東京電力福島第1原発の事故は急増するエネルギー需要に対応するため原発推進に動く新興国を揺さぶった。「今世紀半ばには日本を抜いて中国、米国に並ぶ経済大国になる」との予測もあるインドでは、原発建設への反対運動が激化し、シン政権に政策の見直しを迫っている。【ゴラクプール(インド北部)で杉尾直哉】
小麦やサトウキビ畑が広がるインド北部ハリヤナ州ゴラクプール村。政府の原発建設計画(2800メガワット)に反対する農民らがファテハバードの政府出張所の前で連日抗議の座り込みを続けている。話を聞こうとすると私服警官2人が現れ「外国人が何をしている」と詰問してきた。約20キロ離れた原発建設予定地の農家を訪ねると、地元警察の副署長が警察車両で駆けつけ「住民とどんな話をしたのか」などと聞いてきた。インド国内の取材で警察に付きまとわれたのは初めてだ。
東京電力福島第1原発事故の後、インドでも反原発運動が広がり、暴動に発展して死者が出たケースもある。ゴラクプールではこれまで当局と住民の衝突はないが、警察官から「お願いだから我々と住民の間を引き裂くようなことはしないでくれ」と言われた。外部の人間に住民が感化されるのを恐れているようだ。
農民の座り込みは10年8月に始まった。小麦農家のサドラムさん(41)は「先祖から受け継いだ豊かな土地を渡さないことが当初の目的だった。だが、フクシマ事故以降、目的は『原発を許さないこと』に変わった。技術大国の日本で事故が起き、衝撃を受けた」と話す。周辺の約30村が計画に反対している。
座り込みに参加中、3人が体調を崩して死亡した。昨年8月に60歳の父親を亡くしたサンディープさん(24)は「父の遺志を継ぎ、計画を阻止する」と話した。別の住民は「原発で大地が汚され、子孫が代々苦しむくらいなら、我々が今、命を懸ける」と話した。
電力不足が深刻なインドでは、国民の4割がまったく電気のない生活をしているとされる。ゴラクプール周辺も1日数時間しか供給がない。住民は「ロウソクをともして暮らせばいい」と話す。
しかし、インドのシン政権は、稼働中の原子炉20基に加え、新たに60基を増設する計画を変えようとはしていない。電力不足解消のため原発を推進し、反原発運動への圧力を強めている。
南部タミルナド州では2月、原発建設に反対する三つの非政府組織(NGO)に対し、当局が外国為替法違反などの容疑で捜査を開始した。「米国など外国の団体から違法に反対運動の資金を受けている」という理由だ。関係者によると、貧しい子供らへの支援目的だった資金を反原発運動に回したことが「違法行為」に問われているという。シン首相も「我が国の原子力政策は、米国などのNGOの無理解によって、問題に陥っている」と公言している。
反原発活動家として知られ、「住民扇動」容疑で逮捕された経歴もあるコルセパティル元ムンバイ高裁判事(70)は「政府はあらゆる手段を使って住民運動をつぶそうとし、フクシマ事故以降、その傾向が極めて強くなった」と指摘。「このままでは(住民や活動家)全員が刑務所に入るしかない。問われているのはエネルギーよりも言論の自由だ」と訴えた。
インドが原子力開発に着手したのは独立翌年の1948年だ。英国やカナダの協力を得て実験炉を設置し、69年には米国の技術による国内初のタラプール原発を稼働させた。しかし、74年と98年に核実験を実施したことで国際的に孤立し、自力による国産原発開発を余儀なくされた。
しかし、ブッシュ前米政権は08年10月、インドと原子力協定を結び、流れを変えた。地球温暖化問題や、世界的な原油価格高騰などを背景に、原発が見直され始めた時期だ。米国は「世界最大の民主国家」といわれるインドを仲間に入れ、原発輸出の新たな市場に仕立てようとした。
インドは核拡散防止条約(NPT)への加盟を「不平等条約」として拒否しているが、北朝鮮やパキスタンなどと違って核拡散に手を付けていなかったことも評価された。米国に続いてフランス、ロシアも協定を結び、日本とも締結交渉中だ。
外国の技術導入再開による本格的な原発開発を進めようとしたその矢先に、福島第1原発事故が起きた。水素爆発の映像はインドで何度もテレビで放映され、人々にショックを与えた。84年に中部ボパールで起きたユニオン・カーバイド社の殺虫剤工場ガス漏れ事故(被災20万人、死者1万人以上)を想起させたという側面もある。
シン政権は、建国以来の原発開発という国是を守ろうとしているが、一般住民の間では原発アレルギーが広がり、開発計画を大きく狂わせている。
毎日新聞 2012年3月21日 東京朝刊