでます。頼もしい。
荒川の土手では見つけられなかったので、山に行ってみようと、今度は三峰山に登ってみます。カタクリなんかは見られたものの、さくら草はありません。
結局、さくら草保存会の存在を知って、保存会のメンバーのお宅のお庭で大事に育てられているさくら草しか見ることができませんでした。しかし、その方から一鉢のさくら草をいただいて、それを自宅に持ち帰った彼女は、大事に育てて、増やしていこうと決意するわけです。それから毎日、水をやり、声をかけて、世話をしているそうですよ。ええ話や。

ひとつのことに、自分なりにこだわりを持っている子供を見ると、安心します。将来、自分が興味を持った分野を背負って、活躍してくれるだろう姿が目に浮かぶからです。たぶん、まわりからは奇異な目で見られがちだと思うけど。
『魚、ギョッ!』のさかなクンを見るたびに思う。あそこまでとなると、相当なものだけれども、好きなものが高じて仕事になってしまった典型の人だと思うんだ。それで食っていけたらそんなにすばらしいことはないけど、金銭とは関係なく、趣味の領域に限ったっていい。とにかく、面白いと思うことを追求してもらいたいなぁ。

本当に書きたかったのは、別のことだったんだけどな。
先日もアキバに行ってきたダンナさん。このクールはキー局同士、アニメの放送時間が重なるケースが多く、ハードディスクレコーダー1台では、いかんともしがたいのですよ。そこで、TV録画用のハードディスク・レコーダーとしてPCを1台組んでまして、それとは別にもう1台新しいPCを組んでいるのですが、増設メモリなどを購入しに行ったのであります。今回は、私はついて行かなかったのですが、ダンナさんの報告によると、アキバはいま『けいおん!』一色なのだそうですね。

それともうひとつ、目に付いたのがTシャツ。アキバで売られているTシャツは、アニメ・ゲーム関連のものが多いですが、ネタTシャツ的なものもあります。で、今イチオシは「おれの怒りが有頂天」ってヤツ。
ゲームをやらない私は、その存在を知らなかったのですが、ブロント語録ってのがあるらしく、ゲーマーさんたちの間では伝説となっているブロントさんの語録をプリントしたTシャツが人気のようです。ブロントさんは、某掲示板に現れては、天才的な言語センスで名言を連発し続け、一躍有名になった方のようで。ブロントさんを騙るブロンティストも多数存在するために、もはや特定するのは難しいらしいのですが、その天才的で不思議な統一感のある言語センスは、そう真似できるものではないと思われ…。
ブロント語録を他にも少し紹介しましょう。以下、原文どおりです(笑)たぶん。

どちかというと大反対
このままでは俺の寿命がストレスでマッハなんだが・・
致命的な致命傷
時既に時間切れ
カカッ
俺を強いと感じてしまってるやつは本能的に長寿タイプ
仏の顔を三度までという名セリフを知らないのかよ
俺は別に強さをアッピルなどしてはいない
あまり調子に乗ってると裏世界でひっそり幕を閉じる
マジで親のダイヤの結婚指輪のネックレスを指にはめてぶん殴るぞ
確定的に明らか
唯一ぬにの盾
破壊力ばつ牛ン

ゲームをプレイしながら掲示板にカキコミをしているのか、打ち間違いや誤変換らしきものも多いのですが、それがいい具合にありえない感じになっているところに味があります。日本語としては微妙におかしなものが多く、同じ意味の言葉がくりかえされたり、反対の意味の言葉を同時に使ったりするのですが、それがまた、妙に哲学的な味わいを出してしまっていて、奇跡的に詩人の言葉のように響いてしまう。このオリジナリティは賞賛に値します(笑)掲示板では、固定ハンドルを使用せずとも、正体を見破られたという逸話もわかるような。彼は、詩人になるといいよ。まさに「破壊力ばつ牛ン」なことばだ!

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2009年04月07日

いばったヤツは嫌いだぜ

新たなクールが始まりまして、新作アニメの初回を吟味している今日この頃でございます。まだまだ出揃ってないので、そのあたりについてはまた後日にということで。ただ、『侍ジャイアンツ』が始まりまして(笑)あらためて観ると、やっぱり面白いもんです。自分の感覚では、『巨人の星』よりもずいぶん後に観たような気がしていたのですが、実際製作された時期は思ったほど離れていませんでした。私は再放送を観ていたのかもしれません。今は亡き富山敬さんが主人公・番場蛮を演じているわけですが、はじけっぷりがスゴイ!作画監督さんが同じ大塚康生さんなので、絵柄が『ルパン三世』を髣髴とさせるのも懐かしい。
この『侍ジャイアンツ』のテーマ曲を歌っているのは、松本茂之とクレジットされていますが、水木一郎大先生の別名であります。作曲は菊池俊輔さん。オープニングも3拍子でさすがに印象的な曲ですが、エンディングの曲の歌詞がまた印象的です。♪いばったヤツは嫌いだぜ〜そっくり返ったでっかいツラの鼻をあかしてやるのが趣味さ〜♪番場蛮というキャラクターの痛快さがよく出てます。

さて、ゆうべの村上龍がいつも眠そうな番組に、スズキ会長兼社長の鈴木修さんが出演されていました。この方のことをよく知らなかったのですが、ものすごい人だった。しごく当たり前のことを言う。難しい言葉を使わず、話がとてもわかりやすい。この人自身が、シンプルで簡素なものを追求しているスズキという自動車メーカーの根幹をなしていることがよくわかる。経済ニュースには疎いもので、知らなかったのだけれども、昨年末に、前社長が体調不良で退任したのを受け、社長に返り咲いたのだそうで。しかし、もう80歳目前?お元気です。今の厳しい状況を作ってきたのは自分だから、若い人に「後はよろしく」というわけにはいかないと、社長兼務を引き受けたのだそうですよ。
修会長が提唱している「小・少・軽・短・美」。部品を小さく軽量化することでムダを省こうという姿勢。けれども、その結果美しさを失ってはいけないということ。うちのダンナさんは、ありとあらゆる車のエンジンルームを見てきているわけですが、スズキの車はほんとうにエンジンルームがシンプルでいてかつ美しいのだそうです。他のメーカーの軽自動車と比べると、他メーカーは1世代から2世代、つまり4年から下手したら8年遅れて見えるのだそうです。
それと、もうひとつ。修会長の人心掌握術がすごい。これもダンナさんから聞いた話。スズキは今も副代理店、つまり町の自動車屋さんにも車を売ってもらうという方式を取り続けていますが、各地域で副代理店を集める会合を持っては、それぞれの自動車屋の社長さんだけでなく奥様の名前なども憶えていて、労をねぎらう言葉をひとりひとりにかけるのだそうですよ。販売成績の良い副代理店は、修会長自らが海外のの工場に連れて行ったり、レース観戦に連れて行ったりして、接待するのだそうです。そういう所で言葉をかけられたり、話を聞いてきたりすると、「修会長がいいこと言った」みたいになって、みんなまたがんばっちゃうんだそうで。
ゆうべの番組では、カースト制度の残るインドの工場で、その壁を取り払うために、映画を作って観せたという話がありました。インドの人は映画が大好きだもんね。インドの工場では、会長自らが食堂の行列に並び、カーストの壁を取り払う努力をしたエピソードも紹介されていました。インドへの工場進出は周囲に反対されたそうですが、今やインドのシェアは約50%だそうですよ。ヨーロッパでは、ハンガリーなんて、いくら民主化政策が取られ始めたとはいえ、直前まで共産主義だった国にいきなり進出してますが、それも大胆な作戦です。
軽自動車のアルトが発売当時47万円という破格な値段を実現させたのも、修会長の原価35万円に抑えろという厳命があったからこそなわけですが、軽自動車という決まった規格があるものを作ることが躍進につながったという話でした。つまり、制約があるからこそ伸びることができる。と。以前、スズキの車に乗っていたので実感していることなのですが、スズキの車はスペースの取り方が上手で、外から見ただけではわかりませんが、乗ってみると意外に車内が広いので、人を乗せると驚かれることが多かったです。
「あるときは送り迎えに、あるときは買い物に…」というところから<アルト>と命名されたということでしたが、ワゴンRも「ワゴンもあーる」ということでの命名。うちのダンナさんによると、昔を遡れば、コレダというバイクも「これだ!」と付けたらしいし。スズキの命名はダジャレからきていて単純だけど、それが美しく聞こえるのが不思議。これも、「小・少・軽・短・美」の一環かい?

ものすごいキレ者なのに、当たりが柔らかく、相手にそう思わせない修会長という人物を見て、世の中にはこんな人もいるんだなぁと、まんまと感銘してしまった私なのでした(笑)

2009年03月27日

盛るぜー。超盛るぜー。

先日、テレビの特番で動画を紹介するというものがありました。何の気なく見ていると、伊豆下田の「一(はじめ)」というとんかつ屋が!ここに初めて行ったのは、もう20年以上も前の話です。それから何度か行ったことがあるお店でして、ご主人がまだまだお元気なのにびっくりしました。時折、テレビで取り上げられていて、見かけてはいましたが。この店に行ったら、余程食欲に自信がない限りはカウンターに座ってはいけません。油断していると、すぐに付け合せのスパゲッティやら千切りキャベツやらを盛られてしまいます。以前、連れて行った友人(男子)は、揚げ物だったかちょっとだけ時間のかかるメニューを注文してしまい、「できあがるまで、これ食べて待ってて」とカレーやら何やらいろいろと出されてしまい、自分の頼んだ品が来るころにはお腹がいっぱいになって食べられなくなってました(笑)しょうが焼きを頼めば、普通とんかつに使うような厚さ1cm以上もあるようなロースのお肉が5枚出てきました。カウンターを避けて椅子席で食べていても、油断しているとおばちゃんがデカいボールを抱えて回ってきて、スパゲッティやキャベツを盛られてしまいます。ほんとにね、どうなってんだ、あの店?(笑)昔から変わらぬ豪快なサービスには笑ってしまいます。

それはさておき、ずっと気になっていることがありました。
それは某食品メーカーのCM。「お茶漬け1杯180kcal!」というヤツです。オイオイ、どうやったらそんなカロリーになるんだい?どう考えたって、ごはんだけでも普通によそったら、おそらく300kcal近くなりますぜ。お茶漬け海苔のカロリーは15kcalだから、残りは165kcal。食品成分表によると、ごはんは100gで約150kcal(148kcal)だから、逆算すると、ごはんの量は110g…。ちなみに、この某食品メーカーのHPでは、「お茶漬け1杯180kcal」のときのごはんの量は100gと小さく書かれています(笑)

グラム数だけではわかりにくいですよね。たとえば、某ファミレスのメニューを見てみると、ライスは300kcal以上あります。ごはんを200gは盛っているということ。某定食チェーン店を見ても220gありますね。牛丼屋の丼物やカレー屋などでは、250〜300gくらい盛られているみたいだから、ごはんだけで375〜450kcalある計算になります。
つまりは、件のお茶漬けは外食で出てくるごはんを基準にすると、半量〜3分の1以下ってことになります。

普段、おうちで食べるごはんの量というのは、人それぞれでしょうが、一般的なサイズのごはん茶碗だと、普通に盛ると200g、軽く盛って150gくらいじゃないでしょうか。100gというと、お茶碗に半分くらいの感覚だと思います。

もうひとつ気になるのは、「お茶漬け1杯180kcal」が栄養成分については触れられていないことです。お茶漬けの構成要素はほぼ”ごはん”。栄養成分でいうと炭水化物ですよね。炭水化物ってのは身体にとってはエネルギーになるもので、体内で糖に変換されるわけです。ところが、摂り過ぎると中性脂肪として身体に蓄えられるもの。低カロリーを謳って、食べてもらおうという作戦なのは見え見えですが、これをもし普通に食べる3食以外に摂るとすれば、身体にとってよろしくないのは明らかです。CMの映像を見ると、タレントさんが食べているお茶漬けは、どう見てもごはん100gには見えませんが…(笑)
育ち盛りの子供なら許されるでしょうが、中年にさしかかったような年代以上の人が、「ダイエットにいいわね」なんて考えようものなら、危険です。小さな注意書きをしっかり読んで、毎食ごはんが100g以下のお茶漬けを食べるならダイエットにつながるかもしれませんが、それはお茶漬けのせいではなくて、ごはんの量を減らしたからに過ぎません(笑)たしかにお湯の量だけお腹はいっぱいになるかもしれないけど。他に何も食べずに、それだけで済ませようものなら、もっと危険度が増しますよね。
ちなみに、お茶漬け1杯の食塩相当量は2.3g。1日に摂取すべき食塩量として推奨されているのが10gでしたよね。この食塩摂取量の是非はひとまずおいといて、もしお茶漬けを3食食べたら、食塩摂取量は6.9g。おかずに味がつけられません(笑)

じゃあ、ごはんを食べない方がいいのかというと、それも違います。
以前にも書きましたが、体質にもよると思うけど、ごはんの量を減らしたり、ごはんを食べなかったりすると、ダイエットには逆効果になることがあります。脂肪を燃やすのもエネルギーの仕事。エネルギー源である炭水化物を摂らないと、脂肪は燃えないってことです。もちろん、エネルギー源の摂取を控えれば、元気もなくなります。あんまりいいことがありません。以前にも記事に書きましたが(低炭水化物ダイエットの落とし穴)、私の場合は、ごはんの量を極端に減らしすぎると、逆に痩せなくなりました。今は毎食130〜140gくらいのごはんを食べてます。小さめのお茶碗に軽めによそったくらいです。カロリーでいうと、200kcal前後ですね。そして、おかずが300kcalで合わせて1食大体500kcalの食事です。そんな生活で、もう4年ほど経ちました。ウォーキングの実践と合わせて、半年で12kg減った体重も、数ヶ月の間に、ストレスと間食と運動不足で9kgもリバウンドしてしまいました(爆)せっかく食事に気を遣っているのに、他で台無しにしてます。もう1度がんばらなきゃいけないなぁ。ただし、食事の内容はすっかり健康的になっているので、以前に比べると身体は調子がいいです。負け惜しみみたいだけど、本当ですよ。

2009年03月02日

アルミとアルミ

ゆうべ、テレビのチャンネルをチャカチャカと変えつつ見てました。”チャカチャカ”ってのは間違ってますかね。チャンネルを直接回していた時代の形容でしょうか。それは、”カチャカチャ”か。どうでもいいんですけども。とにかく、せわしなくチャンネルを変えながら見ていたってことです。
テレビ東京で、ある建築士がアルミで家を作るというのをやってまして、以前拙ブログで少々アルミの家について取り上げたことがあるので(←「まあるいけんちく」)、興味深く見ておりました。私がブログで取り上げたのは、石田保夫さんという方で、アルミニウムを愛するあまり、アルミで家が作れないかと考え、シックハウス症候群などを考えても有効だろうという話だったのですが、今回のテレ東で取り上げていたのは別の方で、アルミに焦点が当たっているわけでなく、奇抜なデザインの建築であることや、価格設定が明確でお値打ちなことが取り上げられていて、その中でのアルミの家だったので、私が求める内容とは少々ずれていました。CMがつまらなかったし、NHKに回してみました。教育テレビだったと思うのですが、多摩川の河川敷で猫といっしょに暮らすホームレスの方たちを取材していました。この方たちのシノギは、空き缶集めです。主にアルミ缶を集めてお金に換えていました。不況の波は、こんなところにも影を落としていて、アルミの値段は、以前の半分近くまで落ち込んでいるとのこと。双方の番組を中途半端に見ていたので、双方とも詳しいことはわからないのですが、一方では捨てられるアルミを再利用すべく、初老のホームレスの方たちが集めてお金に換えている。もう一方では、安いとはいえ数千万をかけて、若い夫婦がピカピカのアルミの家を建てる。空き缶がリサイクルされて、建材用のアルミにはならないだろうけど、すごい対比だと思いました。地球上に存在しているアルミニウムという金属を使って、あんなこともこんなこともするわけだけれども(←「クラーク指数」)。
いろんなことを考えさせられるけど、単純に、どんな仕事であれ「働かないとお金は稼げない」という当たり前のことを思ってしまうわけです。
これらの番組を見る直前に、録画していたものをたまたま観ていた『獣の奏者 エリン』というアニメ。さほど面白くないのに、これから1年も観続けなければならないことを考えたら、ちょっと憂鬱になるほどなのですが、観始めた以上は仕方ない。原作は面白いのかもしれないけどなぁ。闘蛇という戦闘用の竜を飼育する村で、闘蛇を診る医者である母と暮らしていた少女エリンのお話。ところが、大切な闘蛇がある日突然全滅してしまって、その罪を着せられた母は処刑されてしまい、一人残された娘のエリンは流れ流れて見知らぬ土地へ。そこではちみつを作ってる屁こきのおっさんに助けられるわけです。そのおっさんが、エリンが母を亡くしてしまったことを知り、自分で作ったはちみつとパンを食べながら、「人は生きるために食べ、食べるために生きる」と語ります。
そうなんだよね。人生、非常にシンプルに突き詰めると、そういうことなんだよね。河川敷に暮らすホームレスの人たちも、アルミの家を建てて悦に入る若夫婦も、食べては生き、生きては食べしてるんだ。ヒトも生物だって考えれば、当然の営みなんだけど。だけど、そんなに単純にはいかないもので、それだけのシンプルなことが容易にできないというのが現実。現に、件の番組では多摩川の河川敷を取材中、人が橋から身を投げた現場に遭遇。自殺であろうとのこと。取材していた方は、取材する中で河川敷のそこここに花が手向けられているのを見たそうだ。あるホームレスの人も、「こういう暮らしをしている人は、一度は死を考えた人だと思う」と語ってた。川だけに、まさに彼岸と此岸の分かれ目だね。象徴的に見えるけれども、実は意識できないだけで、誰しもが彼岸と此岸の分かれ目を歩いているんじゃないかな。今や誰だって、何かの拍子にいつ彼岸に転げ落ちても不思議じゃないんだからさ。

まったく関係のないそれぞれのことが、アルミという金属を通して、私の中で繋がってしまったのですよ。リサイクルされる物質はいろいろあるのに、自分の中では、なぜかアルミは人間の生き死にと近い感覚があるなぁ。
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2009年02月05日

裸蟲の数え方

最近、ハマっている漢和辞典。
パラパラめくっていると、面白くて止まらなくなる。

昨日は、漢数字の一から十について調べてみた。
一から三までは、成り立ちが簡単に想像できる。1という数字に関しては、今数字に関する本を読み出したところなので、あらためて記事にしたいと思う。二については、特に面白いこともないんだけど、三にはすでに「たくさん」という意味が含まれるらしい。作り話なのか、どこぞの部族では数の概念が「1つ、2つ、たくさん」と3通りしかないなんて話を聞いたことがあるけど、とはいえ三という字で「たくさん」という意味を持つ熟語を探してみると、なかなか見つからない。

四というのは、縦線が4本並んだものが変形した字だとばかり思っていたのだけれども、そうではなくて、元々横線4本で表していたものだったのが、四という字を借りて表すようになったらしい。ちなみに、四は口を開けて歯や舌が見えるさまで、「息つく」という意味。もひとつちなみに、四って部首でいうと”くにがまえ”になるのね。普段、横長に書くから、どうもそうは思えないんだけど。私だけ?
五は、糸巻きの形の象形文字。物が交差した形を示す指示文字でもあるのだけれども、それを借りてる。
六は、家屋の形で、「屋」の原字。
七は、もともと「+(プラス)」のような形の、横線を縦線で切断するさまで、「たちきる」という意味。「切」の原字。
八は、互いにそむき合っている二本の線で、「わかれる」意。おめでたかったりするイメージがあるんだけど、「わかれる」という意味だったのね。
九は、うでを曲げた形で、数のきわまりを表す。「曲がる」ことが「つまる」ことに通じるのはちょっと苦しい気がするけども。
十は、針の形で、針の原字。
と、こんな具合。なんで数字にその字を借りることになったのやら、結局よくわからない。
またまたちなみに、中国での金銭証書や公文書などでは、「壱・弐・参・肆・伍・陸・柒(漆)・捌・玖・拾(什)」というような数字を使うらしい。ご祝儀を包むときなんかには、旧字体の漢数字を使ったりするけれども、中国の影響なんだろうか。仕事で、たまに手形の金額がずらずらと漢数字で書かれているものを見かけたことがあるけれども。間違いのないようにってことなのかなぁ。一・二・三とかだと簡単に改竄できそうだもんね。実際は、すげぇ読み取りづらいんだけれども(笑)

もうちょっと調べてみると…
百は、一と、「大きい」という意味の音符「白」とから成る字。
千は、一と、音符「人」とで表されたもの。
万は、うき草の象形文字で、萬の略字。萬は、さそりの形。
億は、人と、「心をみたす意」の意から成っていて、人が安んじるという意味。
兆は、うらないで亀の甲に現れたわれめの形で、「きざし」の意。

やっぱり、さっぱりわからない…。
けっこうテキトーなのね。

長い歴史の中で、漢字も相当変化していっているようで、何かに読み替えられてしまうというようなことが多すぎる。前回取り上げた「寸」という字でも、もともとは手を意味する「又」が、寸に変わってしまっている字というのが少なくないようで、「寺」も「対」も「専」も「封」も「射」も、「寸」と書かれている部分は、もともとは「又」だったらしい。漢字とて、今の形が完成形と思いきや、中国では次々と略字が考案されているみたいだし、やっぱり時代とともに変化しているのね。
漢字の解釈については、諸説あるようですから、ここに書いたものは、ひとつの説としかいえないのかもしれませんけれども。

タイトルの「裸蟲」というのは、「人間」のことを指すことば。毛の生えていない虫ってことなのね。毛が生えていて当たり前の、陸上生活動物の中では、「コイツら、毛も生えてねーでやんの!」的な扱いなのかしらん。
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2009年02月03日

単位の日

ある日、テレビを観ていたら、立て続けに聞きなれない言葉を聞いた。それは、みな何らかの単位だった。

最初に聞いたのは、パーミルケルビン。二つとも、なんとなく聞いたことがあるような…という感じ。
これは”タービダイト”を解説している地質学の先生らしき人の口から出てきた。まず、タービダイトって何だよっ!(笑)タービダイトってのはですねぇ、大陸棚斜面において発生した混濁流(タービティティー・カレント)が海底谷を下り、深海底に堆積し、形成されたもの。こんなの。通常のように水流の勢いが一定ならば、粒の大きさが違う小石と砂が混ざるような地層はできないはずなのですが、洪水や集中豪雨などがあると、様々な大きさの石や砂が混ざった状態で堆積するというわけですね。つまり、重いものが沈むのだろうから、粒の大きさは水流がなければ、ある程度は揃うはずだということらしい。どこを見ても説明がわかりづらいんだが、つまり、タービダイトってのは、砂岩と泥岩が交互に堆積した地層を指すってことかな?あぁ、あの先生の解説をもっとちゃんと聞いておくのだった…。

いかん、いかん。今日の本題はこれではないのでした。単位の話ね。そこで出てきたのが、まずパーミル。これは、千分率のことで、‰と表記される。パーセント(%)に余計な0がくっついてるよ!例えば、5%=0.5‰ってことだね。どっかで聞いたことがあると思ったら、道路や鉄道の勾配を表すのに使われてたのか。あれ?でも道路標識なんかはパーセント表示だよね?あとは血中アルコール濃度か。あんまり縁がないから実感ないな。例えば、飲酒轢き逃げのニュースとかでも、アルコール濃度まであんまり言わないよね?
もうひとつがケルビン。これもどっかで聞いたことがあるけど、よくわからない。これは、温度(熱力学温度)を表す単位。「すべての分子の運動が停止する絶対零度を 0 ケルビン(K)とする」そうか、絶対零度ね。普段使い慣れてる温度の単位はセルシウス度というらしいんだけど、”摂氏”というのは”セルシウス”の音訳だったのか!水の凝固点を0℃、沸点を100℃にしたヤツね。たまに華氏の温度を聞くと、摂氏でいうと何度くらいになるのかまったくわからなくて混乱するよね。って、ケルビンどっかにいっちゃったよ。

で、もうひとつ、これは別のテレビ番組で同日に聞いた単位、エレクトロンボルト。電子ボルトだね。なんか強そうだ!「1Vの電位差がある自由空間内で電子1つが得るエネルギーを1eVとする」おぉ!なんのことやらわけがわからない(笑)非常に小さなエネルギーを表すときに用いる単位ってことだね。素粒子の質量とか。全然強くなかった!これが、素粒子レベルで高エネルギーになると、MeV(メブ)・GeV(ジェブ)・TeV(テブ)となっていくのだとか。メガ・ギガ・テラがくっついてるのかな。「チバ・シガ・サガ!」みたいだな(ヒント:ラーメンズ)エレクトロンボルトは、単に「イーヴィー」と発音されることも多いらしく、そっちの方が聞いたことがあるような。

そんな単位を耳にした同日、何の気なく漢和辞典をパラパラ見ていたら、という字が目に付く。どうでもいいことだけど、「スン」と読む字はこれ1字しかないんだね。「寸」は、手の形に点が加えられている象形指事文字。手首の脈をはかる意。また、手のひらの付け根から手首の脈までのあいだを基準にする長さの単位。今でいうと、1寸=3.03cm。
わたくし、苦手なことのひとつとして「脈をはかる」という行為があります。脈をはかると全身の力が抜けてしまうのであります。だから、小学校時代の運動能力テストでの踏み台昇降は地獄でした(笑)幼少の頃にまぶたが釘で引き裂かれるという怪我をした際、自分の手に握られていた血だらけのビー玉を見てトラウマとなり、血がダメなのですが、脈をはかるという行為が、血液を想像させることで、全身の力が抜けるのではないかというのが自己分析。
なので、滅多なことでは自ら脈をはかるということはしないのですが、やろうとすると、どこが脈ポイントなのかわからず、いつも困っていましたが、そうか、手首の付け根から1寸ね!
憶えておこう。

単位で思い出す話は、大学受験のときのこと。私が通った大学は、入試問題がユニークな傾向があったのだけれども、日本史の試験が特に面白かった。「たかしくんはお父さんとお寺にでかけました」みたいに始まった問題。その時点でもう可笑しくて笑いを堪えるのが大変だった。まわりを見回して、みんなよく平然と試験を受けてるなと感心した覚えが。寺院の伽藍配置や、日本史なのに万葉集が出てきて、途中で「あれ?今、国語のテストだったっけ?」みたいな錯覚に陥ったり。で、とどのつまりに「銀○匁は何貫でしょう?」ときた!もう、心の中で「なんじゃそりゃー!」と絶叫しましたよ。ほかにも、高校の教科書にそんな細かいこと載ってんのかって問題ばかりで、問題文のソフトな印象と裏腹なトリビア的な問題に、笑うしかなかったわけですが…。それでね、匁とか貫とか言われても、ほんとに全然わからなかったんですよ。1貫=100両=1000匁なんですね。そんで、1匁=10分なんだ。あとは厘、毛と続くんですね。分・厘・毛あたりは把握してたけど、匁はほんとに見当も付かなかったなぁ。どうでもいいことだけど、匁は銭の重さの単位だったから、5円玉は今でも1匁なんだそうです。3.75g。

ってことで、どういうわけか1日のうちに様々な単位が頭に残ったので、調べてみました。人が生活する上で、また何かを表現する上で、単位という基準は確かに必要なんだが、いろんなものがあるよなぁ。国が違えば変わってきちゃうし、換算しなきゃならなくなる。物質的なものはそれで済むけど、貨幣はそう簡単にはいかないよね。そんな不確かなもので、世界は動いているんだよなぁ。
Posted by nbm at 11:48  |Comments(2)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

膝上何cm?

不況だと、スカート丈は長くなるという話がありましたね。現在を考えると、あまり関係ないような…。
このクールで第4期を放映している『まりあ様がみている』では、制服のスカート丈が異常に長くて新鮮に感じたのですが、こんなニュースがありました。

それは、女子高生の制服のスカート丈についてのニュース。新潟県が全国で一番スカート丈が短いらしく、それはよろしくないってことになった。発端は2005年に写真週刊誌で、「東京よりも5cm短い」と報じられたこと。教育委員会などでも議論されてきたらしいけど、具体的な策は出ず。最近になって、生徒指導の先生たちが啓発ポスターを作るなどして、スカート丈を長くさせようと動き始めたらしい。

どうやらこの制服のスカート丈には、地域差があるようで、反対に長いのは、兵庫県や大阪府のあたり。イメージ的に、神戸あたりのお嬢様学校とか、宝塚音楽学校なんかを思い浮かべてしまうから、やっぱりお上品な感じなのではないかな、と。
あと、制服のデザインもスカート丈を左右するようです。最近主流の、ブレザーにチェックのスカートというようなスタイルだと、短いスカートの方がバランスがいい。逆に、セーラー服は上着が短いので、スカート丈が長い方がバランスが取れる。『まりあ様がみている』もセーラー服だな。それ以前に、お嬢様学校という設定もあるけど。

なぜに短くするのかについては、諸説あり。大多数は、流行でみんながやっているからという考え方。あとは、足が長く綺麗に見えるという意見もあるけど、単純に”かわいい”からというだけだったり。実際に、新潟の女子高生たちは、インタビューにそう答えていたね。ところが、東京の女子高生はどうかというと、スカート丈は、一様に短いように見えるけれども、人それぞれ、自分の体型を考えてバランスのよい丈にしているはずだという意見が。不思議と、みんながやっているからというように流行に遅れまいとするような意見は前面に出てこない。
東京では、もはやあまり短すぎるのは下品だという流れになってきているよう。流行の先端を行っているなら、極端なのかと思いきや、もうスカート丈自体がどうでもよくなってきているような。ただ、基本は短めというのは変わりないと思うのだけれども。制服を研究している方によると、こういった都市部の流行が全国的に伝播するのには5年くらいかかるのだそうで、だいぶタイムラグがあるという話。

そういえば、現役女子高生である姪が言っていたっけ。それは、靴下の話なのだけれども。一時すたれたルーズ・ソックスをここにきてまた履き出したコたちもいれば、ニーハイを履いているコもいる、と。靴下ひとつとっても、個人の趣味で着こなしているのかもしれません。もちろん、校則の締め付けが少ない公立校だからできることなのでしょうが。

自分が高校生の時代は、もうン十年前になりますが、短いスカートのコが極少数だけれども出始めた頃でした。中学生時代は、まだ、標準よりも長いスカートをチョイスしていたコもいたので、流行のスカート丈というのが長いものから短いものへと変わった、ちょうど転換期だったかもしれません。でも、自分のスカート丈を覚えてないなぁ。膝丈くらいだったかなぁ。短くも長くもなく、極標準の制服だったのですが。

制服は決められたものですから、その制限された中でいかにおしゃれをするかというのがテーマになるわけですよね。
自分の学校はブレザースタイルだったのですが、ブラウスは自由に着てました。ボタンダウン・シャツを愛用していたのですが、開襟シャツを着たりもしました。夏場は、スカートと共布のベストを着るのですが、私はわざとベストを着ずに、サスペンダーを使ってました。当時、都内ではサスペンダーが流行っていたので、それを真似して(笑)自分の学校には、サスペンダーをしていたのはもうひとりくらいしかいなかった…。冬場は、みんなベストをニットのものに替えて着たりしていましたね。あとは靴。基本はローファーでしたが、たまにはコンバースのハイカットを履いたり、ワラビーを履いたりしてました。バッグも自由だったので、キャンバス地のサイクル・デイバッグを愛用してました。制服でも許されるギリギリの線で、自分なりにTPOを考えていたつもり。中にはブランドもののバッグで高校に来るコもいましたが、それはちょっといただけないなと思ってました。

最近はあまりみかけなくなったけど、ローファーのかかとをつぶして履くのが流行っていたときに、歩きづらそうだし、カッコ悪いし、なんであんなことするのか理解できませんでした。ムダに胸元のボタンを開けたり、リボンをだらしなく結んだりするのもカッコ悪い。くずすのもいいけど、やっぱり制服はビシッと着るのがカッコいいと思うんだけどな。

短いスカートでもけっこう!ただ、穿くのなら覚悟をして穿けと言いたい。エスカレーターとかでモジモジ後ろを隠すとかしない!そこまで短いのを穿いてるなら、堂々とパンツを見せなさい!(笑)それがいやなら、見えてもいいようにパンツを二重に穿くとか、スコート感覚のものにするとか、ブルマを穿いておくとか、工夫するように!ただし、ジャージを穿くのは許しません(笑)モジモジされると、こっちが恥ずかしくなるんだよねぇ。

関係ないけど、わが母校はいまや数少ない学ランの高校。自分の趣味として、学ランは萌えるので(笑)、残してほしいものだと思っています。



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2009年01月29日

ガラガラ

昨夜は、ある葬儀があって、夜の六本木へ。
なんか、すごく違和感がありますね、葬儀と夜の六本木って…。教会で行われたのでね。東京タワーが見守る中、厳かで静かな式でした。
電車で行こうかどうしようかと迷う中、喪服で電車に乗っていくのも嫌だなと、結局車で行くことをチョイス。ダンナさんの運転で、友人たちを乗せて向かいました。途中、当初電車で行くと言っていた他の友人たちも、車で向っているとメールが入り、道路状況やら現在地やらを連絡しつつ、向いました。なんだか、昔、無線で連絡を取りつつ走っていたのを思い出す。彼らは、首都高速を使い、結局30分程度で到着してしまったとのこと。夕方だというのに、首都高はガラ空きだった様子。私たちは、高速を使わずにのんびり向っていましたが、幹線道路とて空いているのは同じで、以前だったら、夕方はメチャ混みの状態なはずの道路が、渋滞など全くなく、スイスイでした。ホントに、考えられない…。
そういえば、夜の六本木の街も、人通りが少なかった。かつて、ディスコやクラブで賑やかだった通りも、静かなものでした。

しかし…最近の都内は、車が走っていない。
目の当たりにしましたよ。不景気が、こんなカタチで現れるのですね。一時期、ガソリンが高騰したときには、走っている車が減ったのでしょうが、ガソリンは大分安くなりましたよね。とすると、やはり物流が止まっているということなのでしょう。製造業では、仕事がなくて工場のラインが止まったりしているのでしょうか。製造業に勤める人からは、臨時休業、つまり強制的に休みを与えられているという話も聞きました。全体的にそんな感じだとすれば、物は動かないし、そうなると営業車や物流のトラックなどが少なくなるのは当然のことなのでしょう。思い起こしてみれば、走っているトラックが少なかったような気もします。しかし、本当に道が空いていました。帰り道など、まだ早い時間帯だったのに、まるで夜中のような空き具合。空いていてよかったのですが、ここまでだと気味が悪いや。

一方、行きの途中で面白いものを見ました。それは、ヒッチハイカー。”日本橋”ってプレートを出してた。あれは板橋あたりだったかな。タクシーが止まったら面白いねとか話していたんですが(笑)いるんですね、ヒッチハイカー。大概、乗せてくれるのは普通車両じゃなくて、トラックですよね?違うの?しかし、トラック自体が少ないってのに、きっぷのいいトラックの運ちゃんも少なそうです。彼は、日本橋に辿り着けただろうか。友人の話によると、10年前くらいは、ヒッチハイカーもよく見かけたそうだけど。最近でも、たとえば地方から東京に来るのに、ヒッチハイクで来る人とか、いるのでしょうか。

帰りがけには、10人くらいで食事をしたのですが、あらためて、我々夫婦の日常会話が、オカシイことに気付かされました(笑)いちいち語句の解説をしないといけない会話ってなんだよ!お外に出たり、人と会ったりすることは大事ですね(爆)

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2008年12月02日

発熱する素材

私は元来熱がりなので、肌着というものをあまり利用しないのですが、最近、父の誕生日にプレゼントするために色々と見てまわりました。評判の機能性下着をプレゼントしようかと思ったのですが、今は色々とあるものなんですね。
まずは、繊維自体が発熱するというもの。大人気のユニクロのヒートテックが代表格ですね。これは、東レと共同開発した素材で作られていて、ユニクロ側のプレスリリースを見ると、発熱機能が一番に謳われてますが、不思議と、東レ側にはそんなこと書いてありません(笑)どういうことでしょう?保温機能には問題はなさそうですけども。ユニクロの製品は、やはりリーズナブルですからね。あの値段で、強烈な発熱効果を期待するのはちょっと難しいかもしれません。
しかし、この発熱機能というのをミズノのブレスサーモでは体験できました。店頭に発熱素材と霧吹きがありまして、この素材に霧吹きで水分を与えると、ほんのり温かくなります。羽毛やウールなどの天然素材の3倍の発熱量で、運動などしなくても常に身体から発散されている水分によって約プラス2度になるらしい。これは、哺乳類や鳥類の体温維持メカニズムをヒントに開発されたもので、人体から発生する水分を吸収して、その吸着熱で発熱するというもの。こちらは、さすがにちょっとお高いです。ユニクロの価格の3倍はするよ。
同様の素材を使ったものは、デパートの下着売り場でも売ってました。ここで、別物の機能性下着を発見。それは、NASAが宇宙服のグローブ用に開発したという素材で、アウトラストというもの。熱いときには放熱しながら蓄熱し、寒いときには蓄熱した熱で保温するというコントロールができるものらしい。つまり、冬場に満員電車を乗り降りしたりするときには、外気温が変化するわけで、このような場合に熱をうまくコントロールして快適なまま保ってくれるという素材。極小さなカプセルが素材に編みこまれていて、このカプセルの中の特殊なパラフィン・ワックスが熱によって融けたり固まったりする作用により、吸熱・蓄熱・発熱してくれるという仕組み。ちなみに、ユニクロでもアウトラストのフリースなんかを2004年から発売しているようなのですが、アウトラスト素材としては破格の価格だったらしい。一体どうなってるんだろう?

他にも色んなメーカーが色んな製品を出しているのでしょうが、この辺りが目につきました。ですが、うちの父はちんちくりんで、本来ならSサイズが着たいというのですよ。ところが、どういうわけか防寒用下着自体、あまりSサイズが作られないらしい。Sサイズの製品がユニクロのヒートテックしかなかったため、試しにと結局ヒートテックの下着をプレゼントしてみました。しかも、今大人気で品薄。色もそろえられなかったよ(泣)ブレスサーモなんかと比べると、あんまり発熱効果は期待できないかもしれないんだけどねぇ。あと、ブレスサーモは黒っぽい色が主で、スポーツするのを前提として作ってるからなんでしょうけど、例えばワイシャツの下に着たいって思ったら、白くなくちゃダメだよねぇ。ベージュとかさ。ブレスサーモの一番温かいウール混紡の製品は、黒しかないんですよ。これで白っぽいものがあればなぁ。

自分が温かい素材というのに興味がなかったので、まったく知らなかったのですが、高機能下着ももう数年前から当たり前になってきているのですよね。ウィンター・スポーツをされたり、寒がりな方は詳しいのでしょうが、知らない世界を知りましたわ。

Posted by nbm at 11:39  |Comments(2)TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする