日録

2月 24

狭山事件ふたたび

部落解放同盟のプロパガンダやマスコミの扇情的な報道はとかく俗耳に入りやすいが、読みにくいのを我慢して狭山事件再審請求棄却時の最高裁判決を読むと、案外まともなことを言っていることに気付かされる。少なくとも、強力な弁護体制に支えられているにも拘らず石川一雄が有罪とされ、未だに有罪判決が覆っていないのはそれなりの根拠と理由があってのことと納得できる内容であった。解同は何かというと冤罪説の根拠として「鴨居から突然出てきた万年筆」の不自然さを引き合いに出すが、仮に万年筆など出て来なかったとしても石川は有罪判決を免れなかったことだろう。それぐらいこの男の身辺は胡散臭いことだらけである。ほぼ真っ黒に近い灰色と言って過言でない。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319125335263203.pdf

  1. 石川一雄は家族と口裏を合わせてアリバイを偽っていたこと。 
  2. 石川一雄は読売新聞や競馬予想欄を読む程度の国語力があり、小学校低学年程度の漢字知識しかなかったとは到底考えられないこと。 
  3. 石川一雄が警察署長に書いた上申書と脅迫状では筆勢が違うというが、書いた時の心理状態が違えば筆勢が違ってくるのも当然であること。
  4. 脅迫状では「時」という字の「土」の部分が「主」の崩し字となっているが、石川による警察署長あて上申書でも「時」の「土」が「主」と誤記してあること。
  5. 平仮名の「つ」を「ツ」と書く奇癖が脅迫文と共通していること。  
  6. 事件当時(1963年)の石川は万年筆と無縁だったと弁護側は主張しているが、石川の友人は「1962年から1963年ごろ、石川から万年筆を借りたことがある。石川は青インクの小瓶も持っていた」旨を証言していること。

などが指摘されている。人間には自ら学ぶ能力があり、学校教育は往々にして学習のきっかけを提供するに過ぎない以上、「石川さんは小学校の途中までしか教育を受けていなかったから事件当時の国語力は小学校低学年並みだった」という主張は必ずしも額面通りに受け取れない。人は学校で正式に教わったことしかできないわけではないからである。読み書きのような日常生活に直接かかわる能力なら尚更である。現に石川は14歳の時、住み込みで働いていた靴屋の店主の妹から3ヶ月にわたり平仮名や漢字を習い、得意先の氏名を漢字で書いていたことが上記判決文で明らかにされている。

これらの指摘に対して、解同を始めとする石川シンパがきちんと反論しているのを見たことがない。都合の悪いことは全て差別、という朝田理論で裁判に勝てないのは当然の話である。

なかんずく「時」の「土」を「主」で書くのはかなり変わった癖と言わねばなるまい。こんな奇妙な書き方をする人間がそうそういるだろうか。大いに疑問とせざるを得ない。

また、石川の弁護人は

「脅迫状には部分的に字が大きく書かれている箇所があるが、このような手法は詩文にみられる手法であり、欧米や我が国の詩文に精通した者でなければこのような手法を用いることはできない」

などと荒唐無稽な申立をしていたことも上記判決文に書かれているが、無論この申立は「独自の見解」と一蹴されている。おおかたアポリネールや萩原恭次郎あたりの前衛詩からの連想でこういう馬鹿げた理屈を思いついたのだろうが、いったい石川の弁護人は「部分的に文字を大きく書いているのは詩に詳しい証拠だ。だから詩に詳しくない石川さんは無実だ」などというこじつけが本当に通ると思っていたのだろうか。ダメ元で言ってみただけにしても、まさに噴飯物というほかない。こういった無理な弁護は処罰の対象にはならない代わり、安田好弘の「ドラえもん理論」同様に当該弁護人の信頼性を大きく失墜させる。いわば、それ自体が罰である。恥ずかしくないか、解同の御用弁護士の中山武敏さんよ。

脅迫状に石川の指紋がついていなかった件も、解同に言わせると「石川さんが犯人だったら指紋がついていないわけがない。真犯人は他にいるはずだ」ということになるが、最高裁判決には

「申立人の自白には出ていないからといって、申立人が指紋付着を防ぐ処置を講じていなかったとも決めつけるわけにはいかない」

とある。至極もっともと言うべきである。なぜテレビは、こういった判決文の内容を具体的に報じないのか。報じると解同から「差別者」のレッテルを貼られて嫌がらせを受けるためか。あるいは、辛気臭い判決文なんかちまちま紹介するよりも、お茶の間にわかりやすい「悲劇のヒーロー」を提供する方が視聴率アップに役立つからだろうか。

普通、こういった事件に関しては「あいつは無実だ」という説と「いや、本当にあいつが犯人だ」という説の両方が出てくるものである。しかし、狭山事件に関しては石川犯人説を伝えるメディアが現在ほとんど存在しない。1969年に解同が石川支援の特別決議を採択して以降は一貫して石川犯人説が一種のタブーであり続けている。冤罪説を批判する言説は、テレビにも新聞にもまず登場しない。再審無罪が確定したわけでもないのになぜか狭山事件は「冤罪」とされ、石川一雄は免田栄など正真正銘の冤罪犠牲者と同様に「さん」付けで報じられている。これは異常なことというべきである。「部落民の石川さんを犯人扱いするのは差別だ」という暗黙の合意があるのだろうか。しかし、本当に罪を犯したなら部落民だからといって免罪はされないし、されるべきでもない。

http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/sayama/photos/hiseki2.gif

筆跡について言えば、石川一雄の特徴と脅迫文の筆者のそれは、解同が必死で相違点を喧伝している割にはかなりよく似ているように見受けられる。具体的に言うと──

  1. 「な」の右半分を一筆で「子」の草書体のように書く癖。(「な」は「ナ」と「よ」を組み合わせるように書く方が一般的である)
  2. ほぼ同じ角度で右向きに傾いた「た」「す」。
  3. 第一筆と第二筆と第三筆がほぼ平行で漢字の「川」のように見える「ツ」。
  4. 「1」と「ろ」を組み合わせた不恰好な「わ」の書き方。(余談だが、自分個人はこういう「わ」のくどさが嫌いで「1」と「う」を組み合わせるような書き方にしている。第二筆の書き方は他にもあり、「わ」は人によってかなり個性が分かれる字である) 

などである。脅迫状の文字は極めて特徴的な癖字であり、赤の他人の間でここまで書き癖が一致することは考えにくい。想像だが、石川は「ツ」を自分の苗字に含まれる「川」に似た字として覚えたのではないだろうか。

なお、解同による上記リンクでは「な」の書き方について「脅迫状は例外なく第一筆と第二筆が連続しているのに対し、上申書は連続していない」などと説明している。しかし、上記の最高裁判決によると、知人あての1963年の手紙には「な」の第一筆と第二筆を連続させたものが存在している、とのことである。

用字法についても、脅迫状に見られる特徴と石川のそれが酷似していることは1977年の最高裁判決で指摘されているところである。いわく──

なお、本件脅迫状の文中には、平仮名の「つ」を書くべきところは、すべて片仮名の「ツ」を用いており、また、日付の記載は、漢数字とアラビア数字を混用しているほか、助詞「は」は、「は」と「わ」を混用しているが、それらと同じ用法が、被告人自筆の昭和三三年五月一日付早退届(同押号の五八)、同三八年五月二一日付上申書(同号の六〇)並びに記録中の被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書添付図面の被告人自筆の説明文中に随所に見られ、顕著な特徴として挙げることができる。更に、本件脅迫状の文中には、「一分出もをくれたら」、「車出いツた」、「死出死まう」など五か所において、「で」の当て字に「出」の字が用いられているが、被告人自筆の被告人からApあて(昭和三九年)八月二一日付の手紙(東京高裁昭和四一年押二〇号の四)の文中にも、「来て呉れなくも言い出すよ」、「あつかましいお願い出すが」と書かれていて、本件脅迫状におけると同じように、「で」の字に「出」の字を当てているのは、単なる偶然とはみられない。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120312822127.pdf

冤罪説に立つ者は、一体この事実をどのように説明しているのだろうか。彼らが言うような「権力によるでっち上げ」ではおよそ説明がつかないことである。石川による 「来て呉れなくも言い出すよ」「あつかましいお願い出すが」の手紙までが捏造されたとは考えられない。ましてや脅迫状が捏造されたとは全く考えられない。真犯人が注意深く石川の筆跡や用字法を研究して模倣したからだ、とでも説明するのか。あまりに不自然な解釈であり、普通はこういうのを牽強付会と呼ぶ。さらに証拠はこれだけではなく、身代金の受け渡し現場に現れた犯人の声が石川の声とよく似ていることも確認されており、被害者の遺体を縛るのに使った珍しいタオルと手ぬぐいを石川が2枚とも入手できる立場だったことも確認されている。

むろん、裁判所の事実認定が細部に至るまでことごとく正しいとは限るまい。警察の捜査に手ぬかりがなかったとも、到底言えまい。むしろ、佐野屋の前で犯人を取り逃がした一件からも明らかなように、狭山事件の捜査を難しくした原因が、犯人の用意周到さというよりも警察の無能さにあったことは論を俟たない。

しかし、第二次羽田事件の差し戻し審で無罪判決を出した寺尾正二判事でさえ石川一雄を有罪にした、それは理由のあることではないのか。その寺尾判事に対して石川シンパが有効な反論ではなく恥ずべき暴力でしか対抗できなかった、それも理由のあることではないのか。

かつて連続強姦殺人事件で無罪を勝ち取った「冤罪のヒーロー」小野悦男は首切り殺人で無期懲役になった。痴漢冤罪を訴えて無罪となった長崎満は盗撮で逮捕された。これらは氷山の一角に過ぎない。世間にはこういった贋の英雄が跳梁跋扈している。小野や長崎と違って尻尾を出さない場合もあろうし、有罪判決がとうに確定しているにも拘らず、強大な運動団体の影響力を背景に「冤罪だ」「無実だ」と厚かましく言い張る場合もあろう。

小野の連続強姦殺人事件の公判で弁護人をつとめた野崎研二は、首切り殺人の発覚後、「弁護人としては当時口が裂けても言えなかったが、(連続強姦殺人事件の)一審の途中から小野を疑い始めていた」と告白している。石川一雄のかつての弁護人の中にも、同様の疑念を抱いた者がいないと断言できるだろうか。ついでに言えば、かつて「小野悦男さん救援会」の事務局長を務めていた山際永三は石川一雄への支援者でもある。山際はまた、三浦和義への支援もおこなっていたらしい。「国家権力憎し」の俗情だけで徒党を組み、犯罪事実の有無はそっちのけで「冤罪」を肴にお祭り騒ぎをしているのがこういった手合いの正体である、と見るのは僻目だろうか。判決文を通読したこともなく、テレビ番組や噂話などの影響で漠然と「石川一雄冤罪説」に与している人間が多そうに思える(正直に言うが、自分もつい最近までそうだった)。

とかく、扇情的なプロパガンダには疑いの眼を向けることが肝心である。支援者の側に、不正まみれ犯罪まみれの社会運動標榜ゴロがついている場合は尚更であろう。

心なしか、カマキリ顔もよく似ているような気がする…

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狭山の被差別部落民は地元で「カワダンボ」と呼ばれていた由。 「皮多坊」の意味だろうが、いま「カワダンボ」で検索すると「ゆるカワダンボ」(ゆるくて可愛いダンボ)なる縫いぐるみがヒットするのが面白い。

http://shoppies.jp/user-item/2359420