ため息混じりにそう呟くと、友人はラップトップの画面を私の方へ向けた。
そこには自由報道協会賞の受賞が内定していた政治家、小沢氏の受賞選考に関して自由報道協会への批判が続出していると報じるニュース記事( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120126-00000001-jct-soci&1327573340 )が映し出されていた。
無論、同協会に関わるインターンとして既に協会内部でのやり取りを見ていたということもあるが、私は特段この記事が大々的に報道されたことに対しては驚きも落胆も感じなかった。
それどころか、当時協会内では今回のイベント自体を中止或いは延期にするべきであるという議論が進行しており、この後の展開はどうなるのやらと一抹の不安を感じずにはいられない状況にあったからだ。
私個人の印象としては、正直この手の議論はもう少し早目にすることはできなかったのかと疑問に思いつつも、会員達のやり取りを見守るしかない。
設立一周年を記念して進められてきた一大プロジェクトに暗雲が立ち込み始めたのは明らかであった。
「命ある限り」―ジャーナリスト達のプロ魂
さらに遡ることその数日前、1期から3期までのインターンが勢揃いし、事務所にて自由報道協会賞へ向けた準備を進めていた。
そこへ“US OPEN 2010”と書かれたジャケットを羽織った上杉代表が颯爽と現れた。
ジャーナリスト休業宣言で肩の荷が下りたのか、その表情は多忙を極めた日々と比べて一段とすっきりとして見える。
得意のジョークも普段よりキレを増しているようであった。
その後一通りの作業を終えた我々インターンは上杉氏に連れられ、事務所近くの中華料理屋にて夕飯をご馳走になった。
久々にじっくりとお話を伺う機会を得て、早速私は以前から詳細を知りたいと思っていた、同氏が2003年のイラク潜入取材の際に遭った大事故、その後のフランスでの半年間の入院生活について質問した。
「乗っていたタクシーが列車に突っ込んで、その瞬間は本当に映像がスローモーションだった」
「連日眠れないほどの猛烈な痛みに耐えられたのは、実はワインはいくらでも飲んでよいというフランスの病院独自の方針のお陰。」
「事故が起こった時は、もう二度とゴルフは出来ないと覚悟した。」
尋常ではない大事故とそのリハビリ生活を飄々と振り返る上杉氏の体験談は二時間近くに及んだ。
気が付けばインターン全員が疲れを忘れて話に引き込まれ、笑顔を取り戻していた。
大学の試験や就職活動、そして同賞の運営準備に追われていた我々はフラストレーションからの束の間の解放を味わい、トンネルを抜けたような高揚感に包まれたのである。
「事故の話で終わっちゃったよ今日。中富くん責任取って」
一流の業界人ならではの一流の締めの冗談に釣られて不覚にも笑ってしまった私だが、内心は「本当に、生きていてくれて良かった」と切実に思った。
今この場に生きていなければ“アンチ記者クラブの急先鋒としての上杉氏”、“デマを流していると非難を浴びる同氏”、そして今この場で我々のような若者を前にしても決して驕ることなく、気さくに対話してくれる同氏は存在しないのだ。
“不撓不屈”—自ら病に冒された身体に鞭を打ち、真実を追求し続ける男がいる。
ジャーナリスト、日隅一雄。
弁護士にしてNPJ(News for the People in Japan)編集長。
昨年5月、胆嚢末期ガンにより余命半年を宣告された同氏は闘病を続けながら、現在でも原発事故真相解明のため最前線に身を置いている。
同氏のジャーナリストとしての信念に敬意を表し、自由報道協会賞の大賞は「日隅一雄賞」と名付けられた。
自らの命を省みず、プロとして与えられた役割を全うする日隅氏。
「なんとしても同氏の名が“大賞”として歴史に残されなくてはならない」。
私は授与式が無事に開催されることを願っていた。
物議を醸した「自由報道協会賞」授賞式
2012年1月27日、麹町会見場にはテレビでも度々拝見する層々たる顔ぶれが集まっていた。
開催に至るまでの様々な問題を乗り越え、授賞式は無事に開催へと漕ぎつけたのだ。
我々インターンは普段の会見以上の緊張感を持って授与式を運営し、出席者の方々の荷物検査のため金属探知機も導入。
小沢一郎氏のご挨拶を皮切りに、授賞式は予想以上の盛り上がりの中進行された。
そして大賞の日隅一雄賞はIWJの岩上安見氏が受賞。
トロフィーと賞金贈呈のため壇上に上がられた日隅氏は頬が痩せこけ、闘病の過酷さを窺わせた。
しかしはっきりとした眼差しで我々一同を見渡すと、優しい口調で冗談を言った。
この発言がその後各方面からの批判を受けることとなるが、当時会見場に居た私はこの発言(冗談)に対して笑った。
この時ネット中継を介して画面上で授賞式を見ていたり、授賞式自体を全く見ずに後に話題となるニュース報道だけを受け止めていたら「問題のある発言だ」と思ったかもしれない。
しかしその場にいた者として、会場の雰囲気も日隅氏の発言を気に止める様子も一切なく、その場の状況は至って普通の冗談と受け止めたに過ぎないものであったと断言したい。
私はむしろその“問題の発言”に至る前の日隅氏の一言目が印象に残っている。
「有名な方々がプレゼンターとしてスピーチされて、その後私が出てきたら誰だこいつはと皆さん思われるているかもしれませんね」という趣旨の発言だ。
余命を宣告され、最期を意識しても尚あくまでも国民へ情報を伝える裏方として自らを卑下したのだ。
問題の発言に関する非難ばかり目立つが、この日隅氏のプロとしての姿勢こそ注目されるべきであると私は思う。
「タリバン人なんてものは存在しない。」―常岡浩介
授賞式終了後、惜しくも受賞こそ逃したものの作品や記事等がノミネートされた方々によるスピーチが行われた。
その中でも茂木健一郎氏がTwitter上で「話が圧倒的に面白い!」と呟いていたのがジャーナリスト、常岡浩介氏のスピーチだ。
アフガニスタンでの5ヶ月もの間、犯罪組織ヒズビ・イスラミによる拘束体験を描いた漫画「常岡さん・人質になる。」が自由賞にノミネートされていた。
「最近も海外にいまして海外のニュースを見ていて思うところがありました。日本ではダルビッシュの契約のニュースをトップで、次に駅伝を報じていましたけど、原発問題や中東革命などがまさに起きている中でスポーツ選手の話題をトップで報じるのは日本のテレビ局だけではないでしょうか」
「長崎放送を辞めてフリーになった時、大手テレビ局の方々とお話しする際、しっかり話さなければと身構えた。ところが彼らは“アフガニスタンを支配しているのはタリバン人ですか”なんてあり得ない質問をしてきた。タリバンは組織であって人種ではありません。大手メディアで働かれている方々の教養のなさに拍子抜けしてしまった」
その後Twitterでは常岡さんが「しまったぁぁあ!!!さっき、スピーチの機会をいただいたのに、持ってきた人質マンガとロシア本の即売を宣伝するの、忘れてた!!!」と呟いていたのでこの場をお借りして宣伝します。(ちなみに私は二冊とも拝読しました。)
(撮影:小川裕夫)
■「常岡さん、人質になる。」
常岡さん、人質になる。
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■「ロシア語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記」
ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書 71)
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「姑息な人間になるな。決してブレなければ必ず見てくれている人がいる。」−茂木健一郎
授賞式が無事に終了し、我々インターンは授与式のセッティングや「自由報道協会」とカービングされたスイカをご用意して頂いたイタリアンレストラン「Elio」さん(http://www.elio.co.jp/)にて行われた懇親会に参加させて頂いた。
到着するとすぐに我々のテーブルの許へ現れたのが脳科学者、茂木健一郎氏だ。
個人的に印象的だったのはこちらが圧倒されるほどの茂木氏の凄まじいエネルギー。
時に過激で、かつ論理的で核心を突くストレートなお言葉に聞き手の脳からはドーパミンの分泌が止まらない程の爽快感を覚える。
話の詳しい内容についてここに掲載する事は避けるが、趣旨は以下の通りだ。
「ブレない生き方をすれば支えてくれる人が必ずいる。惰性で人に流されてはいけない。常に自分の価値観を元に行動せよ。」
内側から湧き上がるエネルギー、人を巻き込む渦の中心になる人間とはまさに茂木氏を指すのかもしれない。
「日本の反原発運動を次の次元へもっていく」―山本太郎
次に我々は俳優、山本太郎氏とお話した。
同氏の表情を拝見して真っ先に気がついたことがある。
とにかく顔全体に脂肪がなく、引き締まっている。ウェイトトレーニングではなく、徹底的に走りこむタイプの鍛え方をしているのだろう。
最近ご出演された映画で軍人を演じられた関係で役作りを徹底していたのかもしれない。
同氏のお話はドイツへの反核デモを見学した印象から始まった。
ドイツにおけるデモは様々な層の人々を取り込む工夫がされており、バンドの演奏など賑やかな雰囲気で行われるのだという。
そのため家族連れやカップルが気兼ねなく集会に訪れて活動の規模は自然と拡大する。
「是非もっと海外に出て視野を広げて欲しい。日本ではまだ勇気を出して立ち上がる人が少ない。」
体制に反旗を翻す活動家としての重圧、そして一貫した反原発への想い。
山本氏のメッセージは力強いものであった。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」ーヴォルテール
フリーランスとして長年の弊害を経験したジャーナリスト達が昔年の想いで創設した自由報道協会。
その一周年記念を迎えた心境は、僅か数ヶ月しか携わっていない我々インターンには容易に想像できない。
同協会に対する批判は、この数ヶ月でも大幅に増加した。
社会的な注目が増し、世に知られる存在となった以上避けられない段階を今まさに迎えている。
関連するあらゆる批判或いは議論の内容の是非はともかく、常に進化し続けるこの"生きた組織"に身を置けることは我々にとって願ってもやまないことである。
(撮影:インターン小島香織)
懇親会の席で茂木健一郎氏がさり気なく引用したフランスの哲学者、ヴォルテールの言葉が今でも私の脳裏に焼き付いている。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
批判を恐れず立ち上がる人々。
閉塞的な日本社会における、真の"言論の自由"確立を担う彼らは今日も歩みを止めない。
中富 玄